21−9
「……これは、一体」
魔法使いの杖の効果で復活をみせた勇者パーティは、そんな固い言葉を聞いて何事かと振り返る。
見れば、見知った顔ぶれの中に、4人ほど知らぬ顔があり。
「あれって、竜人か…?」
と、呟いた少年に。
『いや、竜王、だろう』
な、魔公爵の低い音が続いて消えていく。
一拍の後、それを受け、縦長の瞳(め)を細めた男は。
「いかにも。余は現竜王アズラーク。群青(アジュール)を冠する竜の山の支配者だ」
と。威厳ある声で返すと、一同を見渡した。
「……あんたが…“不在”の竜王か…」
ぽつりと零した少年勇者に、アズラーク、と語った男は暫し視線をくれてやり、独特の動作音を聞き、遥か後方の“敵”を見た。
「ほう。あれは“イーラ”の一部だな。ククッ。人間だてらに見上げたものだ。“斜塔”は大層、立腹のようである」
そして、間もなく放たれた幾何学の棘を見て、どれほどの撃が来るのかを知っている先陣が、それぞれ回避の動作を取るのを視界に収めるも。
群青の髪を持つ、男は呪文を短く唱え。
きたる多角の攻撃波に向け、魔力を展開させた。
「群青の王盾(スクートゥム・デ・レクサジュール)」
それに付随して少年が巨大な防壁魔法をやや手前に展開させて、回避の動きを取った東の勇者パーティと、涼しい顔で対峙する少年勇者のパーティ・メンバー、ちょっと次元が違い過ぎリアクションに困った切れ端…もとい、冒険者ベルリナと、召喚勇者・間宮美鈴、表には出ないまでも驚きはあったらしい大司教エルレイム、やはりどこか涼しい顔の商人のイシュルカを、差し障りなく守り抜く。
しかし、攻撃を受けた当人、竜王と少年勇者は、その衝撃にほんの僅か眉間の辺りに力を込めて。
「くっ、重い…!」
「…まさか、これほどとは」
と各々呟いて。
・
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「あ、あの…イーラ、って?」
な、場違いなほど間の抜けた、美鈴ちゃんの問いを聞き。ふと意識をこちらの方に戻してきたらしい。
まぁ、その問いは正確には隣の私に向けられたのだが。そこはばっちり、ハイスペックな異世界の異分子達に聞こえてしまった後らしく。竜王さまは一瞥をこちらの方に向けて寄越して。
「イーラとは“怒り”の事だ。あれは斜塔の怒りが顕現したモノだという事だ」
と。
存外、優しくこちらの方に説明をしてくれた。
「しかし…強いな。イーラのレベルは…」
「……120、だ」
な声がして。
深く、よく通る重い声音が、そのたった一言で、全員の意識を奪い。
「…ひゃ……ひゃく、にじゅう?」
という、若い聖職者の声を聞き、改めて対峙する数人の空気が変わる。
「力を貸して欲しい。全員が生き残るには、恐らくそれしか方法がない」
勇者様は振り返らずに、しかと前方の敵を見定め、どうか否声(ひせい)が出ないようにと、祈りに近い空気を出した。
異常なほどの強敵に、ライスさんも振り返らない。レプスさんは意を決し、少年少女はやや気になって、後方をチラリと見遣る。
フィールくんのパーティは、リーダーの少年を見遣り。戦闘に参加するのは偏に彼の意思次第、と。
私はもちろん助力をするし、こうなりゃイシュも手を貸すだろう。一人だけ付いていけない美鈴ちゃんはオロオロとして、付き人であるエルレイムさんはそんな彼女を伺った。
シン———とした場に初めに出たのは、意外にもレックスさんで。
「手を貸そう。俺は前衛だ」
と、両手に大型のナイフを握る。
真剣な眼差しの後、少し砕けた様子を見せて。
「実はここまで登ってくるのに魔力を殆ど消耗していて…誰か、魔薬を分けて貰えると助かるんだが」
