決着
木々の葉の隙間から見える空は、雲が厚みを増している。やがて雷鳴が聞こえるようになり、さらに豪雨の葉を叩く音が近付いてくる。落雷から身を守るため、隊員はどの木からも2タット以上離れた場所に集まった。
やがて豪雨が隊を包んだが、俺が結魂の力で隊の上に空気の壁を作ったため、その雨粒は隊員の体を濡らさない。豪雨で視界を失った時に魔獣に襲われると危険だ。それで命を失ったワカミや護衛兵もいたらしい。
結魂の力を闇木の核を壊す時だけに使っていたワカミと違い、何百回と繰り返して力を使ってきた俺は、様々な形で力を現せるようになった。上空へ飛んで周囲の目標を探すのも俺の役目になっている。死の森の最奥部にある密林では、地上からでは数十タットしか見通せない。
かなり先の方に80タットほどの範囲で木の生えていない場所がある。その中心にあるのが巨大な闇木というわけではないようだ。この森の木々は20タットほどの高さなので、ここから見えないということはそれより低いということだ。
これまでは、闇木に近付くと遭遇する魔獣の数が増えていた。しかし今回は、目的地に近付いているはずなのに魔獣の増える様子がない。魔獣の数を頼りに探す方法では見つからない。これまでに『根源の物』が見つからなかったのはそのためだろう。
森から空き地に出た隊員たちが見たのは、今まで見たことがなかった物だった。それは短い六角柱の上に短い六角錐を乗せた形をしていた。柱というには太過ぎて、高さが15タットほどなのに対して太さはその半分ほどもある。これまでに見た最も太い闇木の幹でも、百本ほどを一まとめにしないとこの太さにはならない。
草に覆われていてすぐには分からなかったが、周囲には石が敷き詰められている。その上に亀の甲羅のような形の灰色の岩が数個あった。どれも同じ1タットほどの大きさで、同じ物は死の森の別の場所にもあった。
「これが根源の物なのか?」
「分かりません。でもその可能性は高いと思います」
闇木と同じ黒く半透明の柱の中には、柱より一回り小さいだけの核ではない何かがあった。不快感に耐えて結魂の力で触ると、それは核よりも遥かに固かった。たとえ全力でも結魂の力だけでは破壊できないだろう。
俺は他の隊員を制して、一人で根源の物に歩み寄った。あと数タットまで近付いた時、根源の物が目を開いた。目といっても俺にはそのように見えたというだけで、柱の中にある何かの表面に突然現れたそれが、物を見るためのものかは分からない。それは根源の物の中心よりやや上に一つだけあった。
俺が結魂の力ですぐにその場を離れると、根源の物が人の声で語り始めた。
それは年老いた男の声に聞こえた。淡々とした口調だったが、俺はその声から豊かな知性とわずかな悲哀を感じた。しかしそのような印象を当てにはできない。俺の国を戦乱に導いた指導者の一人も、その口調からは全く攻撃性を感じなかった。
俺はニーナとアイラに言った。
「何を言ってるか、分かるか?」
「分かりません」
「俺もさっぱりだ」
声は俺達の反応を気にせず語り続けている。根源の物に考える力があって、何か話しかけているというわけではないようだ。文字を持たないと言っていたから、古代王国では声で記録を残す方法を何か見つけていたのかもしれない。何か重要なことを言っているような気もするが、分からないものは仕方がない。
周囲を見渡しても、根源の物を包んでいたはずの何かは見つからなかった。数百年も前の話だ。すでに朽ちてしまったのかもしれない。
そうなると、根源の物の破壊方法を考えなくてはならない。外見から考えて、これは闇木と同じ物でできているのだろう。鉄の刃が通用しないことは分かっている。ここに闇木の葉は無いし、核より遥かに大きく固いこの中身が、闇木の葉が刺さったぐらいで壊れるとは思えない。
いい考えが浮かばないまま時間が経ち、やがて根源の物の声が途絶えた。しばらくの静寂の後、耳を覆いたくなるほどの轟音が響き、根源の物の六角柱が六つの板に割れた。中身が露わになると共に、溢れた霧のような物が周囲に広がる。
この霧は毒かも知れない。俺は結魂の力で防ごうとしたが、突然の耳の痛みにニーナとアイラからの力が途絶えた。仕方なく『自分の霊魂の力』で空気の壁を作る。わずかな力だが霧の流れを止めるぐらいはできる。二人からの力はすぐ戻ったので、背後から風を送って根源の物の周囲から吹き飛ばした。
「今の力は?」
