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「はぁ〜♪ほんと、ベルちゃんの賄い料理、美味しいわぁ♪」
桃色のフワフワパーマを高い位置で二つに結った受付嬢は、いちいちものを飲み下した後にそう零す。
勇者様にブツを押し付けた後、ここにいてはうっかり話の局面に居合わせることになってしまうかも…と悪い予感がした私は、レックスさんを引き連れて逃げるように春の渓谷を後にした。
明らかにそれとわかる厄介ごとには首を突っ込まない性分だし、殆どの国が王制を敷いており貴族なんてものが存在するという身分差社会に生まれてからは、権力者のもめ事には関わるべからずというような強い教訓を得ていたもので。
何はともあれ、宿に戻って充分な睡眠を取り、日が沈んだ頃にお仕事開始。夜の戦を乗りきって少し時間が出来たので、他のスタッフと順番に小休憩を取っている。
「本当に。これが家庭料理だなんて信じられないよ。素材の味が引き立っていて…どの食材も存在を主張してくるのに、それでいて喧嘩にならない。どうやったらこんな味が出せるんだ?」
そんな風に呟きつつ、受付嬢の隣に座る雇われシェフは次々と具材を口に運んでいく。帰り際、彼女への差し入れの賄い飯に興味を引かれたらしいシェフの一人が、自分も食べたい、と言ってきたので余りをあげた。見た目も味もあっさりそうな雰囲気なのに、受付嬢が美味い美味いと絶賛するのがどうにも不思議でならなかったようなのだ。
「素材の味が引き立っているのは、さして手を加えていないからですね。まさに、切っただけというか。美味しく感じて頂けるのは、適当な塩分と、スープのうまみ成分のおかげかなと思います」
なにせUMAMIは前の世界で同じ出身国の人が発見した味覚ですからね!と内心に、瓶詰めの乾燥疑似昆布を掲げ、自分の功績でもないのに誇らし気に語ってみせる。
「海産物…主に海藻(シー・ウィード)でダシを取ってるんです。あ、この商品、ご用命の際はコーラステニアのメルクス商会までお願いしますね!私の名前を出せば、少しくらいは安くしてくれるはずですよ」
そしてちゃっかりイシュが経営するお店の名前を売っておく。
「はぁ〜。ベルちゃんの旦那さんになる人は幸せね〜。いいな〜。私が男だったらな〜」
「いやいやいや、何言ってんですかお姉さん。大体、例えお姉さんが男だとしても絶対に選びませんよ。私の旦那様の席は勇者様しか座れない仕様になっているので」
それが単なる言葉のあやで純粋な褒め言葉だとしても、笑って流せるものとそうでないものがある。というのも、過去の文献の中に性転換に関する記録があるからだ。それを成す実物(アイテム)は失われたと記されていたのだが、そんな面白そうなもの、この世界の神々が黙って見過ごすはずが無い。だから絶対どこかに落ちてるか、誰かがこっそり持っている。というのは藤色の瞳を持つ幼なじみの言である。よって、万が一のためにも、それが実現してしまった後の事をも考慮して、己の意思をハッキリと語っておかねばならぬのだ。
しかし、桃色の受付嬢はうっとりな表情を浮かべて言った。
「はぁ〜。そんなツレナイところもグッドだわ〜。そそるわねぇ。組み敷いて啼かせてみたくなるっていうか♪」
瞬間、この人ヤベェ…な雰囲気でズササッと後ずさった私とシェフ。
何がやばいって、目がかなりマジだった。
ふわふわほわん♪な動物が、急に獰猛な牙を見せた時のようなアレだった。
——あぁ…これは。この雰囲気は…確かに妹(アイシェス)さんに繋がる何か……
煮物の残りを口に運ぶ受付嬢を怖々と見ていると、冗談はこのくらいにして、という呪文で彼女の空気が元の状態にふんわり戻る。
「東の勇者の仕事がね〜、今日で終わったそうなのよ。なーんか向こうでゴタゴタがあったみたいなんだけど、一応、丸く収まったからってね」
そう言う訳でベルちゃん、とピンクの髪が揺れる。
「今夜の夜勤で、きっかり6日。勇者パーティは明日の昼前に発つらしいから延長無しね。お疲れ様〜ってことで、コレ」
受付嬢はウエストポーチから私の鞄を、懐から金子(きんす)の入った布袋を取り出して、それらをテーブルの上に置く。
「ここで稼いでおきたいって子が居たから昼に配置変えたのよ。人の波も引いたし、もうあがっていいわ。働いて貰ったのは実質5日だけど、給料が6日分なのは特に忙しかった日の特別手当みたいなもんだと思って頂戴。それから、ベルちゃんの連れてる魔獣がすごいらしいって風の噂で聞いたけど、宿までの夜道が心配だったら職員に声掛けてね。護衛付けてくれると思うから」
じゃあごちそうさまー、と席を立ち、ピンクの髪のお姉さんは食堂とギルドを繋ぐ扉からあちら側へと消えて行く。
「オレも帰るところだから送って行こうか?食事のお礼に」
「社交辞令に乗ってもらってありがとうございます。気持ちだけ頂きますね」
「あぁ、うん。まぁ、そう言われればそうだけど。……あの人も独特だけど、君もなかなか…まぁいいか」
ごちそうさまと気をつけての言葉を零すと、シェフも帰り支度をし、人の姿がまばらになった中央通りへ消えて行く。
——さて。お姉さんのご好意に甘えまして、私の方もさくっと帰らせて頂きましょうか!
たぶんだが、私の夜勤が無くなったのは、勇者パーティが明日の昼前にこの街を発つという情報からの気遣いだろう。アイシェスさんのお姉さんだし、何となく。彼女はそういう気のまわし方をする人なのだろう、なんて。そんな気がした。人をよく見てるから、何がその人の気持ちを左右するのかとか、その人にはどのくらいの仕事をまわしたらいいのかとか。さらには、どこまで踏み込んでも大丈夫なのかさえ気付いてるような雰囲気だ。もしかしたらそういうのが直感で解る人なのかもしれないなぁ、なんて思いながら。事故を起こさない人間関係を制御する、ふわふわピンクのやり手の受付嬢の顔を記憶(メモリ)にしっかり刻む。
——若いって、いろいろすぐに覚えられるからいいのよね。
そして私は肩から鞄をさげたままキリのいいところまで食器を洗うと、夜勤のスタッフに声を掛け、お世話になった仕事場を後にした。




