閑話 この感情は…
そして———。
ふと、目の前から掻き消えた、彼女の姿をその場に探し。
浮かび上がるのは、過去の光景———。
「か、勝てそうですかっ!?」
「え、援護します!近づいてもいいですか!?」
「こっちこないでぇぇぇぇっっっ!!!」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「もちろんっ」
『 ……隙をつくる、逃げろ』
との声に、「嫌です」と彼女が言った。
「私、貴方を死地に置いていくくらいなら、一緒に死ぬ方を選びます」
「一人で逃げるのなんて絶対嫌ですからね」
「それに、言っておきますが、いまの私のレベルは12です。あの枝にちょっとぶつかったくらいでオーバーダメージでサヨナラです。隙を突いたところで、ってヤツですよ」
「だから、どうせなら一緒に死ぬつもりになってください」
「いやー、今の凄かったですねぇ。まさか隕石が降ってくるとは思いもしませんでしたけど」
「勇者様だけに特別ですよ。実は私、特殊スキル持ちでランクMaxなんです」
「勇者様の唇を頂きましたから……だから、何もいりません」
そして、エディアナ遺跡では。
「ありがとうございますっ」
「ゆゆゆゆ勇者様!?こっ、これは一体!???」
「幸せすぎて死にそうです…」
と。
苦手なゴースト・ハウスでは。
「たとえ火の中水の中、お化け屋敷の中だって!大好きな勇者様が居るのなら、ちゃんと付いて行くんですからっ!!」
「こここ怖くなんかないですよ!ここまで来るのにすごい怖い思いしましたけど!全然怖くなんてないですからね!?」
「勇者様が居るのなら、そんなもの克服できるんです!!愛は偉大なんですよ!!!」
「出ませんか!?こんなところ早く出た方がいいと思うんですよ!たぶん私、出口わかりますから!!」
「だってこの部屋お化け居ないんですもん!」
「ぃ………やあぁぁあぁあああっ!?!!」
「すみません!ごめんなさい!許して下さい!不慮の事故です!」
今に思えば、あの頃は、なかなか賑やかな日々だった。
フェツルム坑道に挑んだ時は。
「起きてくださーいっ!!」
の叫びが響き。
『一体、何をしてるんだ?』
との、こちらの問い掛けに。
「いえ、私は空気ですのでお気遣いなく!どどどどうぞ、あちらの方で思う存分、一人の時間を満喫してくださいませっ!」
「なにぶん、この、これが……存外重くてですね、簡単に持ち上がらないのです」
「それでその…火をつけてしまったので放置する訳にもいかなくて…」
「ごごごご、ごめんなさいっ!」
「や、あの、悪気があった訳じゃないんですが!その、つい…いつもみたいに悪ノリしちゃったというか!」
「いくらなんでもアレは図々しかったと反省してますっ!しばらく遠くに居ますから!!しゃしゃり出たりしませんから!だからあの、あのっ…」
「……では、あの…もしよければですが………勇者様の、魔力を分けて頂けたらと」
「さすがにMax 56で希少な魔薬を飲むというのも、何だか勿体ない気がしますしね」
と。
『このアイテム…』
とぼやいてみれば、だじろいだ顔をして。
「……友人がプレゼントしてくれたものですが…もしかして“何か”あります?」
逆に問われてギクリとしたのは、微妙に笑えぬ思い出だ。
春の渓谷でも救いの一手を。
「お、お久しぶりです勇者様!えぇと、世間話はさておきまして、さっそく本題なんですが」
「そもそもエディスタキアは乾燥地帯にしか生息してないんです。つまり、こういう水資源の豊富そうな場所で手に入る訳がないんですよ……」
「ほんとは、勇者様がこういうの好きじゃないのわかってるんですが…」
「もしお礼してくれるなら焼き菓子とか!ちょっとだけ期待しておきますんで!」
おやすみなさい、と届いた音は、どこまでも穏やかで。
アーテル・ホールに落下してきた彼女を救い上げた時には。
「目の前に勇者様の幻が」
「あぁー…せめてこの世界の重力加速度、知りたかった気がするなぁ…」
「いやいやいや!じゅ、充分ですよ!助けていただき本当にありがとうございます!!」
「じゃあ私、そろそろ濡れた服を着替えて、勇者様を見つめる仕事に復帰するので」
「あの、勇者様。これ、濡らしてしまった分の埋め合わせと言いますか…」
「男物の衣類って、私が持ってても仕方ないって話ですから」
いや。
まぁ。
あの時は。
少し、憤りを感じたものだが。
久しぶりに面と向かったファラウウ国の小さな町で。
『…今日は助かった。いや、今日も、だな』
と。
そろそろ不毛を止めないか、そう諭すつもりがあった。
けれど彼女は困った顔で。
「…えーと…今日もたまたまで…」
「あっ…あのですね、いつも途中から割り込んで行ってしまってすみません!ちゃんと謝らないと、と思ってまして…」
「でもですね、その…大変そうな所とか、いざ目の前にしてしまうと、つい体が動いちゃうと言いますか…」
「それで毎回あんな感じに手を出してしまうんです。…本当にごめんなさい」
と。
自分は、そこについては強くは言えない。
彼らには、故郷に家族が居るから。
そこまで助けてくれなくていい。
見合う礼はできないし…おそらく、想いにも応えられない。
つまり、何も返せないのが心苦しいんだ……俺は。
といった、気付きを逆にもたらされ。
沈黙するこちらに対し、彼女は微笑を浮かべて返す。
