第一話
プロローグ
───昔の話。
その時僕は、炎に焼かれる自宅を見ていた。
深夜なのに、救急車や消防車が来て、辺りは野次馬で騒然としていた。
後ろから僕を抱いていた腕は、母親のものだったのだろう。
辺りは炎の朱で照らされ、昼間とは言えないものの、夕方くらいの明るさになっていた。
自宅はもう、全焼状態で、しかも父が取り残されて───。
父はもう、生存は絶望的だった。
出火原因は、謎。家族の誰も煙草は吸わないし、放火でもないし、まるで空中から発火したようだ、というのが当時の見解だったらしい。
その炎を呆然と見ていた僕は、炎の中に何か、得体の知れないものを見た。
それが何かはわからなかったのだけども───後の、数年後に繋がるとは思っても見なかった。
プロローグその二
──少女は、戦っていた。
目の前にいるのは、大きな『鬼』。
夕暮れも終わり、太陽が沈んだ児童公園の一角。
逢魔が時と夜の闇の境目の時間。
街灯に照らされた、『鬼』。
鹿のように枝分かれした角。
鋭く尖った爪。
その牙もまた鋭い。
青みがかった肌。
血に染まったような、真紅の瞳。
目の前の少女に比べて、身体一つ分は違う、その体躯。
だが、そんな事に恐怖を抱くこともなく、少女は落ち着いている。
と、『鬼』が少女に向かって腕を振り上げた。
その瞬間、少女の手の中に、長方形の紙が、手品のように現れる。
左手の人差し指と中指で掲げ持ったその紙に、鬼の腕は振り下ろされる途中で止められた。
そして、反対の少女の手からもう一つの長方形の紙が飛び、『鬼』の額に貼り付いた。
その紙を核にして、眩い光が辺りに満ちる。
──光がおさまった後には、静寂を取り戻した、公園本来の姿があった。
先ほどの『鬼』の姿はどこにもない。
「……ふう」
少女は短い溜息をつき、髪をかき上げる。
ここで誰かがいたら気付いたであろう。
その頭の上にある、ピコピコと動く二つの物に。
少女は知らなかった。
その光景を、公園の入り口で見ていた人影があることを。
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それは、いつもの日常のひとかけらである、ある日の夕方。
帰り道にある交差点で信号待ちをしていた僕は、反対側に立っていた少女に、何故か目がいっていた。
赤いワンピースに赤いランドセルの小学生二、三年生くらいの少女。
何でもない風景。
そのはずなのに、何故か違和感を感じた。
と、僕の視線を感じたのか、その少女が、僕に笑いかける。
……数メートル離れた人の視線を感じるのは到底無理があると思うのだが、その少女は、確かに僕に笑いかけた。
そして、赤信号の横断歩道に、一歩を踏み出す。
横合いから、猛スピードで乗用車がつっこんでくる。
だが、微笑みを浮かべたまま、少女は足を止めない。
───その瞬間、世界が反転したような錯覚を、僕は覚えた。
先ほどまで僕の周りにいた人、車、それが、いきなり消えてしまったのだ。
喧噪は消え去り、針の音すら聞こえそうな静寂が、辺りを包む。
だが、横断歩道を渡ってきた少女だけは消えていない。
なんだこれは、と思う間もなく、目の前にその少女が立っていた。
くすくすと、空虚な笑みを浮かべたまま、少女は僕を見上げる。
「ねぇ、おにいちゃん……どうしたの?」
生気を感じない、その虚ろな瞳に、僕の本能が恐怖を覚える。
歯の根があわないまま、答えを返せないでいると。
「おにいちゃんって、あざがみけのひと?」
小首を傾げて、少女が問う。
その髪はおかっぱなのだが、所々が固まって……もしかして、これは、血、なのか?
赤いランドセル……赤いワンピース……赤い靴……。
これは、血で染まっているのではないのか?
