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〇夢遊堂


 お出汁の匂いがする。


 玄関に入るなり、絹子は思った。


 ごくんと喉が鳴る。

 そういえば、朝、今日はつみれ汁だと言っていた。生姜と葱をきざんで入れたつみれに、飛魚あごのすまし汁は絶品だ。


 思わず靴を投げ出すように脱いで、台所へと向うと、非難するような視線が待っていた。おたまを片手に持った真っ黒なショートカットの女の子だ。紺色の作務衣を着て、つるつるした足をむき出しにしている。その微かに膨らんだ胸に気づかなければ、少年と間違うだろう。そんな中性的な少女だ。


「シロちゃん、夕飯夕飯!」

「靴は揃えて脱いだが?」


 ボーイッシュ少女ことシロは、絹子に手厳しい返しをする。絹子は口をもごもごさせると、仕方なく靴を揃えに玄関に戻った。


「シロちゃん、ご飯ご飯!」

「おまえは、犬か? ほれ、準備が先だ」

 

 そう言ってシロは、絹子に小鉢が乗った盆を渡す。小鉢の中身は白和えだった。丁寧に味噌で味付られたそれは、これまた逸品だ。豆腐は絹ごしを潰し、野菜は青々としている。せりだろうか、癖のある香りが鼻腔をくすぐる。


「つまみ食いすんじゃねえぞ」


 絹子は小鉢につっこみかけた指をすかさず元に戻した。


「ちょっとだけ……」

「ああん?」


 中学生くらいの女の子に睨まれて、絹子は大人しく運ぶことにした。

 隣の部屋は二十畳ほどの座敷になっており、とこの前を上座として、その左右に三つずつお膳が置いてある。絹子はお膳に小鉢を置いていく。


 シロがさらに焼き物を持ってくる。脂がのった魚は、見ているだけでよだれが出てくる。大根おろしに柑橘果汁と醤油をかけたら、ご飯三杯はいける。


「つまむなよ」


 再度、注意を受けつつ、絹子はそれを受け取りお膳にのせていく。


 おかずはさらにもう一品、蓮根のはさみ揚げ、それに茄子と胡瓜の糠漬けがつく。


 絹子は上座の右側に陣取るとよだれがあふれるのを我慢しつつ、正座をしてご飯茶碗が来るのを待った。


「おっ、今日は魚かあ。肉、食いたいんだけど、肉」


 ずいぶん失礼な声が聞こえてくる。


 台所とは違う方向から顔を出すのは、白髪の少年だった。小豆色の作務衣を着て、髪は天然パーマだ。


「今日、茶碗洗いな、クロ」


 シロが不機嫌そうに言った。


 白い髪がクロで、黒い髪がシロだ。ややこしいと絹子はいつも思う。


「えー、ひっどい、シロー」


 わざとらしくくねくねと畳に倒れ込んでクロが言った。整った顔立ちなのに、その行動は道化そのもので、シロに甘えるようにすり寄っていく。シロはシロで近づくたびに器用に肘鉄を食らわせていた。


 いつもの光景だ。


「おやあ?」


 三回めの肘鉄を左頬で受けながら、クロが目を細める。


「また一つ、お膳増えてない?」


 並んだお膳と座布団は合計七つ、実は今朝まで六つだった。


「大家が増やせって言うから、増やしてんだよ。そのうちまた、減るから気にするな」

「気にするなと言われてもねえ」


 にやにやと笑うクロはなにか思わせぶりだ。

 シロクロコンビに絹子がそろったところで、つみれ汁とご飯を装った。


「いただきます」


 手を合わせて挨拶をすると、さっそくつみれ汁をすすった。あつあつの汁は、出汁がしっかり聞いており、つみれを食むとじゅわっとさらにうま味がでてくる。鰯の臭みを消すための生姜が良い食感を生み出している。


