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勇者パーティは、エディアナ王国より西方に向かうルートの一つであるシシリカーナ・ロードを少し南に下った辺り、平原と森を繰り返すフィールド“ウィリデ”を南西の方に進んでいた。目的地は山間に位置する“フウ”と呼ばれる小さな村だと思われる。
私はそのフィールドをいつものペースで歩きながら、彼らの後を追っていた。
基本無口、無表情なイケメン勇者様を追いかけ続け早3年。彼に近づきたくて何かきっかけが掴めないかと毎日遠くから眺めている内に、さりげなく人を避けるような態度や何かに失望しているような視線の冷たさに気づいてしまった私は、当時、それ以上踏み込むことを躊躇った。
できれば話をしてみたい。けれど、いざ本人を前にしてみると、声をかけるなど畏れ多いというような気がしてしまい…。そんな、意中のアイドルを前にした時のような感覚が邪魔をして、今までずっと離れた場所から眺めているしかできなかったのだ。
それがつい最近、森系ダンジョンでボス戦の手助けをした辺りから、何かが少しずつ変わり始めているような気がするのは、きっと気のせいなどではないはずだ。キスをして、お姫様抱っこを経験して、と。こんなことを他のファンが知ったら嵐に混ざり刃物が飛んできそうだが、ふとした時にとても距離が近づいていたり、甘い雰囲気が漂う機会が増えたのは、私達の関係が確かに変わってきているという証拠なのだと思いたい。
それでも、遠くから眺めているだけというスタンスは基本的に変わらない。なぜならキスは挨拶で、後者はただの親切なのだということを、私の理性はちゃんと理解できているのだから。嬉しいのは私だけ。幸せなのも、私だけ。それは確かに心を満たすものだけど、その全てを満たすためには彼が感じる幸せな気持ちというのが必要で。決して独りよがりのものじゃなく…できれば私の存在が、彼にそれを生じる起点であって欲しいと思うのは。高望みかもしれないけれど、生涯の目標でもあると思えば。きっと、そのくらいが丁度いいはず。
まぁ、黄昏れるのはこのくらいにして。
実際問題、あと10メートルという物理的な距離をつめなければ、勇者様の嫁になるためのスタートラインにも立てないのだし。
魔獣のおかげか、縄張りに侵入してもこちらに向かってこようとしないフィールド・モンスターを遠目に見つつ、平原を突き進む。今までは、逃げて隠れて仕方なしに応戦してと、モンスターが涌くフィールドの移動はそれほど楽なものではなかったのだが。
——エンカウント減少って素晴らしく時間短縮できるのね!これならいつもより早く勇者様に追いつけそう♪
帝国の大図書館で得た知識によると、どんな魔獣でも生まれつき“威嚇”というスキルを所持しているそうなのだ。それには“自分のレベル以下の同類やモンスターを寄せ付けない”という効果があるらしい。余談になるが、ある一定のレベルに達すると“闘争本能”のスキルが発生し、実力に圧倒的な差がない場合、レベル依存の“威嚇”に対抗する効果を発揮して、戦闘可能となるらしい。魔種の序列は完全なる実力制なので、“闘争本能”は下克上のための必須スキルと言えるだろう。
そもそも、パシーヴァのレベルは一体どのくらいなのだろうか?まぁ、あの魔婦人は自身をコウ爵位だと言っていたくらいだから、少なくとも侯爵で、ともすれば公爵だ。魔種の序列で爵位を持つということは相当な実力者であるということなので、その使い魔というならばそれなりに高いのだろうと思えるが。
——嫌な特殊スキルだけど“女難の相”を持っていてほんと良かったね、フィールくん。あの女性は今の君が足掻いたところで、到底勝てない相手だったのだよ。それはもう時間稼ぎができたのが不思議なくらいにね。
やや不健康そうな象牙色(アイボリー)の肌に白群(びゃくぐん)の糸が映える少年を「伴侶」と明言した麗しい魔婦人の姿を思い出しながら、遠くの空へと合掌する。一緒に居て思ったが、あの雰囲気はヘタレな予感だ。押し掛けられ系ハーレムを築いていくのが何となく目に見える。次に会った時、今度はどんな女性を連れているのやら。…しみじみ思うが、他人の苦労はヒトゴトだ。
そうやって様々な事に思いを馳せながら進んでいるうちに、いつの間にかフィールドは平原から森へと変化していた。
日没の時間もとうに過ぎており、闇色が段々深くなっていく。
——ん?
霧が立ち始めた宵闇の森の中を進んでいると、妖怪アンテナならぬ勇者様アンテナがピンと立つ。ようやく彼の位置情報をより正確に感じ得る距離までつめることに成功したようだ、と誇らしげな気分に浸りながら、私は彼の気配が増していく方へと歩みを進める。黒い魔獣は道草を挟みながら、主人の姿が見えるかどうかという距離でひょこひょこと付いて来る。
エディアナ王国の城下町を出立してから何となく気づいた事だが、どうやら彼(?)には久方ぶりの地上の姿が物珍しく映るようなのだ。あちらこちらをジッと見つめては、駆け出したい衝動を必死に我慢しているという素振りをよく見せた。ステータスに刻まれた従属の二文字によって私は彼を好きなようにできる訳なのだが、正直、これといって望むことなど浮かばない。巨大化してもらい、その大きな背中に乗せてもらって移動するという手もあるのだが、せっかく3年もの月日をかけて得た体力——持久力的な方の——が失われるのは勿体ないと思うのだ。どうにも動けなくなってしまった時にそうしてもらうということで、とりあえず私の命が危なそうになったら守ってね、あとは好きにしてていい、と命じる事で今に至るという訳だ。
そうして、露をまとった草木のせいで衣類の裾がじんわり湿りだした頃、私は己の視線の先にぼんやり揺れる光を見つけた。こんな森の中に家でもあるのだろうかと、童話に出てくる世俗を捨てた魔女の姿を思い出しながら、そちらの方へと足を進める。
着く頃にはそれが家より館と呼ぶに相応しい建物だということが見て取れた。いくつかの窓からはランプの明かりが漏れており、私はそれの正面で呆然と立ち尽くす。
——困った。勇者様はこの屋敷の中に居る。居るんだけども…
この館、明らかに雰囲気が普通じゃない。
壁を覆うツタの葉が所々不気味に揺れているのだが、玄関先に灯されたランプの炎は揺れてない。いくら風よけのガラスに守られているといっても、ランプには空気取りの穴があるのだ。あの葉っぱの揺れ具合から推測される風の強さなら、内部の炎は揺れていい。なのに何故揺れぬのか。まさかのイミテーションかコラ!と内心悪態をつきながら、恐る恐る玄関先へと向かって行く。ちなみに風が吹いてないという想定はしていない。風がないのにツタが揺れてるなんていうのは怖すぎるのでボツなのだ。
——あああ…ヤダなぁ。ホラーはダメって言ったじゃん………(涙目)
あからさまにお化け屋敷な雰囲気漂うお館の無駄にでかい扉を押すと、ギギギィィと耳に残るあの音がして、薄暗いエントランスが視界いっぱいに広がった。その中央で全長2メートルほどの巨大な風見鶏が体を横たえ、首をあらぬ方向へ折っている。
——ひぃぃぃぃぃぃぃっ!何なのこの気味の悪いオブジェクト<(;> <)>誰も居ないし!居てもヤだけど!…こ、怖いよぅぅぅっ!!!