やはりニーナは、練武会の時に力を使ったことに気付いていなかったようだ。
「自分の中に生じた力の流れを、何百回と感じてきたんだ。その内にコツのようなものを覚えた。俺だけじゃなく、僧兵の中にも無自覚でこの力を使う者がいる。決勝で戦ったイゴールも、ほんの少しだが自分の穂先の軌道を変えていた。俺のように相手の穂先まで操作できるものはいないようだったが」
「どうして教えてくれなかったんですか」
「力が使えるようになったのなら、もう相手の霊魂に触れても無感覚じゃない。それを知ったら、ニーナや私が全力で核を壊せない」
その言葉に、ニーナは驚いたようにアイラを見た。相変わらずアイラは頭の回転が速い。
「使えるといっても大した力じゃない。以前よりは感じるようになったが、お前達よりずっと鈍感だ。それに、この根源の物を相手にして結魂の力で直接攻撃することは意味が無さそうだから、もう秘密にする必要もない」
ニーナは何かを言おうとするが、声にはならなかった。
根源の物がまた声を上げ始めた。今度は感情の全くない女の声だ。露わになった根源の物の中身は、まるでハリネズミのようだった。目とその下を除いて、全体にトゲのような物が張り付いている。その一本一本は、関節があることを除けば闇木の枝に似ている。
トゲといったが根源の物が巨大なためにそう見えるだけで、その太さは人の腕と変わらないほどだ。
「しかし、どう攻撃したものか。いかにもなのはあの目だな。結魂の力を全開にして遠くから加速して突っ込めば、なんとか壊せるか」
「ダメです! 死ぬつもりですか!」
「このまま帰るわけにもいかないだろう」
「一度引いて、作戦を立て直すべきです」
「そうするとしても、この根源の物にどういう攻撃が効くのかを確認しておく必要がある」
「離れた所から、全力で槍を投げればいいでしょう」
「それが通用するとは思えないな」
俺達や隊員に無視されても、根源の物の声はまだ続いている。
「話が終わるまで、攻撃を待たないとダメかな」
俺の言葉に応じたかのように、根源の物の声が途絶えたが偶然だろう。遠慮なく大槍を投げつけてみることにする。
ニーナとアイラが意識を消して俺と完全に魂を重ねた。俺の中に力と高揚感が湧き上がる。その力で大槍を高く遠くへ持ち上げる。目に向けて全力で加速させた大槍には、50タットの距離も一瞬だったが、根源の物は無数のトゲを驚くほどの速さで動かし、大槍を弾き飛ばした。
大槍と共にトゲの一本の関節から先が折れ跳んだが、数十本の中の一本だ。トゲが弾いたのは大槍の柄の部分だから、大槍の先に闇木の葉を取り付けたとしても無駄だろう。トゲを無力化する方法を考える必要がある。
しかし、目への攻撃を弾いたということは、やはりあれが急所なのか。俺は隊員に言って穂先の予備を出させ、20個以上を同時に加速して目へ投げつけた。軽い分だけ先ほどより早く飛び、数の多さと小ささで数個がトゲの防御を抜けたが、固い音と共に弾かれただけだった。
少しは傷がついてないかと目の辺りをよく見ていると、目の下の部分が内側から膨らんできた。やがてその部分に亀裂が生じて、中から亀の甲羅のような物が現れた。楕円形で長径は1タット強、黒く半透明なのは闇木と同じだ。
その半透明の物の中に、灰色の何かが注ぎ込まれている。灰色の何かで満たされた甲羅は、根源の物から押し出されて足元へ落ちた。甲羅は裏を上にして落ちたが、その裏側には根源の物のトゲに似た物が付いていて、虫の脚のように見える。亀というより甲虫だ。
その脚が動き出すのを見た時、全身に寒気が走った。あれはとんでもなく危険な代物だ。あの槍のような足で突かれたら、隊員の盾や御輿の檻は全く役に立たない。根源の物からはすでに次の甲羅が現れて、灰色の何かが注がれている。
俺の頭にニーナの言葉が浮かんだ。12の槍と無数の盾。この甲虫の槍のような脚は12本ある。甲虫の背中が盾なら、この甲虫は根源の物から無数に現れるのではないか。
俺は急いで、槍を使って近くの木の小枝を切り落とした。
「全員、辺りの木の枝を切り落とすんだ。きれいに落とさなくていい。少しでも多くの枝を地面に落とせ」
そう言いながら、落とした枝葉を結魂の力で根源の物に投げつける。根源の物はトゲで枝葉を払い、その周囲に枝葉の土手を作った。俺は隊員が落とし続ける枝葉を根源の物の周りに集め続けた。やがて枝葉は2タットほどの高さに積み上がった。
