ラストドライブ
僕の彼女は誰よりも美しい。
透き通るような白い肌に大きくて潤んだ瞳。
唇は色っぽくて、話をしている時や食事中はいつも口元に注目していた。
付き合いはじめは、僕の熱い視線を彼女は恥ずかしいと嫌がっていたが、今は諦めている。
僕が彼女の言う事を聞かないからだ。
彼女の美しさは顔だけではない。
か細い腕にはマネキンのように長い指がついていて、背はさほど高くもないのに胴よりも脚の方が長かった。
特にワンピース姿はなんとも言えない脚線美を披露していたが、僕だけのものにしたかったので外出ではスカートを禁止した。
一緒に買い物に行くと、彼女が服を試着するたびに僕は誇らしかった。
そのため、僕は彼女に必要以上の試着を強要する。
僕だけのファッションショーだ。
彼女を目にした人達は、自分の姿が惨めになってしまわないかと心配までしていた。
彼女と出会ったのは運命だと思っている。
僕は彼女に一目惚れをした。
きっと僕だけではない。
彼女と出会った男性は皆、彼女に一目惚れしているのではないだろうか。
こんなに美しい女性なのだから、きっと恋人がいるに違いないと決めつけていた。
ただ彼女を目で追うだけで、僕の人生はそのまま終わるのだろうと思っていたのだ。
ところが、彼女には恋人がいなかった。
男性と話をする事が苦手なようで、いつも女友達と行動していた。
ある日、珍しく彼女が男と一緒にいるのを目撃した。
その男は彼女の細い腕を掴み、彼女はそれを嫌がっている様子だった。
僕はとっさに彼女の元へと駆け寄っていた。
彼女も僕の存在に気付いたようで、パッと明るい表情になった。
僕たちは直接の知り合いではなかったが、顔を合わせる機会が多かった。
顔見知りとでも言うのだろうか。
男が彼女の視線の先を辿り、僕の存在に気付く。
男は悔しそうにその場を去ると、彼女がペコリと頭を下げた。
僕だけに向けた笑顔だ。
その日から少しずつ会話を交わすようになり、今では彼女にとって僕は特別な存在へと変わったのだ。
「寒くない?」
僕は彼女に声をかけた。
彼女は昨日の喧嘩を根に持っているのか、黙ったまま外の景色を見つめていた。
「昨日はごめん。僕が悪かったと思う。でも、君が最初に……」
途中でやめた。
これでは仲直りなんて出来ないと思ったからだ。
しばらく車を走らせると、有料道路の料金所が見えてきた。
僕の車にはETCというハイテクな機械は無かった為、ここで一旦停止をして料金を支払った。
前の車に続き、僕の車が係りの人の前に停止した。
「450円です」
そう言って係りの人の動きが止まる。
彼女の美しさに度肝を抜かれた様子だった。
ここまでくる間、何度もこの係りの人のように彼女に見とれる人を見た。
無理もない。
彼女はそれほどにも美しい。
僕は450円を係りの人に手渡すと車を発進させた。
ミラー越しにその人が僕の車を見つめているのを感じる。
車を飛ばすと彼女は少しだけ不安そうな表情になった。
「大丈夫だよ。」
僕は彼女の手を握った。
彼女の手は冷たく氷のようだった。
「やっぱり寒いんでしょ?」
そう言って僕は、彼女の為に暖房を強くした。
僕がどんなに気を遣っても、彼女のご機嫌は直りそうも無かった。
僕は彼女との思い出話を始めた。
幸せだった思い出話をすれば、彼女も少しは笑顔になるのではないかと考えたからだ。
「そういえば、今年の夏に行った海は綺麗だったね。去年の海とは全然比べものにならないくらいだったよね。」
彼女からは返事はなかったが、僕は海での出来事を思い出してクスクスと笑った。
「日焼け止め塗ったのに焼けちゃって、君は少し黒い肌になっていたけど…。」
今年の夏は異常な日差しだったから無理もない。
だけど、色白で透き通るような肌を焦がしてしまったのは残念でたまらなかった。
「あっという間に冬が来るね…」
僕は今までのことを思い返して切なくなった。
寒くなると急に人肌が恋しくなるのは僕だけなのだろうか?
隣にいる無言の彼女の手を握る。
「ごめん。殴ったりして。痛かっただろ?本当にごめん。」
僕がどんなに謝っても彼女は僕を見てくれそうもなかった。
「君が部屋の荷物をまとめてるのを見たら怖くなったんだ。本当に君が僕から離れてしまうんじゃないか……って。」
彼女が少しだけ悲しそうな表情をした。
もしかしたら涙を堪えているのかもしれない。
「もうすぐあの場所に着くよ。前はよく来たよね、夜景を見に。」
僕は彼女が涙を流さないよう明るい話をしようと記憶を蘇らせた。
免許を取ってからあんまり運転をしなかった僕だけど、彼女が出来て一番行きたかったのが夜景ドライブだった。
雑誌やネットで情報を集めて、下手な運転で何度も夜景を見にドライブした。
家から少し離れているから大変だったけど、彼女が『綺麗』と感激していた横顔が忘れられなくて、僕は毎回緊張しながらもハンドルを握っていたんだ。
僕は大きな道路から薄暗い細い道へと右折した。
あと少しで目的地に着く。
大きい道路から夜景の見えるポイントまでは暗く細いのぼり坂が続く。
彼女はその暗い道が苦手で、明るい話をしようといつも一生懸命だった。
でも、今日は違う。
彼女は黙ったままだ。
「怖くない?」
そんな僕の問いかけも暗闇の中に消える。
黙ったままのドライブが続く。
今まで何度も走った道だったけど、こんなにも長い距離を走っていたなんて。
無言の空気が時間の流れを変えていく。
改めて彼女の存在の大きさを感じた。
沈黙と暗闇に包まれながらも無事に目的地に到着した。
僕は少し疲れていたので、車を止めるとすぐに外に出て伸びをした。
外は少し曇っていて夜景が霞んで見えた。
そのせいか、周りにはあまり車が止まっていなかった。
車の中を覗き込み彼女の様子を伺う。
「もうダメだな……」
僕はポツリとつぶやいて、深呼吸をした。
「殴ったりしてごめん。つい…カッとなって…。」
車の前を通り、助手席の方へと移動する。
ライトを点けたままだと気付いたがそのままにした。
助手席のドアを開け、彼女にかけてあったひざ掛けをめくるとシートベルトを外した。
彼女は華奢だったので、細腕な僕でも軽々と抱きかかえることが出来た。
彼女を抱えながらふたりで夜景に目を向ける。
「最後くらい綺麗な夜景が見たかったよね…」
彼女からの返事はなかった。
彼女の顔をのぞき込むと、左頬に殴られた跡が薄っすらとついていたことに気づく。
運転中は綺麗な右顔しか見ていなかったので少しだけ申し訳なくなった。
白い肌に出来たアザが、彼女の体のあちこちについている。
僕がつけたキズに包まれているようだ。
「愛してるよ、これからもずっと…」
僕は彼女をぎゅっと抱きしめ、最後のキスをする。
そして、僕は彼女をガードレールの向こう側の林に放り投げた。
宙に舞う彼女の腕が、一瞬サヨナラと手を振っているように見えた。
ドサッと微かに音が聞こえ、彼女が無事に着地したことを確認する。
山からの帰り道、一人で今日の事を思い返していた。
彼女を殴ってしまったこと。
彼女が倒れた拍子に頭を強打してしまったこと。
最後にドライブへ行こうと思いついたこと。
そして、最後にキスをしたこと。
もう二度と、彼女の暖かい唇には触れられない。