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   それが運命だと言うのなら ② [ベイル・アーリオン]

 勇者になりたい、と思った。


 幼いころ――世界のことをなにも知らなかったころ。

 己の分を知らず、才能という残酷な現実をいまだ知らず、全ては自分の思うがままになると無邪気に考えていたころのことだ。

 幼い俺は一冊の本に出会い、勇者になることを夢見た。

 貴族向けに作られた読み書きを学習するための絵本で、それには世界でもっとも有名なお伽噺が描かれていた。

 すなわち、始まりの勇者と聖人の物語。


 数々の困難を打ち砕き、乗り越え、ついには人の天敵たる魔王を倒して世界に平和をもたらす。

 胸が踊って、興奮して、憧れた。

 すごい、と思ったのだ。

 自分だったらとても耐えられないだろう苦難にも負けず、人々のために、世界のために歯を食いしばって戦う様に、心を撃ち抜かれた。

 自分もこうありたい、この人のように生きてみたいと幼心に思ったのだ。


 ゆえにアーリオン伯爵家の三男たる俺は、『騎士』となることを望んだ。

 幼い俺も、さすがに本気で勇者そのものになろうなどとは思わなかった。

 勇者の称号を与えられるには聖剣の担い手に選ばれる必要があるが、そもそも当時、聖剣は下界に存在していなかったからだ。

 聖剣は魔王復活の予兆があると天より降され、魔王を討伐したあとは天に還されてしまうため、時代に求められなければ決して勇者という存在が生まれることはないのだ。


 だから代わりに、騎士になろうと思った。

 騎士もまた、民の守護のために己が身を削ってでも戦うことを誇りとする存在だったからだ。

 騎士として修練を重ねて、誰よりも強くなり、守るべきものを守り、いつかは絵物語の勇者のような存在に――英雄になるのだと決意した。

 

 俺の願いは、父に喜ばれた。

 爵位持ちの家の義務のひとつとして、世代ごとに必ずひとりは騎士団に所属させるという決まりがあり、家の都合と俺の希望が合致したからだろう。

 長兄は家の跡継ぎであったから論外だし、次兄は明晰な頭脳でその補佐を期待されており、ひとつ歳下の弟は生まれつき身体が弱く騎士になるなど到底無理だった。

 実質俺しか選択がないようなものだったが、それでも自発的に望んだことが父にしてみれば喜ばしかったのだろう。

 父は、子供には甘い人だったからだ。本人の望まない将来を押し付けることを嫌ったのだと思う。


 ともあれ、そうして騎士を志した俺だったが、いまだ入団年齢に満たなかったため、まずは父の雇った元騎士より体力づくりと剣術の基礎を習うことから始めた。

 俺には、たしかに才能があったのだと思う。

 めきめきと剣の腕を伸ばした俺は、三年ほどで最初の師を超えるまでに上達した。

 その後新たな師を迎えることになったが、それも一年ほどで上回ってしまう。さらに次は現役の騎士を招いて教えを乞うたが、今度は半年ももたなかった。

 結果、俺はその騎士の推薦もあって、特例として基準年齢に達するよりも早く騎士団への入団を認められることになる。

 

 それからも、俺は順調に技量を伸ばしていった。

 かつての師であり従者として仕えることになった主騎士の仲介で、見習いという立場にあって多くの騎士と手合わせする機会を与えられた俺は、入団して一年も経つと熟練の騎士にさえ土をつけられるまでになっていた。

 それが団長の目に留まり、またもや特例として異例の早さで騎士の叙任を受けることになった。

 

