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五節 約束はこの胸に ① [イザーナ]

 人と魔の戦いは、長き時に渡って繰り広げられる。

 一度二度、数日戦った程度で終わる簡単なものではなかった。

 そもそも、魔王の尖兵でしかない魔物をどれだけ殺したところで、戦そのものを終わらせることは決してできない。

 魔王によって生み出される魔物の数には、限りがないからだ。


 魔王は人の生む悪心より、そのしもべたる魔を創りだすと言われている。

 人は完全たる神とは異なり、生まれくればやがて死にゆく、決して永遠には至ることができない不完全な存在である。

 不完全であるがゆえ、天が望み与えられた善とともに、決して望まれぬ悪を併せ持って生まれくる。

 つまり人が人である以上、悪とは不可分の要素であり、この世から悪が消えてなくなることは決してないのだ。

 そのため、資源的な制約を受けることがない魔王は、時間ごとに生産できる最大数には上限があるものの、時間さえ許せば魔物を無限に生みすことが可能になる。


 それを止める手段はたったひとつしかない。

 すなわち、魔の母胎である魔王を討ち滅ぼすことだ。

 しかし魔王は、魔王領の遥か奥地、険しい山々をいくつも越えた先にある《墳墓台地》、そこにそびえる《棺の塔》にこもり、決して外に出てくることがない。

 人間が魔王を倒すためには、まずその地まで辿り着かなければならなかった。


 ただ登るだけでも一月以上時間を要する火山、雪山。底なしの沼がいくつも点在する湿地帯。対岸が見えぬほど幅広く深い大河。水の一滴も存在しない砂の大地。

 私達は、それら全てを踏破していかねばならない。

 加えて、ただ進むだけでも過酷な道程には魔物の襲撃も相次ぐ。

 ――現在のところは、絶え間なく襲いかかってくるというわけではなかったが。


 魔物の活動は、魔王の意識状態と直結していると言われている。

 開戦当初の魔王は、完全に覚醒したといっても本来の力を取り戻したわけではなく、完全体に至るために不定期に休眠状態に陥るのだそうだ。

 すると魔物もまた活動を停止するため、現在の私達はその隙に魔物を駆逐して、休息を取り、また出発する――といった形で足を先へ進めてきた。

 ただ、その進みはどうしてもゆっくりとしたものにならざるを得ない。


 魔物の襲撃に自然の脅威、それらふたつに加えて、後方との補給線を維持する必要もあったからだ。

 魔王領が生命の存在しない死の地である以上、現地で食糧を調達することは困難を極める。よって、その補給は必然的に人類領域からのものに頼らなければならなかった。

 文字通り、兵站線は私達の生命線であるのだ。

 それを維持するためには、魔物が後方に流れないよう、討ち漏らしがないよう慎重にかつ確実に進んでいく必要があり、進軍速度はどうしてもゆっくりとしたものにならざるを得なかった。

 もっとも魔物は基本的により近い距離にいる人間、より大きな集団に向かってくる性質があるため、大集団の私達が先陣をきっている以上、そのような事態になる可能性は極小だろうが。


 私達がそうやって時間を掛けて着実に進んでゆくしかない一方で、魔王は時間が経過すればするほど力を取り戻していき、比例して魔物の生産量、活動時間も増えていく。

 魔王が完全状態になると、一秒ごとに増殖していく魔物がひと時も絶えることなく延々と襲いくる絶望的な状況になるらしい。

 そうなっては挽回することはほぼ不可能になってしまうため、私達は確実に魔物を殲滅しつつも、より迅速に、最悪の事態になる前に魔王の居場所まで辿り着く必要があった。

 この戦は、最終的には時間との戦いになるのだ。


 以前の勇者の中には、軍勢を以ってゆっくりと、しかし確実に歩みをすすめることを嫌って、少数精鋭で魔王領を突破しようとした者もいたらしい。

 しかし奥地に進めば進むほど魔物の数は増加し、自然の脅威は険しくなり、食糧は不足し、結果として長い道のりの一割も進まないうちに引き返してきたそうだ。

 勇者がどれだけ驚異的な力を有していようと、その身が人である以上、個で挑むには限界があったのだ。


 ――だから、私達もまた逸る心をおさえて、日々着実にその足を進めていた。

 気づけば、あの初めての戦よりも一年以上が経っていた。

 徐々に厳しくなっていく戦況に、《聖勇者》の力をもってしても犠牲を皆無にすることはできず、引き連れた兵はじりじりとその数を減らしている。 

 しかしそれでも、いまだ士気を衰えさせることなく、致命的な状況を迎えることもなく、あの日からずっと人類は勝利し続けていた。


 一月前にようやく成人の年齢に達した私とアベルは、そんな日々を精一杯に生きていた。


 

