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   僕がここにいて、君がそこにいたから ⑤ [イザーナ]

 ――結論から言うならば。

 騎士達の抗いは、なんの意味もなさなかった。

 それは、戦いですらなかったのだ。


 しかし、そのようなことは彼らとて理解していたのだと思う。

 なぜならば、あれが真に魔なるものであるのなら、私達の力で傷つけられるはずもないからだ。

 魔物ならば必ず有する絶対無敵の防御壁――《瘴気》が、外からの如何なる攻撃も無効化してしまうのだ。

 そして実際、あの魔物が身体全体より陽炎のように立ち昇らせる闇の衣は、騎士達の剣撃も魔術も、全て完璧に遮断していた。

 あれこそが、伝え聞く《瘴気》なのだろう。

 騎士が斬りつければ音も衝撃も吸収して受け止められ、魔術がその闇に接触すれば空間に溶けるように霧散する。

 女性騎士が指示したように魔物の火球に干渉して自壊させても、煩わしそうにはするものの、なんら痛痒を受けた様子はなかった。


 一方で、魔物の攻撃は容易く騎士達を傷つける。

 その爪は彼らの身体をなんの抵抗もなく切り裂き、その尾は一振りで数人を弾き飛ばし、その火球は直撃すれば一瞬で肉を炭化させ、至近に着弾しただけでも身体の一部を抉り取っていく。


 そのような状況にあって、彼らが士気を衰えさせることなく抵抗し続けられたのは、第一に叱咤の声を張り上げる隊長格の女性騎士の存在。

 次に、魔物の狙いと思しき木箱を抱えて逃げ回る副隊長騎士が、うまく囮になることでその行動を誘導し、致命的な状況になるのを辛うじて防いでいたこと。

 そして最後に――。


「《これは神の御業であるアレイ・アルア・アーラッド》――!」


 凛、とした声音が戦場に響き渡る。

 同時に、あたり一帯に天より光が降り注ぎ、騎士達の身体を癒やしていく。

 裂かれた傷が塞がり、折れた腕が繋がり、吹き飛んだ手足さえも再生し、今まさに命を落とそうとしていた者まで強引に死の淵から生に引き戻していく。

  

 まさに、奇跡だった。

 もはや、人の成し得る域を超えている。

 この世にあって至上なる、天の御業――《神秘》。

 

 それをもたらしているのは、アベルだった。

 戦場の中心から離れた場所で、彼は地に跪き、両手を組み、天へと祈りを捧げている。

 私もそのそばにいたが、なにができるわけもなく、必死に祈り続ける彼をただ見ていることしかできなかった。

 私達の近くには、ひとりの騎士が立ち、私達――というよりアベルを厳重に守っている。

 所詮、私はそのおまけに過ぎなかった。


 アベルは、騎士達が魔物に攻撃を加えはじめてしばらくすると、隙を見計らい、副隊長騎士のもとから離脱していた。

 そうして私と合流すると、騎士達を援護するために天へと祈りはじめたのだ。

 それに気づいた女性騎士の指示で、現在、このような状況になっている。

 彼が、言葉の通りにこの場の生命線だった。

 彼の存在こそが、この場にいる者にとって最大の心の拠り所となっていたのだ。


「まさしく神の御業……。これほど凄まじき《神秘》、初めて拝見いたしました。幼き《聖人》殿には、誠に驚かされる」

 

 守護を担う騎士が、感嘆の声を上げる。

 

「それでも……全てを、救えるわけではありません」

「なにを仰るか。もし御身がおられなければ、とうに我々は全滅していますぞ」


 アベルの苦渋に満ちた言葉に、騎士が答える。

 しかしそれを聞いても、アベルの顔から陰りが消えることはなかった。

 彼の視線は、あたりに点在する、もう二度と動くことのない騎士達の遺骸に向けられている。

 アベルの奇跡はこの上なく強力なものだったが、しかしそれでも、即死してしまった人間を生き返らせることはできないのだ。

 魔物に対峙する騎士の数は、当初よりいくつも減らしていた。

 それが彼の心を苦しめているのだろう。

 彼はあまりにも、優しすぎるのだ。


「……しかし騎士様、それでも結末は、変わらないのではありませんか?」


 戦場から視線を離さないまま、アベルが言った。


「む」


 騎士は答えに詰まって、すぐには言葉を返せない。


「あの魔物に傷を与える手段が存在しない以上、このまま消耗を続けた果てに待っているのは、やはり破滅でしかありえません」

「しかし、《聖人》殿」

「私も、限界が近いのです」


 アベルのその言葉に、騎士はハッとした顔で彼を見下ろした。

 私もまた視線を向ける。

 彼の顔には、隠しきれない疲労――というよりは、死相に近いものが浮かんでいる。

 

