6−4
アーテル・ホールの入り口が見え、私たちはお互いの顔を見て微笑んだ。
あれから何度かモンスターに当たったが、例のごとく遠くの点なパーシーが悉く処理してくれた。
冒険者というだけあって、ヨナちゃんの体はちゃんとエンカウントに反応したが、一、ニ度、標的のモンスターに斬りつけたところでパーシーの魔法が炸裂→ハイ終了な流れになった。
見た目の身軽さを裏切らず、足運びや体さばきは素早いのだが、やはりというか一撃の重さが足りてない。そこは本人も承知している所だそうで、使うナイフで刃先に毒か麻痺薬が塗ってあるのだと教えてくれた。
相手からの攻撃を受けないように気をつけて、隙をみて状態異常を付与したら、薬が効いてくるのを待ってトドメをさす戦法らしい。力の無い人間が一人で戦闘に挑む場合、それが最も安全で確実なのだ、と。ヨナちゃんは苦笑と共に教えてくれた。
なんでも彼女が駆け出しの頃、なかなかパーティを組んでくれる人が現れなくて単独行動ばかりしていたら、いつの間にかそちらの方が馴染んでしまい抜け出せなくなってしまったそうなのだ。
だから誰かとこんなに長く行動を共にするなんて、もしかして初めてのことかもしれないと。そう語ったヨナちゃんの横顔は、夕日に照らされ、ちょっぴり嬉しそうだった。
実は私、こっちの世界に転生してから女の子の友達はヨナちゃんが最初だったりするんですよ、と思ったけれど。それはさすがに出会ったばかりで重いかなぁと考え直して、口にするのをやめといた。
同性のお友達って大事よね、場合によっては彼氏とかいう存在よりも大事よね、と。
まぁ私、彼氏とか居ませんけどねー≧(´▽`)≦ な、ありきたりなオチで結んで、一人笑いを浮かべてみたり。考え笑いをする度にヨナちゃんが怪訝な顔でこっちを見るので、もしかして早くも引かれつつあるか?と心配になったけど。
大地に開いた暗い穴を覗き込んだら、浮いた気持ちも少しは降りて、お互いにちょっと真面目に頷き合った。
入り口までという話だったが、どうせなら行く所まで一緒しようと。
この時点で、私たちはそのくらい仲良くなっていたのである。
ダンジョンの石階段を数段ほど下って行くと、ヒョオという風の鳴き声が耳に届いた。
穴の直径は目視でも100メートル以上あり、黒一色で塗りつぶされた穴底までの距離なんか見当がつかないほどだ。穴の周りに掘り進められた石階段の一段あたりの高さはおおよそ10センチ。壁際から穴側の端までの階段長は5メートルほどと充分な長さがあって、床面の幅は50センチ以上あると見た。
しばらく下ると天井らしきものができ、それを支えるかのように穴側には階段の床面から伸びる石柱が等間隔に立っている。ちなみに他に柵のようなものはない。つまり、いつでもダイブできる状態だ。自殺するのに格好の立地だなと不穏なことを思ったが、ここまで深いと足が竦んで踏み出せないかも、とも思う。
アイボリー色の石壁には細かな模様が刻まれており、そのモチーフは植物だったり動物だったりモンスターだったり人だったりと様々だ。中には神様っぽい存在を人々があがめているような、遺跡によくある模様もあるが。私は考古学者じゃないし、それほど興味も湧かないのでストーリーを読み取ろうという気が起きず、流し見に留めておいた。
すこし先を歩いているヨナちゃんの後ろ姿を追うように、あちらこちらへ視線を移して歩くだけ。
実は勇者様の追っかけを始めたばかりの頃にこの近くを通った事があるのだが、中に入ったのはこれが初めてのことなのだ。たぶん、あの時も勇者パーティはここを目指していたはずだけど、体力が付いてなかった当時の私がようやく彼らに追いついた時、既に彼らはここでの用事を終えていた。勇者様が一度入ったダンジョンに何度も足を踏み入れるのは珍しいことなので、そこにどんな理由があるのか少なからず気になっているという訳だ。
そんな事をぼんやりと考えながらゆっくり歩みを進めていると。
「落とし物?」
足下に一瞬光った何かを見つけ、装飾品の類かと腰を折って手を伸ばす。
そんな私の頭の上を一筋の風が通り過ぎ、その風圧が数本の髪の毛を踊らせた。
「高そうなイヤリング…」
大粒の宝石を金細工で包み込むように造られている高価そうなそれを摘んで、しみじみと呟きながら折った腰を元に戻すと、ヨナちゃんが壁側の一点を凝視している姿が目に入る。
「どうかしました?」
拾い物を鞄に詰めつつ問いかけてみたところ、ギギギという例の効果音が似合いそうな首の動きで、彼女が私に向き直る。
「あっ、ベルさん…い、い、今のっ」
「?」
「え?…あれっ?無傷です??な、なな何でっ!?」
挙動不審な彼女の様子に思いきり不思議な顔をしてみると。
「はっ…そうか。そうですよねっ!わたしってばてっきり……はぁ。ベルさんが無事で良かったですぅ」
笑顔を浮かべ何か自己完結したらしいヨナちゃんの姿が目に入り、まぁそんなに問題じゃないならいいかー、な気分になって追求するのを諦める。
凝視されていた壁の一点にはレリーフに紛れるように径の小さい穴が開いていて、落ち着きを取り戻した同行者の足下にさり気なく視線を落とせば、石造りの階段の踏み面部分に他とは異なる僅かな凹みが見て取れた。
——ははぁ…なるほど。さてはヨナちゃんトラップ踏んだな!?