 



「冷たくて、気持ちいい……。足の疲れが楽になった気がする」

「この一帯は日差しが強くて、気温も高いからね。ここで一息つくことができてよかったよ」


 砂漠の真ん中に現れた広大な湖。

 端が霞んでみえるほどの広さを持つその水辺で、現在私達は大休止中だった。


 湖の縁に並んで腰掛けた私とアベルは、素足を水の中に浸して、その冷たさをじっくりと楽しんでいた。

 疲労で熱をもったふくらはぎに、ひんやりとした冷たさが気持ちいい。

 同じようにあたりでは兵達が思い思いに休息をとっており、中には薄着になって湖に飛び込み泳ぎ回る人もいた。

 その中に一際はしゃいだ様子を見せる男性がいて、そのあまりの羽目の外しっぷりを呆れた思いで見ていたが、よくよく観察すればそれが見覚えのある人物だと気づく。


 騎士ベイル・アーリオン。ベイルさんである。

 そこそこ位の高い家の出だという話なのに、あの人はいったいなにをやっているのだろう。

 相変わらず、らしくない人だ。

 しかし、ああいった偉ぶらず、飾らない気さくなところが平民出身の兵士には好評らしく、慕う人も多いという話だ。 

 まあ、付き合いやすい人だとは、私も思うけれど。


「それにしても、砂漠では貴重な水場だっていうのに、寂しい光景だね」


 声に、視線を隣のアベルに向ける。

 彼は湖の周囲を見回していた。

 

「陸上の動物どころか野鳥すらも見当たらないし、それどころか相変わらず植物の一本も生えていない」

「お魚の姿も、ないよ。底がはっきり見えるぐらい透きとおってきれいなのに……不思議」


 水中に浸した足を揺らして、水面を覗き込む。

 濁りは一切見えない。舞い上がる泥すらなかった。

 底にはひどく細かな砂利だけが沈んでおり、それがずっと向こうまで続いている。


「きっと、生命の存在しない魔王領だからこそ、なんだろうね。水を濁すものがないから、きれいで澄んだままなんだと思うよ」

「……でも、なんだかきれいすぎて、ちょっと怖い気もする。なんでだろう?」


 汚れの存在しない無垢。

 それはある種、神聖であると言い表してもよいものなのに。 


「きれいすぎる世界では、僕達は生きていけないから。清らかすぎてあらゆる不純を許さないから、外から持ち込まれた雑菌――微細な生物も生きていくことができず、すぐに死に絶えてしまうんだろうね。結局のところ、やっぱりこの地は僕たち生あるものにとっては死の世界なんだよ」

  

 アベルは、周囲に広がる砂の大地を、雲ひとつ存在しない蒼天を見て、言う。

 その顔に浮かぶのは、寂しげな表情。


「僕たち人は、きれいなものに憧れて、近づこうとして、けれどなにかを妬まずにはいられない。恨んで、憎んで、悲しんで……きれいなものだけを抱えて生きていくことなんてできないんだ。汚いからといってそれを切り捨てようとするなら、同時に人であることもまた切り捨てなければいけないから」


 その言葉を聞いて。

 思ったのは、アベルという人のこと。

 自分の中で一番にきれいなものを挙げてみろと言われれば、私は彼の名を口にするだろう。

 

 彼は、きれいなものだった。

 憧れずにはいられないものだった。

 けれど、真っ白な人ではなかった。瑕疵がひとつも存在しない完璧な人ではなかった。

 傷つくこともあったし、迷うこともあったし、悲しむこともあったのだ。

 