な懇願に、働かなきゃ!と思った私は「はい!持ってます!どうぞ!!」と差し出した。ついでに回復薬も三種提出してみたら、「助かる」という微笑に乗せてレックスさんは受け取って。
「あの!俺も手伝います!!……あの、レベル、足りないかもですが。一応、前衛かな…?」
と。フィールくんが威勢良く放ち、その後、おずおずと引き下がる。
若干、やる気が怪しくなった少年勇者の宣言に。
「フィールがやるなら、私もやるわ!攻撃でも回復でも、どっちでもいけるわよ」
「わたくしは後衛ですわね。バランスを見るに回復役に徹した方が良さそうですわ」
『ふん、珍しく殊勝な心がけよな。我は攻撃魔法で援護しようぞ』
な、お三方の流れるような参加表明が沸き起こり。
その間、考察していたらしい竜王さまが。
「…人間、お前の名を示せ」
と、鋭い視線で勇者様の後ろ姿を貫いた。
勇者様はほんの僅かに体をこちらに捻ってみせて。
「———東の勇者、クライス・レイ・グレイシス、だ」
と静かに放ち。
いち種族の王をつかまえ、全く阿りもせずに強く放たれた紹介を聞き、竜王さまは「…ふん」と一息。面白そうに鼻を鳴らして、ニタリとでも音がしそうな凶暴な笑みを顔に出す。
そして。
「良いだろう、“光”の勇者よ。一度(ひとたび)だけ力を貸そうぞ———!」
そう高らかに宣言すると、竜翼を出して武装して。
その傍らで、クリュースタちゃんは大人の女性に変身し、エル・フィオーネさんは魔力による浮遊を見せて待機した。
次の攻撃の体勢を取るレベル120な“塔の怒り”に、自然とその場の視線が、何気に微妙に取り残された低レベルな我らに向いて。
「はっ…、あの、アイテム類で援護致します…っ!!かゆい所に手が届くよう頑張ります!」
「わっ、わわわわ、私は、その、精霊魔法でなんとかしますっ…!!!」
「正直、力不足だと感じておりますが。状態異常、回復魔法はお任せ下さい」
と。
トリを持つのはイシュルカさんで、お仕事モードな微笑を浮かべ。
「商人です。僕もアイテム支援をします。それと、趣味で集めた遺物があるので、後方から援護射撃をしていきます」
そんな心強い言葉を吐いた。
「ベル、忘れているようだけど、契約している人達も喚んどいた方がいいと思うよ」
頷いて前を向いた彼らに、イシュはこそっと私に言って。
そ、そうでした!と“召喚”するのは、魔獣さまと死霊さま。
「ぱんぱかぱーん☆久しぶりだね!ご主人さま♪♪」
と、相変わらずテンション高く現れたイグニスさんと。
『……珍妙な組み合わせだな、ご主人』
と、じろじろ竜王さまとレックスさんと勇者様、そして前主人たるエル・フィオーネさんに目配せて。
『パシーヴァ、たまには前で戦え』
な、エルさんの一言に、いつぞやの“人化”をみせた黒髪の魔獣さま。
『…あれは、怒り(イーラ)か』
と零したパーシーくんに、「レベル120の“イーラ”だそうだ」と。レックスさんが気軽に掛けて。
それを聞いた彼の両手に魔法陣が展開されて、パーシーくんはそこから二振りの長剣を掴む。
果たして、前衛6名、後衛11名。後衛11名のうち、魔法を含む遠距離攻撃6名と、回復役を担う3名、アイテム支援2名はそれぞれ、前衛として散った彼らのバランスを見て位置を決め。お互いに最後尾、少し離れた場所に立つ商人のイシュルカさんは。
「真・対空砲撃・メテオル召喚、武装砲撃・コルニクス召喚、両機、気中の“アウラ”を装填後、同胞を避けて敵(イーラ)を撃破せよ」
と。謎の遺物に魔力を喰わせ、深紅の巨大砲撃と漆黒の飛行ロボっぽいのをその場に召喚し、ほんの一瞬、他を圧倒し、惜しみなく“グッ”と魔薬を呷る。
誰もが“本気だ”と感じた彼の行動に、レプスさんは強い決意で。