そう理解した途端、恐怖は倍増する。
「こたえてくれないんなら、わかんないよ?」
小首を傾げたまま、少女がなおも質問をする……と。
まさに、『ポロっ』という感じで、そのまま少女の首が落ちる。
「あ、おちちゃった」
何の感慨もないその台詞は、落ちた頭が喋った。
そして、毬つきをするかのように、少女の身体が、頭をつく。
異様な毬つきに、僕の頭はパニック寸前だった。
恐怖が全身を支配する。
なんだ、この、非、日常的な世界は。
小説かなにかではよくあることなんだろうが、僕はそんな物の主人公ではないぞ、と思っても、今のこの状態ではどうすることも出来ない。
その異様な毬つきを見てるだけしかできない。
手の上に、首を乗せて、少女が言う。
「うーん、なんのかんけいもなかったみたいだね、じゃあ……」
にたりと、邪悪な笑みを浮かべ。
「───しんでくれる?」
そして、目の前に、少女の首が迫ってきた……と思った瞬間!
眩い閃光で、辺りが包まれる。
瞬きをすることも出来ずにいた僕の目も、閃光に灼かれる。
「ギャーっ!!」
その向こう側で、この世の物とも思えない悲鳴がほとばしっていた。
閃光がおさまったそこには……青信号になった交差点の光景。
立ちつくす僕をうさんくさそうに、あるいは邪魔な物を見るような目で、通行人が避けていく。
ふらふらと、横断歩道を渡り終えた僕の目の前に、一匹の白猫が座っていた。
「にゃー」
よく見ると、両耳だけが黒い。
僕に向かって、心配げに……僕の気のせいかもだが……鳴いた後、夕暮れの町並みに消えていった。
「さっきのは何だったんだろう……」
白昼夢……いや、もう夕方なんだからその表現は間違ってるのかもしれないが、にしてはやけにリアルだったあの感覚に身を震わせると、
「さて、帰ろう」
僕は家への帰途につこうとした。
と、足になにかが当たる。
視線を下に下げてみると、七色の石を使用したブレスレッド? ような物があった。
「落とし物かな……?」
つい、つまみ上げて見るが。
「警察に届けるのも面倒だな……」
そう思い、ポケットの中につっこんだ。
このブレスレッドを拾ったおかげで、あんな事に巻き込まれるとは夢にも思わず。
──でも、もしかしたら、これよりも前から物語は始まっていたのかもしれない。
次の日、目覚めた時には昨日のことなんかすっかり忘れていた僕は、自分の腕を見て驚いた。
制服のポケットにつっこんだままで忘れていたブレスレッドが、左腕にはまっていたのだ。
しかも、ゆとりがあるにもかかわらず、何故か腕からどうしてもはずせない。
数分ほど悪戦苦闘をしたが、結局取れないので諦めたあげく、遅刻する羽目になる僕であった。
授業中、最後尾の席に座っている僕は、なにかの視線を背後から感じた。
背筋の寒くなる思いって言うのは、こういう事を言うのだろう。
ちらっと後ろを振り向いた僕が、そこに見た物は。
──血塗れで教室の窓際の隅に立つ、自分の学校の制服を着た少女。
「せんせー、なんかこの教室、寒くないですか?」
他の生徒がそう言う。
「んー? 私は寒くないよー?」
現在は九月中旬。
残暑があるとはいえ、半袖でも過ごせる陽気、なのだが。
その生徒には寒いですむんだろうが、僕にとっては血も凍る出来事で。
昨日のことは夢ではなかったんだ、と気付かせるのには十分であった。
しかし、その赤い血塗れ生徒には何もする気がないようで、結局、授業中そこに立ったままで、チャイムが鳴ると同時に消えてしまった。
「なー、晶よ」
昼休み、向かいの席に座った、ぼさぼさ頭の眼鏡の少年が、苺牛乳を飲みながら僕に話しかけた。
彼の名前は藤谷 静也。
一応僕の友人……ではあるのかな?
