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   僕がここにいて、君がそこにいたから ③ [イザーナ]

 いつだったか、普段はお酒を口にしない彼が、珍しく浴びるように飲んで、ひどく酔ったことがあった。

 激しい戦いがあった日の、夜のことだったと思う。

 そのとき、彼が独り言のように呟いていたことを、今でも覚えている。


「本当はね、僕は、世界のことなんか、どうでもよかったんだ。

 僕は、物語の英雄みたいな、ご大層な人間じゃないんだ。

 顔も知らない誰かのために全てを投げ打って戦うなんてこと、できるわけがない。

 だから、戦うつもりなんか、なかった。

 いや、ちがうかな。

 臆病で姑息な自分なんかが『彼』みたいに戦えると、思っていなかったんだ。

 僕じゃなくて、より相応しい別の誰かに任せた方が、きっとうまくいくって、考えてた。


 でも……。

 君を、守りたいって、思ったんだ。

 こんな僕でも一緒にいてくれると言ってくれた君を、死なせたくないって思ったんだ。

 

 そのときの僕には、それが全てで。

 そのために、全てを賭けてもいいって、思ったんだよ。

 

 だから、僕は……」


 そのときの私は、聞こえていないふりをしていたけれども、内心では飛び上がるほど喜んでいた。

 頬が、焼けるほどに熱くなっていた。

 彼がそれほどに自分を大事に思ってくれていることを知り、顔がニヤけてしまうのを必死でこらえていた。


 ――私は、あまりにも愚かだっだ。

 彼のその言葉の意味を、なにも理解できていなかった。

 だから、運命のはじまりであったあのとき、どうして彼があんな顔をしていのか。

 それを疑問に思うことも、思い出すことも、なかったのだ。






          **********






 《聖人》。

 それは世において唯一、癒やしの奇跡を施すことができる存在。

 生まれつきのその力は、ただそれだけでは小さな擦り傷や切り傷を癒やす程度のささやかなものであるが、天より各々に見合った御言葉を授かることで、死に瀕した人間でさえも蘇らせる偉大なる奇跡へと転じる。

 

 はじめてその存在が世に現れたのは、最初の魔王と勇者の時代まで遡る。

 すなわち、伝説に語られる世界ではじめて天より御言葉を授かり、神の存在を知り、奇跡を顕した聖者。

 世の乱れに翻弄される人々へ神の存在を説き、導き、はじまりの勇者を見出した御方。 

 のちに神を祀る神殿を開き、深く傷ついた人々の心を慰撫し、その安寧を保つために生涯を捧げた偉大なる開祖にして、王国の民の信仰の中心――初代聖代神殿長こそが、最初の《聖人》だった。