 ――でも、もうずっと彼のそんな姿を目にしていない気がする。

 勇者となったあの日から、彼がそのような素振りを見せたことはほとんどなかったように思う。


「…………」

 

 なにか。

 なにか、とても恐ろしいことが起きているような。

 気づいていなかったこと。

 気づいてはいけなかったこと。

 今更になって、思う。


 勇者として在る彼は、あまりにも完璧にすぎるのではないだろうか。

 人々のために尽くし、導き、希望をもたらす。

 《聖勇者》は、人々が望む勇者そのものだった。

 まるで皆の願いがそのまま形になったかのような。

 

『本当に、君は民の望む勇者という偶像をそのまま形にしたような人間だねえ』

『君達は、いつもそうだ。そうやって、我々を理解しようとしない。勇者は、人の心を切り捨てる』


 この戦が始まるよりも前、聖代神殿長の口にしていた言葉が蘇る。

 あのとき、私は心の中でたしかに否定したはずだった。

 アベルはまちがいなくアベルだったし、人でなしなんかでは決してなかったから、そんなものは言いがかりにすぎないと。

 

 でも、彼のあまりに勇者然とした姿を間近でずっと見続けているうちに、私の胸の中には言葉にはできないモヤモヤとしたものが溜まっていった。

 彼がそう在るのは当然だというのに。

 彼は、勇者となった。

 勇者となったのだから、その使命を果たそうと一生懸命になるのは当たり前のことだ。

 そこにまちがいなんてあろうはずもない。

 

 しかし、今彼の言葉を聞いて、思った。思ってしまった。

 アベルは勇者となったけれど――では、勇者とは人なのだろうか、と。

 勇者になるというのは、なにか、人とは別のなにかになってしまうことを指すのではないか、と。


 ――バカバカしい。


 そんなのは、私の勝手な妄想だ。旅の疲れで、妙な考えが湧いて出ただけにすぎない。

 頭ではそうわかっているのに、感情が納得しきれていなかった。

 不安な気持ちを振り払うことができず、思わず縋るような目をアベルに向けてしまう。 


「ん……? え、ど、どうしたの? お腹痛くなった? 大丈夫? 擦ってあげようか?」


 視線に気づいた彼は私の顔を見るなり、なにを読み取ったのか、途端に落ち着きを失くしてあたふたとしはじめた。

 そして実際にこちらのお腹のあたりに手を伸ばそうとして、しかし触れる寸前で止める。

 改まって私の全身をまじまじと見やると、困ったように笑った。


「あ、いや、この歳になってそれはマズいよね。もうイザーナも小さな子供じゃないんだし……立派な女の子だもんね」

「……本当に、そう思う?」

「もちろん。もう気軽に抱っこしたりもできないよね」

「な、なにいってるの! もう何年もそんなことしてないでしょ! 大体、この歳になってね、ちょっとお腹が痛くなったぐらいでアベルに泣きついたりしないよ」


 恥ずかしさで、頬が熱を帯びるのがわかった。

 照れ隠しのためにこちらに伸ばされた手の平を雑にぺちりと叩くと、アベルは手を引っ込めて「あはは」と楽しげな笑い声を上げた。

 その顔には、屈託のない笑みが浮かんでいる。

 《聖勇者》としてふるまっているときとは、まったく異なる顔つき。

 かつての、いつもの、アベルの笑顔。

 それを目にして、胸中に巣食っていたものがすっと外に抜け出ていくのを感じた。

 

 アベルは、アベルだ。

 私の幼馴染で、兄のような人で、でも決して兄ではない男の子。

 彼は、たしかにここにいた。


 沈んでいた気持ちが、ぐんと上向きになる。


「どうかなあ、イザーナは泣き虫だからね。転んだだけで、すぐ泣きついてくるし」

「もう! だからそれは昔の話でしょ! そうやって結局いつも子供扱いしようとするんだから!」

 