 お膳の前の座布団は、上座を含め四つ空いたままだ。

 この三人がそろったところで、食事を始めるのがこの家のルールになっている。


「食べ終わってからでいいから、あとで大家に持ってってくれ」


 シロが一度、箸を置いて言った。口の中にご飯を入れたまま話さないところが、ずぼらなようで躾がちゃんとされてある。


 絹子は、口いっぱいご飯を詰め込んだまま、頷いた。


「ったく、たまには出て来いよな。飯が冷えちまう」

「いいんでなーい、あいつ、僕たちより猫舌だしー」


 そう言って、違うお膳の魚を狙うクロ。シロは無言でその手を引っぱたいた。

 わざとらしく痛々しい真似するとこまでを含めて、それが絹子の日常風景になりつつあった。






 お膳を持ったまま、長い長い廊下を歩く。杏色の行燈が足元を照らし、絹子の影を奇妙に歪める。


 廊下の突き当たりには、無地の襖がある。手すき和紙が張られたそれは手触りが気持ちいい。思わず撫でたくなる感触だけど、手垢がつくと怒られそうなのでやめておく。


 ほんのちょっと、襖を開ける。中は真っ暗だ。


「ご飯もってきたよー」


 しーんとする。寝てるのか、と絹子が首をかしげているとはるか向こうで衣擦れの音がした。


「そこに、置いといてくれ」

「……はいはい」


 絹子は言われるがまま、お膳を襖の中に置く。


「体調悪い?」


 絹子は通る声で言った。


「ああ、しばらく籠もる」

「わかった」


 しばらくというから一週間くらいかな、と絹子は思いながら、元来た廊下を戻っていった。





〇構内


 古都と呼ばれる地方都市、その地名をそのままくっつけだだけの大学に通い始めて一年。少し変わった下宿先だがさすがに慣れる。元は夢遊堂という薬問屋だ。昔ながらの町家のつくりを改築したのが今の絹子の住処だ。


 変な中学生二人と引きこもりの大家、あと下宿人は絹子の他に何人かいるけど、すぐ入れ替わる。空いたお膳の数から大家を引けば、今の人数がわかる。


 徒歩十五分ほどの距離にある大学。学食が構内に三つあるが、絹子の口にあわずお弁当をいつも作ってもらっている。


 絹子は手帳を眺める。一コマ目の授業は無しで、二コマ目は芸術棟である。


 一時間ほど早く来たのは、準備があるからだ。

 横を自転車が通り過ぎて行く中、絹子は歩くしかない。なんであんなもの乗れるんだろうと、いつも思う。小学校のときは、学校の交通教室で散々練習させられて嫌になった。自転車に乗っていると、車輪に足がからまりそうになるから怖いと言ったのに、聞いてもらえなかった。


 あんなものなくても、生きていけると絹子は口を尖らせて歩いていく。






〇芸術棟教室


 芸術棟の一室、その中に三十畳ほどの和室がある。元は茶道部が茶道をやっていた場所らしいが、数年前に新しい部室棟ができたとき、ついでに茶室を作られたらしい。ついでに作られるようなものでもないが、そこのOBだがOGがけっこうな権力者らしく、寄付もあったためにできたという。


 少し傷んだ畳だが、絹子はそれで十分だと思う。


 贅沢を言えば、もう少し広ければいいのに、と考えるだけだ。


 三十畳といえば宴会が出来そうな広さだが、この部屋を見て広いと思う者は少ないだろう。


 まず、糸車と大量の綿が置いてある。無造作に積み上げられたそれは、綿花と羊毛だ。

糸車で糸を作る前に、綿花と羊毛の埃を取る作業をしなくてはいけない。羊毛はその毛を剣山ともブラシともいえない道具で伸ばし、糸車に通しやすい形を作る。羊毛は羊の品種によってだいぶその毛の質が異なる。授業ということで、できるだけ扱いやすい品種のものを選んでいるが、昨年、それを全部洗濯し、フェルト化させた猛者がいたので、今年は注意しないといけない。


