12-2,奴隷に甘美は似合わない
灰色の重たい雲の向こうで太陽が沈んでいく頃、隣の部屋の扉が開く音がした。隣はアルマの部屋であり、彼が帰ってきたのだろう。奴隷はいつだってまたなくてはいけない。ご主人様からの命令や客の訪れを。受動の構えを忘れ自ら会いに行くなど人間様に恥をかかせているのと変わらない。おそらく昨日までの私であったら、部屋で彼の訪れを待っていただろう。しかし私は温かみが薄れた重たい湯たんぽをシーツの上に置くと立ち上がった。死したまま肉体の腐敗を抑えて動く殺人鬼に私は会いに行った。彼の見た目が共に歩くことが恥ずかしい程に醜悪であればよかったのに。
ノックをするとすぐに「入れよ」と返事があった。おどおどと視線を揺らしながらドアを開ける私にベッドサイドの椅子に座るように促した。
私は彼に深く頭を下げた。
「大変申し訳ございません、アルマ様。お部屋を尋ねるなど無礼であることは承知の上でございます。しかし、あなた様は私という奴隷のためにこんなにも情けをかけ行動してくださっているというのに、私はあなた様のために何も出来ない事が恥ずかしくて申し訳なくていたたまれずドアの開く音を聞いて飛び出してきてしまいました」
「構わない。好きなようにすればいいさ。言っただろう? お前のことを俺は一切否定をしない。俺も迷ったんだ。お前の部屋にそのまま行くかこの部屋に行くか。でもお前も流石に疲れただろう? 眠っているんじゃないかと思ったんだ」
私は少し多めに首を横に振った。軽く息を切らす事も視線を合わせては逸らす上目遣いも忘れない。
「いいえ、眠気など感じませんでしたわ。あなた様がまだ椅子に腰かけてすらいないというのに眠るなどあり得ないことですわ。それに」
私はそこまで言いかけて俯いた。
「それに?」
「ほら、旅の方がおっしゃっていたでしょう? 眠った子どもがまるで別人が乗り移ったかのようにふるまったと。あの話を思い出して少し、怖くなってしまったのです」
もし私が不利益を被る可能性が高いことはしたくないため、私は眠くなる度に頭を振っていた。ついたばかりの街でアルマのいない間に記憶のない時間を作ることは避けたかった。しかし、今晩一晩中寝ないというわけにはいかない。不利益のルーレットを回すしかない。
「そうだったな。そんな中、1人にさせて悪かった」
「とんでもありません。アルマ様は私のために船の出港情報を確かめてくださったのでしょう?」
「あぁ。でもクレアモリア行きの船は出港したばかりのようだ。あと4日はここに滞在することになりそうだ」
「4日ですね、かしこまりました。本当にありがとうございます」
私はそう言って、また深く頭を下げてあげた。この化け物に。
アルマはもうじき6時をさそうとする時計を見て立ち上がった。おそらく先程掛けたばかりであろう外套を羽織る。
「お出かけでしょうか?」
「飯を食いに行こう」
この都会の港町で食事を楽しめるのは嬉しくてたまらなかった。私はするり彼の部屋を出て彼が鍵を閉めるのを確認すると「いってらっしゃいませ」と言い、自らの部屋のドアノブに手をかけた。
「お前もだよ」
知ってる。私は過剰に顔を輝かせ、すぐに照れたように赤らめ、何度も何度もお礼を言い、少し涙ぐんであげた。