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高レベルダンジョン“失意の森”。
普通の森を歩いていたらうっかりダンジョンに足を踏み入れてました!みたいな軽いノリで挑める、なかなか初心者にはドッキリな場所に位置する森である。さすがに一歩踏み込めば周りの空気が急激に陰鬱なものに変わるため、よほど読めない人でなければ気づくことができる。
勇者パーティの今回の目的は、この森でのレベル上げ。風の噂によると現在の彼らのレベルは50の後半から60の前半らしく、挑むには丁度いい場所のようだ。ダンジョン・ボスのネックハンギングツリーがおおよそレベル68だそうなので、道すがらエンカウントした敵は殲滅していた。表情筋がほとんど動かない勇者様を除いて、皆、手応えを感じているような満足そうな顔をしていたから、それなりに成果を上げられているのだろう。
とか真面目に思っていたら。
——あれ??勇者様、お一人じゃありませんか!?
開けた平地に、ぽつねんと佇む勇者様。
彼はゆっくりと背後の大剣に手を伸ばし、馴染ませるかのように振り抜いた。
つつつ、と彼の視線の先を追えば、そこにはとてつもなくグロイ真っ黒な巨木。幹の表面が脈打っていて、時折気味の悪い声を発している。樹液のような赤黒いものを全体から滴らせており、それが地面に着弾するとジュッと焼けるような音を発する。酸みたいなものなのだろうか。被弾したあたりの草花が変色して萎れていく。枝の先には薄汚れた荒縄がぶら下がっていて、その中のいくつかには何か人のようなものがついているが…精神衛生上、私はそれを見ないように努めることにした。
ふと他のメンバーの姿を探すも、近くには居ない様子。
どうしてこうなった!?と盛大に心の中で突っ込んだが“森系”ダンジョンはもれなく迷いのトラップが付属したなぁと思い直して、ことの顛末を理解する。
ようするに、分断されちゃったわけだ。
もちろん愛を掲げる私の前に迷いなど微塵も存在しないし、ダンジョントラップだろうがなんだろうがそんなもの屁でもない。いつだって勇者様の元へ一番に到着する自信がある。
そしてこうなった。
ダンジョン・ボスを前にして、勇者様と追っかけの私、二人きり。
ボス戦なのでよほどの実力かアイテムがない限り逃走不可。実は私の特殊スキルなら逃げられそうな気もするけれど、彼にはその二文字がまるでないようなので、意思を尊重することにする。
——ここは普段目立たない自分をアピールする良い機会なのでは!?
と思い立った私は、喜び勇んで彼の近く——10メートルくらい——まで駆け出した。すると、あなた腹式呼吸の方ですね!と思うくらい、低くてとても良い声がする。低周波は空気中での減衰が高周波より少ないから遠くまで届くのだと、前の記憶が語っている。
少し冷静になろう。
つまり彼はこう言った。
「……邪魔だ。下がっていろ」
——全く、なんという美声でしょう!(再び)
思わず目的を見失いそうになりながら、ふんばってそれに耐える。
——ゆゆゆ勇者様!あ、だめだ。脳内リハーサルでこの調子じゃ絶対に舌を噛む。
「か、勝てそうですかっ!?」
思い直して単純明快な言葉で戦況を聞くことにした。
ちょっとどもってしまったが(照)。
「わからない」
彼は敵を見定めながらぽつりとこぼす。
——はい、わかりました!難しいってことですね!
「え、援護します!ちちちち近づいてもいいですか!?」
「……守りきる自信がないが」
「射程距離が短そうなのでたぶん大丈夫です!」
了承の言葉をもらった私は満面の笑みで残り10メートルをつめる。
ここで距離をつめられるなんてラッキー!一番最初に辿り着いたご褒美ってやつですね!わかります!やっぱり勇者様カッコイイ!やっほぃ!などとウキウキしながら彼の一歩後ろまで近づいて、カバンの中身をサッと確認する。
「えーっと…小回復から大回復まで合計100本強の回復薬があります。状態回復薬も充分にありますから状態異常は心配しないで下さい。強化薬はいりますか?」
「回避と体力向上を」
乞われたものを手早く取り出し、その人へ差し出す。
「加護石がありますから、それで適当に援護しますね。私は後ろの方にいるので回復が必要になったら近くまで来てもらえますか?」
「わかった」
前の世界のビタミン剤くらいの大きさの強化薬を口に含んで、勇者様は一気に駆け出した。
ボス戦開始だ!
