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   此処にあり、いずれ至るもの ② [イザーナ]

 つまるところ、この世界はあまりにも不完全にすぎるのだよ、イザーナちゃん。

 ただそれだけで完結するには、足りないものが多すぎるのさ。

 

 たとえばこの世界の大きさ。

 この世界において、私達生物がまともに生きてゆくことができるのは、果てなき海に浮かぶたったひとつの大陸――この大地しか存在しない。

 資源も、この大陸の上にあるものだけだ。

 だから私達は、限りあるものを使い果たしてしまうことがないよう、大切に、効率的に生きていかねばならない。

 

 そのために天が――神様が作り出した仕組みが、原初の魔王というものなんだよ。

 その至上目的は、『節制』にある。

 節約と言ってもいいかな?

 この世界の寿命をより伸ばすために、つまり資源を必要以上消費せぬよう無駄・・を省くために、魔王は存在する。

 

 うん、そうだね。

 無駄とはつまり、私達人間のことさ。

 私達人類は、ちょっと目を離すとあっという間に増殖してしまう。それこそこの大陸には収まりきらなくなってしまうほどに。

 だから、魔王が魔物という機能を使って間引くのさ。

 増えすぎた人類がこの箱庭を食いつぶしてしまわないように、世界を回すための循環、生態系の均衡が崩れないようにね。

 

 そうやって、人類というものはこの大陸で生き続けてきた。

 文明を発展させては壊され、繁栄しては滅ぼされ、進んでは戻されて、ずっと同じ場所で足踏みし続けてきた。

 これを酷いことだと思うかい?

 うん、その通りだ。私もそう思うよ。

 けれどなによりも酷いのはね、わざわざそういった仕組みを作り出した神様は、私達をなにひとつ信用していないということだよ。


 けれど、仕方のないことでもある。

 なぜなら私達人間は、どうしたって欲心というものを捨てきれないからだよ。

 生きていたいという願い。より幸せに生きてゆきたいという希望。親に、子に、友に幸せになってもらいたいという想い。

 それを、悪とは言わないよ。言えるわけがない。

 その気持ちを捨てろなんて。

 生きたい、幸せになりたい、なってほしいという願いを否定することなんて、誰にもできやしない。

 しかし、人であれば持って然るべきそういった心が、結果的に私達を自滅の道へ駆りたててしまうということも事実なのだ。 

 

 どうしようもないことだった。

 この世界で生きていこうとするのなら、魔王という仕組みは、どうあっても必要なものだった。

 

 ……でも。

 あるとき、どうしてもそれを受け入れることができないという人間が現れた。

 世界の真実を知らず、ただ自分たちに降りかかる不幸だけを見て、許せない、まちがっていると天に訴える愚か者がいたのだよ。

 そう。それが君達のいうところの、始まりの聖人。

 聖女、とも言われているね。

 

 彼女は必死にその想いを、願いを、天へ訴えた。

 救いを、希望した。

 やがて、私達をお憐れみ下さった神様は、その声に応えることにした。

 そうやって人類は、癒しの奇跡《神秘》と、唯一魔を打ち倒すことを可能とする手段――聖剣を手に入れたのさ。

 代償として、聖女と呼ばれた少女へ、永遠に人類の行く末を見守っていかねばならないという使命、義務……呪いが与えられてね。

 