入学当時からの知り合いでもある。
いつもの日課を終えた彼は、ふてくされた表情で僕の向かいの席に座ったのだ。
「今日はおかしいよな」
自分の弁当のシューマイをお箸でつまもうとしてた僕は、唐突なその言葉にシューマイを取り落とす。
「……な、何のこと?」
動揺を隠せてない事に自分でも気付いていたが、何とか平静を装う。
「今日はなんか寒かったしな、発生源みたいなのは……ほれ、その辺りだったよな」
あごでさすその先は……紛れもなく血塗れの女生徒が立ってた辺り。
「寒かったのは確かだけど、それと僕と何の関係が?」
「───見えてたんだろ?」
その台詞に、内心の動揺を隠せない僕であったが。
「分からないよ、そんな話を振られてもね」
なんとか返事を返す。
「まぁ、分からないなら分からないでいいよ。ただ……何があったかは知らないが、早めに何とかした方がいいぞ?」
そう言うと、ひらひらと手を振り前の席から去っていく。
「何なんだ、一体……」
僕にも分からないことが起こってるのは確かなのだが、それを何とか出来るような策がある訳でもない為に、憮然とした表情で、シューマイを口に放り込む僕であった。
その日の放課後。
結局、あれから何度かの異質な『モノ』との遭遇を経て、遅刻の罰として居残り掃除まで言いつけられ、さんざんな一日は終わった。
───実はこれから始まる、とは自分でも気付けなかったんだけど。
夕闇迫る帰路についていた僕は、道路の端にいる『モノ』とは意識的に顔を合わさず──顔を合わさない、または意識しなければ、向こうも何もしてこないと分かった──いつもは通らない近道である児童公園を突っ切ろうとした。
と、おかしな物が目に入る。
公園の中央に水銀灯に照らされた、髪の長い、背の小さな少女の後ろ姿。
その前に立つのは、まさに、『鬼』としか言いようがない怪物。
背の高さすらも二倍近く違う、まさに『押しつぶされそう』という表現に相応しいその対峙に、思わず足が止まる僕。
雄叫びをあげながら、腕を振り上げる『鬼』。
その振り上げた腕を、片手の動作のみで少女は止める。
……なんて怪力なのだろう、と思った瞬間。
眩い閃光が、辺りを灼き尽くすかのように広がる。
思わず目を閉じた、その数秒後。
目の中に光を感じなくなり、瞼を開くと。
『鬼』の姿はなく、先ほどと同じように、少女が立っていた。
と、その少女が突然振り向き、僕に向かってこう言った。
「──お兄ちゃん?」
と。
──そう、声をかけて駆け寄って来たのは。
僕の身長より頭一つ分小さく、腰までの漆黒の黒髪、紫がかった瞳を持つ、セーラー服の少女だった。
「違う、お兄ちゃんじゃ無い、でも……」
ぶつぶつ呟く少女。
そして『きっ』、と僕を睨み付けると。
「……あなた、何者ですか?」
と、挑むように言ってきた。
それは僕の方が聞きたい。
と、少女の頭の上に、ピコピコと動く物を、僕は見つけた。
それは、白い獣のような耳、いわゆる猫耳、だった。
少女は、僕の腕に目をやる。
「その、ブレスレット……」
と、目をみはる。
「どこで手に入れたんですかっ、どうやって手に入れたんですかっ、何であなたが持っているんですかっ」
矢継ぎ早の質問をしながらせまる。
「い、いや、なんかわかんないうちに……」
冷や汗をかき、後じさりしながら僕はそう答えるしかなかった。
「訳が分からないなら、何でそんな物をしてるんですかっ?」
遂に顔が、僕の鼻先数センチに迫る。
背が小さい為に、背伸びをしているのは間違いないのだが、そういう事に構っている場合でも無い事は確かで。
当たり前ではあるが、そこまで女の子に顔を近づけられた経験は、僕には無い。
