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六節 それが運命だと言うのなら ① [イザーナ]

 魔王討伐のために王都を出発して、およそ二年。

 ついに私達は、目指していたものの姿を遠目に捉えることに成功する。


 目的地――すなわち、大地よりはるか高みにまでせり上がった《墳墓台地》と、その上でさらに天へと伸びていく《棺の塔》である。

 《墳墓台地》は円の形に隆起しており、その高さが相当なものであることは遠目からでも容易に察せられた。

 側面はまさに断崖絶壁という有様で、塔の周囲の一帯だけが完全に大地から隔絶されているのだ。

 そして《棺の塔》はその台地の中心に堂々と屹立していた。

 灰色の、石造りであると思しき塔は円柱の形状をしており、その天辺は遠く離れたこの位置からでも確認することができない。塔は半ばから雲海の中に隠れてしまい、全貌を把握することが困難だったからだ。


 冗談抜きに、天空まで届きかねないほどの高さを有した超高層巨大建造物。

 人の手であれを造るのは、おそらく不可能だろう。私達はその姿に、人類を超越した大いなる存在の痕跡を感じ取らずにはいられなかった。

 自分達が相手取ろうとしているのは、そういった人知を超えたものなのだと改めて思い知らされる。

 それだけの威容を、《墳墓台地》と《棺の塔》は放っていた。

 

 しかしなにも、私達は気圧されているばかりではなかった。

 目的の場所が見えたということは、永遠に続くかと思われた私達の旅もとうとう終わりを迎えるということでもあるのだ。

 これまでと異なり、私達の先には目指すべきたしかな目標がはっきりと見えているのだから、否応にも士気は上がる。 

 ――あそこに辿り着けさえすれば、ようやく私達は旅を終えることができる。

 その思いで私達は湧き立ち、長旅の精神的な疲れも吹き飛ぶようだった。


 けれど、その高揚もすぐに別の感情に取って代わられることになる。

 私達はその感情を、こう呼んでいる。

 絶望、と。



 



「――もはや、ここまで」


 そうガリオス様が判断を下したのは、私達が《墳墓台地》と《棺の塔》を視界に収めてから十日後のことだった。


 現在私達が布陣しているのは、目的地よりはるか後方に位置する岩山の麓。あの台地に辿り着くには、いまだ徒歩で五日ほどを要する場所だ。

 現在地から《墳墓台地》まで広がるのは茶褐色の荒野であり、時折転がっている岩石以外には障害物はほとんど存在しない。

 しかしその代わりに荒野を埋め尽くしているのは、数え切れぬほどの魔物の群れ。

 言葉の通り、ここから台地までの荒野、そのほとんど全ての地表が魔物の黒で染まっている。

 数万、数十万ではきかず、おそらくその総数は数百万体。

 私達の対処できる数を、完全に超えていた。

 すでに二日、一睡もすることなく戦い続けている。この戦闘の前も、そのさらに前も、数刻の休眠状態を挟んでやはり同じぐらいの時間を戦っていたのだ。

 

 ここにきて、あきらかに魔物の休眠時間が減少していた。

 以前であれば、激しい戦いのあとは少なくとも数日休眠状態に陥っていた。

 だが現在ではわずか数刻。たったそれだけの時間では休息をとるどころか、休眠状態の魔物を殺しきることさえできない。

 結果、魔物が活動を再開させると、前回の戦闘の残存戦力に新たに現出した増援が加わり、その数は減るどころか増加していってしまう。

 日を追うごとに、魔物の数が増え続けているというのが現状だった。

 

 私も極限魔術を何度も撃っているが、それでも追いつかない。マナも有限であり休息を挟まなければ十分に回復しない以上、好きなだけ放ち続けるというわけにもいかないのだ。

 というより、すでに私のマナは底をつきかけていた。極限魔術どころか、ごく簡単なものさえ満足に行使できない状態である。

 いつものように私とアベルの護衛についているフレイシアさんの胸に背中を預けて、なんとか倒れないようにしているので精一杯だった。

 

 アベルもまた、同様――いや、それ以上だった。

 戦闘中、彼は常に力を行使し続けなければならないのだ。勇者の力の源がなんであるのかを知ってしまった今では、その負担をただの疲労と捉えることはできなかった。

 文字通り、彼は身を削って私達に力を分け与えているのだ。たとえ魔王を倒せば命を永らえさせる術があるとはいえ、限りあるものをすり減らしながら力を使っていることにちがいはなく、それに対する苦痛や恐怖を感じないというわけでもない。


