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   それが運命だと言うのなら ③ [フレイシア・リインクス]

 勇者という存在に、憧れた。

 

 幼いころに父様に連れていってもらった、王都でも一番人気の観劇。

 初代の勇者様と聖人様の英雄譚。

 そのときの光景が、今でも頭の中に焼き付いたまま離れない。


 高鳴る鼓動。

 頬の火照り。

 目に映るもの全てが輝きを放っているような、眩しさ。


 ドキドキして、ワクワクして、どこまでもキラキラしていたのだ。

 生まれて初めて感じる衝動だった。

 ――だから私は、勇者に憧れたのだ。






         **********






「フレイシアさん! ベイルさんが、ベイルさんがまだ……ッ!」


 抱える胸の中で、イザーナが暴れていた。

 私の肩越しに、遠ざかっていく景色に手を伸ばし、悲痛な叫び上げる。

 彼女を落とさないようにきつく抱きしめて、私は唇を噛む。決して後ろを振り返ることなく、駆ける速度をゆるめることなく、前へ前へと突き進んでいく。


「どうして、たったひとりで、あんな……!」

 

 彼女の声は、私達のずっと後ろのほうで上がった、複数の魔物の悲鳴にかき消された。

 同時に、なにか大きな気配が生じるのを感じて、反射的に一瞬だけ視線を向ける。

 青い輝きが、見えたような気がした。

 まるでそれは、光虫が力尽きる寸前に放つ末期の光にも似て――。


「ッ……!」


 視線を背ける。

 前へ。ただ己の進む先だけを見続ける。


「ぁ――――」


 あの光に私と同じものを感じ取ったのか、胸の中のイザーナは言葉を失って呆然としているようだった。

 腕に力を込めて、強く、抱きしめる。

 

「……しっかりしろ、イザーナ」


 前を向いたまま、声を掛ける。


「もうじき魔物が動きはじめる。物量に押し潰されぬために、お前には限界まで魔術を放ち続けてもらわなければならない」

「でも……でも、ベイルさんが」

「理解しろッ。お前が役割を果たさねば、お前自身だけでなくアベルさえも無駄死にさせることになるぞ!」


 その言葉に、イザーナが息を飲む。


「今はなにも考えるな。ただ無事に塔まで辿り着くことを、その障害となる魔物を退けることだけを念じろ」

 

 すこし間が空いたあと、胸の中で彼女が頷くのを感じた。

 

「よし。ならば、詠唱を開始しろ。魔物の休眠状態が終われば、切り開いた道もすぐに埋まる。常に魔術で道を作り続けねば、魔物の大群のど真ん中にいる私達など容易く飲み込まれてしまうぞ」


 声に従って、イザーナが唱句を口にしはじめる。

 それを聞き取って、前を行っていた騎士グレンがこちらまで下がってきた。この状況では背中に抱え直している余裕もないのか、アベルはその肩に荷物のように担がれたままだった。

 ぐったりとしているその姿からは、隠しきれぬ心身の疲弊が如実に見て取れた。

 憔悴した様子のアベルは、暗鬱とした眼差しを自分の手の平に向けている。

 後悔。罪悪感。己への無力さ。

 一番平気そうに見える騎士グレンでさえも、少なからず似た思いを抱えているだろうことが、苦しげな表情からは窺えた。

 そしてそれは、私もまた同様だった。


 ベイル・アーリオン。

 アーリオン伯爵家の神童。グレン・ヴァンブレストが現れるより前は王国騎士団への最年少入団記録、最短叙任記録を有していた、王国でも広く名の知れた男だった。

 そして実際、評判通りに優秀な男でもあった。

 今では私の立場のほうが上になってしまっていたが、それは能力や功績ではなく家格の差ゆえだ。

 私が入団したときから決められていたことである。

 私が、侯爵家の人間だったからだ。


 ベイル――あの男は、入団当時、私の主騎士だった。

 優秀であったからこそ、将来多くの騎士の上に立つことが決まっていた私の教育係として付けられたのだ。

 正直なところ、あいつに対する印象は好ましいものではなかった。

 たしかに能力のある人間だったが、いつもヘラヘラとしていて、やる気や向上心、覇気といったものが感じられず、どうにも底の浅い、薄っぺらい人間に思えたからだ。

 