俺は御輿と共に上昇して、御輿を最も高い木の太い枝の上に置いた。この高さなら土手の向こうにいる甲虫も見える。甲虫はひっくり返って脚で立ち、枝葉の土手を登り始めるが、脚が枝葉の隙間に潜り込んで上手く歩けない。
最初の甲虫がもがいている内に、次に出てきた甲虫も姿勢を正した。脚を曲げて姿勢を低くすると、大きく跳び上がる。土手の高さを優に超えて、6タットほど外に着地したが、そこはすでに枝葉の上だ。俺は枝葉に沈んでもがく甲虫をその下の枝葉ごと持ち上げ、全力で根源の物に向けて投げ返した。大きさとその身軽さからの予想より、甲虫はずっと重かった。
間を置かず最初の甲虫が跳び上がり、同じように6タット外に着地する。
「やはり虫だな。学習はしないか」
するともう一匹の甲虫も跳び上がり、先に落ちた甲虫の背に乗った。その背を踏み場にしてまた跳び上がる。その6タット外に枝葉はほとんど無い。俺はその着地位置に急いで枝葉を集め、何とかまた投げ返した。その間に3匹目が根源の物から出てくる。
このままでは甲虫を封じ込められなくなる。闇木と同じ固さの体と脚で、あの重量の体を跳び上がらせる力を振るう甲虫だ。死の森から出ることがあれば、その脅威は魔獣の比ではない。その前に根源の物を破壊しなくてはならない。
大槍をぶつけた時に折れたトゲを俺が持ち、体ごと全力で加速すれば目を貫けるか。そう考えて頭に浮かんだのはトゲに刺し貫かれる自分の姿。その時、ニーナが魂の重なりを解いて意識を取り戻した。
「死ぬつもりですか!」
ニーナが睨むような目で俺を見た。
「死んでもいいと思っているのですが。お母様のためなら」
「は?」
なぜここで母の話になる。
「お母様の薬のために、闇木を全て破壊すると約束したのでしょう」
「それはそうだが、水虫の薬のために命をかける気はないぞ」
「でも、その『ミズムシ』の薬がないとお母様の命が」
「あの病気で人は死なない。痒いだけだ」
どうしてニーナが薬のことを知っているんだ。
「薬を手に入れるために、この国へ来たんでしょう」
「確かにそうだが、俺には以前からこの国で薬について学びたいという気持ちがあった。一度は他の国を訪れて見聞を広めたいということもあって、この国の言葉を教えてもらっていた。薬のことがなければ、この国に来るのはもう少し後になったはずだが」
ニーナの顔から緊張感が消えた。
「言っておくが、母は不潔にしていたから病気になったわけじゃないぞ。薬を作る時に蒸れやすい革の手袋をはめ続けていたからだ」
母の名誉のためにも言いたくなかった。どうしてこんな時に。
「これで何も問題は無くなったわけだね」
いつの間にかアイラも意識を戻していた。アイラがニーナの手を取った。
「やっつけよう! ニーナ。あれをやっつけないと、また闇木が増えるよ。そしたらワカミと巫女は闇木を壊し続けないといけない。私達はずっと巫女の力を失えないままだよ」
ニーナがアイラの手を強く握った。互いにうなずき合う。
「ワカミ! 何か考えがあるんでしょう」
「お、おう!」
急にやる気に満ちた二人に少し戸惑ったが、こうなればもう全力で戦うしかない。二人が俺に魂を重ねる。彼女達の意思をはっきり感じる状態でも、魂の重なりは揺るがない。
隊員に次の作戦の命令をする。
「1番から12番で盾の檻を作れ。13番から28番も別の盾の檻だ」
それぞれの隊員が盾を繋いで大きさの違う二つの輪を作った。その間に俺は根源の物のトゲを拾う。トゲの中は空洞で、俺は右腕をフックの位置までトゲの中に突っ込んだ。盾の輪を結魂の力で持ち上げて、俺の周りに二重の輪として浮かべた。その輪ごと根源の物を見下ろす位置まで移動する。
「全員、木の陰に隠れていろ」
結魂の力でその輪を回転させる。合わせると俺の体重の10倍近い重さの鉄棒の盾に力を注ぎ続けると、風を切る音がうなりとなって高まっていく。最初に投げた大槍の速度を大きく超え、盾を繋ぐカンヌキ棒が遠心力で軋みを上げ始めた時、俺と盾の輪は根源の物に向かって全力で加速した。
全ては一瞬のことだった。
根源の物のトゲが、俺を弾き返そうとして急回転する盾の輪にぶつかる。
外側の盾の輪がその衝撃でバラバラになり、トゲを巻き込んで吹き飛ぶ。
吹き飛ばなかったトゲが、内側の盾の輪にぶつかる。
内側の盾の輪がバラバラになり、残ったトゲを巻き込んで吹き飛ぶ。
俺と根源の物との間に遮るものは無かった。槍代わりのトゲを持つ手に全ての力を注いで、俺は根源の物の目を貫いた。腕から伝わった反動は、俺の体に激しく打ちつけられ、甲冑の腕は耐えられずに砕けた。