 力を使う度に、アベルの顔の死相は確実に色濃くなっていった。

 けれど、それでも彼が倒れることはない。

 地に突き立てた聖剣に縋りつつも、荒野でぶつかり合う人魔の波を、毅然とした面差しで見つめ続ける。


 ガリオス様が、戦況を見やって「もはや、これまで」と口にしたのは、ちょうど戦闘が始まって二日目の夕刻のことだった。

 それがなにを意味するのかわからず、場にいる人間は、みなガリオス様に視線を向ける。 


「ガリオス様、それは……?」


 真意を問うアベルを、ガリオス様は決然とした眼差しで見返した。


「少数の精鋭で、塔までの道のりを強引に突破する」

 

 その言葉に、誰もがハッとした。

 困惑の色を浮かべる者はひとりもいなかった。ついに、或いはやはり、といった表情でガリオス様を見つめる。


「魔物の増加に処理数が追いついておらぬ以上、現状を維持したとて状況が悪くなることはあれ、よくなることは決してない。なによりじきに兵達の限界が来る。アベル殿の《神秘》によって体力的な限界を取り払われても、その精神の疲弊までがなくなるわけではない。常人は、眠る必要がないからといって、永遠に戦い続けることなどできぬのだ」


 それを聞いて、アベルが視線を伏せるのが見えた。


「なによりも、アベル殿。御身が、もはや限界であろう?」

「――ッ」


 断定的な口調に、アベルが顔を上げて反論しようとした。

 けれど、嘘や誤魔化しを許さないといった厳しい眼差しを向けられ、開きかけた口を閉じた。

 血の気を完全に失った真っ白な顔を俯かせ、紫色の唇を噛みしめる。


「ならば少しでも余裕があるうちに、強行突破するほかない。勇者たるアベル殿さえ《棺の塔》に到達すれば、我々人類の勝利は確定したも同然なのだから」

「…………」

「突入を開始するのは、この戦闘が終了し奴等が休眠状態に入った瞬間だ。次に魔物が動きだすよりも前に、塔に辿り着くのだ」


 果たして、それが可能だろうか。

 ここより《墳墓台地》までは、徒歩でおよそ五日。ここ最近の例にならって魔物の休眠状態が数刻で終わるとして、仮に全力で疾走し続けることができたとしても、その間に到達するのは非常に難しいように思えた。

 だが、ここまできたら、やるしかないのだろう。


「ここより《墳墓台地》の麓までは、魔物の群れで埋め尽くされている。が、それを一々斬り捨て道を確保している暇などない。よって、一気に道を切り開くために大規模魔術が行使可能な魔術師の同行が必要になる。――イザーナ殿。この役目は貴殿にお願いしたい」


 ガリオス様の視線が、私に向けられる。

 有無を言わさない眼だったが、まあ、もとより断るつもりはない。アベルが行くというのならば、私だって意地でも付いていく。ひとり残るという選択肢など、私にあるわけがなかった。

 私は、こくりと頷いた。

 それを確認して頷き返したガリオス様は、次いで私の背のフレイシアさん、アベルのそばに控えたベイルさんと視線を移していく。


「アベル殿とイザーナ殿の他に、それぞれの護衛、運搬役としてお前達ふたりに加わってもらう。どちらも身体強化は上級まで使えたな?」


 問われて、フレイシアさんとベイルさんは頷いた。


「私が上級、騎士ベイルが最上級まで。騎士グレンを除けば、私達ふたりが団の中では最も長けております」

「よろしい。一行の露払い役としてグレンも同行させる。うまく使え」

「ハッ」


 ふたりの返事を聞いて、ガリオス様は再びアベルを見やる。

 

「それでよろしいな、アベル殿。この状況では他に手はない。いたずらに犠牲を増やすことは御身も望んでおらぬはずだ」


 顔を上げたアベルの眼差しとガリオス様のそれがぶつかる。

 アベルの表情は、ひどく苦しげだった。


「……しかし、私がこの場を離れ塔に向かえば、軍は聖剣の加護を受けられなくなります。それは、魔物に抗する一切の術を失うということです。もしもその状態で魔物の活動が再開されたなら」


 言葉の続きを、アベルは口にしなかった。しかし容易に想像できることだった。

 きっとそのときこの場には、酸鼻をきわめた恐ろしい光景が現出することだろう。

 聖剣の加護を失い、《神秘》による癒しもなくなった者達を待っているのは、抗うことすら不可能な数百万に及ぶ無敵の魔の群れなのだから。


「……ここに至って、そのような有様になってなお、御身は我らの身を案じるのか」


 悲痛に顔を歪めるアベルを目にして、ガリオス様がぼそりと呟く。

 厳しく引き締められたまま、その表情が変わることはなかったが、声や瞳には隠しきれない感情がにじんでいた。

 哀れみや、やるせなさ。そういった類のものだったように、思う。


「アベル殿。もし真に御身が我らの無事を願うのであれば、零れ落ちる命をひとつでも多く掬い上げたいと望むのであれば、疾く全ての元凶たる魔王を討ち滅ぼす以外に、もはや道は存在せぬ」


