閑話 再び、果ての島にて
窓枠に両手を乗せ、宵色に染まる透明な空を見上げていた少女が「あ」と呟き身じろいだ。
急にそれを思い立ったという様子で体をくるりと反転し、トトト…という効果音が似合いそうな早足で、部屋の隅に片付けられた“おもちゃ箱”の前に行く。
悩む素振りも見せず、そこからはみ出た竿を引き抜く少女を見つけて。
「エイダ、もう夜よ」
窓の外を指差しながら、スミレ色の髪を一つに結った彼女の姉が声掛ける。
そのセリフには「もう夜なんだから遊びは終わり。あんたが散らかした後を片付けるの面倒なのよ」というような音が被せてあって、聞いたエイダは見えないところで顔をしかめ、しかし姉を見上げたそれには一切の名残を見せず言い返す。
「夜釣りに行くの。明日の朝はおさかなさんが食べたいわ」
つまりこれは自身の食料調達のためであり、遊びではないのだと。
彼女の姉は堂々と竿を掲げて語る自妹の姿に、頭が痛い…という顔をした。が、朝ご飯に焼き魚、という響きが気に入ったのか、返る言葉は珍しくも寛大なものだった。
「ウロコが少ないヤツでお願いね。それと、何かあったら困るから目が届く場所に居て」
暗に釣り場(ポイント)は庭先にしろと指示を入れ、着替えとタオルをその場に置いて、風呂場へ行こうとしていた足をキッチンへと向け消えていく。
まだ釣ってきてもいないのに、あの働き者は下処理の準備でも始めるのだろうかと。
眠そうな目をさらに細めて、エイダは呆れ顔で部屋を出る。
「おっさかなさん♪おさかなさん♪おさかなさんを釣りにいこー♪」
足を進める度にサクサクと音を成す背の低い青草に視線を落とし、ふと少女は夜空を見上げた。
凪いだ空間に足下からわき上がるように立ち上る一陣の風。
スミレ色のツインテールを弄ぶように去って行ったそれを振り仰ぎ、ついでに自分たちの住まいに目を移す。
生活のために使用している部屋はごく僅か。
元々、二人だけが住まうにしては大き過ぎる城なのだ。
そう思ったところで気が済んで、フイと体を向き直す。
そろそろ気分を変えようと竿を振って音を鳴らせば、釣り人の魂が奮い立つ。
眠そうな目を鋭く光らせ、少し離れた出窓から届く光を頼りに、めぼしいポイントを物色する。切り立った岩場の一つに狙いを定め、よし、という意気込みで向かっていって、滑らない足場を探す。
軽く握った竿の先へと適当な魔力を注入すれば、おもちゃの竿から名竿BR-5(ビーアール・ファイブ)への転換完了である。この世に6本のみ存在するというBamboo-Rodの最後のナンバーを持つそれは、シリーズの中で最も細身でしなりがいいと、今は亡き祖母に聞いている。長年の相棒なので愛着もひとしおだが、持ち手のしっくり具合と女性的なしなりを見ては、使う度に惚れ直す。
ピンと張ったその姿が余りにも凛々しくて、思わずみとれてしまった…という顔を元に戻すと、エイダは静寂の空へと魔力で紡がれた糸を静かに垂らした。その糸の先に付く釣り針も同じように魔力で出来ており、それ自体が餌となる。
そうして、シンとする宵の海に、小さく響く少女の声音。
「さぁおいで」
おそらく本人さえ気付いていないが、言葉に力が宿るとき、彼女の瞳は虚ろに変わる。
「生まれておいで、おさかなさん。その深い、深い、穴の底から、広大な空を目指して」
白く輝く釣り糸は、嵐の前の静けさか、すっかり凪いだ夜の空に揺れることなく落ちている。
地上付近では飛んでいた風の精が一点に寄り集まって、穴の中へと降りていく。
やがて月を目指して登り始める細い風の線ができ、エイダが握る竿先にやや大きな風の塊がぶつかった。
それを合図に少女はもう片方の手を竿に乗せ、腰を少し低い位置に持ってくる。
ずいぶん下方で魔気と聖気をないまぜにしたような爆発の気配を感じ取り……。
———来た、と。
彼女が竿をしっかりと握り直した瞬間に、ゴウッ!!という爆風が天に向かって昇り立ち、その最中(さなか)を光を纏った色とりどりの魚達が泳ぎ行く。
魔力の糸は蹴散らされ、たるみ、風に流されて。しばらく泳ぎ去る魚群の中に埋もれていたが、不意に少女が引いた竿に導かれ、上方に伸びたそれがピンと張る。
「かかった…」
呟くやいなや、大きな腰の動きで竿を引いたエイダの視線の先に、群れの中から引きずり出された空色の魚体が踊り出る。流れから引き抜かれてしまった空色は、群れの中に戻ろうと身をよじり、力の限りくわえた糸を引っ張った。
それに合わせて細い竿が大きくしなる。
「逃がさない」
眠そうな目をカッと見開き、少女の方も力一杯竿を引く。が、それも僅かな時のこと。
その間に互いの力の均衡を確認したエイダは、次の瞬間、張った糸を不意にゆるませる。
そして狙い通り魚体がバランスを崩した隙をつき、握る竿を一思いに引き抜いた。
夜空に遊ぶ白い糸。
思いがけない力に負けて呆気なく引き寄せられた空色は、そこでまたしても思いがけない打撃を受ける。糸がたわみ、魚体が近づいたのをいいことに、隙ありとエイダが竿で空色の体を地面へ叩き落としたのだ。
その瞬間、コツ、と右手に髪飾りが触れたのを意識の片隅に、少女は引きの弱まった魚を手際よく引き寄せた。岩場から降り、地面まで引きずると、手近にあった大きめの石を持ち魚の頭を強打する。少し意識が飛んでいたらしい空色の空魚は、これで完全に動きを止めた。
ふうっと一息、大仕事をやり終えた感に浸った少女は、釣った魚の大きさを目測したりウロコ具合を確かめたりしていたが、満足のいくものだったというようにその顔に極上の笑顔を浮かべて見せた。
これなら姉も喜ぶだろうと意気揚々と魚体を引きずり部屋へ戻ろうとしたところ、癖で触った左の髪に、あるはずのものが無いことに気がついた。
「あ…」
そういえば、竿を引いた瞬間に右手がそこにぶつかったような記憶があると。
竿を置いて岩場を探すが、残念ながら近くに落ちていなかった。
これはもう、かなりの確率で“下”に落ちていったのだ、と。
お気に入りだったのに、と気落ちした顔でしばらく遠くの地上を見下ろしていたのだが、ふと思い立ち、世界に語る。
「拾った人、わたしのとこまで届けに来てね。待ってるから……」
きっとよ———。
すみれ色のツインテールをなびかせて、エイダルーナは虚ろな瞳で囁いた。
幼女に釣り竿、燃えませんか?
萌えではなく、むしろ燃え。うぉおおおっ!!!みたいな。
……なんか、ごめんなさい<(_ _;)>
それとこの設定、既出だったらすみません。もちろん意図せぬ一致です。