5−4
それから5日、早朝から夜までの勤務時間をぼちぼちこなし、勇者様を追えないという悲しみはさておいて、仕事にも慣れてきた頃に。
数字の処理に誤りが少ないという理由から帳簿整理を頼まれて、せっせせっせと計算に勤しんでいた所。
聞いた名前が耳に届いて、傍らに意識を向ける。
「見たか?東の勇者」
「あぁ、あの黒髪のだろ?今朝、西門で見たぞ。朝っぱらからお貴族サマがずらっと並んでてよ。見送りくらいで大層なこってと思ったよ」
「西門ってことは、目的地は“春の渓谷”か?」
「あぁ。なんでも領主様たっての依頼で、子供の病気を癒す薬草を探しに、ここ3日…いや4日になるか?連日、通い詰めてるって話だぞ」
「なるほどなぁ。大事な跡取りのためだもな。そこいらの冒険者に頼んだんじゃ、どっかからか力が掛かって、いつの間にか薬草が毒草に替わってたりするかもしれねぇし」
「その分、相手が勇者とくりゃあ完全に信用できるしな」
「ははは。違いねぇ」
朝の一陣も過ぎ人がまばらなせいもあり、これといった急ぎの仕事のない冒険者たちは温い茶を飲みながら情報交換を行っていた。席が離れていながらもこうして和気あいあいと会話が弾むのだから、難しい話は置いといて、これでなかなか仲間意識が強い業界なのかもしれないなぁ、と。帳簿付けの合間をぬって、さりげなく店内に視線を向ける。
——さて。新しいお客も無いし、オーダーもしばらく無さそうだから、今のうちに食事を取ってしまいましょう。
しゃっきりと立ち上がり、番をしているシェフに一声。
お客が少なく、調理場に空きがある時間帯なら、食材込みで自由に使わせてもらえるのが食堂の良い所。レストランな所と違い気さくで親しみやすい雰囲気の食堂は、庶民的な感覚の料理人が多いこともあり、調理場の縄張りとかをとやかく言うような人は滅多に居ない。
食材置き場でごそごそ物をあさりながら、今日のまかないは何にしようかな〜、と計画を立てていた時だった。
「軽食を頼めるか?」
勇者様の声よりも少しだけ高い男の声がして、ふと顔を上げ。
「はーい。今行きまー…す」
カウンターに立つその人の顔を見た瞬間、私はいつかの牛乳紅茶色(ミルクティー)を思い出し、あやうく声が消えかけた。
——うぉおおおっ!!恐竜さんっ!?
そこに居たのは呆れるほどの男前。
前の世界の恐竜という生き物を連想させる名を持った、いかにも熟練の冒険者です!という雰囲気を醸し出す例の御仁だったのだ。
「久しぶりだな」
お互いにお互いを認識すると、間をおかずその人はふわりと笑う。
思わず「ぐあっ。ベルリナさん、心に10のダメージ!既に瀕死の域!!」などとアホな妄想を広げてしまった私だが、そこは向こうに悟らせず、こちらのほうもおじさんキラーな微笑みでお返しとかをしてみたり。
「どうもお久しぶりです、レックスさん。今出せる軽食はこちらの方になりますね」
つもる話?そんなのないよ。
という訳で、早速仕事モードに入りオーダーを取り付ける。
スライスしたパンとサラダとベーコンエッグ的なもの、それから酸味のある果実を搾った水という注文に、少々お待ちくださいねー、とお決まりのセリフを吐いてオーダー用紙をシェフにパス。
木製のお盆の上に金属製のコップを置いて、適当に注いだ水に酸味の強い果実を絞る。その奥でシェフがベーコンエッグ的な料理の焼き待ち中に、手際良くパンをスライス。それが木の皿に乗せられたのを見計らい、サッと受け取りお盆の上にセットしたなら、今度は水場で生食可な葉っぱをちぎちぎ。焼きものの乗った皿と交換でサラダの下地をシェフに差し出し、ナイフ、フォークとお盆に乗せる。こっちの方は調ったゼ☆とシェフを見遣れば、丁度サラダが出来てきて、オーダーに書かれたものと盆に乗った料理の数が一致したなら出来上がり。
「お待たせしましたー」
「ありがとう」
カウンターにほど近いテーブルに腰を下ろしたレックスさんは、イイ顔に極上の笑みを浮かべて受け取った。
——うわぁ。それって、戦闘開始直後にタメもなく出された必殺技……みたいな感じ。
うぉいっ!お前、ちょっと待て!!いきなり無いだろ!そんな攻撃!!みたいな、ね。気付いたら息つく間も無くコンボ技でダウンさせられ、ハイ終わり、な不吉な未来が垣間見えたよ。
休憩を終え戻ってきたスタッフが厨房の影からこっそりこちらを伺っていて、笑顔の辺りで足下を危うくした気配を感じ、げんなりと萎れる心で持ち場に戻ろうとした時だった。
「ベルに頼みがあるんだが」
言われた言葉に思いきり「?」の顔で振り返り、続く言葉を待ってみる。
「座る…のは、まずいのか」
漏らされた苦笑さえ神々しいよ!と心の中で突っ込むと、じゃあ手短に、と彼は言う。
「今受けている依頼のために、ベルの手を借りたい」
「………はぁ」
きょとんとするこちらの様子に、レックスさんは一口喉を潤した。
「隣の受付嬢に相談したら、ベルさえいいなら許可すると言われてな。依頼内容は薬草の採集で、それに適した時間帯は夜のうち。そういう訳で、日が暮れる時間に合わせてこの街を出発したい。ベルが手伝ってもいいというなら、今日の分は日暮れ前に切り上げるということにして、翌日の仕事は夕方から次の日の朝までに組み直す、と言付かっているんだが……どうだろうか?もちろんこちらの報酬は半分払う」
「一つだけ質問が。どうして私なんでしょう?」
「いや、実は……受付嬢と話が合って」
そうしてクックッという笑いを零すその人を、疑問いっぱいの視線で見つめてやれば。
「ここいらで君が一番“幸運度”が高そうな人材だ、という話になって。どうも私は運が悪いらしくてね。4日目になるんだが、未だに目的の薬草を見つけられていないんだ」
それで困っているという訳さ、と肩をすくめていう彼は、すぐにまた嫌みの無い笑みで言う。
「この不運な男の事を、少しばかり助けてくれる気はないか?」
※シェフ 料理長的な人の事をいうらしいですが、料理人だと思って頂ければ。