 その印象は、私があの男より上の立場になり、部下として命令を下すようになっても変わることはなかった。

 ただ長く付き合っていくうちに、決して悪い人間ではないのだと思うようにはなっていた。

 むしろ、その本質は善良だった。

 身分に関係なく分け隔てなく誰にでも接し、不正を許さず、無辜の民を、弱者を守ろうとする騎士としての矜持を正しく備えていた。

 だから余計に、あいつの、より高みを目指そうとする気概のなさが目についたのだ。

 私より上の武を有していながら、それになんの価値も見出していない。たしかな強さを持っていながら、そこには芯というものが決定的に欠けており、どこか頼りない。

 

 それが、私には我慢ならなかった。


 なにもかもを諦めて、この身の全てを国のために捧げると決めて、ただひとりの騎士として在ろうとした。

 私がそこまでしてもなお、至ることができない領域に立っていながら、あいつはより上を見て勝手に失望して、その手にもっているものを無価値と断じるのだ。

 これで腹が立たないわけがなかった。

 ――私は、本当は騎士になどなりたくはなかったというのに。






 私、フレイシア・リインクスは、侯爵家の長女として生を受けた。

 兄妹は、上に歳の離れた兄がひとりに、同じ日に生まれた弟がひとり。

 双子の弟だった。

 私達は遅く生まれた子であったからか、家族の誰からも可愛がられて育った。

 たとえば弟は、爵位持ちの貴族の義務として、生まれたときより騎士になることが決められていた。ゆえに幼い時分から剣を教えられていたのだが、雇われた教師は切り傷ひとつ付けることがないよう厳命されていたほどだ。


 女であった私はそれ以上で、あらゆる危険から遠ざけられ、それこそ蝶よ花よと大切に育てられた。

 侯爵家の人間にとって、たったひとりの女児である私はまさしくお姫様だった。

 そして私自身、そのことに一切の不満を持っていなかった。むしろ、その己の在り方に誇りさえ持っていた。


 憧れたからだ。

 父に連れられて行った、初めての観劇。

 勇者様の英雄譚。


 そこで私は、生まれて初めての感情を抱いた。

 憧れ。

 人々を導き、守り、救い、世界に平和をもたらす勇者様に、強い憧れを抱いた。

 或いは、別の言い方をするならば。


 私は、そのとき、勇者という存在に恋をしたのだ。

 人生で初めての、そして最初で最後の、身を焦がすような恋をした。 

 

 だから、本当のお姫様になりたいと思った。

 お姫様になれば、世界を救った勇者様と結ばれて、一生を共にすることができるからだ。


 けれど、その願いは容易く打ち砕かれることになる。

 弟が、流行病で帰らぬ者となったのだ。

 それが私の運命を決定的に変えることとなった。

 父と母には、私達と兄以外の他に子はなかった。そして兄は大事な跡継ぎである。

 ならば、残ったひとりがその貴い血の義務を果たさねばならなかった。

 養子を迎え入れて、代わりとする手もないではなかった。しかしそれが許されるのは、跡継ぎ以外に子がひとりも存在しない場合のみである。

 たとえそれが女児であろうと、貴い血が流れているのならば、その義務から逃れることはできないのだ。


 弟の死と、それによって定められてしまった意にそわぬ未来。

 同時にふたつの不幸に見舞われた私は、ひと月以上を泣き伏して過ごした。

 しかし、私がどれだけ受け入れ難く思おうが、この身に待っている運命が変わることはない。

 従うほか、なかったのだ。


 私は、騎士となることを決める。

 剣を振るうなどという、野蛮で、恐ろしくて、危険な所行へ、この身の全てを捧げることを誓う。

 家族は、なにもそこまでと止めた。

 形だけで良いのだと。お飾りでも構わないと。

 しかし私はその言葉を受け入れなかった。受け入れられなかった。 


 なぜならば、あらゆる危険や暴力から遠ざけられて育った私は、弟が鍛錬するどころか、ただ置いてある剣をひと目見ただけで血の気が引いてしまうほどに、繊細で軟弱な精神性しか持ち合わせていなかったからだ。

 そんな私が、逃げ場を残したままで騎士になどなれるわけがなかった。或いは自分を憐れむばかりに、お家のことも考えず、自死を選んでしまう可能性とてあった。

 私は自分がそれほどに脆弱な人間であるという自覚があったのだ。

 

