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勇者の嫁になりたくて ( ̄∇ ̄*)ゞ  作者: 千海
6 アーテル・ホール
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6−7



 自分の頬に何か小さな刺激があって、静寂の意識の海に波紋が生まれた。

 タ、パタ。パタタ。と、連なった不思議な感触にぼんやりしつつ意識を向ければ、それが急にまぶたの上に降ってきて、驚いて目を開ける。


「………」


 ぼやける視界に何か黒いものが見え、どうも水滴らしき物質がそれらの先から落ちてきている雰囲気だ…と。そんな状況下に居る自分はもちろん動かない漆黒色をも怪しんで、訝しげに見上げた所、おぼろな世界が急激にクリアなものへと変化した。


——お、おおぉぉお…?


「目の前に勇者様の幻が。そうか、私、そんなとこまで…」


 飢えてたか、と発音する手前らへんで、また一つ小さな雫が頬骨辺りに落下する。


——う、冷たい。何だかなー……うっすら寒い気もするし…


 はぁー、とため息めいたものが漏れ、何があったんだっけ?と記憶を辿る。


——確か私、ヨナちゃん庇って強風に煽られて……穴の方に押されたと思ったら、あとはそのまま落下した。


「あぁー…せめてこの世界の重力加速度、知りたかった気がするなぁ…」


 知ったところで何がどうなるって訳じゃないけどさ。

 言いながら瞼を閉じる、と。


「ジュウリョクカソクド…?」


 その言葉の音をなぞる、えらい美声が聞こえてきたり。


——今の時代の幻は声までも再現可能なんですか!!


 これは細部を確かめねばなるまいと勢いよく開いた視界の中には、“水も滴るいい男”が実際に水を滴らせていたりする光景が。


——知らなかったよ!水に濡れた勇者様って、ここまで色っぽいものなのか……!!


 線の細い黒髪が全体的にボリュームダウン。それらの毛先が首筋や頬のあたりにぴったりと張り付いて見て取れる。肌を伝う雫の軌跡は艶かしい光を放ち、腕をついて見下ろす角度のせいなのか、無表情に覗く瞳がいつもよりやや細められていて…その繊細な美がこれまた悩ましい色香を辺りに漂わせる訳で。灰色の瞳というのも、色の無い、どこか退廃的な、それでいて蠱惑的な雰囲気を醸し出しており、触れる事を相手に強く躊躇わせる程である。

 思わずとはいえ、随分長いこと彼にみとれてしまった自分の姿に苦笑して。

 さすがに本物が相手だと気恥ずかしさが邪魔をして間近で直視はできないが、幻なら思う存分ガン見できるゼ☆な気分になって、まじまじと美形勇者な作り物の彼を伺った。

 それは見れば見るほど精巧な造りをしていて、ここは神の空間か!?がんばって生きた私にご褒美なのか!?と思いが巡る。だってほら。よくあるでしょう?不慮の事故で呆気なく死んでみたら、神空間で神と邂逅なイベントが。

 なんだ私、また転生ルートに入るのか。前はこんなの無かったのにな。もしかして、今度は使えるスキルを選ばせてくれたりとかするんだろうか?と。

 思考する私をさておき、その幻はゆっくりと上体を起こしていって最終的に全体像がこちらの視界に収まった。


——お。気付かなかったが半裸のようだ。……ん?何だと!?半裸だとぅ!?


 お互いの間にできた空間にガバリな音で跳ね起きて、顔→胸→顔→胸→腹→顔→下と、慌ただしく視線を行き来する。


——う…わ……肌色率高っ!!!(゜゜i)


 腹筋が!腹筋がうっすら割れてるよ!!

 腕とかも筋肉質!これこそまさに筋肉質!!

 うおぉおお!!どこもかしこもひきしまってる!すごい!すごい!!

