10−3
イチャラブ…と表現しても許されるだろう淡いピンクな空間がそこにあり、なにやら声をかける事さえ躊躇われてしまった私は、今更「また今度にしませんか」とか言えなくて、静かに後を付いて行く。
一応、迷ったら困るなぁ…と大通りからの順路というのを目立つ看板などを頼りに記憶して、やや人ごみもまばらになった裏通りを見渡しながら。それでも町の造りのせいか、地図読みに自信のあった私の頭を少しだけ混乱させた後、ようやく目的の場所へと着いたらしくて彼女達が立ち止まる。
見上げれば、柔らかなオレンジ・レンガが積み上げられたホテルっぽい宿屋がそこに。どうやら二階が食堂らしく、窓際を飾る緑の奥から和やかな笑い声が降ってくる。
中に入れば明るくて感じもいいし、部屋に空きがあったならここに泊まらせてもらおうか。外から見るより気安い感じだし…と、受付の女の人に会釈して、二人に続き建物の二階の方へ。フロアに着けば食堂というよりはカフェっぽい雰囲気で、テラス近くのテーブル席へと案内される。
少し温度はあるけれど、広い窓から吹き込んでくる穏やかな風が気持ちいい。そんな事を考えながらのんびりと席の隣に立って、ここでまさかのレディーファースト。“椅子を引かれる”なんて気遣いはものすごく久しぶりだと呆気にとられ、友人の旦那さまを思わずぽかんと見上げてしまう。
そういう文化圏だっけ?と、この王国を思い出し、何か違うと傾げていると。
時間的にはほんの短い間だったが、爽やか笑顔の獣人さんは穏やかに告げてきた。
「どうぞ、お嬢さん」
——そうっすね。さっさと私が座りませんと、奥さん立たせたままですし(゜ー゜;)
気付かなくてすみません…と内心に、そそくさと腰を下ろして鞄を外す。
向かいの席に同じように椅子を引いてヨナさんを座らせて、最後にようやくその隣へと座り込み、獣人さんはまずこちらにメニューを寄越すものすごい気の使いぶり。大丈夫か!?この人…と思わず頭を凝視して、薄毛な部分が見当たらないのに何となくホッとする。
——素なんだな。素でこれだけのサービス精神…さぞや女性にモテるだろう。
実は顔も良いしなぁ…と隣に並んだヨナさんを見て。
しかし彼女もかなり可愛い女性だし。
あぁ、お似合いな若夫婦だと、ようやく小さな笑みがこぼれた。
ほどなく飲み物を適当にオーダーすると、気持ちの方も落ち着いた私の頭は野次馬な質問で持ち切りである。この待ち時間を利用して新婚さんへと決まり文句を放つべく、ずいっと体を前向けた。
驚きました、いつご結婚なさったんですか?とか、どこでお知り合いに?とか。
これだけラブラブな夫婦なら聞いても失礼にならないだろう——むしろそこは礼儀として聞かないと——と、祝福の気持ちを込めてちょっとした質問攻めに。もちろん、旦那さまの職業は?とか微妙な話題は振らないように気をつけて、会話の中からそれとなくお祝いに喜ばれそうな品物の当たりをつける。
町の入り口に建っていた冒険者ギルドにて、勇者様の滞在模様を小耳に挟んだところから、まだ数日は滞在に余裕がある様子だったし。風土とかの把握もかねてプレゼントを選ぶ時間は充分にありそうだ。
「実は私もびっくりなのですぅ。まさか結婚できるとは思ってなくて。キーくんと結婚したのは、ほんの二週間前なんですよー」
とか。
「出会いは冒険者ギルドの依頼をこなしていた時ですぅ。ちょっと危ない所を助けてもらって…それから仲良くなりましたぁ」
とか。
「アーシアは日差しが強いですからね。日中の外出は気をつけないとダメですよぅ。こういう布を被ったり、あとは東の方から来た人は日傘をさしている人が多いみたいですけどね。一目で町の人間じゃないってわかっちゃうんです。そうすると、この辺りではスリとかも少なくないので危ないかなぁと思いますぅ」