名探偵な気分になって、見えない所でニヤリと笑う。
頭を撫でた風圧は、トラップの発動により出現した武器か何かで生まれたものだったのだろう。
自分が踏んだトラップで同行者が怪我をした、なんて話はものすごく気まずいが。そこはほら、絶対に安心なスキルを持ってる私なら命に関わる大事にはなり得ないのでダイジョブよ☆と歩き始めた小さな背中にウインク一つ。
かすり傷なら普通にできるが、オーバーダメージなトラップならば完全にスルーできるしね。
……ん?それって…それってつまり、スルーされたトラップは。受けるはずだったダメージがステータスの体力値を上回るってことだから?と帰結して。
あれ?じゃあ、さっきのアレって私にとって致死ですか!?と若干背中が寒くなる。
——ま、まぁいいか。いや、いいじゃないか。結局死ななかったんだしさ。
気を取り直して前を進むヨナちゃんの隣に立とうと足を出したら、今度は何かに躓いて前のめりに転倒したり。
「わあっ!?」
ぱっと手をつき顔面衝突は避けられたものの、両足のスネを階段の角っこに打ち付けることになり大変痛い思いをする。
——恐かった…!階段で転ぶとか!なだらかだから良かったものの…
四つん這いで痛みが去るのを待ちながら、ため息混じりに身の無事を確認して安心すると、背後に何かモヤモヤとした妙な気配を感じ取る。
ちょっと嫌な予感がしたので、なるべく体を動かさないようにして、頭だけでそおっと後ろを振り返ってみた所。
——………マジですか( ̄□ ̄;)
転ぶ前に立っていた場所。そこから一歩ほど進んだ所。そのまま歩いていたならば、ちょうど上半身がぶつかっていたなぁという位置に、壁のレリーフから吹き出す炎が。
次いで、真っ青な顔をしたその人が、再びギギギな効果音でこちらの方を見下ろしてきたりして。
「は…ははっ…」
ヨナちゃんが笑わないので、私が代わりに笑ってみたり。
——あぁ、うん。確かに気になるね。上から紐が下がっていたら引っ張るしかないもんね…
どちらかというと私も引っ張る派だから気にするな!とジェスチャーし、四つん這いのまま前に進んで、よっこらしょと立ち上がる。
ほどなく炎の噴射は収まり、ヨナちゃんが引いたらしい丈夫そうな素材の紐が、少しずつ撒き戻っていくのが見えた。
「ごごご、ごめんなさいですぅ」
そう言って彼女は勢いよく腰を折る。
「大丈夫、大丈夫。転んだくらいじゃ死にませんから」
「いや、でも炎が…」
「先にこけたおかげで当たってません。それより、ヨナちゃん」
はいですぅ、と返す彼女に壁の方を指差して。
「浮き彫り(レリーフ)がある所はトラップが仕掛けられていると思った方がいいみたい、です。なので、その近くを通る時は階段の色の違う場所を踏まないとか、出っ張りを押さないとか、ぶら下がってるのを引かないとか、ちょっと注意すれば大丈夫だと思うんですよ。気を取り直して行きましょう」
しゅんと項垂れる女の子の姿を見たらなんとなく…それ以上強く言えない気がしてしまい、小言を早めに切り上げる。
雰囲気からして悪気はないし、初めて出来たお友達だし。できれば仲良くしたいので。
それほど気にしていないという態度を取って歩き出すのを促すと、申し訳ない気持ちながらもこちらの意をくんでくれたような顔をして、彼女は小さく笑ってくれた。
会話も少しずつ復活し、時には声をあげて笑い合う。
そんなある時、壁にレリーフを見て取って「ここは危ない」という顔をしたヨナちゃんが、その一帯をジャンプで乗り越えようとしてくれたけど……そこはその…残念ながら着地地点がそうだったようでして。無意識に足を止めていた私の前に、壁から出てきたイチョウ型の巨大な刃物が右へ左へ揺れたりとかもしましたが。
でもまぁ、やっぱり。慣れてしまえばどうということもなく、視点を変えてギャグ要素だと考えるようにしてみると、むしろ一緒に居るのが楽しくなった。
「ねぇ、ヨナちゃん。ところでどうして、そんなにもトラップ踏むの?」
「はうっ…ご、ごめんなさいぃぃ」
もしやこの娘(こ)、ダンジョンの罠を最初っから全部“引いて”るんじゃなかろうか…とか考えながら苦笑いを浮かべていると、言いかけた側から何かを踏みつけ体勢を崩した様子が伺えたりして。
——っ、またか!!
