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24−3



 ここで、時は遡り……。






「養母上(ははうえ)…これは、どういう事ですか」


 六年ぶりに戻った街で、六年ぶりの再会を果たし。気のせいか、住んでいた頃より壁紙や調度の品に、暫く放っておかれたような埃や劣化の気配を見て取り。それでも「貴方の為に準備した」と、こちらは新調したのだろうか。着替え用の小部屋にて、小綺麗なグランスルスの騎士服を指し示し、替えなさい、の言葉の通りに袖を通して出た所……。


「大事な話がある、と書きました。1つしかないでしょう?」


 と。

 自分の記憶が正しいならば、グレイシス家の家紋ではない……確か、どこかの高位貴族の家紋が入った馬車に乗り込み、向かいに腰を下ろした養母(はは)は澄ました顔で呟いた。




 大事な話があるので、一度、急いで戻られたし———。




 家を出てから初めて届いた養母(はは)からの令状に、まさか“時の揺り籠”でまみえなかった養父(ちち)の事、そちらに顔を出したのか?———という予想に対する驚愕と。それとも、何か反故にできない火急の用事が出来たのか。それか……それか、或はやはり、見合う相手が定まって、ついに家同士の縁談を結んだか———? と、様々な憶測が頭の中で飛び回り…。

 おそらく、どうしようもなく焦る気持ちが、顔に出てしまっていたのだろう。それを見て同じ結論に至ったらしい彼女の声は、「貴方の事が大好きです。結婚を前提としてお付き合いして下さい」だ。

 あの瞬間、まさか言う気か!?と待ったをかける前、それこそ“待った”を悟ったように、彼女の口から飛び出た言葉。あれから幾夜を迎えても、至る結論は同じにて。




 結婚を前提にお付き合いしてください、なんて。




 そもそも男(こちら)のセリフだろう……!?———と。




 何故、先に言われているのか……。

 何故、言わせてしまったのか……と。

 呆然としているうちに、続けられたのは“ここで待つ”。


 ………だが、仕方なかったのもある。確かに、あの時は仕方なかった。


 その場で彼女を掻き抱(だ)く為には、こちらの抱える問題が余りにも不透明過ぎたのだ。

 養父(ちち)か? 急(ヤボ)用か? 縁談なのか———?

 震える程に勇気を絞り、愛の告白をしてきたベルをリセルティアに残す形で、待つ事を示してくれた優しさに甘える形で、急ぎグランスルス王国に戻ってきてみれば。また、こうして養母(はは)にまみえて、その様子から察すれば。七割がた縁談(それ)だと感じた自分の勘が合っていたのだと、嫌というほど知らされたので心が重い。

 最後の記憶と違わない、けれど、どこか億劫そうなドレスを纏った養母(はは)が出迎え、確かに、それも予想の1つに加えなかった訳ではないが……。




 少し。

 ほんの少しだけ。

 波立つ心も本当だった、と。




「もし……私の想像が、養母上(ははうえ)の思うものと同じであるならば」


 凛と背筋を伸ばした女性(ひと)の、表情からは伺えない。

 あぁ、やはりこの人は、生まれついての貴族なのだと。弱みも揺るぎも見せない姿は、憧れるほど高潔だ。

 だが、それを打ち破らんと頭を擡げた自分の意志は。




「不出来な息子ですみません。———お断り致します」




 だ。

 言ってから、自分でも驚いた。思いがけず固い声が出た、と。

 けれどそれを押し隠し、探るように向けられた、養母(はは)からの冷たい視線。じっと交わる互いの瞳に、負けじと睨みをきかせていれば。


「何故です?」


 という単調な音。


「あぁ、なるほど。クライス、貴方。気に入る娘に、出会いましたか」


 もはや疑う余地はない、と。言わんばかりの肯定が。

 けれど、そうです———、と口にする前。


「相手の娘の身分は何です?我が家の家格と釣り合いがとれますか?———落ちぶれて、この国に何の力も及ばぬ家でも、グレイシス家は五等爵の第二位である“侯”ですよ」


 本当に。何故、“侯”でありながら、ここまで落ちぶれる事ができたのか。

 養母上(ははうえ)の先祖を悪く言うつもりはないのだが、単純な、素朴な疑問でもあった。

 過去、主の求めるままに平民から妻を娶ったとして、それが数回続いたとして、ここまでの“落ち”があるものか、とも。それこそ数代続いてのどこかの貴族の差し金だったり、よほど“頓着しない主”が合わせて数代続かぬ限り、邸宅(いえ)こそ立派な大きさだとして、場合によっては平民以下の約(つま)しい生活を余儀なくされる一国家の大貴族、過去、三本の名家と言われたグレイシス侯爵家とは……。

 ふと、そこまで思ってしまって、澄ました顔の女性を見遣り。


——あぁ。確かにこの女性こそ。頓着しない主だったな。


 と。

 それでも“侯”を用意してくれていたこの人に、あの時は感謝したい気持ちになったのだ、とも。なにせ、まさかあの兄弟が、侯の爵位の家の者だとは思いもしなかったのだから。そしてあの時、あちらの夫人が「だから侯爵家(うち)の子になりなさい、って言ったのに!」と。そちらの可能性を持ち出され、胸が詰まる思いをした、とも。