 それから幾らかの時が経ち、ついに聖剣の正当なる担い手、勇者が現れ、人々は初めて魔王を滅ぼすことに成功する。

 聖女は歓喜したよ。

 これでようやく自分達は救われる、と思ったのだ。

 彼女は、なにも知らなかったからね。

 この世界の真実も、聖剣の担い手となることがいかなる意味を持つのかも、それを知ってなお戦い続けた勇者がどのような気持ちでいたのかも、なにも知らなかったのだよ。

 本当に、愚かなことに。


 イザーナちゃん。

 魔王というのはね、どうしたってこの世界のために必要な存在なのだ。

 だから、滅ぼされてそのままということなど、あり得ないのだよ。


 其処にいた魔王がいなくなったのならば、此処にいるものが代わりになる必要があった。

 そう、そういうことだよ。

 魔王を滅ぼした勇者が、次代の魔王となる。

 これが、神様が私達にもたらした救いの絡繰りというわけさ。


 しかし、まあ、魔王を打ち倒した瞬間より新たな脅威が発生してしまっては、なんの意味もない。救いになっていない。

 だから神様が新たに定めた規定は、こういうものだった。


 魔王となったものが、魔王としての役割を果たそうとする意志、衝動に抗い続けるかぎりは、その権能が発揮されることはない。


 ……なんと、残酷なことだろうかね。

 その身を削って魔王を倒してなお、勇者という存在には、永遠に続く悪夢の如き責め苦が待っているのだよ。

 魔王の意志は、世界に定められた正当なものであるから、抗うならば同じだけの強い意志を保ち続ける必要がある。

 たったのひとりで、世界の意志に立ち向かわねばならないのだ。

 魂が侵食される激痛に、恐怖に、たったひとりで、孤独に。

 何年、何十年、何百年も。

 その心が擦り切れて、自我が消え果てるまで。


 挙句、次代の勇者に滅ぼされたときに、その魂は・・・・完全に消滅する・・・・・・・

 この世界を循環する魂の輪廻に戻ることなく、永遠に消え失せるのだ。


 それが、勇者というモノなのさ。

 だから、聖剣はその担い手となる者を選別する。

 聖剣を握る者へ真実を伝え、その果てに待つ人の精神にとっては永劫に近い苦しみを仮想的に体験させ、天が設けた一定の基準、時間を耐えられるかを試す。

 それを乗り越えた者にのみ、担い手となることを許すのだ。

 耐えられなかった者は、記憶が消去され、知った真実も味わった苦痛も忘れてしまう。


 そうやって、勇者という、人類を存続させるための生贄は生まれるのだよ。

 彼らはみな、己の果てに悲惨な最期が待つことを知った上で、剣を取るのだ。

 常人には、不可能な所行だよ。


 有り体に言って、彼らは狂っているのだ。

 その使命に、正義に、救世の意志に――或いは、愛に。

 勇者とは、狂人しかなれない異常者の名前だと、私は思うよ。


 だからイザーナちゃん。

 ここで、君とアベルくんの旅は、終わる。

 世界を救うための戦いは、ここで終わる。

 本来救われぬはずの九十九を救って、己だけが決して救われぬ一となることで、勇者の旅は終わる。

 

 イザーナちゃん。以前に、私が言ったことを覚えているかな?


 ――君達は、いつもそうだ。そうやって、我々を理解しようとしない。勇者は、人の心を切り捨てる・・・・・・・・・


 今の君なら、共感してくれるだろうか。

 勇者とは、苦しむ自分の心を切り捨てて、自分を大切に思う私達の心を全て切り捨てて、世界のために殉じる存在なのだよ。

 だから、私は、彼らが嫌いなのだ。

 憎んでいるのだ。

 もっと俗物であればよかったのに。

 そうすれば、こんな思いをせずに、あざ笑いながら役目を背負わせることができるのに。


 本当に、私は、だから、君達が嫌いなんだ。






「神殿長……?」


 長い、長い言葉を語って私達の背後から姿を現したのは、白き人。

 純白の法衣、真白の髪、銀色の瞳。

 ここから遠く離れた王都にいるはずの、神殿長その人だった。

 

「どうして……ここに?」


 突然に明かされた情報を、語られたことの意味を処理しきることができず、呆然とそう言うことしかできない私を見て、神殿長は自嘲の笑みを浮かべる。


「私は、神様から人の世の行く末を見守る役割を与えられたからね。特別に、力を授かったのさ。だからちょちょいと空間をいじって、遠く離れた場所同士を繋げることなんて朝飯前なのだよ」


 それが意味するのは、つまり、この人こそが、始まりの――。

 いや、それよりも重要なことは。


「そんな……だったら、私達がここまで苦労して、旅を続ける必要なんて」

「必要なら、あるとも」


 神殿長の口元の自嘲が、深くなる。


「そうやって艱難辛苦にまみれて、魔王を滅ぼすまでに、できるだけ多くの人間・・・・・・・・・・に死んでもらわなけれ・・・・・・・・・・ばならない・・・・・のだからね」