 苦しげな言葉だった。


「聞き分けよ、アベル殿。救われぬものを救わんと欲するのであれば、ただ前だけを目指し、一刻も早く魔王を討伐するのだ」


 そう告げられて、とうとうアベルは腹を括ったようだった。

 気を落ち着かせるように深く息を吸って吐き出すと、瞳を決意で満たしてガリオス様を見る。


「……わかりました。それが最善であり、結果的に多くの者を救うことになるのならば、従います。これまで共に旅してきた皆をひとりでも多く国元へ帰すために、魔王は必ずこの手で倒します。……どうかそれまで、ご無事で」


 その言葉を聞いて、周囲にホッとした雰囲気が広がる。

 当然、自分達の生命線であるアベルを送りだすことに不安を抱かないはずはない。もし勇者不在の間に魔物が活性化することがあれば、惨事は免れないのだから。

 しかしそれでもガリオス様の判断に肯定的なのは、皆もまたこの選択が全てを賭けるに値するものであると認めたからだろう。

 誰もが日々激しくなる戦いに、増え続ける魔物に、状況を打破する必要性を感じ取っていたのだ。

 そもそも魔王を滅ぼさないかぎり、私達に未来はないのだから。


 ゆえに、アベルの言葉に安堵する周囲の中で、ガリオス様だけがひどく苦い顔で彼を見つめていたことが不思議だった。

 自らの命を惜しむような人ではなかったはずなのに。

 そのことに、ほんの少しだけ違和感を覚えていた。






「戦闘中にこうやって休むってのも、なかなか落ち着かないもんだな」

 

 ずっと続いていた沈黙を破ったのは、ベイルさんのその言葉だった。

 その場にいた五人――すなわち私とアベルに、フレイシアさんとベイルさん、そらから騎士グレンの視線が声の主に集中する。


 現在、私達はひとつの天幕の中で一時的に休息をとっていた。

 戦闘が終わったわけではない。

 現在もなお戦いは継続中だが、私達はこのあとに控える重大な任務のために、戦列を離れて英気を養う機会を与えられていた。

 もっとも、


「しかも、肝心要のアベルが休めていない状況で俺達だけが憩うってのもな」

「……気にしないで下さい、ベイルさん。こうしてお腹いっぱい食べて横になっているだけでも、負担は大分軽減されてますから」


 アベルだけは完全に休むというわけにはいかなかった。

 今も戦い続ける兵達のために、聖剣の力を使い続ける必要があったからだ。

 ただ、さすがに《神秘》の行使のほうは控えていたし、聖剣の加護も必要最小限に留めていたが。


 そんなアベルは今、私の膝を枕にしてその身体を横たわらせていた。

 聖剣は鞘におさめたまま胸に抱えているが、きちんと起動している証に、今この瞬間も鞘を透過して淡い銀光を周囲に振りまいている。

 

 最初、アベルはこの姿勢を嫌がった。というより自分は大丈夫だと言い張って天幕の内で休もうとしなかったため、私が無理矢理に引っ張り込んでこの状態に持っていったのだ。

 あまりに頑固な彼に頭にきて、勢いで膝枕をしてしまったのだけれど、恥ずかしさはあっても後悔はしていなかった。

 こうやって拘束していないと、アベルはすぐにでも外に出ていきそうだったからだ。

 非力な私の力に、ろくに抗うこともできないほど弱っているというのに。


「それよりもベイルさん達のほうこそ……今のうちに少しでも休息を取っておいてください。塔までの道のりを突破できるかは、イザーナと皆さんの力に掛かっているわけですから。……予想外のことも、起きるかもしれませんし」


 私の膝に頭を乗せたままアベルは声を掛けるが、やはりそこに力は感じられなかった。

 弱々しく、震えている。


「わかっているさ。現に、こうしてきちんと休んでいるだろう?」


 アベルの言葉に応えたのはフレイシアさんだ。

 彼女は、私とアベルから少し離れたところで片膝を立てて座っていた。今は鎧も外しており、楽な格好をしている。


「それで休めているんですか?」

「ああ。横になって一度身体が本格的な休息状態になると、そこから戦闘時の動きを取り戻すのに時間がかかってしまう。だからこの程度に寛いでいるほうが、逆に動きは鈍くならないのさ」