「クライス殿!“時の実の欠片”を、使わせて欲しいでござる!」
そんな要求を口にした。
ふと、こちらを振り返ったクライスさんは、遠目に一つ頷いて精霊を顕現させる。いつぞやの、あの青い鳥の姿をした精霊は、口元にそれを咥えてこちらの方に飛来して、レプスさんの手の中に“欠片”を転がした。
「いやはや…なかなか、酸味が強いでござるなぁ」
コリコリと噛み砕く様子から察するに、それはもしや前の世界のカリカリ梅的な…?と。激戦の最中にあってちょっとボケてみる私が居たり。見るからに「それはカリカリ梅?」と、顔に張り付けている美鈴ちゃんが前方に居たりして。
まぁ、すぐに起こった変化に目を剥いた後衛陣だが。
「じっ、じいさん…まさか、あんた…」
と、目に見えて狼狽えたソロルくんだけは別格だった。
銀に限りなく近い薄い金の髪色に、随分と整った顔を持ち、頭から生えている兎の耳は、思わず手を伸ばしたくなる純白色。矍鑠とした様子はそのまま“若さ”に塗り替えられて、しかと地面を踏む足に、手は堂々とロッドを掴む。
「この感覚は久しぶりでござるなぁ」
と。声まで若返りをみせた様子に。
「じ、じいさんの、め…。瞳(め)が…赤い……!!!」
何故か心底震える声でソロルくんが激震し。
「第一波!撃て!!」
と響いたイシュルカさんの攻撃指示で、深紅の砲撃台と飛行していた機体から、高出力のエネルギー波が放たれるのを見送って。
「加減はしないでござる。各自避けよ」
と染み入る、前衛陣が「なんだ?」と感じた後方からの魔力波は。
果たして。
「ノヴァ・エクスプロージョン!!」
な、広範囲魔法の発動音。先の攻撃にふらついていた貝の胴体中程に、輪っかのような光を刻み、発動された巨大魔法は、重い衝撃爆発で骨数本を破壊した。
「さすが、世界宝レベルの杖でござるな。しかし次の大魔法までのウェイトが長い」
若返ったレプスさんは、ぶつぶつとごちながら。ふと、何かを思い出し、そちらの方に声掛ける。
「そういえば、先ほどから気になっていたでござるが…フィール殿、その位置からでは切り込みが浅いでござる。もう少し前に出ても、“勇者殿”なら避けられる筈」
「えっ、はっ…ちょっ?!?」
「ほらほら、その位置がベストでござる」
「うぇ!?まっ、ぎゃあああ!!!そっ、そんなのありですかぁあああ!?!?」
と、軽い雷撃魔法にて。味方からドンと前方へ押しやられた少年一人。どうやらそれで骨貝の射程距離に入ったらしく、骨の一つから噴出された幾何学なビームを浴びて、ポーンと遠くへ飛ばされる図を、後衛陣が見送った。
「フィール殿、それ以上の後退は、某が許さないでござるよ」
と。うわぁあ…(|||_|||)鬼だ…鬼が居る……な、え?レプスさん?え?別人??な。攻撃魔法を手足のように使いこなして味方を運ぶ、背中のオーラが違う人、が軽くお一人できあがる。
え、と。あの人、大きめの回復魔法、かけた方がいいよな…?と。魔法でビシバシやられるフィールくんの方を見て、動揺に肩を揺らした聖職者の少年に。
「ソロル殿、フィール殿にはお嬢さんが付いているでござるよ。他の前衛メンバーに集中するでござる」
な、鋭い刃が飛んで来て。
「はっ、はい!了解です!!」
と答えた彼の動きといったら。普段はタメ語のくせに、敬語になってるよ…と。なんだ、どうした、ソロル少年、若いレプスさん怖いのか…?と、若干の憐れみを乗せて私は心で合掌を送る。
遠くの方から不意に気合いの奇声が飛んで、両手のナイフを振って切り込むレックスさん、カウンターを受けその場を脱し、こちら側からのカウンターにて長剣をかざして切り込むパーシー。どこか息がピッタリな二人の様子を不思議に思うも、不意に竜化した竜王さまが口から吹いた咆哮(ブレス)の激に、あぁ、ほんと、この世界は凄いなぁ…と。空気が揺れる、を間近で体験する驚きを、乗り遅れ気味の私は思い、前線で敵に立ち向かう勇者様の後ろ姿を、それとなく見遣って視線を伏せた。