「――――な」

「魔王の意志はね、人類の数が一定の基準を超えると、その強制力を急激に増大させるのだよ。そうなっては、いくら狂った意志の強さを持つ勇者とて、長くは保たない。ゆえに可能な限り人類の数を減らして、時間を稼ぐ必要があるのさ」


 とても残酷なことを口にして、神殿長は「もっとも――」となおも続ける。


「本来必要であるはずの犠牲。世界に定められた生贄。救われぬもの・・・・・・。……それさえも救わんとするのが、勇者という存在なのだけれどね」


 そう言って、神殿長は眼差しをアベルに向ける。

 憤りが、そこにはあった。


「アベルくん。君は、うまくやったね。かつてないほどの犠牲の少なさだ。心の底から、すごいと思うよ。これほどに人類の数が減らなかった魔王討伐は初めてのことだ。まさに奇跡と評するに相応しい」

「……残された討伐軍のみんなは、どうなりました?」

彼女・・が目覚めたから今は魔物の動きも止まっているが、それでも、聖剣の加護なくあの群れの中に取り残されたのだ。必死に抗ったが、現在も生き永らえているのは、千に満たないよ。……それを多いと見るか、少ないと見るかは、君が決めることだがね」


 その言葉に、アベルが悔しげに顔を俯かせる。

 私も、衝撃を受けなかったわけではない。これまで共に旅をしてきた大切な仲間なのだから。

 けれど、それよりも。

 今このときになってもまだ、他者のことを気にかけようとする彼に、目眩がした。

 なんで。どうして。

 あなたは頑張って、魂がすり減って自分がわからなくなるぐらいに頑張って、神殿長の語ったことが真実であれば、それでもまだ頑張り続けなければならないというのに、どうして、そんなに。


「いま犠牲の数を減らしたところで、魔王の意志が増大する時期が早まり、結果的には次の戦がより早く始まるだけだというのに。どうして、君達は救われぬものまで救おうとするのだい?」


 神殿長の問いに、唇を噛み締めて顔を上げたアベルは、強い意志の宿った眼差しを返す。


「僕が、耐えればいいだけでしょう。魔王の意志が増大し続けようと、それを超える意志で耐え続ければいいだけです。なにも、難しいことは、ない」

「アベ、ル……?」


 愕然と、する。

 心が、凍りついたように冷たくなる。

 アベル。

 ああ、アベル。

 どうして、どうして、それほどに。


「わかったかい、イザーナちゃん。これが勇者というモノなのさ。情が深いという次元の話じゃない。彼らは皆――愛に、狂っているのだよ」


 この人の言葉に同意なんかしたくないのに。共感なんてしたくないというのに。

 わかってしまう。

 初めて、彼のことを、理解する。

 常人ではないのだ。

 彼は、勇者は、アベルは。

 あまりにも、人の持つ心から、かけ離れている。

 特別。やはり、彼は、特別だった。

 私達とは、私とは――ちがう。

 

「アベル……。アベル、どうして……? 私は、そんなこと、望んでない」


 すぐそばに立っている彼の腕を掴む。強く、握りしめる。

 どこにもいかないように、離れないように、捕まえる。

 なのに。

 こんなにも近くに、肌が触れるほどそばにいるのに、まったくそんな気がしない。

 

 遠い。


 魔術を学んで、力をつけて、彼の隣に立てるようになったはずなのに。

 彼のそばにいる資格を得たと思ったのに。


 どうして、こんなにも遠いの?


