10−5
それからたった一日後のことである。
事態は想像だにしない展開を見せつけていた———。
それは、そう。
具体的には……。
「ならせてあげるよ、勇者の嫁」
そんな風に色気を特盛にして、私の耳に語りかけていらっしゃる殿方が。
まさかまさか伸し掛かり、こちらの体をベッドに沈めているだとか。
でもってその殿方様が。
よりにもよって、ヨナさんの旦那さま、という人だとか。
そりゃあもう、こちらは真実、ポカーンな効果音を連発ですよ!!!?
——うぎゃーっ!!!いやいや、待て待て、青年よ!いらないからね、そーいう展開!!昔から昼ドラものにはあんまり興味ないんですってば!!!
なるべく、努めて、冷静に、そう思ってみるけれど、黄色い縦のお目々さんが“離す”ことを許してくれず、現在非常に危ない状況。
——あっ!?そうか!なるほどね!!これっていわゆる“捕食者と目が合ったなら逸らさずに後退しろ”というやつか!!なんだ私、てっきり相手の策略(スキル)なのかと思ってたけど、自分の中の生き物としての本能だったのね!
それなら後は、ゆっくり後退すればいい……と思ったところで。
——おっとぉ!?私は何を呆けているのかな!?体がベッドに沈んでて、後退とか無理でしょうって話な訳よ!!……ってこんな所で思ったってさ。あぁぁぁぁ…このままベッドな有機物と石床という無機物を通り抜け、下の階に落ちて行けたらどんなに楽かっ…((;д;))
おかしいなぁ。
初めては絶対、勇者様って決めてたんだけど。
なんでかなぁ。
私はここで大切な乙女を散らすのか?
いやいやでもさ。
この人って新婚さんなハズなのに…。
あんなに可愛い奥さんを貰っておいてこれは無い……と、若干侮蔑の雰囲気がこちらの空気に滲んだのだろう。
やっとこ重〜い沈黙を押しのけて、キトラさんが口にする。
「なりたいんでしょ?勇者の嫁に」
「なりたいですけど…この状況は、ますます夢を遠ざける原因に、というやつなんですが」
勇者様、経験済みでもお嫁に貰ってくれるかな…?と、現実逃避で虚ろに思う私の頬にキスが降り、どことなく楽しそうな雰囲気でキトラさんが続きを語る。
「“勇者”の嫁になりたいだけなら、別にオレでもいいんじゃない?今のところ年下の子は居ないから大歓迎♪それにベルちゃんならば、普通に皆と仲良くしてくれそうだしさ。収入面もちゃんと援助してあげるから、生活は心配しなくて大丈夫」
「いや、あのですね、キトラさん。そういう事を言ってるんじゃない訳で……」
やっぱり軽く頭の中がパニック中だったのか、思わず出たのはその言葉だが、違う違うその前に!と獣人さんのセリフを拾う。
「えーと、ちょっと待ってくださいね。気のせいとかでなければ何か、今のセリフにまるで自分も勇者職的なニュアンスが含まれてた気がするんですけど…?」
「そうそうそう。これでもオレね、現役の勇者なんだよ。ファラウウ国アーシアを拠点にしてる、西の勇者キトラ・ヴェータ。少しくらい耳にした事とかない?」
「はぁ…私、勇者様…クライス・レイ・グレイシスさん以外の人とかは、あまり気にならない質なので…」
知らなくてすみません。
なんとなく謝罪がついて出る。
それよりも獣人で勇者って珍しい…ってかアリなんだ?と続けて心で思っていると、しげしげと眺めていたのが気になったのか、まるでそれを聞き取りましたという風に言葉が返る。
「確かにね。その疑問を持つのは分からなくはないかなぁ。ほら、少し前に“獣人としての血は薄い方”って言ったじゃん?たぶん“勇者”もその辺が関係してるんだと思うんだよね。オレの場合、耳と尻尾が付いてるだけで、体のつくりは只人とそんなに変わらない感じだし。まぁ、勇者な分だけ他より優位な部分はあるけど、獣人に標準装備の“獣化”スキルも未だに発現しないしねぇ」
それはちょっと残念だよねと溜め息が口から漏れて、私の方は確かに食肉類の獣人さんにしてみれば全体的に線が細い人だよなぁと。彼を見上げる視線が動く。
「取りあえず、貴方が勇者だっていうのは了解です。で、次の話になりますけれど、もしかしなくともキトラさんって一夫多妻な人ですか?」
「ん、まぁね。クルゥで8人目になるかなぁ」
——なんですとっ!!?
