8−5
廊下に足を伸ばした途端、ふわっと吹いた風を受け、涼しいなぁとホッと一息。
レックスさんの計らいでわずかな間に耐性をつけたらしい私の意識は、同じ廊下をゾンビさんとすれ違ったりしてみても、極端にビビるということがなくなるほどになっていた。
怖いは怖いが、むしろ相手さんがこっちを普通にスルーしてくれるので大丈夫。
特に目的のない私の足取りは、ほんの少し迷いがあるが、どうせなら城の中を探検でもしてみよう、と、そこそこしっかりしたものだった。
ただし迷うのは困るから、突き当たりを突き当たる戦法で行こうかと。
そうして歩くと程なくして会場前の廊下が終わり、思いがけず十字路に出てしまう。
——オステアさんに連れてこられた方向とは逆にと思って来てみたけれど…まさかの十字路、どっちへ行こう?
広めに取られた廊下の合間は、四方へ伸びるそれの間にソファーや家具が置いてある。
少し座って考えようかと進めた足の裏側に、絨毯の柔らかさがフワッと届いた。
そのままソファーに座ろうと屈めた姿勢で前を向き、あれ?と思って固まった。
——白い猫足のドレッサー……?
固まった体を動かして、ぽすん、と腰を下ろしながら、目の前に置かれたその家具にデジャヴを覚えて記憶を辿る。
——あぁー!そうだ、着替えた部屋に飾ってあった!あれと同じやつなんだ!
たしか絵だと右側に赤い花、左側に黄色い花…と思い出し、こっちは逆に飾ってある…と考える。
キョロキョロと辺りを伺って、誰も見ていない雰囲気を確認したら、悪戯心が疼いた私はそおっとその場を立ち上がり、ささっと花瓶を移動する。
——よしよし、これであの絵と一緒。
満足感に浸りつつ、何事も無かったようにしてソファーに戻り再着席。
すると、いきなりトントンとむき出しの肩を叩かれた。
ん?と思って振り向くと、そこには小さな人形が。
『お休みのところすみません。もし時間に余裕があれば、私を二階の“時計の間”まで運んでは頂けませんか?』
——……うわぁ、きたよ、しゃべる人形パート2。
しかし今度は見慣れたおかげと丁寧な物言いに、それほど恐怖を感じずに済んだのだ。金髪蒼目、全長が四十センチな美女さんは、可愛い帽子とヒラヒラドレスを身に纏い、ふと視線を下向けた。
——あー…なるほど、靴ひもが切れちゃったんですね。
さぞ歩くのが辛かろう。
それ以前に、コンパス的な問題で長距離移動は辛かろう。
気の毒な気がした私は自分の予定も無い事なので、快くそれを引き受けることにした。
「いいですよ。どんな風に抱えて行ったらいいですか?」
人形さんはお礼と共に、道案内をしますので正面向きでお願いします、と丁寧に言ってきた。加えて“時計の間”までの廊下が薄暗いということで、すぐ側に掛けてあるランプを一つ持つように指示された。
帰り道が分からなくなると困るので、言われるままに進む傍ら、特に曲がり角付近ではいちいち置かれた置物や飾られた絵画など、なるべく話を振ってみて記憶に残るようにした。
階段を上って行って、広い廊下もだんだん細く薄暗くなったころ、人形さんが『あの部屋です』と腕の中で囁いた。
こんな場所で本当に良かったのか?と質問すると、これから愛しいあの人と年に一度の逢瀬を楽しむ予定です♪と照れた調子で返される。だからこんな人気(ひとけ)のない暗がりで待ち合わせだったのか、と。
——なんてこった。お化けも恋愛するものなのか。
愕然とした私をよそに、人形さんは部屋に着くと靴を脱いで駆け出した。
街の祭りの明かりが届く、綺麗な窓辺の椅子の上。
人形さんの恋人らしき人の気配を感じたとこで、それを確認しようなんて度胸とか私には全く無いので、さっと扉の陰に隠れてすぐに部屋を後にした。
その時、扉の隙間から大きな時計の絵が見えて、時計の間なのに時計音とかしないのかと少しガッカリしていた私は、大きな時計の絵が飾ってあるから“時計の間”なんだろう、と気持ちを切り替えることにした。
描かれた古時計の針はちょうど九時をさしていて、前の世界の童謡をふと思い出しながら、鯨の時計は使えねぇ…などと思った私は、きっと心が曲がってる。
そんな風にニヤリと笑い廊下を進んで行くうちに、もしかしてさっきの絵の場所とかも実在してたりするのかも、と。
それからの暇人(わたし)の動きは早かった。
広い屋敷を闇雲に動くのは無謀だろうということで、勇気を持って漂っているゴーストさんを捕まえる。
古時計を見たいのですが、どっちへ行けばいいですか?と。
そんなもの無いよと言われてしまえばささやかな冒険は終わりだが、幸運にも『あっちだよ〜』と可愛い声で教えてくれた。ただし彼ら、単純な構造ゆえか道案内が単純で、途中までしか教えてくれない。声を掛けること5体目にして、やっと目的地に辿り着く。
時計の間の絵とだいたい同じに見える時計は思ったより大きくて、時計板は手を伸ばしても届かない位置にある。振り子も揺れてなかったし、針も進む様子がないので、動かしても怒られないだろう。人通りもない廊下だし、と、都合良く隣に置いてあった踏み台を引っぱると、一番上に乗っかって針を九時に合わせてやった。
よしよし、ミッションコンプリートだ☆と、いそいそ台から降りた時、ガコッと重い音がして振り子の上から部品が落ちる。
一瞬、Σ( ̄Д ̄;)となったけど、古時計は壊れたというよりも直ったという雰囲気で、振り子は揺れ出し針を進めた。見れば落ちた部品というのが金属製の歯車で、大きさ的に何か違うやつのかな?っていう感じ。さすがに何の部品なのか思い至りはしなかったので、仕方ない、と廊下を戻る。
一応、通りがかった誰かが教えてくれるという期待を持って、歯車は手のひらに乗せたまま。
戻り始めた廊下の端に上へ伸びた階段が見て取れて、どうせなら屋上っぽい所から記念に城下を眺めてみるかと上へ上へと向かって行った。それらしい扉の前に立ち、動いたら御の字だ、と取手をグイッと引っ張ると、鍵がかかった様子もなしにあっさりと扉が開く。そして、ほんの少しだけ熱気のこもった風が吹き、屋上の一つであるらしい狭いそこから洋風の鐘楼が見えたのだ。
そのとき何の根拠もないが、ひらめいたのは手にした金属。
大きめな歯車の納まりどころというやつだ。
急にやる気が出てきた私はさっそくそこから脱すると、一目散に鐘楼を目指して行った。