「一緒に、いるって。そばにいるって……! 言ってくれたでしょッ! そのために私は頑張ったの! 頑張ってきたの! なのにどうして!? どうしてそんなことになるの!?」


 腕を掴んで揺する私を、アベルは悲しげな眼で見下ろす。

 そうして、言うのだ。


「……ごめんね、イザーナ」

「ッ――! どうして謝るの! 謝ってなんかほしくない! 私はただ、ずっと一緒にいたいって、そばにいてくれるって!」

「――ッ」


 一瞬、彼の顔が歪んで。

 強い力で引っ張られる。

 抱きしめ、られた。

 背中に腕をまわされて、強く、とても強い力で、抱擁される。

 

 初めて、だった。

 こんなふうに、まるで――恋人がそうするように抱きしめられたことなんて、一度もなかった。

 

「僕の……僕の、我儘だったんだ」


 彼の胸に顔を押し付けられて、彼の懐かしい、安心する匂いと、熱、鼓動に包まれる。

 彼がどんな表情をしているかは、わからなかった。

 ただその声は、細かく、震えていた。


「まだ勇者になるよりも前……君を守ると誓ったとき。聖人としての力があれば、たとえ勇者になんかならなくても、君を守れると思った。こんなモノ・・・・・になってしまったら、君とずっと一緒にいることなんてできないってわかっていたから。だから、本当はね……僕は、聖剣を手に取るつもりなんて、これっぽっちもなかったんだよ」


 思い起こされるのは、フレイシアさんとベイルさんが私達の村にやって来た日のこと。

 魔物に襲われて、彼が勇者になってしまうよりも前のこと。


『君に、僕のそばにいてほしいんだ』

『君のことをいかなる危険からも守ることを、誓う。だから、どうか僕とともに来てほしい』


 あのとき、アベルはたしかに、そう誓ってくれたのだ。


「でも……現実はそんなに甘くなかった。癒す力がいくらあったところで、敵を倒す力がなければ、本当の意味で守ることなんてできないんだって、思い知らされた」


 竜の姿をした魔物。

 燃え上がる故郷の村。

 炎に焼かれたアベルの、無残な姿。


「だから、決めたんだ」


 私を抱きしめる腕に、力が、こもる。


「君を守るために、君に幸せをあげるために、そうする・・・・ほかないなら、そうしよう・・・・・って」


 それは。

 それは、つまり。

 ああ、そんな、まさか。


『本当はね、僕は、世界のことなんか、どうでもよかったんだ。

 僕は、物語の英雄みたいな、ご大層な人間じゃないんだ。

 顔も知らない誰かのために全てを投げ打って戦うなんてこと、できるわけがない。

 だから、戦うつもりなんか、なかった。

 いや、ちがうかな。

 臆病で姑息な自分なんかが『彼』みたいに戦えると、思っていなかったんだ。

 僕じゃなくて、より相応しい別の誰かに任せた方が、きっとうまくいくって、考えてた。


 でも……。

 君を、守りたいって、思ったんだ。

 こんな僕でも一緒にいてくれると言ってくれた君を、死なせたくないって思ったんだ。

 

 そのときの僕には、それが全てで。

 そのために、全てを賭けてもいいって、思ったんだよ。

 

 だから、僕は……』


 彼が、以前に口にしていた言葉を、今更に思い出す。

 その本当の意味を、知る。


 聖剣を初めて手にしたとき。

 彼が勇者となったとき。

 あのとき彼がその顔に浮かべていた決意、覚悟――諦観。


「アベルは……私を守るために……勇者に、なったの……?」


 彼の胸の中で、恐るおそるに訊ねた言葉に。

 彼が、頷くのが、わかった。

 わかって、しまった。


 そんな。

 嘘だ。

 それじゃあ、私が、私の存在が、彼を。


「あのまま、君を村に留めておけば、よかったんだろうね。そうすれば死の運命からも、遠く引き離すことができた。……君の中の僕に対する想いが、ここまで大きくなることも、なかったかもしれない。幼いころの淡い憧れとして、いずれ消えていったのかもしれない。君という戦力を欠いて、きっと戦況はもっと苦しくなっただろうけど、君を危険に晒すよりは、悲しませるよりは何倍もマシだったはずなんだ」


 苦しい。

 彼の腕が、私を押しつぶしてしまいそうなほどに、強くなる。

 それでもいいと思った。

 このまま、私なんて、潰れて、消えてしまえばいいのに、と思う。


「でも、できなかった」


 彼の声が、泣いていた。


「僕が、君に、そばにいてほしかったんだ。君がそばにいてくれさえすれば、きっと僕は、戦えるって、思ったから。物語の『アベル』みたいに、君を守るためにならば、きっと勇者で在り続けることができるって、耐えることができるって、思ったんだよ」