 糸車は昔話で出てくるような手回し式のものだ。あくまでこれは主題ではないので、教室にあるのは二台だけだ。生徒用と絹子専用のものだ。


 糸車の奥には棚が並んでいる。棚から棚にかけて棒が置かれ、味わいある糸が束ねられ引っかけられている。暖簾のようなそれは昨年の生徒が染色したものだ。あとひと月ほど置いていて取りに来たら渡して、来なかったら仕方ないのでこちらで消費しよう。桜の皮で染めた薄紅色の糸は、味わい深くいいものができそうだ。


 糸を作り、染めたとあれば、次に織ることになる。


 この部屋が狭いと感じるのは、それが原因だろう。


 中央に大きく古風な織り機が一台。それを囲むように、現代風に改造された織り機が八台置いてある。


 古風な織り機はそれだけで三畳ほど埋まり、小さなものでも一畳ないくらいの大きさはある。そこに人が座るスペースを考えると、それほど広さは残らない。


 この大学では、昨年から古い文化を教える授業がカリキュラムに組み込まれている。一回生はこれが必須であり、最低週一回は芸術棟で行われる授業にでないといけない。この織物教室もその中の一つだ。


 そして、特別講師として来ているのが、絹子だった。


 同時に、絹子はこの大学の二回生でもある。年齢も今年二十二歳で、他の生徒たちとそんなに年齢は変わらない。


 そんな未熟者が、教員免許もなしに教えていいものか、絹子はよくわらかないが、私立なのでそこのところはおおらかなのかもしれない。なにより、食事つきの下宿先を用意され、授業料免除の上、お給料をもらえる待遇に、断らない者のほうが少なかろう。


 すでに一年間勤めた今更、疑問を持つだけ不毛だ。絹子は授業で使う糸を準備する。今日は、新入生の最初の授業だ。去年、一年やってきてわかったことは、普通の大学生は機織りなど基本するものではないということだ。


 それを聞いたとき、絹子はカルチャーショックを受けた。


 生まれて二十年間、ずっと閉鎖的な村で育ってきた。村の女の人は小学校に上がる前に、機織りの基礎を教え込まれる。そして、毎日休まず布を作り続ける。


 絹子もまた、その一人だった。一生、機織りをして生きていくものだと思っていた。現に高校を卒業してから二年間、ずっと機を織り続けていた。


 絹子は、ただでさえ、数年ぶりの女児だったため、その教育が顕著だったのかもしれない。近所に同い年の友達がいなかった絹子は、余った時間はいつも機を織っていた。

 十歳になったかならない頃には、機織りができる未婚女性がいなかったため、村祭りで織姫の役をやっていた。去年も、里帰りの際にその役をやらされた。絹子の下には、五人ほど女の子がいるけど、まだ、村長が納得できる機織りができていないそうだ。


 好きでやっていたわけじゃないが、織姫役も悪くないもので、こうして仕事が来るものである。


 今現在、手織りで機織りなど、飯の種になるものじゃない。有名どころの織物は、なんだかんだで機械で織っていたりする。

 今の機械は、設計図を読みこませるだけできれいに早く織ってくれるので優秀だ。


 新入生はまず、機織りと聞いて、すでに経糸が機に準備され、あとはがたん、ごとんと緯糸を通していく作業を想像しているに違いない。


 残念だが、その前に。経糸を準備する作業がある。まずぴんと経糸をはるのだが、同じ長さの糸を準備しないといけない。それをぐるぐると巻きつけて、長さを調節する。それを綜絖そうこうと呼ばれる道具に通す。これを通さないと、糸を上下に動かすことができない。上下にわかれた糸に緯糸を通し、上下を入れ替えることが機織りの基本だ。


 細かいことを言えば、もっとたくさん言う事があるが、このくらいにしておかないといけない。新入生に機織りについて興味を持ってもらい、あわよくば絶賛少子高齢化中の故郷に来てもらわなくてはいけないのだ。


 すでに綜絖に糸を通し終り、経糸をぴんと張った織り機の準備はできている。今日、やってくるのは二十人ほどだ。できるだけ、楽してそれっぽいものをやらせておかないと、次の授業には三分の一に減る。初年度の昨年はそれで失敗した。折り機は九台しかないが、人数が多かったときのために、小型の織り機も用意してある。これだって使いたい。