 怒ったりをした私は、足をバタつかせて水を彼に飛ばす。

 それを顔に受けた彼は、悪戯めいた笑みを浮かべると、同じようにして反撃してきた。


「つめたっ! このぉ!」

「うーん、わかりやすい攻撃だ」

「ズルい! 避けないでよ!」

「濡れ鼠になるのはごめんだからね」 

「くぬぅ!」

「あははは!」


 その戯れは、結局お互いがびしょ濡れになるまで続いた。

 私もアベルも、久しぶりになにもかもを忘れて笑うことができたと思う。

 周囲の大人の微笑ましげな視線も気にならないほど、お互いのことだけに夢中になっていた。

 魔王を倒すための辛く厳しい旅の途中でありながら、このひと時だけは、私達はたしかに、幸せだったのだ。



 


 

「まったく、ベイルだけならまだしも、お前たちまでそんなになるまではしゃいで……」

 

 一時的に魔術で生み出した炎にあたりながら、私とアベルは目前に立つフレイシアさんからお小言を受けていた。

 私達の身体をすっぽりと覆っているのは、普段寝床代わりにしている大きな敷布で、先ほどまで着ていた服は炎のそばで乾燥させているところだった。

 着替えは湖に着くなり全て洗濯してしまっていたので、他に羽織るものがなかったのだ。


 アベルは自分は男なんだから別に肌を晒したままでも、と口にしてたが、無理矢理フレイシアさんから布を被らされていた。

 魔王領の砂漠地帯は大陸南部に存在する熱帯の砂漠とは異なり、気温がそれほど高くならない。そのため、さすがに裸のままだと身体が冷えてしまうからという理由だったが、まあ、実際のところは彼の裸が目に毒だったからだと思う。

 頬がうっすらと赤くなっているのを、私は見逃していなかった。

 

「すみません。つい、夢中になってしまって」

「ごめんなさーい」


 フレイシアさんのお小言に対して私達がそれぞれ謝罪を口にすると、なぜか彼女は私のほうを見て、呆れ顔になる。


「イザーナ……そのようにふて腐れたような顔を見せるのはやめないか。みっともない。幼子ではなく一人前の淑女として扱ってほしいのであれば、相応の振る舞いを心がけよ」


 彼女の言葉に痛いところを突かれて、私はうっと言葉に詰まってしまう。


「……なんだか、フレイシアさんって最近やたらと口うるさくなりましたよね。それに、そもそもフレイシアさん自身が淑女らしい振る舞いなんて投げ捨ててるのに」

「私は、騎士だからな。女である自分など、叙任されたときより捨てている。一生涯を国のため、民のために捧げると誓いを立てた私を例に挙げても意味はない」


 そう言って、フレイシアさんはなんでもないように笑うけれど、その顔はどことなく寂しげにも見えた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつものように騎士然とした、凛々しい顔つきに戻る。

 そして、ちら、と一瞬アベルに視線をやってから


「だが、お前はちがうのだろう?」


 口元を意地悪げに歪めて、そんなことを言ってくる。

 

「……むう」

「いい機会だから伝えておくが、この戦を無事に終えたなら、私はお前を実家――リインクス侯爵家に養子として迎え入れようかと思っている」

「え?」


 突然の話に、私は目を丸くする。

 アベルも、驚いているようだった。


「この戦でお前はその実力を示し、名を馳せた。容姿も申し分なく、名実ともにお前は当代随一の魔術師と言ってもいいだろう。お前を当家へ迎えたとしても、表立って不満を口にする輩はおるまい。……以前に約束しただろう? 後ろ盾になってやると」

 

 言われて、いつかの庭園で交わした会話を思いだす。

 てっきり、私は口利きしてくれるとか、その程度だと思っていた。

 それがまさか、養子にする、なんて。


「あの、ということは、私はフレイシアさんの……妹になるってことですか?」

「うむ。まあ、形式上のことではあるが。それで実際のご両親との関係がなくなるわけでもない」

「…………」


 なんとなく、黙り込んでしまう。

 妹。姉……姉、か。

 兄のような人ならいたけれど、姉のような人がいたことは、これまで一度もなかった。

 いきなりのことだったから、その提案をどう受け取ったらよいかわからず、反射的にアベルを見る。

 彼はニコニコと、とてもうれしそうな顔で私達を眺めていた。

 視線が合う。


「いい話じゃないか。どの道、魔術師としてあれだけの才覚を見せたイザーナは、そういうお誘いの声はひっきりなしに掛かるだろうから、虫よけのためにもお世話になったらいいと思うよ。フレイシアさんが生まれ育った家なら、きっと信頼もできるし」