 泣きながら、彼は言う。


「それが僕の、たったひとつの、我儘だったんだ」


 私の頬を、なにかが伝っていく。

 とても熱いものが、こぼれ落ちていく。


「君が、好きなんだ」


 声が、耳に届いて。

 零れ落ちるものが、数を増やす。

 次から次へと、途絶えることなく、流れ、伝い、落ちていく。

 それが悲しみのせいだったのか、よろこびのせいだったのか、今はもう、わからない。


「君のためならば、世界を丸ごと救ったっていいと思うぐらいに。どんな辛い目にあっても、耐えていけるって思えるぐらいに。……君が、好きなんだ」


 私も、と応えた。

 私も好きです、と彼の胸の中で、想いを伝える。

 

 それが決して実ることがないとわかっていても。

 伝えずにはいられなかった。


「僕は……たしかに、あの人が言うように、狂ってるんだろうね」


 彼の声が、響く。


「情が、深すぎるんだと思う。僕の一番は、ずっと君だったけれど、たくさんの人に出会う度に、僕の守りたいと思うものはあっという間に増えていった。だから、君が悲しむと知っても、この身が傷つくことを止められなかった」


 そんなことはない、と私は彼の胸に顔を押し付けて、首を振る。

 やっぱり、彼は特別なんかじゃなかった。

 私と同じだった。

 私だって、彼と一緒にいるためならば、なんだってできる。

 彼を失うぐらいならば、世界なんか滅んでしまってもいいと思うぐらいに。

 彼を失うのならば、世界もともに滅んでしまえと思うぐらいに。


 けれど、彼がここで勇者としての責務を放棄したとしても。

 削られすぎた魂は、彼がこれ以上、人として生きることを許してはくれないのだ。

 どうあっても、彼は、私の目の前からいなくなる。

 この温もりが失われてしまう。

 それが、絶対に変えることができない運命だった。


「……アベルくん。そろそろ、時間だ。彼女の意識が、もう保たない」


 神殿長の言葉に、少しの躊躇があってから。

 彼の身体が離れる。

 温もりが、遠ざかっていく。


《ごめんなさい……》


 鈴の音が、鳴り響く。


《このような悲しみを、二度と生み出さぬために。勇者を生みださぬために、聖剣を奪おうとしたのに》


 悲しみと後悔に満ちた声だった。


《それが逆に、あなたを勇者にしてしまった》

「……なるほど。あの異常行動は、君の意志だったのだね」


 神殿長が、応える。


《わたしが永遠に耐え続ければ、新たな勇者など必要とせずに済むと、思ったのです》


 私から離れたアベルが、地に突き立った聖剣を引き抜き、崩れ落ちたままだった騎士グレンの横を通り過ぎて、声の主に近づいていく。

 私は、手を伸ばす。

 けれど、届かない。

 彼は、行ってしまう。


「揃いも揃って、君達勇者という存在は、本当に……」


 神殿長の声には、呆れよりも、怒りのほうが強かった。

 そう思うのなら。

 彼の行為に憤りを覚えるのなら。

 彼を、止めてよ。

 この手を・・・・離してよ・・・・……!

 叫ぶ。けれど、私の背後に立った神殿長の手は、こちらの肩を掴んで、離してはくれなかった。

 叫ぶ。怒声を叩きつけて、振り払おうとするけれど、肩を掴む手は異常に強く、ビクともしない。


《ユーリーが、あんなふうになってしまうとは、思ってもいなかったのです》


 アベルの名を叫ぶ。手を伸ばす。

 けれど、届くことはないのだ。


《あの子は……どうなりましたか》

「私が。……一族の恥は、この手でしかと雪ぎました」


 立ち上がった騎士グレンが、柱の中の女性を見やり、答えた。


《そう……。あなたは、あの子の。あの子と、同じ》 

「……は。勇者の名を・・・・・背負うものです・・・・・・・


 ――いま。

 この人は、なにを。


 不穏な言葉が耳に入って、凍りつく。


「騎士グレン。では、覚悟はよいね?」


 私の肩を掴んだままの神殿長が、彼に声を掛ける。

 それに神妙に騎士グレンは頷き。

 

