閑話 そんな彼女の…
不気味なオブジェクトが横たわる薄暗いエントランスで、どの方向から探索を始めようかと立ち尽くしていると、とても不吉な音が背後で響く。
振り返りたくなかったが一縷の望みをかけて振り返り、やはり後悔。
玄関の扉が勝手に閉まったという受け入れがたい事実を飲み下し、ゆっくりと前を向く。
——あぁ、はい。いや、わかってますよ。何かしないと出られないパターンですよね、これ。でもですね、神様。どう考えてもお化け屋敷なこの中を、私にたった一人で歩けと……。
つぅ、と片目から生温い水が落ちてきたような気がしなくもないが。
精神が丈夫にできている私の場合、気絶するとか可愛いことは絶対にできそうにないので、せめて何が起きても“気のせい”で済まそうと心に決めて、重い足を前に進める。
目の前には2階に上がる階段があるのだが、まずは1階を探索してからだ。そして、なるべくなら順路は最短距離の一筆書きで辿りたいので、登り口が左側にある階段を考慮し右側の廊下へ向かう。
所々に灯されたランプの明かりを頼りにし、その奥をのぞいてみれば。
——ざっと見て部屋数5…あと突き当たりに1つ……左右対称な造りに見えたから、左側も同じかな?
わずかな考察の後、ごくりと生唾を飲み込んで、私は探索(それ)を開始した。
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1階 使用人部屋
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キィィ、という玄関に比べ控えめな音をたてながら開いた扉のドアノブをゆっくり離し、慎重な動作で室内に視線を向ける。
部屋の隅の暗がりには目を向けない。
かわいらしい人形がおいてあっても触らない。
もしも肖像画が掛けてあったらその絵を凝視してはならないし、もちろん二度見は厳禁だ。
視界の端でちらつく影があったとしても、絶対に確認しない。
鏡は鬼門。徹底的に避けるべし。
そして無意味にベッドの下など覗いてはならないと、心に強く戒める。
——あぁ…よかった。最初は普通の部屋だ。うん。窓の外の暗がりに火みたいなのが浮いてたような気がするけど、あれだ、うん。部屋のロウソクの火が反射しただけ。それだけに違いない。
特に何もなさそうだったので、入り口付近のカントリー風キャビネットの上に置かれたロウソクに視線を向ける。片手で持てそうな大きさのキャンドルスタンド付きだったので、それを光源として持ち歩こう——いざとなったら鈍器になるし——と手を伸ばし。
——あ、でもロウソクじゃ歩いたときの風圧でせっかくの火が消えちゃうか。
なんだ残念、と伸ばした手を引っ込めて、しばし考察。
なんとなく息を吸い、ふうっとそれに吹き付ける。
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——っ!っ!っ!?
己の目にした事象が受け入れられず、おもむろに持ち上げた手のひらで風を作って打ち付ける。
——えぇっ!?何コレ!?なんで火が消えないの!?
という以前に、全く揺れない。
不気味なことは不気味だが、それ以上に好奇心の方がうずきだす。
手を近づければ普通の炎と同じ熱さを感じることを確認し、布の切れ端を取り出しては燃え移ることを確認し、揺れない以外は普通のロウソクと同じなのだと推測してから、もう一つ不可解な謎を見つける。
——あ、コレ…よく見たらロウが溶けた跡がない……
頭の中が疑問符で埋め尽くされたが、ここは予想を超えたファンタジー世界なので深く考えても仕方ないと諦める。訳の分からないアイテムは、大概が魔道具(マジックアイテム)の一言で片がついてしまうのだ。
充分な長さのあるガラス容器を取り出して、火のついたロウソクをキャンドルスタンドごとその中へ。そうして意味不明なアイテムは鞄の中へとしまわれる。
——いつか使えるかもしれないし。
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1階 厨房
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両開きの扉の片方をそっと押し、わずかに開いた隙間からちらりと中を伺った。
入る前に金属がぶつかるような物音が聞こえていたので、ビクビクしながらそれなりに覚悟をもって覗いたが。
——やはりというか……
動かさなかったもう片方の扉の裏に、ナイフとフォークが突き刺さっているのを目にとめて、ここは物理的に危なそうなのでやめとこう、と扉を戻す。
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1階 食堂
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そこはシンプルな空間で、二部屋ぶんの広さがあった。中央には立派な長机が配置され、その上には何も置かれていない。ここで湯気のたった料理でも置かれていたらなおさらガクブルものなのだが——材料何?のホラー的な意味合いで——幸いなことに備品もほとんど見当たらない。
なんだ何もなかったか、と張りつめた気を緩め、部屋に一歩踏み出した時だった。
——………
ぎぎぎ、と出した足をゆっくりと引き戻す。
——………