 アベルの言葉に、フレイシアさんの頬が赤みを帯びる。

 遠回しに褒められたことに気づいたのだろう。なにか言いたげに口元をもごもごと動かしたあと、ふいっとあらぬほうに顔を背けた。


「…………」

「……なんだ、イザーナ。なにを見ている?」

「あれだけで、照れてるんですか?」

「別に、照れてなどいない。お前の気のせいだろう」

「へー」

「……ふん」


 拗ねたような顔つきで鼻を鳴らすフレイシアさんの姿に、なんだか気が抜けてしまって、私はくすりと笑う。

 安堵が、胸の中に広がっていく。

 そもそも、今こうして羽目を外したところをお説教されたり、天幕では隣り合って一緒に寝たり、毎朝叩き起こされたりと、この旅の間フレイシアさんには散々世話を焼かれていた。

 たぶん、それは世間一般で言うところの姉妹とほとんど変わらない距離感、関係だったように思う。

 呼び方だって、いつの間にか様付けから今のように変わっていた。

 けれど咎められるどころか、嫌な顔をされることだって一度もなかった。むしろ、心なしかうれしそうにしていたと思う。


「それで、どうなんだ? リインクス家に来るか?」

 

 改めて、フレイシアさんが訊ねてきた。

 私に向けられたその顔はすでにいつもと変わりなかったが、わずかばかり緊張しているようにも見える。

 またアベルに目を向ければ、彼は微笑みながら小さく頷いた。


 ……うん。

 フレイシアさんの目を見上げて、私は口を開く。 


「わかりました。ありがたく、お受けします。よろしくお願いしますね」


 私の言葉を聞いて、彼女は「むふん」と満足そうに、ホッとしたように頷いた。


「そうか。うむ、まあ、当然だな。というか、そもそもすでに家には話を通してあるから、今更なかったことにはできなかったわけだが」

「え?」

「いや、これで一安心だ!」


 屈み込んで私の肩をバンバンと強く叩くフレイシアさんは、すぐに立ち上がるとそのままどこかへ歩き去っていく。


「え、ちょ、あの」

「昼食にしよう! 食糧を取ってくるから、そこで待っていろ!」

  

 振り返らず告げて、彼女の姿はあっという間に他の兵の間に紛れて見えなくなる。

 あんぐりと口を開けてそれを見送っていると、隣でくすくすと笑う声が聞こえた。


「事実は事実なんだろうけど、きっとあれも照れ隠しだよ。素直じゃないし、不器用な人だから、いざとなったらどういった態度を取っていいかわからなくなっちゃったんだろうね」

 

 アベルの言葉に、私はむう、と口を膨らませる。

 だからといって、あの誤魔化し方はないんじゃないだろうか。

 まあ、らしいと言えばらしいと言えるのだけれど。

 村を立ってから、もう三年近くの付き合いになるのだから、あの人がそういう人だということはわかっていた。

 まったくもう、と口を尖らせていると、フレイシアさんが去っていったのとは逆――湖のほうから、人が数人歩いてくるのが見えた。 


「おっ、ちょうどいいところに。俺達も一緒にあったまらせてくれよ」


 ベイルさんと、彼を慕っているらしい年嵩の平民兵士の五人組だった。

 全員上半身は裸で、髪の毛からはたくさん水を滴らせている。ちょうど、湖から上がってきたところなのだろう。

 彼はこちらが承諾するよりも前に、どかりと炎の前――私とアベルの向かい側に座り込み、陣取ってしまう。

 それを見て、後ろの兵士が顔を見合わせて苦笑する。


「騎士ベイル、さすがにその態度はどうなんです? 仮にも勇者殿と魔術姫殿の前ですよ」

「細かいことはいいんだよ。んなこと気にするような器の小さいやつじゃないしな。だろ? アベルにイザーナ嬢ちゃん」


 兵士に面倒そうに答えたベイルさんは、私達に訊いてくる。


「まあ、僕は構いませんけどね。この炎を創りだしているのはイザーナで、僕もそのおこぼれに預かっているだけですから」

「私も、別にいいですけど……もっと、こう、頼み方っていうの、あるんじゃないですか?」

「ん? なんだ、嬢ちゃんは不満そうだな。……そうか、あれだな、愛しのアベルとふたりきりのところを邪魔されたから怒って――」

「もーっ! だから、そういうところが駄目なんですよベイルさんは!」

 