 史上最年少での入団、最短最年少での叙任。

 ベイル・アーリオンの名は王都中に広まった。


 このときの俺は得意の絶頂にあったと言っていい。

 いまだ実戦を経験しておらず、明確な実績などなにも残していなかったというのに、すでに自分が人々に語られる英雄になったかのように錯覚していた。

 その幻想が呆気なく打ち砕かれることになったのは、それから数年後のことだった。


 グレン・ヴァンブレスト。

 王国最強、騎士団の長ガリオス・ヴァンブレストのひとり息子。

 俺の記録をたやすく破り騎士となった、本当の天才。

 増長していた当時の俺はそれを団長の七光であると考えた。

 だから現実を思い知らせてやろうと、叙任直後のグレンに手合わせを申し出ようとした。

 ――その光景を目にするまでは。


 叙任式のあとに行われた、団長との模擬戦。

 そこで、俺は信じられないものを見た。

 全身から炎の如く青い光を立ち昇らせながら、人間には不可能な動き、速度で剣を交えるふたりの姿だ。

 青藍の輝き――闘気。

 生命力たるマナを武に転化させた身体強化を、限界まで極めた際に生じるもの。極限の証。


 俺はそんなものを知らなかった・・・・・・

 見たことも、聞いたこともなかったのだ。

 身体強化なら、当時の俺も使うことができた。最上級までおさめていた。

 しかしあのように目に見える変化が現れることなど、一度もなかった。他の騎士も、団長もこれまでそんなものを見せたことはなかった。

 自分と同じくふたりの戦いに驚愕の眼差しを向ける様子を見れば、使わなかったのではなく、存在自体を知らなかったということはすぐにわかった。


 つまり、あのふたりだけが特別なのだ。

 俺はその他大勢の騎士と同じく、常識外れの戦いを繰り広げるふたりを見て驚く側――特別ではない側に存在しているのだということを、このとき初めて認識した。

 

 もちろん、すぐにはそれを認めることはできなかった。

 あれほどに若いグレンができるのだから、才能ある自分ができないはずがない。

 そう考えて、闘気を修得するべく死に物狂いの努力を重ねた。

 しかしいくら鍛錬を積んでも、俺の身体が青藍の輝きをまとうことはなかったのだ。


 ――剣の腕前だけであれば、決して負けることはない。いや、そもそもあのような反則技に頼らずとも、俺は強い。これまで団長と何度か手合わせをして、このまま順調に技量を伸ばしていけばあの人を実力で上回ることも難しくはないという確信もあるのだ。あんな小僧に負けるはずがない。


 そんな必死の思い込みも、初めてグレンと手合わせしたときに、木っ端微塵に砕かれた。

 たしかに、剣の腕前では俺が勝っていた。だが劣勢になったグレンが咄嗟に闘気をまとった次の瞬間である。

 気づけば、俺は練兵場の地面に大の字になって倒れていた。

 なにをされたかもわからなかった。のちに見物していた騎士に聞いた話では、刹那のうちに繰り出された目にも留まらぬ速さの一撃を受けて、俺は昏倒してしまったらしい。

 

 反応することすら、できなかった。

 最上級の身体強化を行使していたにもかかわらず、である。

 闘気をまとう前と後では、完全に別物だった。比較にならないほど戦闘力が向上していたのだ。

 剣の腕前が上であることなど、なんの意味も成さないほどに。

 目を覚ました俺に、グレンは申し訳なさそうに頭を下げて告げる。


 尋常な立ち会いだというのに、卑怯・・な真似をしてまった、と。


 それで、俺の心は折れた。

 俺相手に本来の実力を発揮することを、あいつは『卑怯な振る舞い』と判断したのだ。

 俺は、自分とグレン、団長の間に存在する歴然とした才能の差を、己では決してふたりと同じ領域には至れないということを認めるしかなかった。

 

 俺は特別ではない。

 だから英雄にはなれない。

 絵物語の勇者のような存在にだって、なれるはずがなかった。

 むしろ俺は、勇者を称えるその他大勢のひとりでしかないのだと、はっきりと自覚した。

 

 このとき。

 ようやく俺は幼い夢から覚めて、大人になったのだ。






 ――俺が再び夢を見るようになるのは、ひとりの少年に出会ったあとのことだ。

 そのとき俺は、かつて憧れた眩しいものを、目にした。






          **********






 駆ける。駆ける。駆ける。

 晴天のもとに広がる黒い波――魔物の群れの中を真っ直ぐ貫いて作られた空白の道を、全力を維持したまま疾走していく。 


「そろそろ道が途切れる! 次弾の準備はよろしいか!」


 先頭を行くグレンが顔だけで振り向いて、訊ねる。

 それに、俺の隣で応える声が上がった。


「はい! 詠唱いきます! 《赤としてなお赤く――」


 隊長に抱きかかえられた・・・・・・・・イザーナ嬢ちゃんが、その胸の中で唱句を朗々と詠いあげていく。

 それを確認したグレンは走る速度を緩めて俺達の位置まで下がってきた。そして俺の背中・・に視線を向ける。

 