「あ、アベル、大丈夫なの……?」


 思わず声を掛けた私に、彼はちらりと視線をよこすと、微笑む。

 だが、なにも答えなかった。


「失念、致しておりました。これほどの御業、たとえそのお力がどれほど優れていようと、いまだ幼い御身では……」

「この辛うじて保たれている拮抗は、間もなく崩れます。……その前に、なんとしてでも状況を打破しなければ」

「なれど、その術が、ありませぬ」


 騎士の声は、苦渋に満ちていた。


「馬は奴の気配に怯え、逃げ散ってしまいました。人の足では、翼を持つあれから逃げることは不可能でしょう。いや、あれが姿形の通り竜と同じ生態を持つのならば、たとえ馬を用いても結果は変わりませぬ」

「…………」

「さりとて、打ち倒そうにも《瘴気》がある以上、我々では傷ひとつつけることさえできない。……我々は、唯人であるがゆえに」

 

 悔しげに拳を握りしめる騎士を、アベルは見上げる。

 その眼から感じ取れるのは、焦り、或いは迷い。いつか見たものと、同じ。

 昔から、ふとしたときにアベルはこのような目をすることがあった。

 その感情が強くなったのは、初めて彼が奇跡を顕したときからだ。


「手段は……あるでしょう?」


 アベルの口から放たれた言葉に、騎士が目を見開くほどに驚いたのが、私にもわかった。

 愕然と口を開けて、彼を見下ろして、しかしすぐに納得したような表情へと変わる。


「御身なれば、知り得ていたとて不思議ではありませぬな」

「ならば――」

「しかし、やはり無駄なのです」


 続けようとしたアベルの言葉を、騎士は遮った。

 ゆっくりと、首を横に振る。


「聖寵を見つけ、回収するとき、持ち運ぶために隊の者は全て試し・・ました。だが、誰一人としてその資格を得ることはできなかったのです。我々は……唯人でした」


 騎士の言葉に、アベルはさらになにかを口にしようとした。けれど寸前で、その言葉を堪えたようだった。

 強く唇を噛み締めると、悔しげに顔を歪めて俯く。

 焦燥。迷い。後悔。恐怖。自虐。

 そんな感情が、彼の顔に浮かんでは消えていく。

 

「僕が……」

  

 なにかを言いかけたアベルの言葉が、止まる。

 下から見上げる私の視線と合うと、なぜかひどく動揺して、喉を引きつらせた。

 彼の顔が、悲痛に歪む。

 私は、その裾をぎゅっと強く握りしめた。

 彼らがなにを話しているのか、私には理解できなかった。ただ状況が絶望的であるのだと、それだけは彼らの雰囲気から伝わってきていた。

 だから、私は彼の邪魔になるだろうことをわかっていても、その手を離すことができなかった。

 もしもこれが最期になるのなら、せめてそれまでは、彼と一緒にいたかったのだ。


「イザーナ……僕は、僕は」


 彼は、私になにかを言おうとしていた。

 胸元を握りしめて、今にも泣きそうな顔で、なにかを告げようとしていた。

 ――けれど、その続きが口にされることは、なかったのだ。

 その次の瞬間、魔物の一際大きな咆哮があたりに響き渡ったからだ。


《――――――ッ! ――、――――!》


 反射的に視線を向ければ、魔物はその身から《瘴気》を勢いよく噴き出させながら、天に向けて咆えたけっていた。

 それは、これまでにないほどの暴威に満ちた咆哮だった。

 いい加減に周囲を動き回る騎士が鬱陶しくなったのか、魔物はその尾を大きく振り回して彼らに距離を取らせると、背中の翼を広げた。

 

「いかん! 飛ばせるなッ!」


 女性騎士の怒号が飛び、わずかに遅れていくつもの火球が飛ぶが、それらは全て噴き出す《瘴気》にかき消され、なんの効果も成さない。

 彼らは、魔物の行動を阻むことができなかった。


 魔物が広げた翼を羽ばたかせると、あたり一帯に暴風が生まれる。

 私達のところまで砂礫が飛んでくるほどの風は、魔物が羽ばたきをするごとに強くなっていき、やがて、その巨体が地面から浮き上がる。

 その間も、風に飛ばされないよう地面に張り付いた騎士達が魔術を放っていたが、やはりどれも《瘴気》を突破することができない。

 女性騎士もあの剣型の金属塊をまるで矢のように放つが、《瘴気》に触れるなり勢いを失い、地面に落ちていく。

 魔物は衝撃を受けた様子もなく、その体勢を崩すことさえなかった。

 

 そのうちに、魔物の姿は私達のはるか上空、弓でさえ届かないほどの高さまで昇っていってしまう。

 このまま去っていってくれるのでは……という期待が、ほんの少し私の中に生じる。

 けれど当然、そんな都合の良い展開が現実に起こるわけがない

 

 上空の一点、そこで滞空する魔物は、再度咆哮した。

 それは、長く、長く、遠く遠くまで伝わるような叫びで。


 魔物よりもさらに上空に、炎の塊が生まれた。

 