 私が声を張り上げると、彼は「おお怖い怖い」とおどけたように肩を竦める。

 その態度があまりにもこちらを馬鹿にしているものだったから、なおさら腹が立つ。

 

「まあまあ魔術姫殿。もし本当にお邪魔であれば我らは退散しますが、このまま席をともにしても構いませんか?」

「だから、別にそんなんじゃないって言ってるのに……どうぞ、身体を温めていってください。あと、恥ずかしいのでその名では呼ばないでください」

「いやこれは失礼。みながそう呼ぶものですからな。では、イザーナ殿。我々もありがたくご一緒させていただくとします」


 総勢七名に増えて、皆で炎を囲む。

 少しあとになって食糧を手に戻ってきたフレイシアさんも加わって、私達は変わり映えしない保存食ばかりの食事を分け合いながら、たくさんの話をした。

 話題は、ベイルさんの過去の女性遍歴や武勇伝、それぞれの故郷のこと、私とアベルの村での生活など多岐に渡った。

 アベルに対する彼らの態度は、旅を始めたときに比べると、ずいぶんとくだけたものになっていた。

 当初は、彼のあまりにも英雄然とした戦姿を見せつけられ、誰もが近寄りがたい思いを抱いて遠巻きにしていた。

 彼が奇跡を顕したあとの、故郷の村人のように。


 それを変えたのがベイルさんだった。

 意図してかそうでないのか、彼は兵士や騎士の前でも平然といつもの態度で接していた。

 いつもの――つまり、勇者ではなくただの少年に対するような気安い態度を。

 弟と兄、或いは伯父と甥のように親しげに会話を交わす彼らを見ているうちに、次第に他の人達の態度もやわらかなものに変化していった。

 今では、気軽に声を掛けたり掛けられたりできるぐらいには、近い距離感になっていた。


 アベルは彼らの旗頭であり、導き手であり、守護者であり――仲間だった。

 魔王領の奥地に進めば進むほど、旅が辛く厳しいものになればなるほど、私達は彼を中心にまとまり、結束していった。

 やっぱり、アベルはすごいと思う。

 大きな人なんだな、と思う。

 でも、幼き日のように決して手が届くことがない、遠い人だとは思わない。


 今私は、たしかに彼の隣に立っていて。

 一緒に、いるのだから。


「…………」


 腰を少し浮かせて、座る位置を調整する。

 心なし、彼との距離が近づくように。

 彼の体温を感じるところへ。

 

 それに気づいた彼が、ちらとこちらに視線を向ける。

 私がそれに気づかないふりをして、真っ直ぐ前を、ただ炎の赤だけを見つめていると、彼は小さく笑ったようだった。

 軽く、頭を撫でられた。

 またそうやって子供扱いする、と思うけれど、本当は嫌ではなかった。

 彼のあたたかい手の平で頭を撫でられると、とても安心するから。

 でも悔しいから、彼には言ってやらないのだ。


 そんなふうに思っていると、隣でくすり、とまた笑う声がした。

 まるで意地を張っている自分の気持ちを見透かされたように感じて、恥ずかしい気分になる。

 余計に、彼のほうを見れなくなってしまった。

 ただひたすらに炎だけに目を向けていると、ふと、周囲の話し声が止まっていることに気づく。


 疑問に思って視線を巡らせると、大人達は皆、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、私とアベルを見ていた。

 その視線の意味を察して、一瞬で、私の頬は火照りを帯びる。

 

「もうっ、なんですか! なんなんですか、あなた達はいつもそうやって!」


 私の怒声に、彼らは大笑いして、どうしてかアベルも一緒になって笑いだして。

 私がまた食って掛かって。

 そんなふうにして、私達の時間は過ぎていくのだった。






 ――魔物の大規模な襲撃があったのは、その日の夜のことだ。

 

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