 かの御方が世にいでてより後、同じような力を持つ者が時折世界の各地に現れるようになった。

 しかしその数は決して一定以上に増えることはなく、同じ時代において見出される《聖人》の数は、最も多いときでも十人ほどであったとされる。


 ゆえに、王国において大きな権威と影響力を有する神殿にあって、彼の者達は秘宝と称されるほど貴重な存在として位置づけられていた。

 それは単なるの癒やしの使い手というだけでなく、神の恩寵たる奇跡――神理の代行者という、より天に近き存在という意味も含まれている。

 そのため、彼らは神殿によって行動が厳格に管理される一方で、その不自由さを補うだけの権力も与えられていた。

 その大きさは、政を司る王族でさえも簡単に無視することができないほど。

 代々彼ら《聖人》の中から選ばれるのが鉄則となっている、神殿の最上位権威――聖代神殿長など場合によっては王を越える権限を行使することさえ認められていた。

 もっとも、基本的に神殿は政治に関わらず、その権力を神殿の外において行使することもほとんどない。

 そのため、どの時代においても神殿と王族との関係は決して悪いものではなかった。


 ともあれ、平民どころか一般の騎士にとっても天に近しい存在である《聖人》。

 その中にあってさらに深き恩寵を授かっていると思われるのが、目の前の少年――アベルなのである。

 ゆえに、その存在は神殿によって厳しく管理されなければならない。


 そう、女性騎士は私に説明した。


「――――」


 正直なところ、このときの私は彼女が述べていたことの半分も理解することができなかった。

 いまだ辺境の小さな村の小娘でしかなかった私にとって、騎士の語る言葉の大半は、見たことも聞いたこともない物事の連続であり、想像することさえ難しかったのだ。

 けれども、騎士達やアベルの難しい顔つきからから、私と彼にとって、事態が好ましからざる方向へ進んでいるということは感じ取っていた。

 その原因が、彼の特別性にあるということも。


「新たなる《聖人》の誕生は、神殿のみならず王国にとっても言祝ぐべき慶事なのだ。《聖人》とは我々地の民に対する、天よりのあつき御加護の証であり、目に見える形で顕された瞭然たる神の恩寵であるがゆえに。ましてや、これよりあとに来たる時代、尋常ならざるものになるであろう嵐のことを思えば、見過ごすことなどできようはずもない」

 

 彼女は言う。


「王国の忠実なる騎士として。天に御わす主の敬虔な信徒として。私はお前を王都に連れ帰り、神殿と城へ報告せねばならん。……そうなれば、もう二度とこの村へ戻ってくることはできないだろう。すまんが、天命と思って受け入れてもらうほかない」


 その言葉に。

 私の思考が、停止した。


「……え?」


 苦々しげな表情を浮かべるアベルと、重々しい顔つきの女性騎士を交互に見やり。

 彼女の隣で所在なさげに顎を擦る副隊長騎士と、視線が合う。


「お嬢ちゃん。諦めろ。こればっかりは、どうしようもない。坊主の秘めたものは、この村におさまるようなものじゃなかったってことだ。なら、あるべきものはあるべき場所へ、おさまるべきなんだ。力ある者はそれに相応しい立場と、見合っただけの責任が必要というわけだな。それが、この世界の理なんだよ」


 気まずげに目を逸らされて、私は、縋りつくような目でアベルを見上げた。

 それに気づいた彼は私を見下ろし、笑う。

 なにかを諦めたように。

 彼らの口にしていることは、どこもまちがっていないと認めるように。


「アベル、そんな、だって」


 現実を否定するように、私は首を振る。

 認めたくなかった。

 だって、言ったのだ。私は彼に、約束したのだ。

 ずっと一緒にいると。ひとりにはしないと、誓ったのだ。

 ただの小娘に、遠いところに行ってしまう彼を追いかける力なんてあろうはずもない。

 彼が村を出てしまったら、もう、二度と会うことができなくなってしまう。


 そんなのは、嫌だった。

 絶対に、嫌だったのだ。


「アベル、私、私は――」

「大丈夫だよ、イザーナ」


 彼の袖口を摑んで必死に引っ張る私の頭に、彼はその大きな手の平をのせた。

 滲む視界の中で、彼が苦笑するのが見えた。


「王都へ往くのは構いません。力をお見せすればこうなることは、はじめから予想していました」

「うむ……まあ、だろうな」

「ただ、その際はこの娘――イザーナを連れてゆくことを許して欲しいのです」


 驚きに、肩が跳ねる。

 間抜けに口を開いて、彼を見上げる。 


「むぅ。もし《聖人》と認められれば、お付に村の者を指名することぐらい、どうとでもなるだろうが……」

「いえ、そうではなく、この子には魔術を学ばせたいのです」

「ほう! と言うことは、その娘は魔術使いなのか?」

「まだ開眼しておりませんが、この子には並ならぬ魔術の才がございます。私には、わかるのです」


 彼がなにを言っているのか、理解できなかった。

 魔術というものは知っている。

 常人には備わっていない不可思議な力を用いて、自然の現象を再現する術。

 実際に目にしたことはないが、かつて私が生まれる前には、この村にもそれを使える者がいたという。

 けれど私がそのような片鱗を見せたことは、これまで一度もなかったはずだった。


「私に、魔術が……?」

  

 呆然と呟く私に、アベルはしかと頷く。


「君は、いずれこの世界に必要とされるほどの大魔術師になる」


 絵空事のようなことを、彼はひどく真剣な面持ちで告げる。

 はい、そうですかと素直に頷くにはあまりにも大それた内容だった。

 彼ならまだしも、私にそのような可能性が秘められているなど想像したこともなく、すぐに信じられるようなものでもなかった。

 けれど、アベルの言葉なのだ。私が彼の言葉を疑うなど、できるはずもなかった。

 なによりも、彼の私に向けられた真っ直ぐな瞳。

 そこに嘘は一欠片も混じっていなかったのだ。


「もしかしたら、君にとってはこの村でただの女の子として生きるほうが幸せなのかもしれない。未来がどうなるにしろ、ここにいたままのほうが安全なのかもしれない。けれどそれでも、僕は君に一緒に来てほしいと思っている。君の力はきっとこれからの世界にとって必要になるだろうし、なにより……」