 ゆえに。

 騎士となるのならば、それまでの全てを捨てて、お姫様であった自分を消し去って、まったく新しい自分になる必要があった。

 侯爵令嬢フレイシア・リインクスではなく。

 ただひとりの、騎士フレイシア・リインクスへ。


 ――そうして、かつてお姫様だった少女は、騎士へと転じたのだ。







「魔物が、動く――!」


 すぐそばで上がった騎士グレンの声に、私の意識は現実に引き戻される。

 見れば、周囲を埋め尽くす魔物の群れが、ひとつの大きな群体であるかの如く蠢動しはじめていた。

 だが、まだ《墳墓台地》まではかなりの距離があった。


「イザーナ殿! ここからは時間との勝負だ! ここに至って建前は申さぬ! 余力を残そうと思うな! 力尽きるまで魔術を放て!」

「…………!」


 騎士グレンの叫びに、胸の中のイザーナは言われずとも、というように力強く頷くと、その視線を真っ直ぐ前へ向けた。

 手の平を突き出し、唱句を高らかに口にする。

 同時に、アベルの背中に括り付けらた聖剣が銀光を放った。


「《その道程はフォール屍に満ちている・オールン》!」


 炎の奔流が、ついに活動を再開させ、切り開かれた道を閉ざすべく動いていた魔物を消し飛ばす。

 黒の波に穿たれた空白地帯は、目的地まで一気に伸びて通り道を作るが、それもすぐに魔物に埋められていく。

 

「《その道程はフォール屍に満ちている・オールン》――!」


 しかし完全に道が塞がれるよりも前に、再びイザーナの魔術が放たれた。

 魔物の群れを貫いていく。

 そこを私達は駆け抜けていく。


「《その道程はフォール屍に満ちている・オールン》――――!」


 駆けて、駆けて、駆ける。


「《その道程はフォール屍に満ちている・オールン》――――――!」


 はみ出してきた魔物を飛び越え、着地して、また走る。


「《その道程はフォール屍に満ちている・オールン》――――――――!」


 ひたすらに先へ。

 前へ。

 魔王を倒すために。 

 世界を救うために。

 ただひとりの騎士として、その使命を果たすために。

 私は、どこまでも走り続ける。

 

「これで、最、後……! 台地の前に、群がっている魔物を、一掃します……!」


 やがて、顔を青ざめさせて、息も絶え絶えのイザーナが、それまでとは異なる唱句を口にしはじめる。


「《赫々たる朱、業々たる焔、汝が名は、我が裡より零れ、世に満ちる》」


 覚えのある言葉。

 忘れられぬ唱句。記憶に焼き付く光景を生み出した、あの力ある言葉。


 ほとんど目と鼻の先にまで近づいていた切り立つ断崖絶壁、大地より天高く隆起した《墳墓台地》の麓、その前で蠢く魔物群の上空に向かってイザーナは手を突き出す。

 そして、告げた。


「《灰燼と散り果てよ――焔雷にしてホロウ灼熱にして終焔・エンネイク》」


 視界の全てが、血の如く鮮やかな赤、紅炎に包まれる。

 燃え盛る火炎は、私達から絶壁までの間に存在していた魔物だけでなく、台地の周辺に群がっていた魔物の全てを呑み込み、焼き尽くした。

 道が開かれる。ぽっかりと、広大な空白地帯が生じる。

 もう、私達の行き先を阻むものは、そこには存在していなかった。

 

 ねぎらいの言葉をイザーナに掛けようとした私は、彼女が胸の中で意識を失っていることに気づく。

 息は、ある。

 文字通り、最後の力を振り絞ったのだろう。その顔は苦しげだったが、己の役目をきちんと果たしたという自覚があるからだろうか、心なし満足そうでもあった。

 

