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少し後ろで「六枚羽根」と呟いたフィールくんの気配を感じて、ちらりとそちらを振り返る。
そこにはゆるいウェーブのかかったアクアブルーの長髪を両サイドの高い位置に結い上げた一対の翼を持った幼女が居て、まさに今、彼にぎゅっと抱きついているところだった。
翼種の翼の枚数は力の象徴、階級を表すもので、三対六枚羽根の熾天(セラフ)を頂点に、二対四枚羽根の智天(ケルブ)と続き、座天(スローネ)以下は一対二枚羽根となり、主天(キュリオテテス)、力天(デュミナス)、能天(エクスシア)…の並びとなる。
一対二枚羽根な方達の階級の差は、もちろん一般人には判別不可だ。が、彼ら的に相手の階位を取り間違うのは絶対にあり得ないことらしい。翼種を説明する本に内包する聖気の濃度がどう…とか書いてあったが、その感覚器を持たない只人にしてみると、正直、さっぱりわからない。
ぱっと見、フィールくんに抱きついている女の子は、一対二枚羽根であるからして。
——じゃあ、あの子…“覚醒”スキル所持してるんだ?
“覚醒”は比較的翼種が獲得しやすいスキルと言われている。
魂や存在意義に関わるほどの心的衝撃イベントが発生した際に発現し、その存在をさらに高位へと押し上げる効果を持つという。獲得後はランクに応じて覚醒時間を調節できる。
しかし、そもそも熾天(セラフ)ほどの存在は神国に3人居るか居ないかで…幼女の姿で旅をする熾天など、聞いたこともないのだが。
聖気を糧とする彼らにとって、この大陸はそれほど過ごし易くない。それというのも聖気に満ちた土地というのが大陸的に珍しいのだ。翼種の殆どが生活の地と定めている神国(デイデュードリア)は、この大陸で最も聖気が濃い土地の上に作られた。他にそれが得られるような広い土地は知られておらず、生活するには無理がある、範囲の狭い聖場(パワー・スポット)が点在しているのみである。よって、基本的に彼らは神国から出て来ない。
ちなみに魔種と翼種は一般的に仲が悪いものだと考えられているそうで、それは互いの糧である魔気と聖気に端を発しているらしい。らしい、というのは私がいまいち納得してない話だからで、この世界の研究者等は、よく魔気と聖気を対立するものという前提で話を進めて行くのだが、別世界から転生してきた私の感覚からいうと、どうしてもそれらが対であるとは考えにくい。例えば聖気が「聖なるもの」なら、魔気は「邪なるもの」でなければいけないような気がするが、魔種のみならず多くの種族が使用する“魔法”というのは主に魔気からくる魔力を消費して生み出される現象なのだ。どう考えても「邪(よこしま)」ではないだろ?な私の主張は…まぁ、絶対通らないけど。
勉強しても分からないことがあるというのは、世界は違えど同じらしい。特に変に記憶が残る私のような人間は、納得できる証拠というのを共に示してもらわなければ、上手くそれを飲み込めない。
余談であるが“対立する”翼種と魔種のパワーバランスを語ってみると、熾天位≒公爵位となるらしい。おいおい翼種よ、史書にはないが“魔王”に対する何か上位の存在は居ないのか?神的な。と思ったところで、対魔王は勇者の職かと突っ込んだ、古くないその記憶。
そんな話はここまでにして、そろそろ現実に目を向けよう。
少年勇者が所持する嫌〜な感じの特殊スキル“女難の相”の開放により、道行く乙女達によって引き起こされた混乱は、上手いことこちらの相手の目をくらませる効果を発揮したようだ。
フィールくんのフードを取り払った瞬間に、鞄から出しておいた水晶玉のような不可視化魔道具——インビジブラーというらしい——をベリルちゃんの魔力をもって発動とかしてもらい、我々はコソコソと通りの端へ向かっていった。
少年の顔をさらしてベリルちゃんがうっかり彼の“顔”とか“魅了”とかに引っかかったらマズいよな…で、路地を早歩きしながら魅了耐性のアイテムをサッと差し出してみたところ、「魅了は効かない」的なことを返されたのだ。
体質的に魅了無効…つまりそれは恩恵で。
愛の女神の加護を持つ、かの黒髪の勇者様に微塵もなびかなかった訳ですね、と。
ようやく人ごみから抜けたところで、私はそっと隣を歩む美少女を伺った。
ちなみに、両勇者の顔は彼女の守備範囲外らしい。
フィールくんの美少年(ショタ)顔を見て何一つ動くものがなかったのを、あのとき私はしっかりと感じ取ったのだ。
ベリルちゃんが手のひらに持つ水晶玉に、こちらの手を乗せるように触れさせて、取ってある自分の宿へ向かって歩く。
泊まる場所を選べるならば「高くなく安すぎない値段」を信条にしている私は、街ならばいつも似た雰囲気の宿屋を選ぶ。人通りが少なかったり、薄暗かったりするのはやっぱり少し恐いので、たいがい大きな通りから二本ほど入った場所になる。
ほどなく見えたドアをくぐって水晶玉を離してもらい、こそっと宿のおばさんに「この子変態さんに追われてて…」と同情を引くように語ってみせる。と、おばちゃんは大きく頷き、居合わせた客にも「変な男につきまとわれるなんて可哀想だ。あんた達もここで見たことは黙っててあげな」的なことを言い、快く相室を許可してくれた。
「そういや、あんたに客が来てたんだ。部屋で待ってる筈だよ」
二階へ登り始めたとき後ろの方から声を掛けられ、そうですかー、どうもです、と会釈付きで返答する。
——おいおい、おばちゃん。相手が誰かもわからないのに、勝手に部屋の方へ通してくれちゃったのか!そもそも訪ねてくるような相手の居ない私からして、それってだいぶ恐いんですが!?
