10−4
そんな思わぬ再会があった翌日。
宣言通り、お昼前にきてくれたヨナさんに、昨日の夜に浮かんだ疑問を聞いてみる。
“東から来たのなら、熱い夜には慣れていないでしょう?”
受付で二人が声をかけると、クセのある黒髪を頭の後ろでアップに纏めたナイスバディな女将さんが現れて、窓を開けっ放しで眠れるように上の階にしてあげる、と。にっこり笑って、テラスとかがついている随分と眺めのいい部屋に私を迎えてくれたのだけど…。始めは気付かず過ごしていたが、そのうちに、チラチラ見える窓の向こうの人影さん——しかも複数——に気付いたら、ものすごく不安になったのだ。
そのときの時刻は夜で、外は明かりが必要で。あれ?これって、明かりを灯した部屋の様子が外から丸見えなんじゃなかろうか…?と。
彼らは町の建物を上手い具合に足場に変えて、西へ東へ南へ北へとピョンピョンピョンピョン飛んで行く。特に悲鳴も上がってないし、賊ってやつではないんだろうなと、分かるのはそればかり。
そこでふと頭が冷えて、この世界には身軽で筋肉質な人とか結構多いし、跳躍スキルがあれば軽く十数メートル飛べちゃうし、と、通りの幅や近隣の建物の高さを知って瞑目した自分がそこに。
これじゃ野宿とそう変わらない…?
人口密度が高いぶん、むしろ危険じゃないのかな……?
あぁ、風に揺れるカーテンが幻想的で綺麗だなぁ。
開けっ放しの窓を見ながら、涌き起こった不安というのを現実逃避でスルーして、さしあたり貴重品揃いの鞄さまを一体どこへしまおうかなと、変な所に気を使った昨日の夜中。
だから一応、聞いておく。
夜中に町を飛び回る、あの人達は何ですか?と。
前の世界のサリーっぽい民族衣装を纏った彼女は、狭い通路を行きながら、あぁ、と頷き答えをくれた。
「あれは自警団みたいなものですぅ。剣武大会が近いですから、大陸中から人がたくさん集まっていて、特にこの時期は揉め事が起こりやすくなるそうなんですよー。だから夜の見回りをああやって強化してるんだって、前、キーくんが言ってましたぁ」
初めて見たらびっくりしますよね〜。
屋根に人の気配がした時は、私も危うく刃物を投げるとこでしたもの、と。
やや物騒な話が付加されてきた時は、ちょっとギョっとしたけれど。
教えて貰ってようやく納得で、なんだ危ない人たちじゃなかったのかと、二日目の夜の安眠にほっとする。
それから、まずはランチをとろうとヨナさんのオススメのお店に向かい、道すがらどこを見て回りたいかと聞かれたので、軽い食材が買える市場と小物店をお願いしておいた。残りの時間はやっぱり、オススメな感じで連れて行ってもらうことにして。ふと町並みの奥に立つ宮殿っぽい建物を見る。
なるべく日陰を通るのを心がけてみるものの、空気が逃げにくい町なのか気温はどんどん上がっていって、お店に到着する前に日焼けが怖いと羽織った上着を耐えきれずに脱いでいた。それでもじんわり汗が滲んで、早く冷たい飲み物にありつきたいなと会話しながら足を進める。
そうしてやっとお店に着くと、中からはえも言われぬスパイシーな香りが漂い、もしやこれは!?と期待が高まる。美味しいパンとスープの店だと聞いていたので、それはちょっと盲点だった。
混み始めた店内でなんとか待たずに滑り込み、メニューを開いて心で合掌。
——っ、久しぶりのカレーですっ!(;へ:)しかもナン付き!!
香辛料の配合とかいう細かい知識は持ってないので、転生してから“カレー”というのは口にしたことがなかったのである。
それでも世界に散りばめられた“向こうの世界の気配”から、きっと私以外にも転生系かトリップ系の人たちが確かに生きていたのだ、と。そんなことを考えていた。だからいつかは口にできると遠い夢を見ていたのだが、こんなに早く出会えるなんて!!