「よく、やったな」


 彼女の身体を抱いているのとは別の手で、その頭をひと撫でしてから、私は視線を前へ戻す。

 障害物の一切がなくなり、全貌を露わにした断崖を見やる。

 それはどんどん近づいてきて、そして。


 ついに、私達は辿り着いたのだ。


 見上げるほど天高く隆起した《墳墓台地》。

 その麓、そびえ立つ絶壁の前へ。


「このあたりに、台地の上まで続く洞窟の入り口があるはずなのだな!?」

「王家に伝わる記録によれば、そのはずです!」


 騎士グレンから返ってきた答えを聞きながら、私は切り立った断崖の壁面に視線を走らせる。

 裂け目や窪みの中に空間が隠れていないかを確認してく。

 こうしている間にも、一端は退けられた魔物の群れが再び私達のところにまで迫ってきている。

 猶予は、それほどなかった。


「あれかッ!」


 やがて騎士グレンの叫びが聞こえた。

 視線を向ければ、彼はアベルを担ぐのとは逆の手を真っ直ぐ伸ばして、とある一点を指差していた。

 その先には、遠目からは単なる窪みか、自然に生じた割れ目にしか見えない隙間がある。


「まちがいないのか!?」

「おそらくは!」


 振り返らずに答えた彼は、その場所に向かって駆けだす。私も後を追った。


「気を、つけて……! 洞窟の奥には、かつての、亡霊が」


 騎士グレンの肩の上で、アベルが必死になにかを訴える声が聞こえる。

 例の不可思議な知識なのだろう。彼がこれほどに強い警告を発するのは初めてのことだった。

 一体、進む先になにが待ち構えているというのか。

 一抹の不安を抱きながら、目的の地点に辿り着いた私達を待っていたのは――。


「ば、かな……!」


 どうしようもない、絶望だった。

 

「そんな、馬鹿なことが!」


 落雷に打たれたかのように立ち止まった騎士グレンが、愕然とした顔でそれ・・を見つめていた。

 アベルもまた、目を限界まで見開いて、それを見ていた。


 洞窟の入り口は・・・・・・・崩落していた・・・・・・

 

 台地の上まで行き来するための唯一の道は、土砂と岩石の山で完全に埋まっていたのだ。

 

「遥か古より用いられ続けてきた通路だぞ! なぜ我々の代になって、このような……!」

 

 騎士グレンが憤りの声を上げる。

 彼は担いだアベルを乱雑に地面に放り投げると、腰から剣を引き抜いた。

 全身から青い輝き――闘気を噴き出させ、剣を大上段に構える。


「オ、アアァッ――――!」


 入り口に向かって、斬撃を叩き込む。

 剣筋に重なって迸る青藍の闘気が、物理的な衝撃となってぶつかる。

 土砂を吹き飛ばし、岩石を砕き、奥への空間を無理矢理に切り開いていき――その次の瞬間には再び崩落が起きて、地響きとともに埋まってしまう。

  

「ふ、ざけるなァッ! ここまで来てッ!」


 激高した騎士グレンが次々に闘気の斬撃を放つが、状況は変わらなかった。


「…………」


 地面に尻を落としたまま、騎士グレンを歯噛みして見上げていたアベルは、しかしすぐになにかを思いついたような表情でこちらを振り向いた。


「イザーナの魔術なら……!」


 その言葉に、一度胸の中の彼女に目をやってから、私は首を横に振った。


「完全にマナが空になっている。当分は目を覚ますこともないだろう」

「くッ……!」


 悔しげに表情を歪ませるアベルから視線を逸らし、私は頭上を仰ぐ。

 遠目から見たとき以上に、真下から見上げる断崖絶壁は、高さがあった。頂上は霞んでしまって見て取ることさえできない。

 とてもではないが、なんの補助もなしで人が登りきれるような高さではなかった。或いは、闘気を自在に扱う騎士グレンだけであれば、時間を掛ければ登頂可能かもしれなかったが、他人を背負ったままではまず無理だろう。


「…………」


 視線を下に戻す。周囲に向ける。

 魔物の群れが、迫っていた。あとほんの少しで、ここに到達するだろう。そうなれば、私達に待っているのはあれらにすり潰されていく未来しかない。


「……………………」


 胸の中の、妹のような少女を見下ろす。

 地面に投げ出された少年――勇者を見下ろす。

 

 目を瞑る。

 瞼の裏に、様々な思いが浮かぶ。いつかの光景が浮かぶ。


 ――ああ、うん。そうだな。


 決断する。

 かつて、全てを捨てて騎士になることを決めたときのように。


「騎士グレン!」


 声に、彼が振り向く。こちらに向けられた眼差しには隠しきれぬ怒りが込められていたが、私の顔を見るなり、ハッと改まった。

 そんな彼に歩み寄り、抱えていたイザーナを押し付ける。

 