「所でさ、その頭のは何?」
だから、強引に話を変えてみた。
「はうっ!?」
言った途端、少女はまともに、数十センチ後ろに飛びのく。
「まだでてた……んですね」
頭をかかえつつ、少女が言う。
心なしか耳もぺたんとなっている。
「こうなったら仕方が無いですっ。あなたの記憶を消させていただきますっ」
そう言うと、まるで手品のように、右手に長方形の紙を出現させる。
一瞬の早業で、反応すら出来ずにいる僕の額に、人差し指と中指で挟んだ紙を突き付ける。
驚いたことにその紙は、瞬き数回のうちに光の粒になって消えていく。
少女は、訝しげに、首を傾げる。
「あ、あら?」
そして、ぱちぱちと瞬きをして、
「効かない、ってどういう事……?」
そう、呟く。
予想外の事が起こったらしい。
ぶつぶつ呟きながら、ちらりと僕を見る。
「ねえ、あなたは最近おかしな事にあわなかった?」
突然の質問に、僕は面食らう。
おかしな事、というと。
───あれ、しか思い浮かばない。
その、微かな表情の変化に気付いたのだろう。
「その顔は、あったって言ってますね」
僕は、素直に頷く。
「昨日から、なんかおかしな事が続いているんだ」
「ふむ……」
唇に人差し指を当て、少女は思案顔になる。
「ブレスレットを拾ったのはいつですか?」
そして、少女は僕に、問いを投げ掛けた。
「それも昨日だね……最初の変な事が起こった後に」
「うん、ちょっと話聞かないといけないっぽいから、私の家で話すことにしましょうか」
話してる最中に、右手を上げて僕の言葉を遮り、少女はそう言った。
「多分込み入った話になりそうですからね……結界も張ったままですし」
結界? と疑問符を頭の上に浮かべた僕に構わず、少女はその場でくるり、と一回転する。
スカートと髪が、遠心力でふわりと浮き上がる。
───思わず、その仕草に目が釘付けになる。
そして、少女が正面に向き直ったとき、右手に四枚の、先程目の前で見た長方形の紙を持っていた。
「これでよし、と」
言いつつ、すたすたと歩き出そうと……して、びたりと止まって振り返る。
「そういえば……あなたのお名前を聞いてませんでしたね?」
僕も君の名前、聞いていないんだが。
実は、結構天然かもしれない。
「私の名前は、字の神に水に波って書いて、『字神 水波』と言います。以後よろしくお願いしますです」
そう言うと、ぺこりん、とお辞儀をする。
丁寧な挨拶に、僕もちょっと焦ってしまう。
「えーと、僕は『水奈 晶』。こちらこそよろしく……って、あざがみ……?」
昨日聞いたような気がする名前だ。
「水奈、さんですか。なんか私の名前と似た苗字ですね」
確かに。
『みずな』と『みなみ』は何となく似ている。
「私の事は水波、でいいですよ……あ、いえ、呼び捨ては少し困りますけど」
そして字神さんは、唐突にそんな事を言う。
女の子の名前を呼んだ経験がそんなに無い僕は、まともに焦ってしまう。
いや、例外も二人ほどいるにはいるのだが……。
「じ、じゃあ、水波ちゃん……でいいかな?」
少しどもりつつ、そう言ってみる。
「はい、構いませんよ、晶さん」
にこっと微笑む。
「さて、では私の家に行くとしますかね……ついてきて下さい」
すたすたと、水波ちゃんは歩き出す。
公園の入り口には、黒塗りの車が一台停まっていた。
多分高級車なのだろう、車に詳しくない僕には分からない、が、ぴかぴかなのと大きいのは確かだ。
水波ちゃんは、後部座席のドアを開けると、僕に先に入るように促し、その後に自分も乗り込む。
そして、運転席の人に、
「お仕事が終わったから、家にお願いします」
と、告げる。
運転手は軽く頷くと、車を発進させた。