「アベル殿、いけますね?」

「はい……大丈夫、です」


 声が応えて、背中で身じろぎする気配。銀光が後背で生まれ、同時に嬢ちゃんの身体も同色の輝きに包まれる。

 直後、


「《その道程はフォール屍に満ちている・オールン》!」


 詠唱が終わり、前方へ突き出された嬢ちゃんの腕の先から、紅炎の奔流が放たれる。

 人間など軽く二三人は飲み込んでしまいそうな規模の炎渦。行き先を阻んでいた魔物の群れは、休眠状態ゆえにそれを避けることもできず、呑み込まれ消えていく。

 炎がおさまれば、進行方向の魔物はきれいさっぱり消し飛ばされていた。

 新たに作られた道を、足を止めることなく俺達は駆け抜けていく。


 軍の駐屯地を出発して、すでに一刻以上経過していた。 

 目指すは、遠くにそびえる《墳墓大地》と《棺の塔》。

 旅の終着点。魔王の待つ場所。

 砲台に徹するイザーナ嬢ちゃんは隊長が抱きかかえ、足元がおぼつかないアベルは俺が背負い、先頭は露払い役のグレン。

 身体強化を使って限界まで移動速度を引き上げた俺達は、魔物の波を切り開きながら、ひたすらに前進し続けていた。


 現時点で、目的地までの三分の一ほどを踏破している。

 ……グレンひとりであれば、闘気をまとうことでより速度を上げることができるのだろうが、俺達ではこれが精一杯だった。とくに上級までしか身体強化を使えない隊長では、現状でも限界をわずかに超えているほどだ。

 絞りだすように放たれるアベルの《神秘》がなければ、とてもではないがこの速度を維持することはできなかっただろう。

 その度に、背後から感じるアベルの気配は確実に弱まっていったが。 


「……まだ、耐えられそうか?」


 背中に向かって声を掛けると、首筋のあたりで相手が苦笑するのを感じた。


「それで……何度目です? 心配しすぎですよ。僕は、まだ、大丈夫」


 隠しきれない疲労のにじんだ、弱々しい声だった。ともすれば、風を切る音にまぎれてしまうほどに。

 軍全体に聖剣の加護を与えることに比べれば負担はかなり軽くなっているはずだったが、この程度の力の行使でも困憊してしまうほどに、アベルは憔悴しきっていた。


 たしかに出発する前も疲弊した様子を見せてはいたが、ここまで体調が悪化していたとは。

 取り繕う余裕さえ失ってしまった今になるまで、情けないことに俺は気づくことができなかった。

 うまく誤魔化されていたが、実際には団長が見抜いた通り、アベルの身体はもう限界だったのだろう。

 賭けに出るのは、まさに今しかなかったのだと改めて思う。

 