「この子を、頼む」

「フレイシア殿……?」


 怪訝な顔をする彼に背を向けて、地面に座り込んだままのアベルの前で膝をつく。

 なにか感じるものがあったのか、アベルは不安げに揺れる瞳で、私を見上げる。


「あの」


 有無を言わせず、その身体を抱き上げる。

 予想していたよりも、彼の身体は軽かった。背負って運ぶために重量のある鎧を着用していないせいもあるだろうが、おそらく、もとからそれほど肉がついた体ではないのだ。

 ひょっとすれば、長年騎士として鍛え続けてきた私のほうが重かったかもしれない。

 彼の身長は、たしかに出会った当初に比べればずいぶんと伸びていたが、相変わらず線は細いままだったし、中性的な容姿もそのままだった。

 大人びてはいたが、男らしいといった感じではなかったのだ。

 ――まるで少女の憧れる理想が、そのまま形になったかのように。

  

「どうか、お幸せに」

「え……?」


 思えば、彼の身体に触れるのは、これが初めてだったかもしれない。

 名残惜しいものを感じながら、彼の身体もまた騎士グレンに預ける。

 両脇にイザーナとアベルを抱える形になった騎士グレンから離れた私は、迫る魔物の群れに背を向けて、地面に片膝をつく。

 

「上までの道は、私が作る。その後のことは、全て任せた」


 見上げる私と、見下ろす騎士グレンの眼差しが交わる。


「……可能、なのですか?」

「この命に替えても。だから、お前は必ずふたりを守りきれ。アベルだけではなく、ふたりともだ」


 誓えるか、と彼の瞳を強く見返して問えば、騎士グレンは表情を引き締めて、しっかりと頷いた。

 それを確認してから、視線を外す。

 脇に抱えられたアベルの、泣きそうな顔がちらりと視界に入ったが、敢えてそちらには目を向けなかった。

 これ以上は、未練が残る。決意が揺らいでしまう。

 努めて意識を己の内面に静め、可能な限り外界の情報を遮断した。


 背後より迫る魔物も。

 こちらに手を伸ばそうとする彼の姿も。

 これよりのち、己が迎えるだろう末期に対する恐れも。

 全てを振り切って、私は、口を開く。


「《其は強靭なる鋼。其は強堅たる刃金。其は我が誓い。其は我の在り方そのもの。折れず、曲がらず、砕けず、此処にある。其処にある。ゆえに、我が言葉、我が意志を、形と成せ》」


 ひとつ、息を吸って、告げる。


「《わたくしは、たバルア・だひとりの騎士であるブランダス》」


 身体の中心よりマナが凄まじい勢いで吸い上げられ、詠唱機構が全力で稼働する。世界に干渉する。

 世界が応える。現象が顕れる。

 私の上空に、無数の金属体――剣とも槍ともつかぬ、異様に長い棒状の物質が生み出されていく。

 

 片手を天へ掲げる。

 その動きに応えて、上空に浮かぶ金属体が切っ先を標的へ向ける。

 迫りくる魔物、ではない。私達の前に立ちはだかる絶壁へ、である。

 奥歯を噛み締めて、睨みつけて。

 そして。


「――――ッ!」


 掲げた手を、振り下ろした。 

 金属体の群れが、私の意思を受けて一斉に射出される。

 壁面に衝突した金属体は、その岩盤を貫き、奥深くにまで突き刺さり、人が足場にできる・・・・・・・・程度の幅を残して・・・・・・・・、堅強に固定される。


 そこに、闘気をまとった騎士グレンが、両脇にアベルとイザーナを抱えたまま跳躍してとび乗った。

 徐々に地面から遠ざかるように、階段状に高い位置へ突き刺さっていく金属体を駆け上がって、三人は高みへと昇っていく。

 足場が途切れぬよう、次から次へと金属体を生み出しては壁面へ放ち、私は崖上までの道を作り上げる。

 

