22−9
無意識に二度、瞬いて。
そこに広がる空間は、時波の嵐に巻き込まれる前、それと同じ静寂を持つ神秘的な空間だった。
ふと、後ろを振り返り、見上げた時球時計(スフィア・グラス)には、めいいっぱいの時球(クロノスフィア)が積み上げられていて。
——あぁ、勇者様、無事に仕事を終えたのか。
感慨深くそれを見つめて、消えた“時計”を不思議に思う。
腕に掛かった風鈴をそっと仕舞い込みながら、あの世界からは持ち出せないものだったのかもしれない、と。あり得そうなファンタジー仕様の“ベルの文字盤”を思い出し。
「どうやら俺の六年間は、戻して貰えないらしい」
そんな風に隣で呟くナイスミドルなおじさんと、でも無事に戻れましたね、な微笑を静かに交わす。
「お嬢ちゃん、ありがとな。あぁ、これ、渡しとく。こっちは一粒で足りそうだし、人魚のアレのお礼に、な」
俺はもう少しここを調べて帰る事にするわ、とか。
ジルさんは時球を見上げて何気なく呟いて。
「じゃあ、またな。機会があればそう遠くなく逢えるだろうよ。クライスはまだ此処に居る———」
だから、走れ、お嬢ちゃん、と。
くい、と顎で指された先は、時の神殿の入り口だ。
「っ、ありがとうございます!!それでは、また機会があれば!」
差し出された実を鞄にしまい、私は足に力を込めると、入り口であり出口でもあるそちらに向かって走って行った。
たぶん、きっと、もしかしたなら、凄く心配させているから…と。
押して、魔法で足を止め、巻き込む事を拒んだ私を、ものすごく怒っているかもしれないけれど。
あれからそう遠くなく、元の時間に戻れたならば、まだ挽回の余地だってあるかもしれないよね…?と。
湧き始めたモンスター達に、足止めの加護石(いし)を投げつけ、さして誇れない運動センスで息も絶え絶えになりながら。待って、待って、まだそこに居て!と、心に叫び、姿を探す。
「クライスさんっ!!」
と、入り口で。
思わず叫んでしまったこちらに、不意に体を反転させた、東の勇者のパーティ・メンバー。
じわり、と見開いたらしい彼の色の無い双眸に、驚きと安堵の色が広がる様を見て。
「ご心配をおかけしました!無事に戻って来られましたよ!!」
良かった!間に合った!そして気のせいじゃないのなら、安心して貰えた!と、胸いっぱいの高揚感に喜びが付加されて。
今ならこの勢いで、告白とかもできるかも、と。
思い切り、はあっ、と周りの息を吸い込めば。
「っ!?」
瞬間、ぎゅっと抱きしめられた、思いがけなく小さな体。
やっぱり、結構、身長差が…と冷静に思うのも、クライスさんが「ベル…!」と耳元で囁くまでだ。
「うわっ、あ、はいっ!?」
という動揺しかない音に対して、「もう逢えないと思った…」という、弱々しい声を聞き。
「わっ、私も…!もう、会えないかもな、とかっ……」
クライスさんが、もしかしたら、おじいちゃんになってるかもな、とか。
つい思ってしまった…と、そこは心に留め置いて。
ふと視界に入ってしまった勇者パーティの面々に、もの凄く生暖かく見られているのに気付いたら。
「あっ、そうでした!一緒に戻って来た人が居るんですけど!あのっ、ジルさんという!たぶん、それ愛称なんで、ジャイルズさんとか、ジルなんとかさんだと思うんですが…!!」
そんな色気のない話とか、急に振っていたりして。
すると、ふわっと力を抜いて、驚く彼が居るものだから。
「クライスさんとお知り合いだとお聞きしましたよ!もう少し、このダンジョンを調べてから帰るそうです!」
もしアレでしたら、もう一度、中に戻ってみてはどう?!
暗黙のうちに伝えてみせて、ぐっ!d(>_< )な感じを装うと。
「ベル、それは本当か!?」
と、ライスさんが反応し。
「本当でござるか!?」
と、レプスさんも反応し。
固まっているクライスさんにアイコンタクトを送ったら、二人のそれを受け、彼はスクッと立ち上がる。どこか名残惜しい空気を滲ませながらも目礼し、確認しに行ってくる、とクライスさんはダンジョンへ。
———結局。
私が共に戻ったジルさんの気配は消えていて、少し気落ちした風であるクライスさんだったのだけど。
「あの…すみません。確かに一緒に帰って来たと思っていたんですけれど…」
という、こちらの謝罪に首を振り。
「それでこそあの人らしい」
「相変わらず、といった所でござろうか」
そんな風に零された、年長者の喜びまじりの苦笑を受けて頷いた。
見つからなくてもこちらの言を、みんな、信じてくれるんだなぁ…と。
また、そんな風に語られる例のおじさまを思い出し。
「そういえば、有名な剣聖のお弟子さんだとお聞きしました。もしかしてクライスさんのお師匠様…とかですか?」
不思議とあれから距離が近い、クライスさんに問いを投げれば。
「……ベルが会ったのは、旋剣の勇者、ジル・ルーク・グレイシス。俺の剣の師匠でもあり、養父(ちち)でもあるその人だ」
と。
「はっ……、えっ!?」
えぇえええ!?