「勇者様はほんの少しだけ思い違いをしています。私はちゃんと返して貰ってますよ」
「例えばこういう優しい気持ちとか、どんなに物を尽くしても得られないような親切を、私はいつも甘んじて受けています」
「でも…もしそれでも気にかかる事ならば。その対価として…」
「私という存在を、許容してください」
「とりあえずそこに居る…居てもいいってことにしてもらえれば」
「いえ、あの、そんな大げさな意味じゃないです」
「えぇと…私はそこまで手に負えない奴じゃないので。それまででいいんです。だから、とりあえずそれまでは。どうか、側に居させて貰えませんか……?」
「“初めまして”勇者様。私はベルリナ・ラコットと言います。よかったらこれからベル…と、呼んで下さい」
不意に…そんな彼女の記憶が、ぽつりと浮かんでは消えた。
気まずい再会を果たしたユノマチは。
「とっ、ところで勇者様!今お幾つなんですか?」
……あぁ、そうだな。
何かいろいろ…いろいろと。
俺たちは少し互いの事を、話し合った方がよさそうだ、と。
そして浮遊都市へと行けば。
「だ、大丈夫です。特殊スキルが最強ですし…っ。死ぬ事とかありませんから…!」
「いえあの私っ、実は結構恵まれた環境でしたし…!」
「だから、まぁ、たまにはちょっと寂しいですが、孤児の割にかなり満ち足りた人生だったと思うんです」
「勇者様って貴族ですよね?」
「男一つで勇者様を拾って行かれたお養父様は、さぞ男気に溢れた方なんでしょうね」
「……そ、そうですか。勇者様のお養父様も相当イケメンだったんですね…」
「勇者様も相当なイケメンですよ」
そうか…。
つまり…。
『顔がいいのか———?』
ふと問うたこちらの声に。
心底不思議そうな顔をして、一度、瞳を瞬かせ。
ベルはふわりと微笑んだ。
微笑みながらも強い視線で。
「この人だ、って思ったんです。勇者様は私にとって、運命の相手なんですよ」
と。
そして場面は切り替わり、クラーウァの揺れる丘の上。
サァッと風が撫でて行き。
例えばベルが、自分のことを、運命だと言いきって…。
自分もベルを、あるいはここで、運命だと感じたのなら……。
『お前は彼女を愛せるか……?』
と、過去の自分が問い掛ける。
『俺は……愛せる。彼女なら』
言い切れた事に驚くも。
だが、そもそもベルの年齢は…一回りも下にある。
それも、知力を80備え、才能のある娘なんだ、と。
こんなところで…俺が捕らえていい訳もない、と答えを出すも。
『俺は彼女を、たぶん、そこまで、愛せてしまうから』
いつか、あの男が言っていた。
守れないなら返せ。
好きじゃないなら終わらせろ。
ベルに期待を持たせるな。
そんな事、言われなくても———と。
「あれ?でも勇者様の家、結婚相手は自分で探す決まりなんじゃなかったですか?」
不意に、明るい声音(こわおと)が、記憶の中に響いて消えて。
そうだな。
もし、そうだとしたら、どんなに良かったか…と。
初恋なんて、いつかは覚める。
こんな、勇者などという職業が付加しただけの、つまらぬ男になんか見切りをつけて。
学術院にでも行けば良かっただろうに、と。
しかし、それを今は惜しいと思ってしまう心の内は……。
『何故、養父と同じ場所…同じ事象で消えたんだ———!?』
という。
恨みがましくも荒れ狂う、あの日と同じ激情に、支配され始めている事実があって。
だからといってこれからも、どうするつもりにもなるな。
そんな風に囁いた良心と理性の申し子は。
『こんな事なら……。こんな事なら、捕らえてしまえば良かったものを…』
と。
出してはならない部屋の奥。暗い世界に住まう自分が、そっと姿を覗かせて。
寸での所で留まった、あの日触れた首筋に、執着の気配を知って見えぬ世界で掻き消えた。
出してはならぬと蓋をした、抱(いだ)いてしまった感情は…。
彼女に触れてみたかった。
抱きしめていたかった。
心の奥に積もったものを、受け入れて欲しかった———。
本能的な欲求で。
貴女じゃなきゃだめなんだ……と、不意に浮かんだその声は、果たして自分のものだったのか曖昧に溶けてしまうも。
『取り返そう…』
絶対に。
このダンジョンの摂理を暴き。
神をも引きずり出してやろう……。
と、暗い炎が灯るのを。
遠い空の下、とある男が、膨大な記憶の中で。
【やはりな。お前はそうだったのか】
と。鈍く、艶やかに微笑んだのは、神ですら気付かぬ話。
その日、時波の嵐を前に、ベルを失い呆然とした彼の姿を見た者は居なかった。
暫く後に、時球時計(スフィア・グラス)の前に立つ彼に声を掛けた者。青銀の髪のライスが「どうした?」と問うた時には、既に別人だったのだ。淡々とした声で返された「ベルが消えた…」との返答に、長年の付き合いがある彼だからこそ、勇者の気配が仄暗さを帯びているのに気付いたが…。他の仲間はそんな様子を、深く落ち込んでいるのだと単純に解釈したらしい。
青銀の槍使いが彼に懸念を募らせる中、四半刻後、小仕事(クエスト)を終えたパーティはそのダンジョンをあとにした。
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勇者の養父までも伴い、ベルがこの世に帰還した時。
脇目も振らずに駆け寄った黒髪の勇者の姿を見遣り…。
その場の者が、様々な深さで安堵したのは、秘密の話。