「この国は昔から制度として複婚が認められててさ、もちろん相手の了解は必要だけど、手続きも簡単だし町の人たちも割と寛容なんだよね。———で、どうかな?クルゥの話から察するに君ってなかなか居ないようなタイプだし、すごく興味があるんだよ。あ、もちろんオレは誰でも良いとか、そういうのは無いからね。誤解しないで。なんて言うか、向こうの勇者様はさぁ、噂から推測すると結構お硬い人でしょう?嫁になるのはだいぶ難しいと思うんだよね。だから、さ。勇者でよければ喜んでオレが相手になるよ、っていう話」
すでに奥さんが二、三人とかの次元じゃない…とビックリしながら聞いてると、雲行きが段々怪しい方へ。
ものすごい軽い調子で目の前の人は語ってくるが、一応これってプロポーズの類いかと思い、ちょっと意識が遠のいた。
前の人生経験で、プロポーズな場面にはそれほどロマンが満ちているとは言えないと思っているが、いきなりベッドに押し倒されて軽〜く「どう?」とか聞かれる感じは、やっぱりいまいち受け付けない。
まさかこれがファンタジー世界の標準か?と疑いそうになったけど、都会暮らしをしていた頃に街場で見かけた求婚さんは普通に花束だったよなぁと。
“勇者様の嫁になるのは難しい”なんていう、欲しくなかった現実を突きつけてきてくれたあたりに、そんなのはいらない親切ですよ!!と眉間のあたりに段々と皺が寄る。
既にソッコーでお断りを入れるのは決定事項であるけれど、もうちょっとこう、乙女の夢を叶えるような粋な演出というものを気にして欲しかった気がするよ。仮にも貴方は“勇者”でしょう?
そう思いつつ、返答すべく口を開くと。
「んー…なんでだろ。この感じはダメっぽい雰囲気だよね」
そんな間延びした声がする。
——当たり前じゃ!!!ヾ( ̄皿 ̄メ)
と内心でえらい悪態をつきつつも、私は大人、私は大人、と荒ぶる自分を落ち着けて、そろそろ退いてもらいます、と左の肩をぐっと押す。と、線の細い獣人さんは抵抗せずに体を戻し、うーんと唸ってベッドから降りて行く。
「こう…一緒にいてさ、落ち着く感じの平凡さとかも、すごく良かったんだけどなぁ」
おいおいそれは微妙に褒め言葉じゃないだろう、とイラッとしつつ。
「キトラさん、どんな言葉を並べられても答えはずっとNOですからね☆」
と、強い笑顔で釘をさす事を忘れない。
対する彼は未練があるというようなパフォーマンスをしてみせたのだが、私は華麗にスルーして「早く帰れ」とテラスを指した。
見回りついでと言いながら、テラス(そこ)から部屋に侵入してきた爽やかな勇者な人は、最後までポジティブな様相で半身こちらに向き直る。
「もう一回だけチャンスが欲しいなぁ。明日の剣武大会さ、特別枠で勇者同士の対戦があるんだよ。もしそこでオレがあの人に勝ったらさ」
“オレの申し出、もう一回考えてくれないか?”
「———って、いやいやいや」
随分前に冷えた空気をいまさら“寒い”と感じつつ、布のない二の腕をさわさわと上下に擦(こす)る。
さすがは“勇者”の捨て台詞。
持って生まれた爽やかさを据え置きながら、ものすごい色香というのを瞬間的にプラスして、まるで爆発の衝撃で私の意識を飛ばしてくれた。
——うわー、勇者ってカッコイー……。
悔し紛れに棒読みで心の中で叫んでみたが。
何となく釈然としないまま…。
昼の暑さは何だったんだ?と、やたらと涼しい町を眺める。
それがアーシアに着いてから、三日目の夜の出来事だった。