 過去、この地で「あんな拾われ子、名ばかりな貴族など」と言われた記憶を思い出し。だが、名ばかりでも十分なんだ。名ばかりでも“侯”さえあれば、最悪、ベルが侯を纏っても、求婚の文くらいは通して貰えるのだろうから…と。


 まさかここへきて、こちら側から“家格がどうの”と言われるなどと。

 全く、思いつきもしなかった話になるのだが。


 その点、養母上(ははうえ)がどうしてもと言うのなら。

 コーラステニアのルーセイル家に、ベルを養女にして欲しい、くらい……伝える伝手があるような、無いような。ある種、曖昧な距離感が。

 そもそも、育てて貰ったという恩義を仇にしてでもいい。貴族令嬢と婚約するのを拒否するような不徳な息子だ、いっそこのまま切り捨ててくれ。それなら俺は名を捨てて、市井にベルを迎えに行こう。そうすればこれからは何の柵も義務もなく、ただただ彼女と生活できる。それは素晴らしく自由だろう。


「それではいっそ、私の家名を———」

「許しませんよ、その先は」


 いっそ自分についた家名を取り上げて下さい、という、願いは脆くも砕け散り。 


「では……」


 家出、と言う歳でもなく、柄にも無い事ではあるが。馬車が止まればそこから先は、勝手に出て行かせて貰います、これが最後の挨拶です、と視線に暗に込めて見遣れば。


「育て方を間違えた、とは思いたくありません」


 と。

 一種、辛辣な言の葉が養母上(ははうえ)の口から漏れて。

 それから、


 ふ、と息を吐き、


 彼女は「ふふふ」と続けて笑う。


 ———少し。

 虚を衝かれたように。

 呆気に取られた気持ちで居れば。


「貴方、ルークにそっくりなのよ。全く、血の繋がりが無いなんて思えないくらいだわ」


 と。

 そうして堪(こら)えられなくなったと、扇を出して口元を押さえ、目の前の貴族女性は優雅な所作で笑みを深めた。


「誰も、話を受けなさい、とは言っていないじゃないのよ、ねぇ? ルークも貴方も、頭の中がどこか短絡過ぎるのよ。私は“お受けしなさい”なんて一言も言っていないじゃないの。会ってみて気に入らないのなら、正規の手順で断ればいいわ。ふふっ…本当に分かりやすい。クライス、貴方、好きな子が出来たのね。いいじゃない、そっちを選べば。家格より家名を捨てる、その覚悟があるくらいだもの。グレイシスの名を継ぐに相応しい息子だわ。———但し、義理は果たしなさいな。有耶無耶にして逃げてはいけないわ。貴方の好きな子の為にもね。ふふふっ。あぁ、でも、ほんとうに。おかしいったらありゃしない」


 ルークも想像力が豊かで、最後まで話を聞かない困った夫だったわ、と。養母上(ははうえ)は笑い過ぎて出た涙を綺麗に拭い。


「ちゃんと好きな子を射止めたら、一度は必ず連れてきなさいね」


 と。


「あぁ、でも誤解がないように、先に話をしておくわ。破談になった保証金みたいなもので、宝飾を一つ、質に入れるの。貴方は気にしなくて大丈夫。家宝って言われてるけど、少し見た目が綺麗なだけの、古〜い宝飾品だから」

「……家宝、ですか。保証金は俺が支払います。いくらです?」

「だから、気にしなくて大丈夫です。古いだけで、こういう時のために取ってあったものだから」

「しかし……家宝、なのでしょう?」

「あぁもう。貴方のそのしつこさも、ルークにそっくりね。ですから、そのためのものなんですよ。グレイシス家の家宝ということにして、付加価値をつけているだけよ。ただそれだけの古い宝石。貴方が気にする事はありません」


 けれど、まぁ。こういう事があるから、貴族社会は面倒よね、と。

 カラリとした雰囲気を醸す、清楚な女性は笑い。


「そうそう、お相手はあのシフォレー家のリディアージュさんよ。貴方が昔、一時だけ懸想していた相手じゃない。もしかして会いたいかしらねぇ?って、私も少し気を使ってみたのよね」

「……養母上(ははうえ)、何故それを…」

「自分の息子の事よ、分からないわけないじゃない。……あぁ、でも、面白いわ。あの子、貴方の初心な想いを裏切ってくれた相手だったわね。だというのに今度はこちらが、クライスの方から断るのですもの…!アーネストも見物よね。その時、私もこの家宝、あいつに投げつけてくれようかしら…!!」


 きっと気分が晴れるわねぇ、とうっとりとした顔をしながら、相変わらず「ふふふ」と笑う、強い貴族女性に対し。


「……養母上(ははうえ)、何故それも…」


 と、沈黙するしかなかった息子は。

 けれど、頓着しない(グレイシス家の)女性、が真に言いたい事を察して、ふ、と複雑に微笑んだ。




「断ってしまっても、いいんですね?」




 確認するよう問うた息子に。




「当たり前よ。 ねぇ、クライス。私たちは一滴の血のつながりもないけれど……あの人が居なくなっても、今も、違わず、家族なのよ。少なくとも私はそう思っているし、だからこそ、一度くらいは本気で甘えてみせて欲しいわ。———こちらのことは気にせずに、好きな子のところへ行きなさい」




 と。


——あぁ、この人は、あの養父(ちち)が、心底、惚れた女性だったのだ。


 そんな、勇者の心をふるわす出来事が起きていたのだが……。

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