12-1,奴隷に甘美は似合わない
大小合わせて12部屋の客室がある宿は静かだった。大きな窓があり葉の大きな観葉植物が植木鉢に突き刺さって3つ程ラウンジを飾っているが、紺の大きなソファに腰かけている者はいない。
受付で1部屋でいいかと尋ねられるとアルマは首を横に振り、2部屋利用できるかと頼んだ。アルマが私のことをよっぽど大切にしているように見えたのか、女主人は頬を緩めて頷き鍵を渡すと「後でお嬢様のお部屋に湯たんぽを持って行きますね」と言う。雨水を髪から垂らす私はやはり顔色が悪いのだろうか。不健康そうに、あるいは病弱に見えることは悪くない。彼の妹ともしかしたら影が被るかもしれないからだ。
「街の様子とクレアモリア行きの船の出港情報を見てくる」
私をベッドに座らせるとふかふかの真っ白なバスタオルを渡しグラスに水を注ぐと、そう言って彼は出て行った。
貧相な胸に湯たんぽを抱えてやって来た女主人は口を尖らせた。
「傍に寄り添っていてくれればいいですのにね。手でも握って」
「いえ、彼は恋人ではありませんから。私に気を遣ってくださったのだと思います」
「おや、そうでしたか。失礼をいたしました。兄妹のようには見えなかったので勘違いをしてしまいましたわ」
でもここは一つ甘いことを言っておいてもいいかもしれない。
「ですが、私にとって大切なお人であることには間違いありませんわ」
私はそう言ってほんのりと微笑んで窓の外を眺めて見せた。健気で儚げな少女に見えているだろうか。
「お嬢さんたちはやはり船に乗るためにこのレングロへ?」
「ええ、クレアモリアと言う所が目的地です」
「あぁ、もうすぐ精霊祭があるからね」
「精霊祭、ですか?」
「おや、知らないのですか? 豊穣をつかさどる精霊に感謝をする大きなお祭りで儀式がそれはそれは綺麗でその時期になると観光客が大量に押しかけるんだそうですよ。なんでもクレアモリアでは魔女様魔法使い様を精霊様と呼ぶらしくて」
そこまで話して彼女は口を押えた。
「お嬢様の彼氏さんはサプライズで祭りを見せるつもりだったのかもしれないわね。もしそうだったら知らないフリをして驚いてやってちょうだい」
私は「あの、彼氏ではなくて」と頬を赤くして落ち着きなく肩や首を動かした。今後アルマと共に過ごすのならば、この一途に密かに恋心を抱いているという設定は使えるかもしれない。どうせこのレングロに長期滞在することは無いのだから、試してみようと思う。奴隷が人間を装うのなら、ある程度人間らしいわかりやすい性格を設定づけておいた方が良い。
宿屋のベルが鳴った。女主人は「この時間なら郵便屋さんね」とエプロンの皺を伸ばした。
「クレアモリアほど栄えてはおりませんが、田舎ばかりのこの近辺の中ではこのレングロはそれなりに都会ですから、船の出港日までどうぞお楽しみくださいませ。珍しいケーキもどこか不思議な装飾品も他では手に入らないドレスもございます」
そう言って一礼し、彼女は部屋を出ていった。湯たんぽはすっかり私を体の芯まで温めている。
私は窓の外を見た。傘をさした女性がマグカップの絵が描かれた看板のお店に入って行く。パン屋さんから出てきた子どもは自分の体の半分ほどはある紙袋を両手で抱えて嬉しそうに走って行く。アルマは今頃、誰を殺しているのかもしれない。