 私の問いかけに、フレイシアさんはそんな説明をしてくれる。なるほど、とアベルとふたりして頷いた。


「えっと、それじゃあ……騎士グレンも、それで休んでいるんですね?」


 私は、ちらと視線を天幕の端――私達からずいぶんと距離を取った位置でひとり座している彼に向けた。

 騎士グレンは胡座を掻き、背筋をピンと伸ばし、両手をそれぞれの膝の上にのせた姿勢で、静かに瞑目している。

 先ほどから、その姿勢のままぴくりともしていなかった。

 寝ているのかとも思ったが、どうもそういう感じでもない。

 現に私の言葉にぴくりと瞼を動かした彼は、うっすら目を見開くと、感情の窺えない視線をこちらに向けてきた。


「……無論。こうしてマナを体内で循環させることで、心身の疲労を軽減させつつ、負担にならない程度にゆっくりと賦活させているのです」 


 その原理はよく理解できないが、おそらく騎士が行使するマナを用いた身体強化の一種なのだろう。魔術にはそのような己の肉体に直接作用させる類の術は存在していないため、興味深くはあるが、今はそれを追求する場面でもない。

 便利な術もあるものだと、ひとまず納得しておく。


「それって、ふたりも使えるんですか?」


 私がフレイシアさんとベイルさんに訊ねると、ふたりは苦笑して首を横に振った。


「そんな器用なマネができるのは、団長とそいつぐらいだよ。俺もそれなりに使えるが、ふたりほど細かいマナの操作は到底無理だ」

「……最上級の身体強化を行使可能な騎士ベイルであれば、これの修得もさほど難しくはないでしょう?」


 わずかに眉を顰めて言葉を返す騎士グレンに、ベイルさんは呆れ顔で溜め息を吐いた。


「買いかぶりすぎだ。前にも言ったことがあると思うが、騎士グレン。俺達普通の人間はな、お前達親子ほどの才能があるわけじゃないんだよ。自分が容易にできるからといって、他人もそうであると勘違いするな。お前達親子は、一握りの特別なんだ。――それこそ、そこのアベルと同じようにな」 


 吐き捨てるようにそう言ったベイルさんの口元には、自嘲にも似た笑みが浮かんでいた。

 この人が、こうした負の感情を見せるのは珍しいことで、私は目を丸くしてしまう。

 それに気づいたのか、口をひん曲げた彼は頭をがしがしと乱暴に掻いてから、自嘲を苦笑へと変える。


「少し、言葉が過ぎたか」

「いえ。ご忠言、ありがたく頂戴します。たしかに、これは私の悪い癖です」


 とくに気分を害した様子もなく、騎士グレンは小さく頭を下げた。

 その素直な様子を、意外に思ってしまう。アベルに対する態度とは、大違いだったからだ。

 騎士グレンのアベルへの態度は、いつも当たりが強いというか、なにか含みがあるのだ。性格が合わないという感じではなく、単なる好き嫌いの問題というわけでもなさそうで、いつも不思議に思っていた。

 

「……ベイルさんが素の感情を露わにするなんて、珍しいですね。明日は、槍でも降るんでしょうか」

「ぬかせ、アベル。んなもん、隊長の魔術ならやろうと思えばできるんだから、珍しくもなんともねえよ。俺が未熟を晒すのだって、今に限ったことじゃない」

 

 ベイルさんの気まずげな雰囲気を悟ってか、アベルは無理しているのが丸わかりの笑みを作って、からかいの言葉を掛ける。その気遣いを汲み取って、ベイルさんはいつもようにおどけた笑いを見せた。


「む。たしかに、やろうと思えばできるがな。雨あられと降らせては、私のマナなどすぐに底をついてしまうさ。細かな狙いをつけることもできんだろうから、効率も悪すぎる。やれても、やらんよ」

「いやいや、隊長、たとえばの話ですよ」


 そうやって三人が他愛のない会話を交わすのを聞きながら、私は再び黙り込んでしまった騎士グレンの様子を横目で窺う。

 彼は、無表情のままじっと私の膝上のアベルを見つめていた。

 ――いや、正確に言うならばアベルの抱える聖剣を、だろうか。

 その目に不穏なものを感じて思わず凝視すると、視線に気づいた騎士グレンは気まずげな表情を浮かべて、顔を逸らした。


 胸騒ぎがした。

 なにかよくないことが起きるような、そんな予感があった。

 けれどそれがなんなのか、結局、そのとき・・・・まで明確な形を成すことはなかったのだ。


 私はなにもわかっていなかった。

 フレイシアさんやベイルさんと会話を交わすアベルの声に、顔に、隠しきれない影が差していた理由も。

 騎士ベイルの視線に込められたものの本当の意味も、気づけなかったのだ。

 

 全てが手遅れになってしまう、その瞬間まで。




 それから半日経過したのち。

 魔物の動きが停止し、休眠状態に入った。

 ――私達の最後の戦いが、始まる。


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