25−6
それから、結局———。
私とクライスさんが【境界の森】を発ったのは、再会から一週間ほど経ったある日の事だった。
甘い新婚生活っぽい、そんな時間がゆるりと流れ、少しずつ家を片付けながら荷物をまとめたら、心配しているだろう人とか、待ってくれているだろう人とかに、本気で怒られそうだけど……あっという間に滞在時間が伸びてしまった感じである。
それでも“如何にも新婚”なファンタジーらしいアレはなく、夫婦生活も数日置きと非常に良心的だった。じゃあ、何故そこまで片付けるのに時間がかかってしまったのか。問われる事が何となく心苦しいところなのだが、他愛ない会話をしながら二人で送る生活に、お互いが魅入られてしまった感と…とはいえ、そう遠くなく帰らなければならないという現実的なものを思っての、ギリギリの期日であろう一週間、な打算であった。
最後に朝食を用意したキッチン周りを私が片付け、その間、寝室を担当したのがクライスさんという風だった。
「置き土産にイロモノ武器でも…」
多分、もうここに来ることは無い、と。
加えてちょっとした茶目っ気で、私はいつか使用した“お茶会シリーズ”の武器を取り出す。
アティアのフォーク、アティアのスプーン、アティアのナイフは共通で、持ち手の部分に赤い宝石。一つは昔、滞在していた帝都の怪しい骨董店で。残りの二つはクライスさんを追う道すがら、いろんな国のやっぱり怪しい骨董店で手に入れてきたものである。
そもそも私は冒険者だが戦闘の才能はなく、このアティアちゃんシリーズは趣味で集めたようなもの。あまり考えたく無いのだが賢者職になってしまったし、レックスさんに貰った杖もあるしなぁ…とか。いつの時代かこの場所に、到達した人に贈ります…と。まぁ、周りを徘徊しているモンスターのレベルに対して、全く役には立たないだろう完全なるイロモノ武器だが…それが良いんじゃないですか!!という浪漫に法(のっと)り、そっと机に置いてみる。
「………」
それを横目で見ていたクライスさんは、おもむろに可愛いイロモノ武器を机に並べ始めた私を、暫し無言で見守った後…おそらくそれなりの命のやり取り、あるいは命からがらに、この場を訪れるだろう相手に申し訳なさを思ったか。胸元から空の瓶を取り出し、何事かを唱えると、蓋でキュッと瓶を閉め込み武器の隣に数本立てた。
それ、何ですか?と無言の視線で問いかけてみた所。
「気休めにしかならないだろうが、魔法を少し込めてみた」
と。
あぁ、なるほど、魔封小瓶か。親切だな、クライスさん。
ここに挑もうと思う人物はどれだけのレベルを以ってして、到達するのか不明だが…高レベル勇者の魔封小瓶、普通に使えるアイテムだろうと、私は「ほう」と感心だ。
その横で「行こう」と掛けられ、そうですね、とドアの外へと……。
今日もレベル100越えダンジョン【境界の森】は春爛漫にて、私の右手を引いていく勇者な彼は輝いている。
とてもレベル百数十とは思えないような可愛い敵が、のっそり動き、小首を傾げ、世にも美しい声で鳴く。ダンジョン・フィールドに生えている草木の一つを目にしても、大陸のものとは異なる一味違う美しさ。ここは真実、景色だけなら理想郷そのものだ。だが、今はそっぽを向いて徘徊しているモンスター等は、見た目を裏切り驚きの百数十レベルな凶悪さ。それを思えばこの常春は、まさに花の境界(リメス・フルール)であり“死地である”としか言葉が出ない。
私たちはスキルを知れど、けれど細心の注意を払い、そんな凶悪なダンジョンの入り口の門へようやく届く。
「どちらを閉じるか悩んだんだが」
クライスさんはポツリと語り。
【境界の森】の移動門(ゲート)から、水没都市の門を潜ってハーシェンという地を踏んだ、私に向かって宝珠を渡す。
「この門を起動させる宝珠は、俺でも大陸の歴史を揺るがす強大なアイテム…だと分かる。大陸では見つかっていないレベル100越えダンジョンに、こうも簡単に行き来が出来ると知れ渡るのもややこしい。中には誤って踏み込む者や、意図して踏み込む者が居る。自己責任だが、ここで妙な心を出してあちら側を閉じるより、加えてしまった人の手を元に戻す意味合いで……このアイテムを、オーズに返しておいてくれないか」
と。
まさに今、足元から立つ精密な魔力路に、門を使うため入れたのだろう電池のような宝珠を抜き出し。
あ、そういや、会ってましたね。あの日のイシュとクライスさん。そして“だろう”と思っていたのがそのまま現実(リアル)になったので、海を簡単に渡れるようなアイテム云々、当たりだ、私、と。
「了解しました」
と言い、大事に受け取り、宝珠を仕舞い、改めて手を取り合うようにどこか浮かれた我々は。同ステラティア王国内、小都市リセルティアを目指し、心なしか軽やかに歩んで行くのであった。
そして———。
「お前ら、どんだけ待たせんだよ」
と、開口一番、いやに小憎たらしい苦々しい表情で、出迎えたのはソロルくんである。
「良かったねぇ、会えたんだね」
と、優しく続くのはライスさん。
「クライス殿の消沈ぶりは、見ていて気の毒な程でござった。丸く収まったようで何よりでござるよ」
と、ひこひこお耳と笑顔とで、迎えてくれたレプスさんから。