感動しながらピリ辛だという味を選んで、逃すまいとナンも選択。加えてサラダを一鉢に、飲み物はもちろんラッシーですね!とそれっぽいやつを選んで、ルンルン気分の待ち時間。
口に合ったら短期バイトでも申し込んでみようかなぁ——あわよくば香辛料の配合スキルをゲットだぜ☆——と笑っていると、ヨナさんが不意に話を振ってきた。
「クライスさんも剣武大会に出場するって聞きましたけど、チケットは取ってありますかぁ?」
ほんの一瞬、くらいすさん?(・・ *)とハテナが浮かび、おぉ!そういや勇者様ってそんな名前だったんだ!!なんて、こそばゆい気持ちに浸る。
——く、クライスさん…クライスさん…親しくなったら“さん”は省略??あ、でも勇者様は元が貴族な人だから、夫婦になったら「お帰りなさい、クライス様」…とか!?え、だけどなんとなく、やっぱりそこは「お帰りなさい、勇者様」のがしっくりとくるような……でも夫婦なのに職称(ソレ)は無いしな。意外と呼び方が難しい…いっそセカンドネームで攻めてみる、とか?うわぁ…なんかそれってとても恥ずかしいと言いますか…!!(*ノノ)
くぅっ!と久しぶりに妙なテンションで、名前呼びへの考察を進めていると、ヨナさんは違うことを感じ取ったのか。
「その様子だとチケットはまだですね!キーくんにもう一枚お願いしておいたので、一緒に観戦しましょうね♪」
と。正直それはサブリミナルな雰囲気で私のもとに届いたのだが、前の話題に意識の半分以上を乗っ取られていたこちらの耳は、そのあとポソッと零された重要な事柄を、すっかり聞き逃してしまったらしい。
そんなことはつゆ知らず「まぁ、ゲームみたいなものらしいですからね。恨みっこなしですね〜」とか囁かれ、ようやく意識を戻した私は「ですね〜」と空気を読んで同意する。
そして、丁度良く運ばれて来たカレー様を前にして、ますます気持ちが上がった私は、ヨナさん曰く「こちらまで嬉しくなるほど終始笑顔だった」とか。
待望のカレーの味は私の期待を裏切らず、実に美味しいものだった。
お腹がふくれた私たちは、それからぶらぶら市場を歩き、小物店に寄り、カフェでお茶して、さらにオススメのお店を巡って買い物をするという、女子にとって幸せな時間の潰し方をした。
その間なんのトラブルに巻き込まれることもなく、彼女の左手首に光る腕輪の効果はすごいなぁと、他の人に売らないでいてくれた幼なじみに感謝する。
そして最後にヨナさんは、簡単にだがこの町を紹介しておきたいと、凝った外装の見晴らし台に連れて行ってくれたりして。領主の館(マハラジャ)をはじめとする町の名所と位置情報を丁寧に教えてくれた。
見晴し台から望める町は、橙色が跳ね返る集合住宅(アパート)やホテルの外壁と、それらが落とす影の対比が美しい。そしてなにより、町の外の砂原(さげん)に落ちる大きな光が印象的で、隣に人の気配があるのに不覚にも涙がこぼれそうだった。
あぁ、もしかしてヨナさんはこの景色を私に見せたかったのかなぁ、なんて思って。
「今日は本当にありがとうございました。とっても楽しかったです」
遊んでくれたその日のお礼を、そう静かに伝えると。
「こちらこそですぅ」
そっと腕を持ち上げて、ヨナさんは左の腕輪を夕日にかざして見せたのだ。
「私がこうして人並みの暮らしができるようになったのは、ベルさんに頂いたこの腕輪のおかげですぅ。本当は私も何かベルさんにプレゼントしたかったんですけどね…これからもっと仲良くなって、好みが分かってからあげる事にしますので。この景色が今の私の精一杯の気持ちですけど、いつかワッと驚くようなサプライズプレゼントを用意しようと思うので、楽しみにしていてくださいね」
言い終わった彼女の顔は夕日を受けて輝いていて。それともそれは新婚さんの幸せオーラか、不意打ちで中てられた私の心がドキリと跳ねた。
昔からそう。私は自分が友達だと思ったら、相手がどう思っていようと生涯ずっと友達のつもりで生きていく。たとえ何年、何十年と連絡がこなくとも。たとえ住む場所というのが星の反対側だとしても。どこかでばったり出会ったら、最後の記憶と変わらない互いの態度で打ち解け合えると思っているのだ。
だから、このままずっと彼女のことを友達の枠に収めておこうとか。ごく普通に思ってた。
連絡なんか取らなくたって、友の座は生涯だ、とか。