「しかし、塔に無事に辿り着いたとして、こんな状態で本当に魔王を倒せるのか?」

「……そこは、問題ありません。魔王自身には戦う力なんて、ないんですから」


 たしかに団長からはそう教えられたが、どうにも信じられない。

 魔物の主、全ての元凶、人類の天敵たる魔王に戦闘能力がないなどということがありうるのだろうか。


「魔王は、システム・・・・――世界の仕組みそのもの。だから、戦う必要は、ないんです。ただ……停止させれば、終わらせてあげれば、いい」

「…………」

「だから、魔王自体を、恐れる必要は……」


 言葉は消えるように小さくなっていき、やがて途絶えてしまう。

 慌てて背中に負った身体を揺する。


「……あ、はい」


 どうやら意識が飛びかけていたらしい。

 ぼんやりとした声で返事をするアベルに、肝を冷やす。

 視線を感じて顔を向ければ、隊長や嬢ちゃん、グレンでさえもが心配の色を浮かべてこちらを見ていた。

 現状を維持しつつ先に進むためにはアベルの力が不可欠のため、こいつにここで気を失われるわけにはいかなかった。

 幸い隊長に合わせた速さであれば、走りながらでも今のように会話をすることができる。意識を留めるために、こちらから積極的に話しかける必要がありそうだった。

 なにか他に話題は、と考えた俺は、ふと脳裏に思い浮かぶものがあって口を開く。


「そういえば、お前さんの知識――ありえたかもしれない可能性ってやつでも、最後はこういう状況になっていたのか?」

「…………」


 答えは、すぐには返ってこなかった。

 一瞬、また朦朧としているのかと思うが、首筋に感じる意識的な息遣いからそうでないことを知る。


「……最後、塔に向かうときは、やっぱりこの五人でした」


 声は、ひどく沈んでいた。


「というより、塔を視界に入れた時点で、他の皆は全て命を落としていました。生き残っていたのが、この五人だけだったんです」

「……お前さんが、こんなになるまで軍の連中を気にかけていたのは、そのせいか」

  

 納得の感情が、胸の内に広がる。

 同時に、やはりなにか脳裏によぎるものがあった。

 これは、なんだろうか。


「はい。……でも、結局はこうして博打に彼らの命を賭けることに、なってしまいましたけど」

「なに言ってる。本来全滅するはずだった奴等が、現時点であれだけ生き残っているんだ。そうまで尽力したお前さんが責められるいわれなんてないだろうが」

「けれど、もっと僕がうまくやっていれば。彼らを救ってなお、真っ向から戦うだけの余力を、残しておくことができていれば、こんな賭けに出る必要は……」


 後悔をにじませた声でそんなことを言うアベルに、呆れてしまう。

 馬鹿じゃないのか、とすら思う。


「ったく、図体は一丁前にでかくなったってのに、ときどき変なところでガキに戻るよな、お前さんは」

「そう、でしょうか」

「そうだよ。お前以外に、どうやったらここまでうまくできた? 歴代の魔王討伐記録はお前も知ってるだろう? どれもこれも凄惨なものばかりだ」


 それこそアベルが語った可能性のように討伐隊が全滅することなど珍しくもないし、一度も人類領域への侵攻を許さなかったなんて記録は、ほとんど見当たらない。

 毎回、兵、民にかぎらず多くの犠牲が出たし、どうしようもなく追い詰められて破れかぶれの特攻を仕掛けて、奇跡的に魔王討伐に成功したという例もあるほどだ。

 そもそもなかなか勇者が見つからず、滅亡寸前にまで行ったという記録もある。


 それらに比べて、此度の戦のなんと順調だったことか。

 今でこそこうした賭けに出ているが、本来この行為とて、賭けというほどのことでもなかった。

 ただでさえ最小の犠牲で抑えられているというのに、うまくいけばさらなる犠牲を出さずとも戦を終わらせられるなど、まるで夢物語だ。


「これ以上にうまくやるなんてな、それこそ神様でなけりゃ無理だろうよ。そのぐらいに、お前はうまくやってきた」


 それはまさしく、英雄の所行だった。

 いつか俺が憧れた勇者そのものだった。

 苦難を乗り越えて人々を導き、人々に称えられ、奇跡をもたらす。

 特別な存在。俺とはちがうもの。俺では決して成り得ないもの。 

 かつての俺は、才能の差を思い知らされたことで自分はそうなる資格がないのだと思い込んだ。

 ――だが、それはまちがっていたのだ。


「アベル。たしかにお前は英雄だよ。勇者を体現したような存在だ。けどな、お前は英雄であっても神様なんかじゃないんだ。完璧な存在なんかじゃないんだよ」

 

 英雄や勇者とは、特別な才能を持っているからこそ、そう在るわけではないのだと、今の俺は知っていた。

 思い出されるのは、ひとつの光景。


 ――どこまでも優しく、やわらかな微笑み。

 ――ひとりの少女への想いを語って。

 ――まるで汚れのない乙女のように、夢見るように、ただひとりの少年が日差しの中で、とても幸せそうに笑う姿。

 