半身だけ乗り出した体を引いて、扉を戻し、深呼吸。
——………気のせい、気のせい。並んだ椅子の足下に透き通った人の足が並んで見えたとか、全く私の気のせいだから。
うんうん、と頷いて、生温い水が浮かぶ目の端を手の甲でこすり取る。
あと何度こんな思いをしなければならないのかと、気持ちが段々沈んでいくが。ベストコンディションで勇者様に会うためだと自分をなんとか言い聞かせ、次なる扉に向かって行った。
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1階 応接間
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——あぁ、よかった。ここは何も居ないタイプの部屋だ。
ほっと心を落ち着かせ、もしかしたら部屋の種類が“何かある”か“何か居る”に分けられるのかと推測しながら、そぉっと室内に足を踏み入れる。もちろんすぐに逃げることができるようにと、扉は開いたままにして。
右側の壁に掛けてある風景画群にうっかり目を向けてしまったので、二度見しないように注意する。
立派なソファーとローテーブルが並んでいる奥に、他の部屋で見たものとは意匠の違うキャビネットが置かれている。その上には風見鶏を用いた金属製の置物が乗っていて、一羽は右を、もう一羽は左というように、お互いが顔を合わせるような配置になっていた。
触ったからとて何かに化ける置物にも見えなかったので手を伸ばすと、片方は体の向きに自由があって、もう片方は接着剤でも付けられたかのようにぴくりとも動かない。少し考え、風見鶏なんだから同じ方向を向いたらどうかと、親切心で動かぬ方の顔の向きへと動く方を合わせてやった。よしよし、これでオーケーだ、と一人こくこく頷いて、次の部屋へと移動するため扉の方に足を向ける。
と。
ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!……!
——うぎゃあぁぁっ!!?!!!
壁掛け時計がけたたましく鳴り響き、驚いて背中を壁にぶつけると、その衝撃で小さめの風景画がバラバラと床に落下した。
——ヤバいっ!!
とっさに視線をそらしたが、残念ながら避けられず。
明らかに最初の景色と違ってしまったその絵画達を想像し、目をさまよわせながらどうするかを模索する。
——踏むのは気が引けるけど、踏まないように下を向くのは全力で避けたいし……。よ、よし。じゃあ、こうしよう。壁に戻そうなんて思ったら直視することになりかねないから、見ないように、この鞄にしまってしまおう。
我ながらナイスなアイデアだ!と自己賞賛し、腰を下ろすと手探りでそれらを回収していく。進行方向の障害物がなくなったところで立ち上がり、私はそそくさとその部屋を後にした。
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1階 ???
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——あ、開かない。鍵がかかってる……入らなくて済むなら…ね……(((((・_・;)
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1階 客室
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エントランスを通り過ぎ、左側の探索を始めた私は、ただ今絶賛恐怖中。
——うぅっ…(T_T)
くすくす、うふふ、きゃっきゃ、などと子供たちの笑い声が漏れてくる扉の前で、長いこと硬直しているのだが………。いつまでも立ち止まっている訳にはいかないと、内心号泣しながらも意を決してドアノブに手をかける。
その途端、ぴたりと止んだ扉の向こうの人の声。
向こうにおわす方々が固唾をのんでこちらの出方を伺っているというのが手に取るように伝わって、今のこれ——ドアノブに掛けた手——を無かった事に!と心の底から思っていると。
——ん?
足下に何かが触れる感覚が。
——…なんだろう?くすぐったいな。
そっとおろした視線の先で、青色の目がこちらを見上げたのを悟ったら。
『うふふ。わたし、メ…』
みなまで言わせる気はないと、神速で体を掴み、その中へ。
——見てない。見てない。断じて見てない。人形がしゃべるとか。まずありえないことだから。
あっはっはぁ!と涙目で笑いながら、勢い扉を引き開ける。
そして即、閉める。
——この部屋、特に何もなかった。人形がたくさんあっただけで。うん、何もなかったね。
二度と開けるか!!と逆ギレしつつ、足早に部屋の前を通り過ぎる。
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1階 客室
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今度こそ何も無い…と未だ乾かぬ目元に意識を向けながら、なんとなく悔しさがこみ上げてきたので、手近にあったランプを掴み、鞄の中へ。
——どうせこれも揺れない仕様に違いない。
薄暗くなった室内に視線を戻し、だいぶ後悔。
気付かれないようにそっと扉を押し閉めて、視界からそれを削除する。
——アレは人の首とかじゃなくて、マネキンとかの見間違い!!