「《その身はラ・偽りを成すセイリオル》」


 背後で、神殿長がそんな唱句を口にした。

 騎士グレンの身体が光り輝き、その形を変えていく。

 

 そして。

 光が消えたあとに、そこに立っていたのは。


「あべ、る……?」


 アベルと寸分違わぬ姿となった、騎士グレンだった。

 混乱する。

 なにが起きたのか、理解できない。


「イザーナちゃん。これが、彼の役割なのさ」


 神殿長が言う。


「私達のときに代わり・・・を立てたのは、あまりにも世界が荒れ果てていて、魔王を倒したあとも勇者という希望が必要だったからだというのに。どうして今なお、形骸化した儀式を続けるのか、理解に苦しむよ」

「……国の、安寧のためです。勇者は魔王を倒し、王族と結婚し、王家はその血の正統性を保ち続ける」


 呆れ果てたという神殿長の声に、騎士グレンは――アベルの顔で、声で、答える。

 

「相変わらず、下らないことに拘る。そんなものに縋る王家も、嘘に踊らされるがまま喜びもてはやす民も、愚かにすぎる」

 

 嫌悪に染まった、吐き捨てるような神殿長の言葉に、騎士グレンは反論しなかった。

 苦い顔で俯き、唇を噛みしめる。

 その姿が、あまりにアベルそのもので――頭に血がのぼる。


「ふざ……ふざけないでッ! なにを! アベルに成り代わるなんて! アベルは、そこにいるの! そこにいるひとりだけなんだ!」


 柱に封じられた女性の前で立ち止まったアベルが、振り返る。

 

「アベル、アベルもなにか言ってよ! そんなのあんまりでしょ!? ――そうだ! 姿を変えられるのなら、この人がそのままあなたの代わりになって、アベルは私とずっと一緒に――」

「イザーナ」


 私の叫びは、アベルの静かな声に、遮られた。

 静謐な瞳が、私を見ている。

 そこに、先ほどまでの悲しみも、心情を吐露したときの動揺も、存在していなかった。

 

 わかってしまう。

 理解してしまう。

 もう、最後の覚悟を決めてしまったのだと。

 

「い、やだよ……! いやだよ、アベル! ずっと一緒にいたいの!」


 叫ぶ。


「あなたと恋人になって! 愛し合って! 結婚して! あなたの子を産んで、あなたみたいに素敵な人に育てて! その子が好きな人を見つけて、愛し合って、結婚して! それをずっと見守っていくの! ふたりで、おじいちゃんおばあちゃんになるまで、幸せに暮らすの!」

 

 思い描いていたいつかを。

 辛い日々の先に、たしかにあると信じて、願った幸せを、叫ぶ。

 

 アベルは。

 微笑んだ。

 夢見る乙女のように。

 可愛らしい女の子のように。

 幸せそうに。


「ああ――本当に、そうなったら、どれだけよかっただろう」


 視界が、にじむ。

 彼の姿がぼやけて、見えなくなってしまう。

 やめて。

 どうしてこんなときに。

 もっと彼の姿を見ていたいのに。この目に焼き付けていたいのに。

 どうして、この目から溢れるものが止められないのだろう。


「イザーナ。どうか、幸せに」


 やめて。

 やめて……。

 やめてよ……!


「君が生きていく世界を、僕が守るから。ここから、ずっと君を見守っているから」


 そんなこと、言わないで。

 そんな、呪いのような言葉を、私に向かって、言わないでよ。


「どうか、幸せになって。それが、僕のたったひとつの、幸せだから」


 そうして。

 そうして――。

 

 アベルは。

 私に背を向けて。

 その手に握った聖剣を。

 柱の中の女性へ向かって、突き入れたのだ。




《――――ああ》




 光が、あふれる。

 女性を覆っていた氷結晶が眩い光を放ち、視界が、白に染まる。


 見えない。

 なにも見えない。

 彼の姿が、消えてしまう。

 

 叫びも、届かない。

 光の中に、消えていく、


 どこかから、ただ声だけが聞こえていた。

 彼と彼女の会話だけが。

 