 俺はそこに、かつて憧れたひどく眩しいものを見た。

 懐かしい夢を目にしたのだ。


「お前さんは、俺達と同じ限界のあるひとりの人間で、共に生きて、笑って、泣いて、傷ついて、それでも立ち上がって、ここまで一緒に頑張ってきた仲間のひとりでしかない」


 英雄や勇者になるためには、才能の有無や特別性など、なんの関係もなかった。

 たったひとつのものさえあればよかったのだと、俺は知る。

 誰かを守りたい、救いたい、こうありたい――なにかを強く望む意志こそが、唯人を英雄へと導くのだ。

 かつての俺に足りなかったものは、まさにそれだった。

 才能の差を知っただけで諦めてしまう程度の想いでしかなかった時点で、初めから俺に英雄になる資格などなかったのだ。


 いや、そもそも。

 俺が本当に憧れたのは、特別な力とか、特別な肩書などではなかった。

 心打たれたのは、絵物語に描かれた勇者の、どのような状況にあっても諦めない心。自分が傷ついても誰かを守ろうとする美しい心だった。

 それをこいつが、アベルという真の勇者たるに相応しい少年が、その身を以って俺に教えてくれた。

   

「勇者だからといって、なんでもかんでも完璧にこなさなけりゃならないと思い込むな。人間ひとりにできることなんて、どうしたって限りがある。それを認めずないものねだりするのは、それこそ子供のすることさ」


 だから、今度は俺がこいつに教えてやる。 

 言ってやる。


「アベル、お前は特別なんかじゃない。まだまだ尻の青い、ただの子供だ。だから、なにもかもを背負い込もうとするな」


 背中で、息を飲む気配がした。

 後ろから首にまわされた両腕に力が込められる。

 額が、こつんと俺の首筋に当てられる感触。


「子供って……僕は、もう、成人したんですからね」


 駆け走っていることが原因ではない揺れで、その声は震えていた。


「俺からしたら、お前さんはまだまだ子供だよ。おじさんは、無駄に年食ってるからな」

「ベイルさんは、まだ、おじさんっていうほどの歳でも、ないですよ」


 懐かしいやり取り。

 いつかもこうして会話を交わした。

 ひとつの約束を取り付けて。

 穏やかな日差しの中で、駆けてきた少女と少年がじゃれ合う姿を見て、この光景を守らなければと思った。

 それほどに尊いものだったのだ。

 

「――なあ、アベル」

 

 俺の呼びかけに、アベルはやはり震える声で返事をする。


「ちなみにの話なんだが。お前さんの知識の中で、生き残ったこの五人が塔へ強行突破を掛けて……」

「……はい」

「塔に辿り着いたのは、何人だったんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、背中でアベルの身体がひどく強張るのを感じた。


「なんなんだろうな、これは。さっきから、頭の中に見覚えのない場面・・・・・・・・が、思い浮かぶんだよな」


 目の前に広がる光景。それに似た、しかし明確に異なる場面が脳裏をよぎる。

 蠢く魔物の群れの中に、よく見知っているようで、まったく知らない誰かが消えていくところだ。

 なんとなく、これが聖剣の力によるものであることを理解する。

 微かにアベルと繋がっている・・・・・・という感覚があったからだ。これは、アベルから漏れてきたものなのだろう。


「それは……それ、は」


 アベルの声は、泣きだしそうなほどに震えていた。

 苦渋。悲痛。哀切。

 その類の感情が感じられた。


「こんなはずじゃ、なかったんです。もっと、うまくやるはず、だったんです。こうならないように、頑張ったのに」


 泣いているのかと思った。

 それほどにか細く、弱々しい声だった。


「……ったく。だから、背負い込むなって話をしたばかりだろうが。気にするな。これもまた、運命ってやつなんだろうよ」

 

 苦笑して俺が言ったとき。

 周囲の――このあたり一帯の空気が変わるのを感じた。

 

「ッ――! まさか!」


 先頭を行くグレンが驚愕の声を上げるのが聞こえた。

 

「早すぎる! まだやっと半分を越えたところだぞ!」


 隊長の叫び。誰もがその予兆を感じ取っていた。

 周囲にあふれる魔物が、動き出そうとする気配。

 魔物が・・・目を覚ます・・・・・


「イザーナ殿! 詠唱の準備を! 最大限の威力で一気に道を作り、駆け抜ける!」

 

 グレンの言葉に嬢ちゃんが詠唱を開始する。

 それを横目で確認してから、俺は視線を足元に向けた。

 茶褐色の土に覆われた地面。交互に足を前に出し、強く踏みしめ蹴り出す。そうやって足裏が接地するたび、先ほどから奇妙な振動を感じとっていた。

 なにか巨大なものが地面の下を這い回っているかのような震え。

 ――どうやら、ここまでみたいだな。

 内心で呟いた俺は、走る速度を上げて先頭のグレンに並ぶ。


「まだッ、まだ、です! 僕が、聖剣を全力で振るえば……!」

 

