21−11
「おっ、お疲れさまですっ…」
と、シュタッと右手を宣誓し、無言のままザバザバと水を掻き分けてくる人に。正面から対峙するよう、木陰から半歩前に出た。
無口なのはいつもの事だが、長い前髪に隠れた瞳が、何を見ているのか分からない。
返事のないままクライスさんは、ザバッと泉を抜け出して、カサッ、パキ、パキリ、と草木を踏む接近音で、私の半歩手前の辺りでゆっくりと歩みを止めた。
——うわ、近い!!
「えっ、と…あの…?」
焦りよろしく、頭一つ分高い彼を見上げれば。
不意に、ヒタっと冷たい右手が、私の頬まで持ち上げられて、つられて上向きになる、私の視界いっぱいに。
こちらを見下ろすクライスさんの、熱い灰色の瞳が二つ……。
「———、っ」
あ。
ダメだ。
これは、ダメ。
これは…。
これは……“男”の目———と。
「っ!?」
認識するが早いか、カクン、と力が抜け落ちた情けないこの足は。
クライスさんに見下ろされたまま、ずるずると膝を折り…。
無意識に後ろに伸ばした左手に触れた幹。
——あぁ、よかった、手を付く場所が…。
支えがあった、と後ずさるけど。
無言の圧迫感を放つ目が、半腰になり、たじろいだこちらの姿を、再認識したのだろうか。
先ほど頬に触れた右手がスッと耳元を掠めていって、じりじりと腰を屈める私の視線と同じ高さで、背後の幹に手を付いていく。
まるで、逃がさない、そう言うように。完全に腰が砕けて座り込んだ体の右を、彼は変わらず無言のままに大きな体を屈めて下ろし、地面に着いた左手でしっかり退路を奪うのだ。
——わ…うわ、割られっ……足が割られる…っ!!
と。内心、ヒィイ…!!!(゜Д゜||)(||゜Д゜)となりつつも、まぁ、そこは正直言って“好きな人”なのである。
グッと体で押し割られたら、完全な拒絶もできず……。
じわり、と近づいて来る熱を持った沈黙に。
——いや、まだ早っ…早い、気が、するんですけど…ねっ!?
と。
べべべべ別に嫌じゃないですよ!?前の人生だって、このくらいのイベントは通りましたし!?や!でも!でもですね!!若干の恐怖は否めない…ってか、これって…これって……!!そのまんま…!
——貪られるパターン!!…じゃ、ないですか!!?
そろりと見上げた間近の顔に、ぴたり、と視線が縫い付けられて。
あ、だめだ。欲しかない…と。
青灰がかった強い瞳に、こんな時でも美形だな、と。
いいけど。
いいけど。貪られても。
好きな人だし。“勇者様”だし。
こんな美形に抱いてもらうとか、棚ぼたもののラッキーだろうし。
大丈夫、だから大丈夫、と。冷静になれ!と思うけど。
「……っ」
やっぱり、熱に浮かされているだけの、理性の欠片も無い人を見て。
——でも……でも…少しくらい………やっぱり…愛が、欲しい、かな………。
と。
つい、そう思ってしまった心に共鳴した何か。
目元の涙腺が、じわっと涙の片鱗を上に押し上げて行った話で。
まさにその時。
少年勇者フィールくんのところでは、取りあえず宿屋に戻ったパーティと距離を取り、彼一人、風呂場に籠って溜め息をついていた所。
突如、部屋のドアを破って乱入して来た女性陣、それに気付いた少年は素早くタオルを巻き付けて。
「背中を流してあげるわ!」
という二枚羽根の幼女さまやら。
『あまり無理をするでない』
という美貌の魔婦人さまやら。
「サービス致しますわよ」
というフェロモンたっぷり人魚さまやら。
「っ、たっ、頼む!今日だけは!!そういうの、やめてくれっ!!!((;д; ))」
と。風呂場を囲む防御魔法…別名、引き蘢り魔法、というのを何重にも展開し。
———他方。何も知らない勇者、美鈴ちゃんの所では。
口が上手いイシュルカさんに乗せてこられたスイート・ルーム。
ほあぁ、こんな豪華なお部屋がこの世に存在するのね…と。ズレた感想を抱いた彼女は、ほいほいシャワーを借りた後。
年齢的にアウトよね…と、苦笑を零しながらも纏う、結構好みの白ワンピース、生地は心許なさげな様子、は。
背を向けて仕事をしている“親切な男子”へと。
「あの〜、ところで、この世界って…風邪薬とか、あるのかな?」
と。
不意にこちらを振り返る、不思議で不思議な視線を受けて。
「ちょっと疲れが出ちゃったみたいで…なんだか、体が熱いんだ…(^ ^ ;)」
と。
瞬間、バサッと書類を落とした焦り顔のイシュルカさんに。
「美鈴さん。あんた、まさか…経験無しに留まらず、自分で…いや、いい」
何となく突き放されて。「え?うん?(・・;)」と焦りを露にした彼女に対し、腰を持ち上げズンズンと近づいて来た“親切な”年下男子。
一瞬の無表情を受け、え?と見上げた彼女の耳に。
「一度しか言わないからよく聞いて。その“熱”は風邪じゃない。性欲、ってやつだよ」
と。
耳元で囁く声と、直球の突っ込みを受け。彼女はガッと熱を沸かせるも。
「あぁ…もう、嘘だろ」
と、態度を豹変させた男に、ガシッと腕を引かれて進む、薄暗い別部屋の扉。
「精霊王をあんたの体で喚び出したのはこの僕だ。あれだけのレベル差と、与えた攻撃の強さからして…尋常じゃない性欲が襲ってくるのは仕方ない。勇者ってのはそういう体。強い敵を相手にしたら、自然と血が滾る。それゆえの性欲だから、何もおかしい事はない。もちろん、個人の“耐性”もある。女性なら開発具合とか」
説明しながら親切男子は、彼女をグッとベッドに引いて。
「大事な事だから、もう一度言わせてもらう。精霊王をあんたの体で喚び出したのはこの僕だ。だから“その責任”は取る。取る…つもりだったんだけど」
クッと歪んだ男の笑みは、自嘲だったのか、嘲笑なのか。
ハッと意識を取り戻し、怯んだ彼女を離さずに。
「まぁ、処女なら仕方ないよね。じゃあ、クスリから試してみようか———」
そんな暗雲立ちこめる、召喚勇者の受難の予感に。
つうっ、と流れ落ちたのは、溢れてしまった私の想い……。
や。少しでいいのよ…と。
好きな人だから嫌じゃないけど…一握りでも愛が欲しいな…と、思ってしまっただけだから。
でも、その…ちょっとだけ。無理っぽかったら…まぁ、仕方ない。
これは思わぬ事故だから…って、諦められなくもない、かなぁ…?