 絹子としては、大学にいる四年間はしっかり稼いでおかないと困る。織物に対しては多少の矜持はあるが、自由になれる生活を無駄にしたくない。


 準備するうちに、二コマ目が始まる。


 そして――。






 若者というものは、教師を舐めるものである。

 そして、その年齢が若いほど舐められるものである。


 絹子もまた例外ではなかった。舐められる側の……。


 今年もそうなるのかなと絹子は、ばたんばたんとを機を織る。


「相変わらずすっごい音ー」


 話しかけてきたのは、崎守さきもりという名の女子生徒だ。こいつは新入生ではなく二回生で、出席日数不足で今回やり直しというわけだ。

 絹子が特別講師だと知るや、単位よこせと近づいてきた。勿論、半人前講師に対して、全責任を負わせるほどこの大学も甘くない。監視役といわんばかりに、TA、すなわちティーチングアシスタントが張り付いている。皆、院生なので絹子より年上だ。


 今日はまだ来ていないので、こうして崎守がからんでくるのだろう。

 そのためか、新入生が近づいてこない。珍しく男子生徒が数人いて、興味深そうにこっちを見ていた。なんだか気になった。


「ねえ、TAいないとき教えてくんない? そんとき、あたしの出席に〇つけといてくれるだけでいいからさ」

「無理だから、諦めて」


 人間慣れというものは怖いものだ。最初、田舎者はこんな風にはっきり言える性格ではなかった。

 もっともそれは、下宿先にもっと変わったものがいるから慣れてしまったのかもしれない。一応、授業中ともあって、少しかたい態度をとらせてもらう。


「えー、いいじゃない? あたしと絹ちゃんの仲でしょ?」

 

 絹子はわずらわしく思いながら、こいつ根は悪くない奴なんだからと言い聞かせる。根っこが腐っていれば、今頃、絹子の学科中に妙な噂が回っていただろう。いわゆる、クラスの中心にいる人物で、絹子としては少し眩しい存在だった。


 カビが生えるほど古臭く育てられた絹子と違い、崎守はいわゆる目立つ生徒だ。フェミニンなチュニックに、下はショートパンツを穿いている。動きやすさより、ファッション性を重視した足元は、絹子が履けば転んでしまうようなヒールだった。たった二本の足であんな細いヒールで転ばずよく動き回れるなと絹子はいつも思う。