「今まで、お疲れ様でした……■■■さま」


《――それは。それは、わたしの、失われたはずの》


「僕は、いろいろなことを知っているんです。あなたが、今までどれだけ頑張ったのかも。世界を救うために、生まれた村も、恋も友も、全て捨てたことも」


《ああ、そんな、それは》


「もう、大丈夫。休んでもいいんです。痛みも、悲しみも、使命も忘れて、ただひとりの女の子として、帰りたかった場所に、帰ってもいいんです」


《――――――》


「おかえりなさい、■■■」


《あ……ああ……ああっ、アアアアアアアア》


 


 慟哭が、響いて。




《ただい、ま》




 それが、彼女の最後の言葉だった。

 魔王アスラ・エレイオンの。

 閃光が消えたあとに残っていたものは、なにもなく。

 ただそこには、聖剣を失って佇む、彼の後ろ姿だけがあったのだ。


「これで、お別れだね」 


 彼が、振り返る。

 その足元から、氷のような結晶・・・・・・・が生まれはじめていた。

 冷気・・を放ちながら彼の身体を伝い昇っていき、同時に周囲の地面へも広がっていく。

 ぴきぴき、ぱきぱき、と音を立てて、世界を侵食していく。


 それは、産声だった。

 新たな魔王が――新たな世界の生贄アスラ・エレイオンが、誕生する際に上げる、呪いと祝福の声。


 いやだ。

 そんなのは、いやなんだ。


 叫ぶ。

 彼の名を、叫ぶ。

 彼の名前を、呼ぶ。

 手を伸ばす。

 でも、やはり、届かない。

 決して、届くことはない。


 氷結晶が、広がっていく。

 彼の首元までを覆って、私達の足元まで侵食して。


 ――いっそ、このまま、彼と一緒に。


 けれど、その願いが叶えられることはないのだ。

 誰かに抱えられる。担がれる。

 こちらが暴れるのも意に介さず、誰かは私を、この場所から運び去っていく。


 遠ざかる。彼の姿が、どんどん遠くになっていって。

 消えていって、しまう。


 叫んで、手を伸ばして。

 それでも、私の願いが叶うことはなく。




「さようなら。僕の、初恋の君」




 最後にその微笑みと言葉を残して。

 彼の全ては、結晶に覆われてしまった。

 永遠に手の届かない場所に、行ってしまった。


 悲鳴が、絶叫が、私の喉から迸り。

 私の意識が、遠ざかっていく。薄れていく。


 終わる。

 終わる。

 終わる。


 私と彼の旅が、終わる。

 





 






「魔王は、勇者アベルが打倒した! 我々の勝利だ! 世界は、救われたのだ――――!」


 次に目を覚ましたとき。

 そこは軍を残してきた場所で。

 随分と数が減ってしまった兵や騎士の中心で、あの人・・・によく似た誰かが、よく似た声で、勝利を宣言していた。

 そこにはフレイシアさんの姿も、ベイルさんの姿も、あの人と特に仲の良かった人達の姿もなくて。


 振り返れば、《墳墓台地》が、《棺の塔》が、氷に覆われていた。

 それは今こうしている間も、着実に広がりを見せている。

 いずれこの場にも到達し、やがては魔王領の全てを覆い尽くすのだろう。


 決して融けぬ氷となって。

 あの人が眠り続ける墳墓として、棺の代わりとして。

 

「……ああ」


 胸の中に、ぽっかりと穴が空いていた。

 とても大きくて、眩しくて、大切だったものが失くなっていた。

 きっと、永遠に。


 そう。

 もう、私とあの人の旅は、終わったのだ。

 ふたりの物語が終わって、これからは私ひとりの物語が続いていく。


 いつか、この身が果てるまで。


「あ、はは……ふ、はは、あはは」


 なぜか、笑い声が漏れた。

 おかしくもないのに、笑えてしまう。


 喉が枯れるほど笑い続けて。

 最後に、ぽつり、と呟いた。






「こんな世界なんて、滅んでしまえばいいのに」






 それはきっと、私の心の底からの言葉だった。


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