24−6
世間が東の勇者の婚約話に沸いていた頃、世界各国の魔法に関する研究機関の関係者等は、莫大な魔力の開放と収束が起きた原因を探り、奔走する日々を過ごしていた。大陸南東に位置する国家、ステラティアの小都市の、リセルティアの噴水広場。そこは、一見するとただの旅人だが、間違いなく余所の国からの派遣員なる人員が溢れ、ある種異様な雰囲気が漂う空間になっていた。研究機関の顔見知り等は、狭い広場で顔を合わせて「やぁ」といったジェスチャーを取ったり、「お前も来たか」な苦渋を醸し、事情を知る者等にとっては、なかなかに賑わしい。
そんな一団のひとりにて、研究者、とするには若い、ボサボサの緑髪を頭に乗せた男が語る。
「一体、此処で何が起きたんだ……誰が何のために…こんなこと」
と。
男は自分の腕に、いかにも自作らしい思わせぶりな計器を抱いて、ここでもない、ここでもない、と何らかの痕跡を探しているようだった。
そんな賑やかな広場を横切る、無貌の男が一人。
計器の測定面をあちらこちらに向けるあまりに、その通行人らしき人影にぶつかった例の研究人は。
「っ、あ。すみませんっ」
「……いや。こちらもよそ見をしていた」
すまない、と丁寧に謝罪を入れる男に対し、ぼんやりと、古代都市国家の小都民にしてみては、随分垢抜けた男性だな、と。鼻の上の分厚い眼鏡をく、と無意識に上げながら、頭の裏で単純に思うのだった。
加えて、およそ同性からの扱い……まぁ、異性からの扱いなんかある意味ゴミクズ以下のものだが、同性からの扱いは一部の友人を除き“それより少しはマシ”程度、そんな自分にこれほど丁寧な物腰をとる男とは、一体どんな顔をしているのか?と。素朴に思い、視線を上げるが。
——うわ。見なきゃ良かった……。
と、これ以上ない劣等感を植え付けてくれるがごとき、輝かんばかりの相手の“尊顔”を見て。
「……いえ、こちらこそ、すみませんでした…」
言いながら、思わずサッと視線を地面に向けるのだった。
気を取り直し、恐らく何かの“陣”が展開したのだろう、この空間に描かれた際の“起点”を探す仕事に戻る。
と。
不意に、そこに立ち止まったままの男が、深い声で尋ねる音を出す。
「聞いてもいいだろうか。……貴方がたはこの場所で、一体何を調べているんだ?」
発せられた声の向きから、まさか、僕にか?と思えども。
できれば放っておいてくれないかな……と、思う心も確かにあって。
彼は暫く、素知らぬフリをその場で続けていたのだが。
「………」
「………あの……えぇーと………ですね」
類い稀なる美丈夫の、無言の問いを躱せずに。
「その……十日ほど、前でした。僕が働く魔研(まけん)の…あ、魔法研究学部の、魔力感知器がですね。異様な魔力を感知しまして……」
突如、狂ったように針を振わしたと思ったら、測定不能と判断される記録紙の際(きわ)を走り出し。ゆうに三十秒もの間、針は振り切れたままだったのだ、と。
「どうやら、他の国でも似たような記録が刻まれており、数カ所の研究機関で得られたそれらを元に、日と時間とを照らし合わせて方角を導いたところ……この場所で、何か強大な魔法が行使されたらしい、と。そういう結論に至った訳なんですが……」
「……だが、特に変わった所は見受けられないように思えるが」
「そうなんですよ!そこなんです!!分かって頂けますか!?」
初め、何故かこちらの意識に無貌と映った男は、腑に落ちない顔をしながら、おそらくこの場のどの研究者も首を捻っている事象【だが、何の痕跡もない】を、素朴に指摘してみせて。
「だから、それがどんな“陣”だったのか、僕のこの魔力検知器で“起点”を辿れないかと考えまして…!!」
ズイ、と寄ったボサボサ頭が、眼鏡の奥の瞳を潤わせ。
しかし、その数秒の後、何故か落ち込み。
「……でも、見つからないんです。普通なら必ずといって言い程、陣を構成するための“初めの印”がある筈なんです。魔法使いさん達は魔法陣を描く際、無意識に“印”を土台にして描くんですが、土台となるぶん、そこには強い魔力が込められる訳でして、規模にも寄りますが、魔法陣を用いない魔法より、その痕が濃く残るんですよ」
僕が働いている魔研までの距離からしても、あれだけ桁外れな魔力放出が届くほど。ここまでの移動に数日掛かっても、起点は残っている見込みがあったんです。
「それが分かれば、そこから先がかすかでも、魔力の通った路をあぶり出す事ができるので。この空間に残った残存魔力濃度を頼りに、一部だけでも複製する事ができる筈……というか、できた筈、なんですよね。僕、そういう研究をしてるので…」
なのに、起点が見つからない。