 そして、話の切り替えの早さも特筆すべきだ。


「それで、今度のコンパ行く?」


 いきなり話が変わる。


 コンパと聞いて、絹子は一瞬首をかしげたが、掲示板に貼られている内容を思い出した。


「新入生歓迎だっけ?」


 合コンなるものではなく、学部学科で行われる歓迎パーティだ。


 学科ごとに飲み会があるのは、大学の一般常識らしい。新入生に一気飲みを命じて、そのまま急性アルコール中毒で病院に運ばれるニュースをよく聞く。


 絹子は昨年、参加しなかった。田舎者にいきなり飲み会はハードルが高すぎた。その上、昨年すでに二十一だった絹子は、年齢のことで気になっていた。


 もちろん、そんな悩みは、同じ学科に四浪の猛者や子持ち主婦がいることで消えてしまった。今考えると、ばかばかしいと思う。もっと悩みどころなんてあるだろうに。


 多少、慣れない生徒もいるけど、基本的にそこまで悪い人がいないクラスでよかったと絹子は思っている。


 そのおかげで、二か月前にあった卒業コンパというものには参加させてもらった。店で飲むのではなく、教室に料理を持ち込む形式だったから、敷居は低かった。


「飲み会、ここ、ここ。わかる?」

「授業中なんですけど」


 といいつつ、差し出されたスマートフォンを覗き込む。旅館のようだ。温泉街が近いので、大きな飲み会に旅館を使うことも多いらしい。

 スマートフォンどころか携帯電話も持っていない絹子は、画面がいきなり消えて思わずびっくりする。その様子を崎守が笑う。


「ここの料理、すごく美味しいって」

「……ちょっと、もう少し考える」

「あっ、けっこう乗り気だあ」


 図星の言葉に、絹子はちょっとむくれる。


 美味しいと言われたら気にならないわけがない。


「じゃあ、授業終わったら、詳しい日程教えるから、そこの学食で待ってるよー」


 そう言ってようやく崎守は、自分の織り機の前に戻っていった。






〇食堂


 なんだかんだで崎守は親切だ。授業の片付けをしていた絹子を待っている間に、旅館の地図をコピーして日程も書き込んでくれていた。そのマメさを授業に生かしてもらいたいと思うのは、絹子だけではないだろう。

 人気者の秘密っていうのはこういうところにあるのかもしれない。


 そして、押しの強さもそこに含まれるのだと思う。

 

 気が付けば昼食を一緒に食べることになっていたらしい。学食で待ち合わせをしていた時点で決定していたのかもしれない。


「すごいお弁当だね」

「いいでしょ」


 授業が終わったので、少し口調が軽くなる。シロ特製お弁当、今日も出し巻卵が色鮮やかだ。冷凍食品など使わず、全部手作りのおかずだ。


「ええっと、量もね」

「……」


 重箱二段というのは、一般的な量じゃないらしい。


 崎守はおすすめランチを頼む。料金はワンコインでおつりがくる。ライス少なめなのが、年頃の女の子らしい。


「そう言えば学食で見たことないね」

「なんか体質で、添加物とか苦手なんだ。お酒もあんまり飲めないし」

「ああ、だからかあ。前のとき、ジュースしか飲んでなかったもんね」


 旅館の料理なら少しは食べられるものがあるだろうと。お刺身位食べられたらいいなという願望もある。


「あたし、幹事と知り合いだから、どういう料理でるか聞いておこうか?」

「だと助かるかな」


 もし、下宿先でご飯がでなかったら、絹子は食生活に絶望していただろう。料理は多少できるけど、毎回作るとなれば手間がかかる。


「難儀だねえ。ファーストフード食べられないじゃない」

「食べられなくはないけど、荒れるんだよねえ。お酒も」

「現代の食べられるもの半分になるわ、それ」

 

 心底可哀そうという目で見てくるが、元々そういうものに囲まれずに生活していたので、気にするほどじゃない。


「あれ、美味しいのに」


 そう言って崎守がさしたのは、学食のテレビだった。丁度、ファーストフードのコマーシャルが流れている。真ん丸の目玉焼きがのったそれは、期間限定とうたっている。

 普段はあっさりとした和食が好きだけど、絹子もたまにはちょっと脂っこいものも食べたくなる。


「作ってもらうし……」

「自分で作らないんだ」


 にやにや笑う崎守だったが、画面が切り替わると同時に堅いものになる。


 お昼のワイドショーが流れていた。


「やな感じ。まだやってる、話題それほどないのかな」

「いや、新しい被害者みたい」

「ほんとだ、しかもここから近いって」


 いわゆる猟奇殺人事件だった。


 サスペンス番組が一本作れそうな内容のそれは、趣味がいいとは言い難い。

 新聞では、女性の絞殺死体とだけ書かれているが、悪趣味にもワイドショーや週刊誌はその殺害方法を事細かに説明していた。わざわざスタジオに殺害現場の模型と被害者に似せた人形を用意している。


 人形は逆さまにぶら下がっていた。紐でぐるぐる巻きにされ、逆さまになっている。今回も同じように吊るされていたのだろうか。


「蜘蛛男とか、嫌な名前」


 崎守は頬杖をついて、さし箸でコロッケを頬張る。


「蜘蛛って、自分が逆さまになるのであって、獲物を逆さまにするんじゃないんだけどね」

「つっこむとこ、そこ?」


 そんな感じで話をしていると、こちらに近づいてくる一団と目があった。


「せんぱーい。お昼ですかー? 感激ですよー、また一緒の学校通えるなんてー」


 話しかけてきたのは三人組の男の子の一人だ。確実に十八歳以上なのはわかるけど、顔が幼く見えるため、男の子という表現が似合う。残り二人は、身長が高いのと低いので、ムードメーカーはこの中津屋という少年らしい。

