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どうしてもツレを師匠に会わせたくないために、嫌なイベントを出来る限り後の方へと押しやるべく、お土産という名の“希少な素材”探しを始めた勇者は今日も熟した美女と行く。
レアアイテムが欲しいなら竜の山(ドラコルム)に行くべきだ!と、少し前に寄った街の食堂で相席になった冒険者がいやに熱く語ってきたので、その言を頼りに二人は西を目指し始めた。
西方へと伸びる道、シシリカーナ・ロード沿いのこの街へは、そろそろいい時間なので食事と宿を取るべく寄ってみたというところ。
もともと大きな街なので人通りの多さには覚悟を決めて来たのだが、それにしたって多過ぎる…と少年はフードの下で苦い表情を浮かべていた。人が滅多に訪れない北の森で育った彼は、賑やかな場所というのがどうにも苦手で、多くの人を前にするとどうしたらいいのかわからなくなるらしい。
その気配を悟ってか、隣を歩む美女が言う。
『どうやら明日、豊穣を願う祭があるらしい。それでいつもより人が増えておるようだ。この分だと宿が取れるかも怪しいな。我は街の外でも一向にかまわぬぞ』
「そうなんだ。とりあえず夕食取って…部屋の空きがなかったら外に戻ろうか」
この白髪の魔婦人は随分ヒトが出来ていて、こぎれいな身なりの割に野営をそれほど厭わない。身ぎれいな女性ほど休憩時に仕切りや屋根がないのを嫌うものだと聞いていたので、彼にとってそれは意外なことだった。
女性の扱いは丁寧に!と幼い頃より師匠に叩き込まれたせいもあり、エル・フィオーネが「嫌だ」と言ったら何としてでも宿を取らねばならないような、切迫した心地にさせられる。そこへきて嫌と言わない彼女の優しさは、彼にある種の安心感と、共にある気軽さを与えていた。
未だに“伴侶”の言葉の重みは受け入れることができないが、それでもそんな彼を労り、包み込むような優しさを見せる彼女に対して、情のようなものが目覚め始めていることを彼自身も気付き始めているようだ。
「何食べたい?」
常の調子で語りかけた少年に、エル・フィオーネは柔らかく笑む。
間の子でもない限り、魔種は大気に漂う魔気さえあれば、かなりの時を生きられる。だからといって人族が好む食事を食すことができない訳ではないのだが、彼女ほどの存在は、よほど大きな力を使わなければ摂食というものを必要としないのだ。
そのことについて語ったことがあるのだが、フィールはいまいち理解できなかったのか、はたまた只の癖なのか。食事時や小腹がすくと必ず彼女に「何か食べたいものとかある?」と聞いてくる。
それは彼の意識の中にちゃんと自分が存在しているのだと…そんな風に感じられるから。それがたまらなく嬉しいと、いつも彼女は笑うのだ。
『名物料理を食べてみたい気がするが』
「あー、確かに。俺もこの街きたの初めてだし、名物があるなら食っときたい」
『ふむ。名物ならば、おそらくどの店にも置いてあるだろう。我は些細な味の差など気にならぬしな。一番店でなくともよいぞ』
「俺もそう。じゃあ、目についたとこで、入れそうだったら入るってんでいい?」
うむ、と魔人は頷いて「おや、あの時の娘…久しいな」と独り言を呟いた。
それに気付いた少年が、何の気もなしに問いかける。
「何か言った?」
『あぁ。あの時の脆弱そうな娘がな…』
ふと足を止めた勇者の肩に、ポンと軽い衝撃が乗る。
何故かその時、彼は背中に冷気が走る感じを覚えた。
「お久しぶりです、フィール君」
そう言って肩を叩くのは、某国の遺跡系ダンジョンで行動を共にした平凡そうな茶色の娘。
急なことで言葉をのんだ少年は、振り返ったところで思わず動きを凍らせた。
「お久しぶりです、エル・フィオーネさん。いきなりで悪いんですが、先にお詫びを渡しておきますね」
言い終わるのと同じ時に、右手のひらに堅い何かを握らせられる。
「あ……っと、え…?」
ろれつが上手く回らない雰囲気で、彼の視線が確認のため、右手に落ちたのをいいことに。
茶色の娘は“勇者”たる存在の隙をつき、思いがけない行動に出たのであった。
———許せ!フィールよ!!
そんな聞こえない叫びが聞こえ。
「どうか人助けだと思って下さい☆」
と、極上の笑顔を見せて。
次の瞬間。
バッサーーーッ!!!
と。
この瞬間。
少年が目深にかぶった黒いフードを取り払われた瞬間に。
放出された白群の糸、やや不健康そうな象牙色(アイボリー)の肌色と、乙女心をくすぐるような甘く幼い美少年(ショタ)顔が中央通りに投下され。
それはそれは恐ろしいほどの勢いで、道行く乙女の情熱を爆発させていったのだ。
「え??ちょ!?…ちょっと待てぇぇえぇえ!!!!!」
混乱による状況把握の遅れの後に、堰を切るような速攻で待ったをかけるが、勇者たる彼の目に捉えられることもなく、茶色の娘はすでにそこを発っていた。
愛の女神の加護の効果か、魅了にかかった乙女達の眼差しがヤバい方向に染まりゆく。
これがちょっとずつ近づいて来ていたとか、中心から離れた場所の気配の薄まりあたりから徐々に慣らされていたのなら。おそらく、ここまでの異常にはならなかっただろうに、と。
NothingからいきなりAllの影響力を受けてしまった人々を見て、偶然、彼の隣に居合わせたアクアブルーの髪の少女が、状態回復の広範囲魔法と呼ばれるものを待ち(ウェイト)無しで発動させた。
「目を覚ましなさい!--- Get real ---」
ゴッ!と神聖な気配が少女の足下より立ち上り、感じ取れない風となって辺り一帯を駆け抜ける。
強力な熱を帯びた乙女達の瞳が冷静な色を取り戻していく光景を前にして、魔婦人はもちろんのこと、少年勇者も驚きのままアクアブルーの幼い少女に視線を下ろす。
彼の腰ほどの身長しかない彼女は、背中に一対の翼を持った翼種と呼ばれる存在だった。神国(デイデュードリア)を生活の地とし、滅多にそこから離れない彼ら種族は、竜人ほどではないものの目にすることは稀である。
二人分のそれを感じて不意に顔を上げた少女は、彼らに冷たい一瞥を向け、興味無さげに顔を逸らした。
場を去ろうと踵を返した幼女の背を見て、その言葉が勇者の口から思わず漏れる。
「………六枚羽根…?」
絞り出された彼のセリフを耳にしたのか、ハタと歩みを止めた少女は素早く体の向きを変え、寸歩で勇者の前に立つ。
「……っ!その聖眼!!」
開いた瞳をさらに大きく、髪色と同じ水色の光を揺らして。
彼の腰に抱きつくと、涙を浮かべて力強く囁いた。
「シグルズなのね!?ずっと…ずっと、待ってたわ…!七百年待ったのよ!!あぁ…とても会いたかった!!今度は私を置いて行ったりしないでしょうね…?」