あれだけの魔力を行使していて、その“始まり”が分からない。
「きれいさっぱり、無いんです」
まるで、そこからの追走者、その可能性を消すためのように。
「そもそも、あれだけの魔力値を放出するための魔力量。会った事はないですが、それこそ魔種の貴族レベルか、勇者って言われる人達じゃなきゃ、保有するにも無理があります」
仮にそれを隠し持つ、神々の祝福を受けた何者か、がこの世に存在したとして。そんな力を使わずにいられるような聖人君子が、果たして存在するのでしょうか。しかし、そうした者が致し方なく、あの日、此処で強大な魔法を放出したには、難しいような痕跡の無さ。魔法使用の爪痕を、意志を伴い消したにしても、それができるなら、そもそも莫大な魔力放出を、初めから隠し仰せた気がします。
「だから、僕は思うのです。———これは、誰かからの“挑戦”なんじゃないのか、と。あの日此処で何かが起きた、それを誰かに知らしめるための、布石だったんじゃないか、って」
ボサボサ頭の研究員が、熱く、熱〜く語り終え、それを聞いていた男が沈黙し、けれど何かを言おうとした時。
「おぉーい、トリス!時間だぞ〜!!」
と、道の遠くから呼ぶ声が。
「あ、実は僕、これから帰り支度でして…。とっくに出張期間が過ぎてるんですが、諦めきれずに自費で滞在してたんです。あの人は付き合ってくれていた仕事仲間で。———最後に何か計れないかと思ってたんですが…」
ボサボサ頭の研究員、名を改めてトリスという青年が、残念そうに微笑するのを視界に収め。
彼は、ふと。本当に不意に、ポツリと声を零したのである。
「……人が、ひとり、消えたんだ」
え———?
と、視線を上げた青年に。
おそらく顔を歪めたのだろう、その美丈夫が、なけなしの声で囁いた。
「あの日、おそらくこの場所で……女性が一人、消えたんだ」
続けられた声音(こわね)は微かに。
なのに、これから告白される話がひどく重要に思え、トリス青年は息を飲むよう、じわりと瞳を開かせながら、どこか悲痛な顔をして言葉を紡ぐ男を見上げ。
「消える魔法、なんてものは、この世に存在するのか……?」
と。
縋るようなその声が、何故か酷く痛々しい。
けれど、自身の冷静な部分が、あれだけの魔力を消費したのだ、この男の言う通り、人がひとり消えたとしたら、それはそのまま“消滅”を意味してしまうのではないか……?とも。
その考えが顔に出たのか、しかし、男は首を振る。
「いや、彼女は生きているんだ。ただ、あの日何が起き、今、何処にいるのか分からないだけで……」
言われた彼はそのまま黙り、それは、生きていて欲しいといった、この男の願望だろうか———? と。
するとその考えも、思わず顔に出てしまったのか。再び、男は否定を示し、生きているのは確かなんだ、と。
「どうしてそれが分かるんです……?」
訝しむよう問いをかければ。
少し言葉に詰まった風で、ふと視線を地面に向けて。幾許の後、観念するようその男は絞り出す。
「………“加護”が、あるんだ。彼女の、加護が」
「……は?カゴ?…加護、ですか?」
コク、と頷く男の目には、信念に似た炎が灯る。
この世界には驚く程の多彩なスキルが存在していて、だからトリス青年は至極単純に答えを出した。
だからと言って只人が、そう簡単に他者に加護など授けられよう筈がないので。
——あぁ、この人はひょっとして、その相手の女性から、何か加護に似た守護魔法などを掛けてもらっているのかな。
と。
ロマンチストな魔法使いなら「これは私からの加護よ」と言って、ただの魔法もそれらしく語れたりするかもな、とも。守護魔法にも色々あるが、存命でなければならない制約の類いなら、確かに“加護”が切れない限り、相手の命も保証されよう。どういう類いの魔法であるのか“ある程度は読める”人物ならば、付加者の加護が切れたかどうか、そういう“読み”も出来るのだろう。
——まぁ、そんな優秀な人材、滅多に居ないけど。
因に、僕は可能だ。幸い才能があったから。それなりに努力も重ねた。だけど、僕みたいな人材は、滅多に居ないのだと知った。国一番の学部でも、読める人間は一握り。冒険者をやっている魔法使いでも一握り。要は魔法の“構成”がすんなり頭に入るかどうか。あとは人並みの記憶力を持っているかどうかだけれど……構成をすんなりと理解できる時点を以て、既にそれはスキルに近しい。だから、才能なのだと思う。他は人より劣っているけど、そこが僕の長所なんだよ。あとは努力できる事。
と、トリス青年は男を見遣り。
——なのに、この男ときたら容姿端麗、多才なのだな。これで体術も出来るとしたら、カミサマは不公平過ぎる。