と。
きゅっと瞑った漆黒の闇に、左肩口に唇が触れ……けれど、いつまでも変化が無いのを、訝しく思った頃だろう。
「……ベル」
と聞こえた深い声音が、ゾクッと体を粟立たせるが。
「あの時の線香を……出してくれないか…?」
と。
——せんこう…?線香…?線香なんて……。あっ、もしかして、あの時の…??
別の意識で力が湧いた右手でガサゴソ探るのは、銘入り高級革袋(ブランドバック)にしまわれた、いつぞやの太いやつ。mammo-th(マンモ・ス)商会製の、鎮静効果がある線香。
——そうか!鎮静!!鎮静だ!!!
それ大事!すごく大事!!と。「こっ、これですか!?」な勢いで二人の間に持ち上げるのは、先を削れば杭(くい)として使えそうでもある大きさの、臙脂色(えんじいろ)の線香だ。
勇者様はふと線香に視線を向ける気配で、右手で軽く掴むと、地面にぐさり。天辺に手をかざし、ファイア、と呟いた。
程なく辺りに立ちこめるのは、あの独特の香りである。
「…すまない。もう少し、このままで」
グッと力が入ったらしい、私を囲う両腕を感じ。
「はっ、はい!大丈夫です!!」
と、コクコク頷くばかりの私。
「あと二本、貰えるか?」
な、線香の要求を受けて、どうぞどうぞと差し出した異様な景色の中に。
「…この、腕の痣」
まるで、どうした?と問われた声。
「えっ、痣?これ…あぁ、あの時の……?フィールくんがちょっと強めに掴んだ時のですかね…?」
と。徐々に理性を取り戻し、さっきの空気は嘘だったよね、と。そんな雰囲気の所まで回復した会話の中に、勇者様は「そうか…」とポツリ。「ヒーリング」と唱えた魔法で軽く痣を癒してくれる、な、親切ぶりを復活させるまでになる。
「…回復魔法も使えたんですね」
ははっ、と笑う見えない顔で。
「小回復しかできないが」
と、勇者様は苦笑する。苦笑だった、と感じた時には、気のせいなのか。
ふと首筋に唇が触れ、まるで音のないキスのようだ…と。
ただの“姿勢を戻す”に添った、衝突事故な触れ合いだよ、と。神経が逆立つ体に、私は強く言い聞かせ。
程なく姿勢を戻して座る、ぐったりとしたクライスさんと、ちょっとドキドキ、体を幹に凭れて臨む夜の泉に。
「助かった」
という呟きを受け。
「いえいえ、これくらいの事でよければ」
私は地面に刺さる線香を、横目にしながら遠慮する。
ついでに、乙女のドキドキイベント、どうもありがとうございます!と。ちょっとだけ思い返して、内心、語ってみたところ。
スッと伸びた長い指先が、頬に付いたままだったらしい、流れ落ちた涙の名残をすくい取っていったのだ。
「怖がらせて悪かった」
という、誠実な謝罪を聞いて。
や、大丈夫、大丈夫です!といつものように両手でアワアワ。
帰るか、という落ち着いた声に、はいっ、とお尻の草を払って。
一瞬だけ向けられた、こちらを見下ろす横目の中に、どこか名残惜しそうな愛欲が見えたのは……。
まぁ、気のせいじゃないですか!?
と、ははっと明るく心で笑い。
私達はそこそこの距離で、ポーダの町へと戻ったのである。
*.・*.・*.・*.・*.・*
勇者の嫁になりたくて。
異世界からの転生者、ベルリナ・ラコット18歳。
冷静に思ってみれば、何か逃した?な状況ですが。
フィールくんパーティはどうなった!?とか。イシュと美鈴ちゃん、どうなった!?とか。全く知る由もない私。
けれど、まぁ、それなりに…なんとかなったんじゃないかなぁ?とだけ。
勇者様と私の方も、また同じ距離に戻って…。また今までと同じよう、旅を続けていく訳です。
読了お疲れさまでした。
線香、やっと出せました。
読み飛ばしたのではないか?と気にさせてしまった皆様、大変お待たせしました。
極太線香:mammo-th(マンモ・ス)商会製。鎮静効果+副作用あり。副作用:性欲減退。そういやあの時も、それなりのレベルのボスと戦っていたかもしれない…的な。なんでそんなもの焚いてるの…?なクライスさんの困惑顔と、まだ手は出さないでね(笑)、なイシュルカさんのしたり顔。やっと明かせる副作用…いや、副効果なのでした。
それでは次話へどうぞ!です。