 

 あっ、この人たち。


 どこかで見たことあると思ったら、さっきの授業に来ていた男子生徒たちだった。


中津屋なかつやかー」


 ちょっと呆れた顔をして、崎守が言った。どこか嫌な顔をしている。


「一緒にお昼食べようっていったじゃないですかー」

「だって、友だちいるでしょ。勝手に約束したら迷惑でしょ?」

「だいじょーぶですよ、せんぱいコミュ力高いから! あれ? あんまり見ないタイプのお友だちですね」


 そう言って、ちらりと中津屋少年が絹子を見た。


「あれ? この人、さっきの授業の?」

「うん、先生。敬えよ、若人」

「へー、若いっすねえ」


 軽い口調でいつのまにか、前の席に座っていた。残りの二人は、ランチを取りに行っている。


 中津屋少年は、コンビニの袋からおにぎりを取り出すと、海苔が破けないように器用に巻く。

 ぱりっと心地よい音を立てながら、あの趣味が悪いワイドショーを見ている。


「うわー、またですか」

「ほんと、あれ、かえていいかな、チャンネル」


 ひどく憎々しげに崎守が言った。悪乗りしそうなタイプに見えるけど、こういうのは本当に嫌いらしい。


「それは駄目ですよ、他に見てる人いるし」


 そう言って食い入るように見ているのは少年だ。器用に片手でおにぎりを食べ、残りの手で端末をいじっている。タブレットというのだろうか、ノートパソコンをさらに小さくなったような機械だ。今年から、授業に使うとのことで一回生は全員持っているらしい。入学したのが去年でよかったと、絹子は心底思っている。


「ああいうの、好きな奴は好きですから。ほら」


 そう言って、中津屋少年は画面を見せた。


 絹子と崎守は『うわー』と同時に声を上げた。『蜘蛛男事件』と称して、ニュースでやっている内容がさらに事細かに記されていた。テキストを中心とした妙にレトロな作りで、背景がやたら暗い。

 その割に作りこまれているのが、絹子にもわかる。


「ねえ、どんだけ暇だったら、こんなのするわけ?」

「さあ、純粋に趣味なのと、あとアフィ目的じゃないですかね。閲覧数かなりあるみたいだし」


 そう言って中津屋少年は、指先を画面に滑らせる。


「それにしても、これ、模倣犯扱いしてますね」

「模倣犯?」


 その言葉を絹子は反すうする。


「ええ、これこれ」


 そう言って開いたのは、半世紀も前の事件録だった。とある片田舎で起きた連続殺人事件だ。


「……」

「これはこれで趣味ワルい」

 