と。思っても言わない私をエラいと誰か褒めてくれ。
なんとなく気落ちして、しかしイザを考えながら恐る恐るドアを開けてみたところ。
「遅い!」
と投げられる、少し強めの子供の言葉。
そして私はなるほど納得。
そこに居たのは緑の髪の聖職者様。身元の確かな、尊い職の人だったので通されたということらしい。
鞄から簡易椅子を取り出して、ソロルくんに着席を、ベリルちゃんには共にベッドへの着席を促して、とりあえず用事を伺うことにする。
「それで、どんな御用でしょうか?」
ソロルくんが言う前に、ベリルちゃんがすかさず放つ。
「今日はここに泊まることにした」
「雇われ側の奴らは見つけた分だけ“盲目”で足止めしたけど…例の奇人には会った?」
「…撒いて来た」
首を縦に振りながらそう語ったベリルちゃんに視線をくべて、続いて彼は苦い顔でこちらを向いた。
「……わかったよ。今から外に出て万が一見つかったらマズいだろうし…僕もここに居ることにする。不本意だけど」
——失礼なっ!!!
迷惑をかけられそうなのはこっちの方なんですが!?と憤慨しつつ。
一晩とはいえ面倒を見るってことなので、それなりのリターンを要求してもいいですか?な黒い視線を向けてみる。と、ソロルくんは首元の服の下から緑色の宝石の付いた首飾り(アクセサリー)を取り出した。
「領主の家まで行って、僕らがここに居るのを勇者に伝えてきてよ。ついでに明日の朝、迎えに来てって言っといて」
「そんなのお安い御用です(キリッ)」
——よっしゃ!これで堂々と勇者様に会いに行けるぜ!!街ヴァージョン勇者様だ万歳だ!!
所持しているだけのおやつと飲み物、暇つぶし用のゲームボードに娯楽小説から辞典類に至るまで、鞄から素早く取り出し片っ端から部屋に並べる。
好きなだけ飲んで食べて見て遊んでいてください☆ついでに夕ご飯買ってきますけど、食べたいものありますか?と笑顔を向けると、ここまでくると呆れを通り越して尊敬するよ…とソロルくんが言ったので。
尊敬してくれて構いませんよ、と去り際に語ってみたら。
「気付けよ!おもいっきり皮肉だよっ!!」
と、ドア向こうから悲痛な叫びが飛んで来た。
——まぁいい。今の私は、それはもう気分が良いので多少の野次は許してやろう。
なんてったってこれから愛しい勇者様に堂々と会いに行けるのだ。
——あ〜、プライベートな服装の勇者様ってどんなかな〜♪実はゆるファッションな姿って見たことないし〜。
緩みまくる頬を戻すことができなくて、鼻歌混じりに階下へ下る。
好きな人の知らない一面を見ることは、なにやらその人への理解が深まるようで嬉しいものだ。特にあのイケメン顔ならTシャツ一枚姿でも充分に魅力的…。
おっと危ない。
脳内で藍色浴衣に銀糸が混ざった渋い帯を身に着けさせて、うっかり胸元をはだけさせてみたところ…だいぶ大変な構図になったぞ。
うわーやばい。かっこ良さが半端ない。
——結婚したら部屋着に浴衣…作ったら、着てくれたりとか……しないかな…?(* ̄д ̄*)
そもそもそれってだいぶ先の話だよ!!現実見なよ!?と冷静な私さんが一生懸命抗議したけど。目の前の美味しすぎるイベントに、脳内に咲いた花は散る気配を少しも見せなかったのでございます。