 彼らの後ろ姿は、あっという間に遠ざかり、小さくなっていった。

 完全に視界から消え失せても、勘を頼りに道を作り続ける。間近に迫っている背後の揺れも、騒騒しい音も頭の中から追い出して、無心で魔術を行使し続ける。


 脳裏に、過去の記憶、これまでの思い出が次々に蘇っては消えていく。

 幼いころのこと。やさしかった父と母。面倒見のよかった兄。ともに育った双子の弟。

 お姫様だった日々。大切だった弟が死んでしまった日のこと。泣き暮らした時間。

 そして、運命からは逃れられないと、ついに諦めた日。

 全てを捨てて、新しい自分になることを決意したとき。


 それからは、ただただ辛いだけの日々が続く。

 汗だくになって、泥にまみれて、それでも走り続けなければならなかった。腰まであった長い髪はすぐに邪魔になり、自分で切り捨てた。

 剣を振りすぎて血豆ができて、潰れた。それを繰り返していくうちに柔らかかった手の平は、いつの間にか硬く分厚い皮に覆われるようになった。

 一日過ぎるごとに、身体には傷が増えた。中には、消えずに残ったものもあった。

 華奢だった体格が骨ばったものになり、腕や足、お腹の筋肉が硬く強靭な、戦うために最適な形に変質していく。

 

 恐怖は、いつだって私の中に存在していた。

 痛いのは嫌だったし、傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だった。自分が、かつての理想から遠く離れたものへ変わっていくことも恐ろしかった。生理的な嫌悪だって感じた。 

 けれどそんな自分は心の奥深くに沈めて、封じ込めた。知らないふりをした。

 そうしているうちに、やがて『お姫様だった私』は意識に浮かび上がってくることがなくなり、私は『今の私』になった。

 かつての私は、もう消えてなくなったのだと思っていた。 


 けれど。

 神殿より聖剣探索の任を与えられたときに、私は自分の奥底で、消えたはずのものが身じろぎするのを感じた。

 気づかないふりをした。ただ任務に没頭することで、考えないようにした。

 

 けれど。

 私は、出会ってしまったのだ。

 まるでいつかの憧れがそのまま形になったかのような人に。

 

 彼が勇者として覚醒したとき。あの光景を目にしたとき。

 ずっと押し込められていたかつての私が、お姫様に憧れていた私が。

 封じられていたがゆえに、幼い少女のまま成長することがなかったいつかの私が。


 心のずっと深いところで、たしかに歓喜の声を上げるのを耳にした。

 

 しかし、今更お姫様だった私に戻れるわけがなかった。

 いや、そもそも彼が必要としたのはお姫様ではなく、ともに戦う仲間だった。勇者様を守る騎士だった。

 すなわち、自分だった。

 そのとき、初めて私は騎士である自分を好きになった。

 これまでの全ての苦痛が、悲哀が、報われた気がした。

 自分が騎士となったのは、まさに運命だったのだと思った。

 

 結ばれる相手に、自分が選ばれずともいい。どの道、彼と彼が想う少女の間に、余人の入り込む隙間などなかったのだから、それでよかった。

 ただひとりの騎士として、そばにいることができれば、それだけで満足だったのだ。

 それに私は姉だから、あの子の、妹のような少女の幸せのほうこそを望む。


 イザーナ。

 私は、きっと、いつかの私を彼女に重ねていたのだろう。

 決して表に出すことができない、お姫様の私を、勇者と結ばれる自分を、重ねて見ていた。

 可愛らしい少女だった。お姫様というには、少しばかりお淑やかさが足りなかったけれど、それを補って余りある可愛らしさ、健気さをもった子だった。

 だから、素直に応援したいと思った。

 かつての自分を重ねていたのもたしかだったが、純粋に、幸せになってほしいと思ったのだ。


 今の私は、お姫様である以上に、ひとりの騎士だったから。

 だから、自分の幸せよりも、誰かの幸せを望むのだ。

 それで、いい。

 あの子ならば、彼と幸せになっても、きっと私の中の幼い私も、納得してくれることだろう。


 だから、後悔はない。

 こうしてここに在ることに、悔いることなど、あるはずもなかった。

 

 もう影も形も見えなくなってしまった彼に向けて。

 私は、告げる。






「さようなら、わたくしの勇者様。どうか、いつまでも、お幸せに」






 そして、私の全ては、魔物の群れの中に消えていった。

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