とか。
話の途中に運ばれてきた甘く冷たい飲み物で喉と体を潤しながら、私は熱心に彼女の声を聞き留める。ヨナさんは終始ごきげんに色々と教えてくれて、聞いているこちらの方も思わず笑みがこぼれてきたり。
幸せのおすそ分けにあずかった♪と実感してると、話題が世間話に移ろったのを計らって、それまでずっと頷きながら沈黙していたその人が不意に言葉を口にする。
「ところで名前…ベルリナちゃんだっけ?」
「はい、そうです。って、すみません。そういえば自己紹介がまだでした」
ベルリナと申します。冒険者とかやってます。腕っ節が弱いので、主に採集系の仕事で生活してます。と、聞かれるだろう質問を先に答えて時間を短縮。今度はこちらがヨナさんとの馴れ初めを突っ込まれる番かなぁ?と気持ちを整え構えると。
「こっちこそ自己紹介が遅くなってごめんなー。オレはキトラ。知り合いにはよくキーって呼ばれてる。見た通り獣人なんだけど、血はかなり薄い方。———で、ベルちゃんは勇者の嫁になるのが夢なんだって?」
「はわわわわ…き、キーくんてば、ダメですよぅ。いきなりそんな直球は…」
ベルさんのこと勝手に話してごめんなさいぃ…と視線でこちらに謝罪を入れて、ヨナヨナさんはあたふたとキトラさんの言葉を塞ぐ。
が、彼は飄々とした雰囲気で「このぐらいのこと、何で聞いちゃ悪いわけ?」と不思議そうな顔をする。
まぁ、私としてもとりたてて隠したい話じゃないし、むしろ今までの行動とかで大多数の人達に丸わかりだっただろう、と。レックスさんと初めて顔を合わせた時だって、向こうは私の名前を知っていたくらいだし。
冒険者ギルド内ではそこそこに有名で、ヨナさんの話の中の「ギルドの依頼遂行中に今の旦那に助けてもらった」くだりから、目の前の獣人さんも冒険者(それ)寄りの職かと推察できて、特に疑問も矛盾もない。
そういう訳で至極普通に。
「いつかはそうなりたいなー、と思いますけど。それより先にお付き合いを申し込まないとですしね」
——ちょっと最近、その情熱が萎んでたりしますけど…
そんな風に、苦笑をつけつつ返したら。
「へーぇ」
と、意味深な笑みを追加で返されて。
同時に隣で苦笑を漏らしたヨナさんの反応からも、それがどんな意味なのか分からなかった私の方は、ただ曖昧に笑みで流すだけ。
あとは自然と会話も落ち着き、空きがあったらこのホテルに宿泊しようと思ってると伝えると、それは良い考えだと二人共にオススメされた。
なんでも女将と親しいらしく、アーシアに初めて滞在する点でよくしてくれるよう口添えをしてくれるとか。
丁度、手元の飲み物も空になったということで、少し早いがチェックインしようかなという素振りをみせると、さすが気のきく旦那さま。「長旅で疲れてるだろうから、残りの話は明日にしたら?」と話し足りなげなヨナさんにピリオドを打ってくれたのだ。
むしろ、新婚さんの邪魔をしてすみません…なこちら的には、複雑な心境ではあったけど。
椅子から腰を上げながら、私は普通に暇してますので明日はヨナさんのいい時間に、と伝えてみたら、満足そうな嬉しそうな顔をして「お昼前に迎えにきますぅ」と。なんだかその笑顔が眩しくて、最近低迷していた心がふわっと上がる。
そこから先を越されるまいと、ささやかなお祝いの気持ちを込めて抜け目無くカフェの支払いを済ませたら、気のせいか、どことなく挑むような光が一瞬だけキトラさんの瞳に宿る。
——えっ、この人まさか、女子に支払わせるのが自分ルールで許せないタイプなの??
何となくそう感じた私は、階段を下り始めたお二方の後ろから、そおっと会釈で「すまん」と入れる。
と、不意にその人が振り向いて。
何故だかニヤッと口元で笑われた。




