プロローグ
「お姉ちゃん、これ見て」
エリクが私に何か見せようと持ってきた。
「お姉ちゃんじゃないでしょ。ママと二つしか違わないんだから。叔母さんって言えないなら、私みたいにアイラって名前で呼びなさいよ」
サラが母親のニーナと一緒に薬草の入った箱を運びながら、エリクに注意をする。サラはエリクより5つ年上の16で、早ければもう結婚してもいい年頃だけど、まだ心に思う人はいないようだ。どんどん美しくなるサラに好意を持つ男達は多いが、この子が父親と比べるのを止めない限り、彼らの望みがかなうことは無いだろう。
「でも、そうやってサラと並んでいると、少し年の離れた姉妹にしか見えないわね。10歳は若く見えるから」
「ママ。そんなことを言ってるから、エリクの呼び方が直らないのよ。なんでアイラがお姉ちゃんで私のことはサラなのよ」
エリクが私に見せようとしたのは、その手からはみ出すほど大きな牙だった。
「あら。これは魔獣の牙ね。どうしたの」
「二階の古い袋の中に火打金と一緒に入ってた。これって、石壁の森の奥にしかいないんだよね」
石壁の森。今はそう呼ばれている。魔獣には数え切れないほどの人が殺された。残された人たちがあの森を、死の森ではなく石壁の森と呼ぶようになった気持ちは痛いほどわかる。
「そうね。昔はそうじゃなかったけど」
この村の子供たちは魔獣の恐ろしさを知らない。この村は一度も魔獣に襲われたことがない。それはあの人のおかげだ。私はあの人が寝ている隣の部屋の扉に目をやった。
「石壁の森って、この村のあるナントの国を出て、隣りのスタールも通り抜けたその先なんでしょ。お姉ちゃんはそんな遠くまで行ったことがあるの」
「ええ。もっといろんな国にも行ったわ。後でお話ししてあげる」
「私にも聞かせて」
サラは母親似だ。サラの姿を見ると、ニーナと一緒に魔獣に追われていたあの日のことをよく思い出す。つらい思いもしたけど、私には時々開いてみる宝箱のような思い出だ。
「パパにも見せてくる」
そう言って走り出そうとするエリクを私は止めた。
「パパはもう寝ているから、起こしちゃダメよ」
あの人は私達を悲しませないためにいつも無理をしている。エリクを抱きしめた手に力が入ったのだろう。エリクは苦しそうに身じろぎしたが、私の顔を見てその動きを止めた。
「お姉ちゃん。どこか痛いの」
「ううん。私はどこも痛くない」
「でも涙が出てる。悲しいの?」
私はゆっくりと首を横に振った。
「私はとても幸せよ。あなたのパパから沢山の大切なモノを貰ったから」
私は笑ってエリクにそう言った。この村の沢山の友人、三人で旅をした時に絆のできた人たち、そして何よりこの家のみんな。
「エリク。庭にトトの実を摘みに行きましょうか」
「あっ、私も行く」
エリクとサラは、私を追い抜くと競うように駆けて行った。それを追って庭へ出た私は、窓越しにベッドに横たわっているあの人、ジークの姿を見つけた。あの時から消えない自分の手のひらの傷跡を、ジークは昔を思い出すかのように懐かしい目で見ていた。