「どうしてワカミは自分の命を大切にしないんですか!」
激突時の衝撃で体を動かせない俺を、ニーナが叱りつけた。二人が全力で俺の体を減速させたのがわずかでも遅れていれば、ただでは済まなかっただろう。
「終わったね」
トゲの根元近くまで目を突かぬかれた根源の物と、動きを止めた甲虫を見ながらアイラが言った。
もしトゲがこれほど深く刺さらず、例えば半分程度だったら、俺は受けた衝撃で骨折ぐらいしていただろう。トゲがほとんど刺さらなかったら、俺は死んでいたかもしれない。
「はっきり言います。自分を犠牲にして私を助けようとしても無駄です。ワカミが死ねば私も死にます」
「そういう言い方はよせ。まるで脅されているみたいだ」
「死の森を訪れるようになってから、私はずっとワカミの死を恐れていました。でも今日、これまで以上にワカミに死が近づいた時、私は恐怖をほとんど感じませんでした。何故か分かりますか?」
「魂が深く重なったことで、俺の高揚感がお前達に伝わったからじゃないのか」
「違います」
何だろう。見当がつかない。
「もしさっきの戦いでワカミが根源の物を倒せず命を落としていたら、それは私達の死も意味していました。私が怖かったのは、ワカミのいない世界で生きていくことで、今のこの幸せな気持ちで自分の命を終えることには、何の恐怖も感じません。
ですから、例えワカミが道で転んで頭を打って死んだとしても、私はその後を追うでしょう」
「ちょっと待て! その考えは間違っている。……アイラ、アイラをどうするつもりだ。彼女を一人ぼっちにするつもりか」
「わたしも死ぬから、大丈夫」
「大丈夫じゃない! いいか、ただでさえ男の方が女より寿命は短い。俺とお前達の年の差を考えればなおさらだ。これから俺は、一生自分の死から逃げて生きなきゃならないのか」
「ジーク様。今はこんなことを言っていても、女は自分の子を持てばその子のために生きようと思うものですよ。私の母がそう言ってました」
いつの間にか近くに来ていたカルラが笑顔でそう言った。
「そうでしょうか。私にはそうは思えません」
「母親になれば分かりますよ、巫女様。私も子供はまだいないので受け売りですが」
他の隊員達も集まってきた。この話に深入りするのはまずい。俺は話を変えることにした。
「それより、この先のことを考えよう」
「今話していたのも、この先のことです」
「そうではなく、俺達がこの力を使ってやらなければならないことの話だ。まだ魔獣は人々を苦しめている。死の森の魔獣は石壁を直せば出てこれなくなるが、そのために働く者を魔獣から守る必要がある。すでに森の外に出た数百頭の魔獣も、全て退治する必要がある」
魔獣が片付かないと、あの医者はストイの自宅に戻れず、そこにある材料と道具で薬を作れない。
「それはワカミじゃなくて、他の人にもできるでしょう」
「俺達がやれば、被害は少なくて済む」
「目立つことをすると、教会がうるさいよ」
「一度に一匹や二匹の魔獣が相手なら、三人だけでも戦える」
そんな無茶な話でもないだろう。俺はそう思った。
「魔獣を倒すことでしたら私達もお手伝いできます。全員とはいかないかもしれませんが、多くの隊員はジーク様と行動を共にするでしょう」
「そんなことをしたら、教会から追放されるぞ」
「かまいません。我々が僧兵になったのは魔獣から人々を救うためです。いざとなれば、国の軍に入ってでも戦う覚悟があります」
気持ちは嬉しいが、彼らのことも考えるといきなり教会を離れるわけにはいかない。
「ここはまずウムライに戻って、ラフィタ神官に相談しておくべきだろう」
「わたしも、一度教会に戻りたい」
「どうしてだ、アイラ」
「根源の物から聞いた話を調べてみたい」
「どうやって……。もしかして、あれほど長かった根源の物の言葉を、全て覚えているのが」
「うん」
感心するのを超えて唖然とした。しかし俺も、あの言葉からは無視していいと言いきれないものを感じていた。アイラがいなければ粘土板の解読をすることはなく、俺達がここにいることもなかったのだ。
「考えてみたら、最初に助けてもらった時のお礼を何もしてないね」
「そうね。でも言葉だけじゃ気が済まない。私達に叶えられることなら何でも言って欲しい」
少しだけ考えてから、俺は二人に言った。
「魔獣を全部片付けた後で良いから、ワカミと呼ぶのは止めてジークと呼んでくれ」