 初めは豆粒のようだったそれは、見る間に膨れ上がり、魔物の身体と同じぐらいにまで肥大する。

 だがそれで終わらず、さらに炎は巨大になっていく。

 あたかも、夜に生まれた太陽であるかのようで。

 場違いにも、私は、それをきれいだと思った。


「アレを打たせるな――ッ! なんでもいい! 魔術を放って阻害しろ! アレが落ちれば、このあたり一帯が吹き飛ぶぞ!!」 


 女性騎士の叫び声は、悲鳴じみていた。

 その顔からは余裕というものが一切抜け落ちて、ひどく青ざめている。

 一斉に魔術が放たれるが、やはり効果はない。

 わかりきっていたことだった。

 それを見た彼女は悲愴な面持ちになると、後ろを――森の入口で、空を見上げて立ち尽くしていた副隊長騎士を振り向いた。


「全周防御態勢をとる! 今更逃げたところで間に合わん! 総員集合せよッ!」


 その言葉に副隊長騎士だけでなく、全ての騎士の顔に覚悟が浮かぶ。

 弾かれたように、彼らは彼女のもとに駆け寄っていく。


「我々も行きますぞ!」


 言うなり、私達を守っていた騎士も、私とアベルの身体をまとめて腕に抱えて走り出した。


「騎士様! アレが落ちたら、村は! 村はどうなるのですか……!?」


 アベルの視線は、魔物や向かう先の騎士達ではなく、背後――ここからさほど離れてはいない村に向けられていた。

 その問いかけに、すぐには騎士は答えなかった。

 しかしやがて、無言で首を振る。

 そのことに、私は心臓が止まる思いがした。

 まさか、という気持ちと、視界に見えるあの凄まじい大きさの炎が落ちてくれば、たしかにそうなるだろうな、という納得のふたつの気持ちが同時に生まれ、心が激しく乱される。


「……村の者には、我々が戦いに向かう前に、できるだけ遠くへ逃げるよう告げてあります。それに従っていれば、おそらく命だけは助かるでしょう」

「…………」


 私は、首だけで村を振り向いて、目を凝らす。

 夜の闇の中、村は先と変わらずに炎を上げて燃えていた。炎に照らされる村の中に、人影はないように見える。

 父と母の姿が思い浮かぶ。どうか逃げていてほしいと、天に祈る。


 そうしているうちに、私達も女性騎士のもとに辿り着いた。


「副隊長と子らを中心に円陣を組む! 魔術を使えん者は三人に覆いかぶさり肉の盾となれ! それ以外は、周囲で膝立ちとなって詠唱を行う! 《輪転詠唱》、主軸は私がとる! 効果は物理防壁の多重生成だ!」

 

 矢継ぎ早に指示が出されると、騎士達は私達の周りを取り囲み、壁となる。

 私とアベル、そして副隊長騎士はその中心に伏せて、さらに数人の騎士が肩を組んでその上から覆いかぶさるような体勢を取った。


「《其は鋼、其は刃金、其は守る為の剣、其は我らの在り方そのもの。故に――」


 頭上で女性騎士が意味ある言葉を唱えはじめ、遅れて騎士のひとりが続く。

 さらにまた間が空いてから、別の騎士が続く。

 そうやって、次々に騎士達はタイミングをずらして同じようで微妙に細部が異なる言葉を唱えていった。

 終わりまで来るとまた最初から繰り返し、響く音の連なりは重なり、混じり、やがて波のように満ち干きを生み出していく。

 音の海が、あたりを包んでいた。

 それに対抗してか、空のずっと上のほうで、魔物が咆哮を上げるのが聞こえた。


「……悪いな、ふたりとも」


 周囲から閉ざされた空間で、私達と顔を突き合わせることになった副隊長騎士が、ぽつりと言った。

 その顔には、疲労が色濃くにじんでいる。


「俺達が来なけりゃ、この村が巻き込まれることもなかったんだろうが」

「……いえ。それ・・は、紛れもなく人の希望です。それを見つけて下さった方々を、どうして非難できましょうか」


 アベルの視線は、騎士が抱える木箱に向けられていた。

 その眼差しには、相変わらず焦燥と迷いがある。

 むしろ、今までにないほど強く感じられた。


「だがな……たとえこの一撃を耐えたところで、じり貧だ」


 そう口にする騎士の面に浮かぶのは、諦観だった。

 誰よりも頼もしい奮闘を見せていた騎士の、その弱々しい姿に、胸中がざわめく。

 私はすぐそばにいるアベルの袖口を、縋るように摑んだ。握りしめる。

 アベルはそんな私の顔を見て、騎士の木箱を見て、口許を引き結んだ。


「騎士様、それを僕に――」

「来るぞッ――! 気をしっかりと保てェ――――!!」

   

 彼の言葉は、女性騎士の叫びに、かき消された。

 そして。


 凄まじい衝撃と。

 轟音と。

 熱と。

 風が。


 ――――――――――。


 意識が、

        途切れる。


「――――!!」


 誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。


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