 成人男性の上半身を見るなんて前の世界の夫のそれ以来じゃないか!?と、おばさん思考が復活し、急上昇したテンションがしばらく落ちてきそうになかったが。


——うわー、すごい。これって何十年ぶりの経験だろう?たしか八年だったもなぁ…


 前の世界の夫な人は、中年太りを見る前にさっさと他界しちゃってたりして。顔なんかは殆ど覚えてないのだが、スレンダーな印象が今でも記憶に新しい。

 そんなことを思い出したら不覚にも熱いものがこみ上げて、口元をきつく結んで押さえ込む。

 いろいろ混ざった複雑な感情で、それでも目の前の絶景にうっすら熱く、たぶん赤く染まっているだろう自分の頬を認識しつつ眺めていると、勇者様の幻は怪訝そうな表情で囁いた。


「大丈夫か?」


 と、あの世界でいつも通りの深良い声で。


「これは何本だ?」


 続く言葉と、視線の高さに合わせられた細く長い一本の指。


「え…と。一本ですね」


 促されるまま返してみれば頷かれ、隣の指が上げられる。


「これは?」

「二本です」

「記憶はどこまで?意識の混濁は?」

「えぇと。まぁ…その、いろいろと…」


 一体この“まとも”そうな会話は何だ!?と、ここでようやく辺りを見回し。

 心配そうな顔をしている、ひこひこお耳のレプスさんとか。

 同じく挙動を伺っている、美中年なライスさんとか。

 実は少しも気にしていない、金髪ポニテのベリルちゃんとか。

 いつも通りの見慣れた姿が目に入り、視界の外で手の甲をむぎゅっと摘む。


「痛いですね。痛覚があるようです。ってことは何ですか?これってまさか、現実ですか??」


 頷かずにその人は、いつも通りの顔で言う。


「スカイフィッシュの出現で上昇気流が発生し、どうやら落下速度が抑えられたらしい。着水前に防御魔法(プロテクション)が間に合って、衝撃を緩衝できたのも運が良かった。ただ、受け止めるのに間に合わなくて、ずぶ濡れにしてしまった。気付くのが遅れてすまない」

「いやいやいや!じゅ、充分ですよ!助けていただき本当にありがとうございます!!」

「それと、これが一緒に落ちてきたので拾っておいた」

「(ん?この髪飾り私のじゃないんだけどな…まぁいいか。くれるならもらっとこう。と言う訳で…)どうもありがとうございます!」


 風音が鳴る勢いで彼に向かって頭を下げる。

 だって、ねぇ?勇者様も頭から濡れてるということは、落ちた後、わざわざ“拾いに”行ってくれた訳でしょう?……この広くて深そうな湖の中とかに。何ていうかもう、間違いなく命の恩人だけど、それ以上に良い人過ぎるよ勇者様!!

 そんな感動の嵐の中、ふとしたことからある事に気がついた。


——ま、まままま、まさかっ…!?


「あ、あの、勇者様っ……もしかしなくともマウス・トゥー・マウ…ぃたっ!?」


 記憶の無い時間中に己の身に起こったかもしれない真偽のほどを確かめようとしたところ、勢いよく頭の後ろを叩(はた)かれる。


「僕が意識回復の魔法をかけたんだ!!感謝してよね!」


 なんていう少年の声がして、なんだ勇者様に人工呼吸してもらった訳じゃなかったか…と、残念な気持ちで振り向くと。


「おい、お前…なんだその不満そうな顔つきは」

「え?全く気のせいですよ。助かりましたありがとうございますソロルくん」

「棒読みか!!」

「じゃあ私、そろそろ濡れた服を着替えて、勇者様を見つめる仕事に復帰するので」


 ご心配をおかけしましたー、とレプスさんとライスさんに手を振りつつ、ソロルくんに再び突っ込まれる前にと、そそくさとその場を後にする。

 若干ひきつった感じの表情を浮かべていたソロルくんの肩を叩いて、美少女なベリルちゃんが「もともとのつくりがああなんだから、回復魔法かけたって“まとも”には戻らないよ…」と、何となく悲しくなるようなセリフを吐いていたけど。

 まぁ、私、彼らよりは年上なのだし。ベリルちゃんはしっかり者のお姉ちゃんだったから、弟分のソロルくんを慰めているつもりなだけだよね、と思うことにしておいた。


 それから上の階で、湧いたモンスターをモグラたたきよろしく犬パンチで撲殺しているパーシー君を、おーいと呼びつける私なのだった。

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