ある意味一方通行な、受け皿のない私の想い。
それが今、不意打ちで砕かれた。
おそらく彼女にしてみれば何気ないセリフの筈だ。
だけどそこにはたまらなく温かい心があって、むしろ自分の心の方が冷えていたと気付かせられる。
こんな私と、ヨナさんは、これからもっと仲良くなれるような交流を、望んでいてくれるのか———。
そう思ったら何だか再び泣けてきた。
さすがにこういう公共の場で——精神的に——いい大人がそれをするのは気が引けるので、帰ったら部屋で一杯やろうかな、と。
もう十八年も経つというのに、未だに世界(こちら)でふわふわしている私の心を繋ぐひと。薄鼠色の幼なじみのその他に、もう一人できたと言っていいんだなぁ…としみじみ思い、なんとか笑う。
見晴らし台の階段をゆっくりと下りながら、どの道で行けば簡単に宿屋に着けるのか教えてもらい、「送りますよ〜」というヨナさんの気持ちだけ頂くと、その場で別れの挨拶をする。
「それじゃあ、明後日の朝にホテルまでお迎えに行きますね」
こちらの意思に折れてくれた心優しいヨナさんは、最後にそう締めくくり、反応を伺ったので、一応「はい」と返しておいた。
私の帰路と反対側へ歩いて行くヨナさんは、後ろ姿まで幸せがたっぷりオーラだ。それを静かに見送って、こちらも宿屋へ帰ろうとゆっくりと歩き出す。
夕日が映える町並みを心ゆくまで堪能しながら、ぶらぶらと帰路に着く。治安がそれほど良くないことを知らないような足取りで、本当はうっかり忘れていたのだが、運良く厄介ごととかに巻き込まれることもなく。
平和な感じで宿屋につくと、さらっと汗をシャワーで流し、緩い寝間着を身につけて。備え付けのテーブルにさっそくそれらを並べ始める。
お気に入りのグラスと酒と、氷が作れるアイテムに、肴を少々。
一応言うと、こちらの世界の飲酒年齢制限は“ほぼ無い”ようなものなので、捕まるとかは考えなくても大丈夫。
——これでちょっと話し相手がいればなぁ…
とは思えども、忙しくしていそうな幼なじみしか思い浮かぶ顔は無く。
しょうがないと諦めて、グラスに氷、焼酎的なアルコールをトクトク注ぐ。
前の世界じゃ飲みといったら一杯目はまずビールとか、発泡酒な雰囲気だったけど、何となく炭酸入りってお腹が無駄にふくれる気がして嬉しくないと言いますか。せめて1人飲みくらい、好きなペースで好きなものからいかせて貰おうと。いらないと分かっているけど、心の中で謝罪する。
かんぱーい!と上げのテンションでグラスを上に持ち上げた時、鞄の中からタイミングよく呼び出し音が鳴ってきて、ほんとにいいタイミングだな…と眉をひそめて応えると。
「付き合うよ」
というイシュの声音が。
——え?暇なの?珍しい。
そう返そうと思っていると、先手とばかりにセリフが続く。
「暇じゃないけど、ちょっとくらい良いんじゃない?こっちだって飲みたい日くらいあるよ」
そう言う彼は交渉(しごと)で何か嫌な事でもあったのか、ぶっきらぼうにとげとげしさを混ぜていて、いつも紳士を気取った顔と今の声との落差に思わずこちらの口が緩んでしまう。
「大変ですね」
と、いい加減な相槌をうちながら、それに乗せ、独り酒に付き合ってくれることへの感謝の気持ちを表すと、イシュはややトゲを抑えて「全くだよ」と小さく零す。
乾杯を仕切り直してお互いグラスを傾けて、たわいない愚痴に始まり近況を報告し合い。いい感じに酔いがまわったところで、私はようやく口にする。
「今日は良い事があったんですよ。久しぶりに友達と、一日一緒に遊んだんです」
テーブルの上に頭を乗せて、イシュには見えないだろうけど「楽しかった」と微笑めば。
ほんのわずかな間を取って。
「…ふーん、そう。良かったね」
という、穏やかな言葉が返る。
そうなんですよ、良かったんです、とっても嬉しかったんですよ。
もし勇者様に振られても、泣き言を聞いてくれそうな友達ができたんです。
イシュの他に、もう一人、友達ができたんですよ。
そんな心の声を聞き取り、幼なじみは「良かったね」と静かに語る。
「本当に。良かったです〜」
アルコールが入った時のいつもの調子で言葉を返し、また別の話題へとお酒を交えて話しだす。
そんな些細なささやかな、けれど満ち足りた夜を過ごして、幸せな心地のうちにその日は静かに目を閉じた。




