6−3
まばらに木々は見えるものの、近くには視界を邪魔する高さまで伸びたそれはなく、見渡す限り地平線なフィールドにぽっかり開いた穴がある。
まだ少しオレンジ色の残る空を前にして、一行はその穴の入り口へと向かっていた。
目的地はこの穴の最下層。そこに居るボスを倒す事だが、お偉いさんからアイテム収集の依頼があった訳でもなければ、冒険者ギルドからの討伐依頼という訳でもないようだ。
ボスのレベルも今の彼らの平均からしてマイナス30近くになるし、ここでしか手に入らない希少な素材があるということでもない。
それでも彼らが行くというなら付いていくしかないのだが、気持ちの入り具合と呼ばれるやつのためにも、このあたりでどうして寄らなければいけないのかという「正当な理由」というものを、聞いておかなきゃならないな。
そんな気分で萌葱色のボブカットの少年が仲間に向かって口を開いた。
「ここにどんな用があるわけ?」
入り口の石階段を数段降りたところで足を止め、壁に刻まれた彫刻に手を触れながら、同じように足を止めた彼らに向かって問いかける。
「付き合わせてすまないな」
中でも思いがけない人物が振り返り、そう言ったことに驚いて、あんたの用なの?というような視線を向けてみた所。その人物はゆっくりと階段の端に近づいて行き、常と同じ無表情でその下を伺った。
「養父(ちち)との思い出の場所なんだ」
数秒、シンと静まり返ったその場所に、やや堅い声音が続く。
「いつも、近くを通ったら寄ることにしてるんだよ。……グランスルスの英雄に、哀悼の意を込めて」
黒髪の勇者のセリフをフォローしたのは、青銀の髪を垂直に逆立てた麗しい容貌の槍使い。彼は常に人好きしそうな爽やかな笑みを貼り付けているのだが、そう語った顔はいつもとは異なる愁いを帯びたものだった。
「ジル・ルーク殿は冒険者の英雄でもあったのでござる。今も多くの剣士が彼に憧れを抱いているでござるよ」
続いて話に加わったのは、真っ白い兎の耳を頭から生やした老齢の魔法使い。何となくそちらを見れば、いつもならひこひこ動く頭の耳が、ぴたりとそれを止めていた。
誰そいつ?何した人?と少年は問おうとしたが、彼らの話にそれほど興味がわかなかったらしい紅一点の少女の気配を感じ取り、外の世界でこの年代に興味を持たれないということは、実は奴らが言うほどではなく…その程度の人物なのか、と。彼は言葉を飲み込んだ。
とりあえず、ここへきたのは勇者の用事で、既にこの世を去っている父親やらとの思い出を偲びにきたって話なワケね、と。理由付けが済んだので、少年が止めた足を再び進めようとしたところ。
「それに…最下層から見上げる夜空は中々のものなのでござる」
「そうそう。ベリルとソロルには是非一度、見せておきたい景色だね」
いつも通りの雰囲気を取り戻し、二人がそんなことを言ったので、少年は「へぇー」と気のない声を出す。
それを聞いてか、人知れず頷いていた黒髪の勇者が穴の下を覗くのをやめ、乗り気ではない彼らを見ながら真面目な顔で口を開いた。
「レベルが高くなればなるほど、ふとしたことで気が緩む。下に降りてみればわかるが、穴底から上を見上げる事で気付かなかった気のゆるみを引き締めることができるんだ。どんなにレベルが上がろうとも、自分は小さな存在なのだと…戒めるためにもな」
目の前でそんなことを言われてしまうと、このパーティならどんな依頼が来たって楽勝だよなと思っていたのがバレていた?なんて気分に襲われて、エルフ耳の少年は思わず視線を逸らしてしまう。それを勇者がどう見たのかは知れないが、先に進もうと彼らの前に早々に歩み出たので、そんな彼の背中を見ながら気まずげな顔をして。少年は少女の方に問いかけた。
「ところでお前、さっきから何見てんだよ?」
下層のとある一点を見つめたまま、しばらく彼女は動きを見せていなかったのだ。
「…蛇の顔」
「あぁ?……何だ、只の彫刻じゃねーか。あのくらいのでかさなら別のダンジョンにもあっただろ。普通だ、普通」
「でも、一つしかない。一体あれにどんな意味が込められているのだろう…」
ここにくる前、世話になった小さな町の町長が、趣味で集めた推理ものの小説をひまつぶしにと少女の手に渡したのが原因だ。幼年向けの簡単なトリックを用いた、自分らの歳には少し物足りないようなそんな話をいたく気に入ってしまった彼女は、以来、ことあるごとに「なぞ」の答えを推理しようと眉をひそめてみせる。大方、本に登場した謎解き役の誰かを真似て自分なりに楽しんでいるのだろう。が、そんな少女を彼はひたすら面倒そうにジト目で見遣る。
お前がそこまで考えるほど世の中に「なぞ」は存在しねぇし、込められた「いみ」だってたいしたものじゃねぇと思うぞ?正直、彼はそんな風に思ったが。一抹の優しさか、口に出すのをやめたらしい。
こんなやつでも自分と同じ、エルフ並みの超視力を持ち合わせるというのだから、只人ってよくわからない存在だよな、と。
おいてくぞ?と声をかけると、少年は大人達の後を追い階段を下っていった。