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1階 客室 そして 客室
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——ひぃいいいっ!!!
真っ暗だと思った室内に、いきなり炎が浮遊しだしたのを目にとめて、思いきり掴んだ扉を打ち付ける。
——かっ、顔があった!!人魂に顔が!!!みみみ見間違いっ……とは言えませんっ(T△T)
早く勇者様の元へとたどり着こうと、気持ちを新たに隣の部屋へとダッシュする。
ガチャリとまわしたドアノブをさっさと引いて視線を一周。
大きな姿見を目にしたところでキャパオーバー。
何かが映って見える前に終わりにしようと扉を閉める。と、向こう側からドンドンと扉を叩く音が聞こえて、咄嗟に掴んだままのドアノブを全体重で引き止める。
——開けさせてたまるかっ!!!
と、格闘すること数分間。
扉の向こうの誰かさんが諦めてからさらに5分ほど待って、私はそこから移動した。
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地下室
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もう一部屋あると思ったところに、地下へと通じる階段が。
闇が一層濃くなっているそちらを覗いて、嫌だなぁと思いつつ、老朽化したというよりわざとそういう造りのような板張りを踏み鳴らす。
不安を煽る親切設計ここまでか!?と屋敷の持ち主を恨めしく思うも、そんな人物居たらヤダ、ともう一人の自分が語る。
ドアの前で深呼吸。
今の所、物音はしないので、この部屋は“何かある”タイプだと暫定的に決めつける。
いざ!と引いた扉の奥に広がった空間は深い闇色に満ちており、何か見えないかと付近を探れば、入り口のキャビネットの上に明かりのないロウソクが置いてあるのを発見する。
仕方ない、と鞄から火種アイテムを取り出して、そのロウソクに明かりを灯せば。
ぼんやりと浮かび上がる中央の机の上に半透明な人の手が、おいで、おいでとこちらを誘う。
そんな誘いに乗るものか!!と口を結んでその手に睨みをきかせると、おいでと揺れる手のひらがヒラリと舞って卓上を指し示す。そこでようやく、机の上の何かを見てほしいのか?と至った私は、行くべきか行かぬべきかと考えて……。
そのうちに、身を引くように人の手がすうっと消えてなくなったので、それならちょっと見てやるか、と恐る恐る机の方に踏み出した。
——…んん?
浮かんだ影が一拍置いてふわりと揺れる。
——……今、ロウソクの火が揺れた…?
振り返って目をこらせば、たしかにそれは揺れている。おまけにロウまで溶けている。
——???
この屋敷に配置された光源は、全部揺れない仕様のはずでは?と首をかしげて、まぁいいか、と再び足を踏み出すと。
——“どうか、誰か、僕を見つけて”………え、何この要求?
ここまで一方的だと一体何をどうしたら…?と机の横で呆然としていると、書き記されたメモの隣に置かれていたインク瓶が、カタカタと音を立て始める。
——ひいっ!ぽ、ポルターガイスト!?
アレで終わりじゃなかったの!?と焦る横で、その蓋がキュッという音を出す。
——待て待て待て待て!何なの!?その、何か出てきますみたいな前フリは!!
さらにキュッと回ったところで、我慢ならんと何かがキレた私の腕は、勢いそれをつかみあげ閉める方向に思いきり力をかけた。
あとは何事もなかったかのように、鞄に入れて知らぬフリ。
——いやー、ほんとこの世界、便利な鞄があってよかったわ!
一度アイテム袋に入れたモノは、通常、持ち主の意思がなければ取り出せない仕組みになっている。よって、あれらが鞄の口から勝手に這い出てくるというホラーはあり得ないのである。
——なんという安心設計!アイテム袋万歳!!高かったけど、有名店で買ったかいがあったというものよ!
この日以上にその仕組みに感謝したことはないだろう。
これで全部の部屋を見て回ったと、己の出せる最速でエントランスへと駆けて行く。
お化け屋敷が大の苦手な、そんな彼女の冒険譚。