 背中でわめくアベルに、苦笑が漏れる。もうそんな力などないくせに、なにを言っているのか。

 そんな俺達の様子に、グレンが怪訝な目を向けてくる。


「騎士ベイル……?」

「おう。グレン、ちょっとこいつを頼むわ」


 言うなり、俺は背負っていたアベルの身体を強引に押し付けた。放り投げたとも言う。

 危うく地面に落ちそうになったところを慌てて摑んたグレンは、力づくで引き上げると、荷物のように肩に担いだ。


「なッ、突然、なにをするのです! 今はふざけている場合では――」


 憤りの声を上げるグレンは、しかし次の瞬間、なにかに気づいたようにハッと足元へ視線を落とした。


「これは……!」

「どうやら、他の魔物に先んじて動きだしている奴がいるみたいでな。――俺が、相手をする。お前達は先へ行け」

「ッ」


 グレンは、勢いよく顔を上げた。俺の顔を見る。視線が、交わる。

 なにかを言いかけるが、それを言葉にする寸前でぐっと堪えた。唇を噛み締め、苦しげに眉を顰める。

 

「アベルを、頼むぞ」

「承知、しました……!」


 しかと頷いたグレンから、担がれたアベルへ視線を移動させる。

 アベルは、泣きそうな顔で俺を見つめていた。

 その情けない表情に、自然と口元に苦笑が浮かぶ。本当に、これでよく自分は子供じゃないなどと言えたものだ。


「幸せに……な。約束、忘れるなよ」


 笑いかける。アベルもまた、泣き笑いの表情を作る。

 そして、たしかに頷いたのだ。


 それから、ふたつのことが同時に起きた。


 イザーナ嬢ちゃんの一際強力な魔術が放たれ、一気に目的地までの道が切り開かれる。

 俺達の足元の地面を突き破って、そこから膨大な《瘴気》をまとった巨大な回虫が姿を現す。


 天を突くような巨体だった。

 その数は軽く十を超える。

 グレンも隊長もうまく初撃をかわすと、奴等の隙間を縫うようにすり抜けて、嬢ちゃんの作り出した道をひたすら前へと駆けていく。


 回虫型の魔物はそれを追おうとしたが、その前に、足を止めた俺が立ちはだかった。

 隊長と嬢ちゃんが俺の名を呼ぶのが聞こえるが、それもすぐに遠ざかっていく。

 ――魔物は、より近い距離にいる人間に向かう性質を持っている。数の多さも優先される要素だが、一人と四人であれば誤差のようなものだ。この場合、より近いほうに向かってくる。

 すなわち、俺が健在なうちは、こいつらがアベル達のところへ向かうことはない。

 いまだ休眠状態に陥ったままの周囲の魔物を吹き飛ばしながら、次々に地面の下から姿を現す回虫型を見上げて、笑う。


「今の俺は、いつもより少しばかり手強いぞ」


 腰に下げた剣を引き抜き、構える。

 全力で身体強化を掛けた。身体が軽くなる感覚とともに――全身から、青藍の輝き・・・・・があふれだす。

 目を見張った。

 闘気。初めての感覚。これまでと比較にならない力が身体の奥底から湧き上がってくるのを感じる。

 無意識に、口元に微笑が浮かんだ。


「なんだ、俺もなかなかやるじゃねえか。やっぱり、俺は天才だったな」


 絶望的な状況だというのに、ひどく楽しい気分になってくる。

 闘気を剣に集めて、迫りくる回虫型の群れに向ける。

 剣先から迸る青藍の輝きの中に、微かに銀色の光が混じっているのを見つけて、あいつとの繋がりがいまだ辛うじて残っていることに気づいた。

 それもやがては途切れるだろうが――。


「この期に及んで、無理しやがって」


 喉の奥から、笑い声が漏れた。

 気分が高揚する。

 その想いのままに、握った剣を振りかぶって、一閃。

 

 視界の全てが、青銀の輝きに満ちた。


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