あの、子連れなら女の誘いを断りやすいから、の人っ!!?
くわっと開いた私の目を見て、やや気まずさを滲ませながら。こちらが何を思い出したか思い当たったという人は、少し視線を泳がせて、コクリと縦に頷いた。
——てか、勇者!?勇者って!?勇者様のお養父(とう)様って、勇者なの!?
な、新事実。
あの人ってば勇者だったの!?だけどそう言われれば、ナイスでミドルなイケメンだった…ような気も。
「えぇとっ、ちょっと待ってください!お義父さん、六年前から…?」
「このダンジョン、どうやら挑む人の波があるようなんだ。六年前も今みたいに、人が引いた時期でねぇ。別口から頼まれてうちの新人を何人か連れて行ってくれたんだけど…妙なモンスターが現れて……。どうやら、勝ったようだけど、そのまま嵐に巻き込まれ姿を消したと聞いたんだ」
捜索隊を編成したけど、結局、手掛かりも掴めなくてね…。
ライスさんは懐かしむよう、しみじみと返答し。だから死んだ者として扱われていたんだ、と。
「ベルが連れ戻してくれて本当に良かったよ。これで救われる人は少なくないからね」
そうして浮かべた微笑には、簡単に口に出来ない事案が込めてありそうで…。
「いえいえ、こちらこそ…一緒に戻る方法を、探して頂きましたから」
と。
そこから先はジルさんの武勇伝を聞く会になり、終始、和やかな雰囲気で近場の街に戻って行った。
そんなお養父さまの話を聞くのが照れくさいのか、勇者様は恥ずかしそうにパーティの先を行く。
ジルさんがお養父さんだった、そして勇者な人だった。
ライスさんの前職は、グランスルス王国軍の団長さんらしい。
そして勇者様の前職は、王国軍の末席である衛兵さんだったらしい。
衛兵さんは警備だったり街の安寧を守る職で、前の世界でいう所の“お巡りさん”的なやつ。こんなイケメン衛兵さんが街を見回ってくれるとか…それはそれで萌えたけど、そこからの出世がすごいな、クライスさん。彼は21歳の時、お養父さんが行方不明に。そして何の因果だろうか、自身の職も“勇者”に転化してしまったという、後天性勇者な人だった。
クライスさんの職業が勇者に書き変わった日、それはジルさんが失踪し数日後とかのタイミング。一番に打ち明けたのが親交が深かったライスさんであり、クライスさんはもう一人、お養母さまにだけ打ち明けて、こっそり国を出ようとしたらしい。だが、そんな若人を放ってはおけない、と。ライスさんは職を捨て、付いてきたという訳だ。
青銀の髪を揺らして彼はこっそりこちらの耳に、「まぁ、あんな奴だから、無理しないか心配でね」と。無駄に高潔な性格だから、いつか自分で何もかも背負い込み過ぎて折れないか、不安だった、と語った後に。「ベルに出会えて本当に良かったと思うよ」と。それはそれは和やかな笑みでクライスさんを追って行く。
なんだか体をむず痒くしていると、今度はソロルくんがふらりと寄ってきて。
「おまえ、やるじゃん。クライスのあんな顔、初めてみたぞ」
と呟いた。
「…師匠、あと一押し。きっと勇者を打ち取れる」
反対側からシュシュちゃんが耳打ちするよう囁いて、無表情な美少女顔でグッジョブと親指を。
思わず私は、物騒な…!と、微妙に顔を引きつらせたり。
そこへ、ちらりとレプスさんが柔和な顔で振り返り、こくりと頷き戻した顔と、クライスさんが交差して。
クライスさんはレプスさんと何かの会話をした後に、ふとこちらを振り返り、私がちゃんと後ろに居るのを確認したような…安堵にも似た表情で再び前を向き直るので。
え…と。何だこれ…と。無性に顔が赤くなる。
*.・*.・*.・*.・*.・*
勇者の嫁になりたくて。
異世界からの転生者、ベルリナ・ラコット18歳。
な…なんだか、微妙な距離に入ってしまったかのような…一抹の混乱がありますが。
こんなに周りの人達に背中を押されてしまったら…。
あれ?もしかしなくとも、そろそろ告白し時かな…?
そう思っても、いいような気も…してきちゃう訳なのです。
読了お疲れさまでした。
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