第二章 彩夏
「いらっしゃいお兄ちゃん! 餓鬼刑へようこそ!」
圧殺刑の次の日、頼子に連れられてやって来た地獄は、餓鬼刑と言う所だった。
そして、今、目の前に居る餓鬼刑の担当者は、偶然か、作為的かは分からないが、昨日揉めたばかりの赤髪が特徴的な女の子、彩夏だった。
「会えて嬉しいよ。お兄ちゃん♪ 今日は一杯頑張ろうね!」
彩夏が楽しそうに笑う。
「ああ、そうだな。で? 今日は何するんだ?」
俺は投げやりに答えた。今日は特に体が動かないという事も無く普通に話す事が出来る。
「はは、その説明をする前にお兄ちゃん? どこか変な感じがしない?」
俺はそう言われて、周りにある異変を探す……が特に変わった所は無い。強いて言えば……。
「ねえ? 何で彩夏さんそんな話し方なの? 猫被ってるの丸分かりで、違和感バリバリなんだけど」
俺は正直に変な感じがした事を答える。
「っ! あんたね! これは規則なの! あんた達みたいなゴミ虫どもにも分け隔てなく、愛情を持って接する為にしてあげてるの!」
彩夏が頭を抑える様にして怒鳴った。結構気にしてるのかも知れない。
「別に俺には普通でいいよ……何かもうやり辛いし。彩夏さんも面倒でしょ?」
俺の言葉に彩夏は少し考え込んだ。だが、しばらくして吹っ切る様に顔をあげる。
「そう……分かったわ。あんたにはもう気を使わないわ。その代わりビシバシ行くから覚悟しなさいよ」
「……変えるのは態度だけでいいのに……」
「何か言った?」
「いいえ……」
返事をすると彩夏が笑う。厭味の感じない純粋な笑顔。これが本来の彩夏の笑顔なのだろう。太陽の様な笑みだ。
「それじゃあ、改めて聞くけど、あんた今、体に異常を感じない? ……ちなみにふざけた事言ったら、潰すからね?」
脅しじゃないから困る、俺は自分の体の異常を探す。
「……そう言えばお腹が空いたかも……」
俺は腹を押さえてそう言った。そして言ってからしまったと思う。これじゃふざけてると取られても可笑しくは……。
「ちょ、ちょっと待った! 今の無し!」
俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。この前見た奴みたいに潰される!
しかし、いつまで経っても俺の体が潰される事は無い。俺は恐る恐る顔を上げた。
すると彩夏がこっちを呆れた様に見ていた。あんた何してんの? とでも言いたい様な顔だった。
「あんた何してんの?」
実際言われてしまう。何となく恥ずかしい気持ちになって、俺は静かに立ち上がった。
「いや、潰されると思って、つい……」
「馬鹿ね~あんた。別に、今あんたの言ってる事で合ってんのよ。ここ餓鬼刑は飢えと乾きに耐える刑だもの」
俺はほっとしてため息をつく。潰されなくて良かった。
しかし、その安心感は直ぐに俺を襲ってきた衝動によって塗りつぶされた。
「かぁ……何だ? 喉が、喉が渇く……」
俺の人生で感じた事の無い渇きが襲ってきた。まるで何日も水分を取っていないボクサーの様に、ただひたすら水分が欲しいという欲求に全身が蝕まれる。
「やっと気付いた様ね、鈍感な男。それがこの地獄の苦しみよ? 結構キツイでしょ?」
普通のテンションで言う彩夏だが、そんな生易しい物ではなかった。体中が何か満たされない感じで、俺はもどかしくて地面をのたうち回った。
「な、何なんだこりゃ。尋常じゃねえ。み、水をくれ……」
その時、俺の腹部から、痛みが走った。あまりの空腹感に俺の体が痛みを伝える。
「いててて! おいどうなってんだ。シャレにならねえ」
飢えの苦しみまでが俺を蝕む。
「どうしたの? まだ始まったばかりよ? それに水なんてあげたら罰にならないじゃない」
冷静に彩夏がのたうつ俺を見る。
「は、始まったばかりって、かぁ……後、どれくらいこんな事するんだ?」
彩夏は考え込む様に唇に指を当てる。
「そうねぇ。ここは普通よりも時間の流れが長いから。大体、現世の一時間がここでの二日ね。現世の時間で十五時間はここに居るから、大体一ヶ月くらいかしら」
――一ヶ月! こんな所に一ヶ月も居なくてはならないのか? もう既に限界だと言うのに俺はこんな事を耐えられるのか?
唾も飲み込む事が出来ない状態で、俺が出来た事はただ顔面を蒼白にする事だけだった。
そんな俺を見て、彩夏が耳元でささやく。
「地獄へようこそ。後一ヶ月一緒に頑張りましょう……途中で他の子に浮気したら嫌よ」
「はぁ……はぁ……うあああぁぁぁぁ……」
弱々しい悲鳴しか、俺は上げる事が出来なかった。