私は記憶にあるゲームの音楽を小さく口ずさみながら、愛する人の凛々しい後ろ姿をうっとりと眺める。
いやいやいや。眺めている場合ではない。援護しなければ。
カバンをあさって親指の爪ほどの色づいた石を2つ取り出し、前方の不気味な木へと投げつける。小娘の投擲などコントロールも悪ければ当然飛距離も出ない。が、ここはモンスターが跋扈するファンタジーな世界。前の世界での不可能は案外可能だったりする。
——せーのっ
「左のでっかい枝を爆破!」
なるべく大きな声で叫ぶ。
放物線を描いて下降気味だった2つの石から幽霊みたいな半透明な人型(ひとがた)がにゅっと現れて、指定した枝のところで交わり、ドドーン!という爆発音を生んだ。
赤黒い樹液のおかげで燃え移るのを防いだ樹木は、爆発の反動で一瞬動きを止める。そこへすかさず切り込む勇者様。
——なんという共同作業……(じーん)
これなら嫁になるのも時間の問題♪と確信する私をよそに、見えない速さで木と勇者様は交戦を続ける。
「力と回避と中回復を」
不意に聞こえた端正なお声に、条件反射のように応える私。自分もびっくりな流麗な手つきで指定されたものを次々に取り出し彼へと投げ渡す。
好きなひとのためなら音速さえ越えてみせる!と、目つきをマジにして、勇者様がカリッと薬をかじり回復薬を飲み下している隙に、掴んだ3つの小石を上空へ打ち上げる。
「威力3倍で!」
再び小石から人型が抜け出して三重螺旋を描きながら天へと登り、急落下。バリバリバリッと痛そうな音を立てながら、巨大な雷が敵を打つ。
その振動で荒縄から人のようなものが何体か大地へと落ちたようだった。あ、これでちょっとは見るに耐えられるようになったかな?と単純に考えていると……。
——ちょ!?まっ!なんで起き上がってくんの!?
ヒイッという悲鳴と共に一際輝く小石を手のひらいっぱい投げつける。
「こっちこないでぇぇぇぇっっっ!!!」
全体的にゾンビな雰囲気いっぱいのそれらの腹を、光り輝く人型が突き抜ける。ゴッ!ドサッ!ズンッ!などと鈍い音を立てながら倒れ伏す奴らが、さらさらと灰になって消えて行く。
ホラーはダメだ。前世ではお化け屋敷にだって入れなかったのに、こんなところでより生々しいものを見るハメになるなんて。
私の妙な本気を悟ったのか、勇者様からこちらを気にする空気が薄くなる。
段々と増える彼らの傷跡。
レベルの低い私に見えるのは、そんな彼らの残像と過去となったその爪痕くらいのものだ。何をどうして戦っているのかなど、追っかけを始めた当初から見えてない。
しなる枝による大振りの攻撃を避けるために勇者様が距離をとったので、ついでにボスの方を見やる。すると、始めの方で爆破した太い枝の亀裂が小さくなっているような気がした。
徐々に再生する能力でもあるのだろうか。
私は静かに彼らの戦いの軌跡を見つめ続ける。やはり枝の亀裂が段々小さくなっていくようだ。
致命的なダメージをボスに与えることができずに刻々と時間ばかりが過ぎて行く。
勇者様も気づいていると思うのだが…。
「毒消し、大回復」
「はいっ」
「麻痺消し、体力」
「はいっ」
「中回復、回避、力」
「はいっ」
「火の加護石5つ」
「はいっ」
「毒消し、中回復、魔力回復」
「はいっ」
「……魔薬(まやく)まで持ってるのか」
「もちろんっ」
——あれ?
いつも無表情な勇者様がちょっとだけ驚いた表情を浮かべているような気がした。
前の世界のゲームじゃ魔力を回復するような薬は簡単に手に入ったけれど、この世界での回復薬——通称、魔薬——は希少な部類に入り、手に入れるのが困難だ。
——うわぁ、レア顔!
なんて惚けていると、先に渡した加護石を放り投げた勇者様が少しだけ肩で息をしながら隣に立っていた。
「火の精霊石」
「必要ですか?」
「………あれば」
その期待に応えてみせましょう!と、私はそれをカバンから取り出して彼に差し出した。
道ばたの砂利みたいな小さく砕けた加護石とは違って、精霊石は立派な結晶の形をしている。大きさで値段が異なる加護石は前世の紙幣価値からして一万〜数十万とばらついた価格帯になっているのだが、精霊石と名がついた結晶石になると安いもので数百万、高いもので数千万まで跳ね上がる。もちろんそれらは使い切り。勇者パーティでさえそう簡単に備蓄できないアイテムなのだ。
「………あるのか」
彼はハァと深い息を吐き、それを受け取った。
背景には雫が光る水色のアガパンサスが咲き乱れて見える。
——ため息さえ美しいとは!
「これで一気に片付ける」
「回復はしなくても大丈夫ですか?」
「おそらく」
手の中の結晶に視線を落として言う。
これほどの大きさだ。やりようによっては小規模な町くらいなら簡単に吹き飛ばせるかもしれない。同じことを思ったらしい勇者様の顔を盗み見て、私は、この人はわかりにくいけれど意外と感情が豊かなんだなぁと思ったりする。
加護石の爆風が晴れ始めたのを確認すると、彼は再び渦中へと駆け出した。