 そう言って、崎守はがつがつと残ったランチを食べる。


 しかし、中津屋少年は気にせず続きを話し続ける。


「閉鎖的な土地柄ではありがちな怨恨として片付けられたそうですけど、今回みたいな死体の扱い方と……」


 崎守はごくんとご飯を飲み干すと、睨むような目で中津屋を見ている。その両手はそっと耳を塞ごうとしていた。


「死体は、まるで血をすべて吸われたかのように乾いていたそうですよ」


 にやりと中津屋が笑うとともに、「ひいっ」と崎守が震えた。


 さっきからやたらテレビに文句言っていたのは、普通に怖かったようだ。絹子は、重箱を空にして、水筒のお茶をすすっていた。


 ランチを持ってきた二人組は、中津屋の両隣に座り、そのサイトを眺める。


「おまえ、好きだよなあ」


 呆れたように背が高いほうが言った。そう言って、興味深そうに見ている。


「オカルトめいたやつとかさ。あんまり見てると、彼女できねーぞ」

「はいはい。それは彼女いたことがある人の台詞ですからね」


 中津屋が挑発すると、長身のほうが中津屋の頭を掴み、ぐりぐりと拳骨をめり込ませた。


 あー、男子のじゃれあいだー、と絹子は他人事としてそれを眺める。


 もう一人の小さい方が「そういえば」と口を挟んできた。


「なあ、『おつかれさんです、ごくろうさま』って知ってるか?」

「はあ? 普通にねぎらいの言葉だろ?」


 長身が答える、中津屋はチョークが決まっているらしく、ギブを求めてテーブルを叩いている。


 確かにそのとおりだけど、こちらに一年も住んでいる絹子にはその意味がわかった。


「見えないけど、ナニかがいるときに使うおまじないらしいよ」

「……えっ? 本当ですか?」


 ここは、歴史が古い街だ。なので、他に比べて寺社が多く、妙な風習も残っている。その一つだ。


「それって、どういう意味なんですかね? この間、構内で通りすがりに言われた気がしたんですけど」

 

 ちっちゃい青年は不安そうな顔をして、絹子を見る。


「なんか憑いてたんじゃない?」


 それを茶化すように中津屋が言った。


「お、おい。そんなこと言うなよ」

「だって、そうだろ。見えないナニかって。土地柄そういうのあってもおかしくない場所だし。そういや、先輩は一年住んでますけどどうで……」


 続けて言おうとした瞬間、バンッとテーブルが叩かれた。真っ赤な顔をした崎守がいた


「もう! だから、アンタとは話したくないのよ! そんな話、私の前でしないでってば! 嫌いだっていってるでしょ!」

 

 崎守がなんだかノリが悪い理由がわかった。


 絹子はどうすればいいか、二人の間を見る。


「大丈夫ですよ、いつものことですから」


 うろたえている絹子に気を使って、長身くんが話しかけてきた。


「小学生と変わんねえな、あれ」


 苦笑いを浮かべて顔を見合わせる長身くんとちっこいくんを見ながら、ちょっとその手のことにはまだまだ疎い絹子はそういうものなのか、とだけ思っておく。


「もう、行こうか!」


 崎守が絹子の手を引っ張っていく。絹子は慌てて鞄と空の重箱を持って食堂を出ていった。





〇教室(学部共通棟)


 次の授業は、選択外国語で崎守と同じだった。崎守は、仲がいい友だちに話しかけられていたが、「今日は気分が悪いから」といつもより後ろの席を陣取っていた。いわゆる崎守グループと言われる崎守を中心とした集まりだが、普通に心配しつつ「じゃあ」と席を離れる崎守についていくことはなかった。


 なぜか崎守が座ったのは絹子の隣の席だった。


 いつも駄弁りながら教師の話を聞かない崎守だが、今日はずいぶん大人しかった。


 たまにちらちらと周りを見て、特に背後を気にしているようだった。


「崎守さん」

「へっ、何?」


 驚いた顔で絹子を見る崎守は、単位をせびっていた人物と別人に見えた。ナニかに怯えて、それに見つかることを気にしているようだった。


 絹子は教室に声が響かないように、そっと崎守の耳元で言った。


「もしかして、見えるの?」

「!?」

 その瞬間、崎守が素っ頓狂な声を上げて、立ち上がった。

 教室中の視線が崎守に集まり、教師が目を細めて咳払いをした。崎守は顔を真っ赤にしながら、気まずそうに視線を逸らし座った。


 絹子は悪いことしたなあ、と思った。怒らせてはないだろうか、と崎守を見ると、崎守はうつむいたまま、絹子にノートの端っこを見せた。


『この後、暇?』


 崎守はそれだけ書いて、あとは板書を睨んでいた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] さすがの読ませる力を感じます。製品版も読んでる途中。先が楽しみです。 [気になる点] 少し紡織やってる者ですが、羊毛を手回しの糸車で紡ぐのは一般的ではないかな…あの道具は綿のような短繊維を…
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