こちらの顔をジーーーっと見つめ、フッと意味深に笑んだ彼女は。
「…おめでとう」
と、小さく呟き「師匠、後で詳細を詳しく…」、背筋が凍る囁きを。
その後、冒険者ギルドへ向かい、クライスさんと何故か私を驚愕の目で見た受付嬢は、サッとスイングドアを開いて“奥へ”と無言で誘った。応接室ぽい仕切りのそこで、慌てて姿を現したこのギルドのギルド長は「この通り見つかった」との報告をするクライスさんへ。心底ホッとしたような柔和な表情(かお)を浮かべて、「良かったです。本当に、良かったですね」、そう語ってそそくさ下がる。
出されたお茶を飲みながら、少し遠くで「はい!はい!ラコットさんが無事に見つかりました!」と、どこかへ、ヘコヘコ頭を下げる空気がじんわり漂って…。
「あぁ、はい、そうですか…ドルミール氏には依然連絡が付かない、と。……えぇ、えぇ、そうですね。でもまぁ、はい、今回は、ラコットさんが無事に見つかったということで…えぇ、ギルドランク15位まで掛けていた捜索依頼は取り消しという事で…はい、はい、よろしくお願いします。では」
という、気まずい…実に気まずい会話が聞こえ。
「……あのー…クライスさん。私、なんだか、かなりの人にご迷惑をおかけしたようで…」
ただの追っかけの一般人には、過ぎるような対応なのだが。
なるほど、これが勇者の力。鶴の一声でここまでも。そう思った私を見遣り、彼は残念な顔をする。
「……ここまでの数を動かしたのは、ベルの知力の高さだろう?」
と。
冒険者ギルドとて、賢者に到達しそうな者が、自分たちの同業組合(ギルド)から出るかもしれない、とあらば。そんな人物の失踪を血眼になって調べる事は、そうおかしな事ではない。しみじみ彼は呟いて。
あぁ。そういや、言い忘れていた。
ステータス・カードを引き抜こうとして、それを指先でスッと止められ。
「オーズから聞いている。この先はベルのしたいようにすればいい。が、そう急ぐ事でもないだろう。……勇者職に転化した時、一時は神を恨んだものだが…この日ほど自分が勇者で良かったと思った事はないかもしれない。……俺は、俺なら、ベルを隠してやれるだろう。この先、矢面に立たなければならない時が来たとして、それでも“勇者”なら隣に立てるだろうし、きっとベルを守ってやれる。———そう、少しだけ自惚れている」
守らせてくれ———。
不意に届いた、微かな声に。
ありがとう、と職員さんにお茶のお礼を伝えると、クライスさんは真っ赤になった隣の私の手を引いて、東の勇者の無表情ぷりを知ったるその場の受付嬢が、かっぱーと大口を開ける驚愕の気配を背後に。
やっぱり、未だに真っ赤なままの私は機械的な足元で、まるで二人の行先を祝福するかのような青空を、恥ずかしく俯き、進む。
「……クライスさんが、甘いです」
「あぁ、そうだな。俺も自分が信じられない。好いた相手と想いを一つにできるという事が、これほど世界を覆すとは思わなかった」
「っ!?」
「確かに、愛は偉大だな」
こぼされたのは、いつかの言葉。
わずかに息を飲んだ私は、あぁ、そこまで覚えていてくれたのか、と。
「ベル」
「…はい」
「これからアンデッド系ダンジョンに挑む仕事は、なるべく断ろうと思う」
「えっ」
「むやみに怖がらせたくない」
「……一緒なら、平気…ですけど」
フッと零したクライスさんは、どこか面白そうに笑み。
「ベル」
「はい」
「住む町を探そう」
「は!?」
「俺は……この足で、パーティを解散しようと考えている。そしてこの先、父のように単独(ソロ)の勇者になろうと思う。そして、ベルと一緒に暮らしたい」
「…………エェッ!?Σ(ノ;゜△゜)ノ」
「皆との関係を断ち切る訳じゃない。次の関係に変えるだけ。依頼された仕事に対して必要性が出て来たら、一番に声を掛けるのは彼らのままだ。だが、そろそろ皆の事も、家に帰してやりたいと思っていた。どうだろう?」
「ど、ど、どうって…とりあえず、皆さんに相談してからの方が…!」
まぁ、そうだな。と、彼は言い。
性懲りもなく「ベルと一緒に暮らしたい」と。
とにかくそこの返事のとこだけ欲しいように聞こえてきたので。
「も、も、もちろんです!」
と、赤面しながら答えたら。
やはり、これ以上ないような微笑みを浮かばせて、クライスさんは急に手を引き、腕の中へと引き込むと、そのまま膝裏に右手を入れて、衆目などお構いなしにふわっと横抱き、そしてトドメの一言を。
「ずっと…家族が居る幸せを、感じたいと願っていた。愛してる、ベル。世界一、好きだ」
式を挙げよう———どこか、最高に、美しい土地で。
私の耳元だけに届いた、それはそれは甘い声。
途端、キャアァ〜〜!!とさざ波のように通りに拡散していく声は、一体いつから注目していたのか、と。疑うような声量に。
——まさか、まさか、クライスさん…例のスキル!!?
「Maxだな」
「なっ、なんでっ!?」
「大陸中に広がった、くだらない噂をかき消すために」
「!?」
とんだ惚け顔を浮かべたこちらに、ははっと彼はから笑いを浮かべ。
「愛してる、ベル」
の二度目の言葉で、衆目が期待していたのだろう。
それはそれは長〜い、サービス・キスを落として。
………私の意識は、いい感じに、彼方へ飛んで行ったのだ。