そんな鬱々とした感想を頭の奥で呟いた。
が、取り敢えず、である。
取り敢えず。
この男の言う通り、あの魔力放出が起きた日に、女性がひとり消えていて。しかし、何処か別の場所にて生きている、という話なら。
——うーん。まるで夢物語。だとしたら転移したんだろうね。すごいね。失われた古代魔法だよ。そりゃ、あれだけの魔力も使うさ。
さらりと思い。
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「………え。え、本気でそうなの…?(゜_゜i)」
「?」
「あ……うん。え、うそ…うそ、嘘ぉぉおお!!!?」
「うるせぇ、トリス!」
「ぎゃんっ!って、殴るなヘクター!!」
「あぁもう!すみません、この煩いヤツは引き摺って帰りますから!お前の荷物も背負って来てやったぞ!ほら、行くぞ!!」
「まっ、待て待て!ヘクター待てって!!僕は今ものすごい可能性に気付いてしまった!!!これ、もしかしたら、このまま帰っていい場合じゃないかもだぞっ!?」
少し前、通りの向こうで手を振っていた青年の仲間が、いつまで経っても足を動かさない彼に焦れてしまって、どうやら此処までやってきたようだった。トリス青年は闖入者(おとこ)の事を、ヘクターと呼び捨てて、そんな事より!と言っていそうな強い視線で男に向いた。
「あのっ、その、消えたっていう知り合いの女性…?彼女、もしかして転移魔法とか、知ってたりする??その、もしかして使えたりとか…!」
半ば引き摺られるような形で問いを掛けて来た青年に、美丈夫は言われて暫し唖然としたらしい。
青年を引いていたヘクターなる男性はもちろん、彼らの近くで見聞していた研究者等も数名向いた。
「貴方の言っている事が正しいならば、そういう魔法ならあるよ!大昔にはそういった移動魔法があったんだ。此処から“消えて”、どこか別の、遠くの場所に飛ぶんだよ!場所を転じる、移動する、で転移魔法って呼ばれてる。そりゃ、起点を探したって見つかる筈もないって話!!———古い魔法は今の魔法と、造り方が違うんだから」
トリス青年はそこで一番、清々しい顔をして。
「あぁ!!だとしたら、見てみたかったな!どんな魔法陣なんだろう!?でも、もしかしたら、事故って事もありえるかもしれないよね!?高レベルダンジョンには、たまにレアなアイテムが転がっているんでしょう?それが転移するアイテムだった可能性だってあるよね??ねぇ、その女性、どういう人なの!?高名な冒険者?それとも身分のある人なのかな??」
きっと、自分のこういう所が、他者に引かれる部分である、と。後のトリス青年は冷静に分析したのだろうが。
ボサボサ頭に瞳だけを大きく輝かせ、消えた女性はどんな人物?と美丈夫に詰め寄る声に、当の美丈夫は呆気にとられて、その後、少し苦痛に歪む。
ようやく絞り出された声は、顔に似合わず弱々しくて。
「……ごく、普通の女性だ」
と。
「だが、この世で一番、大事な女性(ひと)なんだ……そうか、転移魔法か。遠くの場所へ移動する…ベルなら知っているかもしれないな」
「えっ。それ、ほんとっ!?」
「あぁ。知識量に関していえば、素晴らしい女性だぞ。だとすれば、今回の事は事件というより、事故と思っていいのかもしれないな」
恐らく、男の「この世で一番大事な女性」の一文を、無意識にまるっと飛ばし。“転移魔法の知識がある女性”という点で気分が上がりまくった青年は、何故この男が言いながら寂しげにしているのかを、素で理解できていなかったのだが。
「トリス、礼を言う。気持ちが落ち込むばかりで、どうしたらいいのか分からなかったが…誰を頼れば良いのか、ようやく分かったような気がする。ところで、あの魔力開放が起きた時刻は……」
——時で、合ってるか?
仕事仲間のヘクターに引き摺られるよう馬車に乗り、その瞬間から現(うつつ)にありながら意識を飛ばしていた青年は、およそ三時間後に宿屋で焦点を結んだという。
去り際にこちらに齎された衝撃が、ふと耳元に甦る。
『俺はクライス。クライス・レイ・グレイシスという。東の勇者、と呼ばれている。この礼はいつか返そう。冒険者ギルドにこれを示せば、大陸の何処にいても連絡がつくようになっている。力になれそうな事があったら、遠慮なく連絡を入れてくれ』
——僕はとんでもない人物に、出会ってしまったんだな。
と。
右手に握ったままだったらしい、東の勇者の刻印に。視線を落として、慌てて引き延ばす。東の勇者に連絡がつく、貴重なアイテムなのだ。取り敢えず、大事に取っておこう、と。思って再びぼんやり宙を見上げるのだった。