 そこまで口にしたところで、アベルの瞳がなにかに惑うように揺らいだ。

 続けられようとした言葉は途切れ、彼の口の中で消える。視線が、伏せられる。

 なにかを迷っているようだった。

 唇を噛み締め、俯いていた彼は、やがて迷いを吹っ切るように顔を上げた。

 私の肩をつかんで、私と視線を合わせて、言う。


「君に、僕のそばにいてほしいんだ」


 身体が、カッと強い熱をもった。

 頭がぼうっとして、くらくらする。


「君のことをいかなる危険からも守ることを、誓う。だから、どうか僕とともに来てほしい」


 それは、それは、まるで。

 父や母の話に聞く――。

 いや、たぶん、おそらく、ちがうことはわかっている。

 彼がそういうつもりでないことはなんとなく理解している。

 けれど、でも、だって。

 

「……はい」


 彼の顔をまともに見ることができず、俯いたまま、私は答えを返した。

 こんなの、断れるわけがない。

 もとより付いていけるのなら意地でも付いていくつもりだったけれども、こんなことをされては、たとえそのつもりがなかったとしても、断れるわけがなかった。

 

「坊主、お前スッゲェな……」


 騎士の呆れたような声で、私は彼らがこの場にいたことを今更に思い出した。

 余計に、顔が熱くなる。

 ますます、俯いてしまう。


「その歳でこれって、成長したらどうなるんだよ。恐ろしいぐらいだぜ。ねえ、隊長」 

「あ、ああ、そうだな。すごいものを見てしまった気がする……」

 

 騎士ふたりの言葉に、アベルが苦笑する気配が伝わってきた。

 

「お恥ずかしいところをお見せしました」

「いや、そのようなことは決して」

「であればよろしいのですが。……ともあれ、こちらの事情は、ご覧いただいた次第です。この子を連れていっても?」

「お前が本気でそうと望むのであれば、それを拒む手段を我々は持ち合わせはおらんさ」

 

 答える女性騎士からも苦笑する気配。


「しかし、本人さえ自覚せぬ才を見抜いたことも、神の御計らいというわけか」

「はい」

「便利な言葉だな。そうは思わんか?」

「さて。唯人たる我ら地の民が天を推し量ろうとするなど不敬極まりないことなれば、私はただその御計らいに従うまでです」

「ふむ。ひとまずは、そういうことにしておくか。これ以上は、私の裁量を越えた話になりそうだ」


 女性騎士は今度は呆れたように溜め息を吐いた。

 ちら、と視線を向けると、その顔には疲れたような表情が浮かんでいた。


「詳しいことは明日、村長を交えて詰めることにして、今日のところは早く休ませてもらおう」

「お疲れのところに長々と、申し訳ございませんでした。すぐにお食事をご用意いたします。それとも、先にお身体を清められますか?」

「ああ、うむ……食事の前に、身奇麗にしておくか」


 やや恥ずかしげに答えた女性騎士に、アベルは「かしこまりました」と深く頭を下げる。

 そして、こちらに目配せしてくる。

 慌ててそれに倣い、私もぺこりと頭を下げた。

 

 それからは終わった話を蒸し返すこともなく、終始穏やかな雰囲気のまま時は過ぎていった。

 騎士の厚意により私達も席をともにして食事を頂き、そのあとはすぐに寝床を整えて、休息に入った。

 私達は当初、別の小屋を寝床にするつもりだったが、これまた騎士の厚意によって、彼らと寝所を同じくすることになった。

 もちろん厚意なのだから、下世話な話ではない。

 というより、正確にはアベルへの配慮だったのだろう。

 彼は、特別であったがゆえに。


 ――そのようにして、その日の夜は更けていったのだ。






 


 


 

「起きろ! 外に逃げるぞッ――!」

 

 次に私が目を覚ましたとき。

 村は、炎に包まれていた。

 

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