なんて心の中で突っ込みつつ、バックアタックしてきたモンスターが私に手をかけようかというところで、壁の噴霧で瞬間冷凍→氷漬け、になった姿を目にしたり。
本人が何もしない、自動実行の身代わりの術みたいだなぁ、とか。
ほんと、何も知らないpeople(ピーポゥ)がこんな人を見たのなら「何者だよ!?」とか思うよねぇ、とか。
発動するトラップを“何故か”次々とスルーしてしまうツレを見て、ヨナちゃんが驚愕と安堵を織り交ぜた複雑な表情を浮かべるのを、こちらも曖昧な笑顔を浮かべて見送った。
そうやってまたしばらく階段を下っていくと、壁側を掘り込んだ小広い空間に出る。
なんだろう?と思いながらも通り過ぎようとしたところ、足下に描かれていた一匹の巨大な蛇が、音もなく体を持ち上げあっという間に3Dに変化した。
おっ、次元上昇だ。これって中ボスってやつかなぁ?とお気楽に考察してると、ヨナちゃんが焦った声で「こんなの見た事ないですぅっ!!ベルさん早く逃げましょう!?」と言いながら私の腕を引っ張った。
まぁ落ち着け若人(わこうど)よ、と彼女の手をとり一呼吸。
何の因果で現れたのか知れないが——いや、間違いなくヨナちゃんがらみだと思うけど——ダンジョン中盤に配置された水色のスネークが、長い体を動かしつつ高い位置にある顔でこちらの方を見下ろした。
そこで声を張り上げる、睨まれたカエルな状態の非力な私。
「おいでパーシー!」
さすがに側に居なかったので顎で指示とかできなかったが、やっちまえ!な悪役面で彼の名前を叫んでみれば、ヒーローよろしく主人の危機を間一髪で救ってくれる。
出会った時の大きさで弾丸のように現れたパーシー君は、登場と同時に蛇さんの顔の下——首…なのか?——に食らいつく。それを引き剥がそうと蛇さんが力強く身をよじるので、しばらくブンブン振り回されて楽しそうにしていたが、蛇のしっぽがこっちにぶつかりそうになり、そこでようやく真面目に戻った。
中ボスの背に乗っかった黒い魔獣は遠吠えのような体勢を取り、聞き取れない鳴きを一つ響かせる。これが世に言う魔種特有の、彼らにしか発音できないという“魔声”ってやつかしら、と。金縛りのように動きを止めた巨大な蛇を躊躇無く切り刻む彼を見て、犬笛を思い出した残念な飼い主をどうか責めないでやってくれ…と申し訳ない気持ちに浸る。
そのままそおっと隣を見遣れば、絶句しているヨナちゃんが。
目の前で開いた右手を左右に振ると、はっとしてこちらを見たが、なんとなく可愛い顔から血の気が失せてきているような…?
「じゃあ行きましょうか?」
パーシーにお礼を言った後、努めて明るく声を掛けると何故かちょっと距離を置かれて、内心で涙目になる私。
一体どんな気遣いか、パーシーが大きな体のままでモフモフを押し付けるようにじゃれてくるのを、ちょっとありがたいと思いつつ。小広い空間を後にした私たちは、気持ち、私が先導するような感じとなって再び石階段を下っていった。
何かに気落ちしたままのヨナちゃんはフラフラした足取りで、私は先を行きながら、いつか躓くんじゃないかとハラハラしながら後ろの気配を伺っていた。
すると、それほど行かない距離で不意に彼女の歩みが止まる。
どうしました?と問うつもりで微妙に口を開きつつ、ふっと腰をねじって見ると。
——う…ぁ、それは…っ!!
貴女の足下、ほんのりと光ってますよ!?ちょうどの位置に出っ張ったレリーフとかがありますが!?
思うと同時に踏み込む私。
「あっ」
間抜けな感じに口を開いて、自分の方に走り出したツレさんが大分不思議に思えたらしく、キョトンという顔をしたヨナちゃんが「ふぇ?」なんて気の抜けた声を口から漏らすので。
力の限り、細い体を上段の方へ押しやって、私はなんとか立ち位置をすんでの所でシフトする。
と。
横っ腹にドッとぶつかる衝撃が、叫ぶより幾分早く飛んできて。
「危ないぃぃっ!!」
という己の声が腹話術のように少しズレて耳に届いた。
——えーと…あれは……蛇、の顔?
流れる視界で動きを見せない正面の景色の中に、壁から突き出た厳めしい顔のレリーフが、こちらを見定め、牙を剥いている様子が見えた。
のどの奥は深く闇色に塗りつぶされて、そこに空洞があることを瞬間的に悟らせる。
あぁ、私が受けた衝撃は、あそこから飛んできたものか、と冷静に分析し。
後は一気に穴の底へと。
文字通り、ダウン・フォール。