時折、飛んでくる後衛陣への物理攻撃。それを障壁で防ぐのは、いつの間にかクリュースタちゃんの役目になっていた。加えて彼女は一定の間隔で、前衛陣へ連続微量回復魔法を掛けていく。人魚姫のネルさんは主にフィールくんの回復を。まぁ、おそらく現状で前衛陣中もっともレベルが低い少年は、専属の回復役で丁度良いところなのだろう。少し私怨が混ざるようだが、彼の回復に余裕ができると、愛しい人を傷つけおって!と立ち上る怨念で、ちょっと原理が分からない巨大竜巻や大洪水を“塔の怒り”に向けていく。
そんな中、安定した広範囲魔法を連発するのは、頼りになります!姐さん!!なエル・フィオーネさんである。次の発動までウェイトがどう…とか、零していたレプスさん。本当にすごい人だと分かってはいるのだが、これが“種族の差”であると、思い知らされる絵面であった。
個々の技量とレベルの高さに心地よい気の余裕があるのか、神槍を手にした彼も時折“大技”を繰り出した。いちいちその軌跡の中に小花が散るエフェクトは、一撃の重さに対して風流感が半端ない。神器まではいかないまでも七本しかない霊弓は、前衛陣の動きに合わせて敵の先手を封じていった。
お荷物まではいかないまでも、戦局に関わる事の無い異世界勇者・美鈴ちゃん。でも彼女もめげることなく、おそらく極小数値だろうが、一生懸命、精霊魔法でイーラに撃を入れていく。実質、前衛5名ぶん、回復2名で担うため、恐ろしく集中している美形の大司教さまは、美鈴ちゃんを守るとか、そういう余裕は無さそうである。こそっとイグニスさんとかに彼女の守りに徹してもらい、ただ戦局を見極めて魔薬待機する無力な私。
これだけ高レベルそうな人達が、どんどん魔法や技を繰り出しているというのに。さすが、レベル120なフロア・ボスさまなのか、体力切れで倒れる気配にほど遠い様相である。
遺物っぽい爆弾を、出してみるべきかなぁ?とか。
残っている精霊石、投げつけてみるべきかなぁ?とか。
でも、相手があんなレベルじゃ、たぶん微々たる減りだろう———、それが分かっているだけに、なかなか手が出なかった。
「ベル殿、魔薬を頼むでござる!」
叫び込まれてボトルを渡し。
「くっ、誰か!遅延の状態異常、回復させて!!」
と。回復の要な彼に状態異常回復薬を走って飲ませてきたりして。
敵の体力が減っていない訳ではないのだが、そろそろ集中力や魔薬が切れてくるか?な戦局。
「皆さん!!来ます!!!」
と、唐突に叫んだイシュルカさんが。
「駆動障壁・レメディエント召喚!!竜王様!勇者様!先ほどの守りの盾を!!」
その遺物にどれだけの魔力を消費するものなのか。自身が所持する魔薬を再び呷り飲み、後方で必死に指示を出す姿を受けて。
「群青の王盾(スクートゥム・デ・レクサジュール)!」
「戦神の盾(アレスレイド・シールズ)!!」
という、ほぼ同時に展開された三重壁に向けられた、塔の怒りの破壊光線。
その出力を感じていたか、第一線に配置した竜王さまのシールドは、初撃の勢いを殆ど殺すも破壊され。
フィールくんが配置した第二線のシールドは、竜王さまのシールドを透過した光を止めるも、残念ながら砕け散る。
あとは残りの衝撃波、だがダメージは抜群そうな固い力の塊を、ギリギリ防いだイシュルカさんの第三線の巨大障壁。
自身が配置したシールドが破壊されたのを、少しだけ目を剥いて驚いた風の竜王さまだが。
「体力は残り半分だ!」
と、息が上がったフィールくんの痛切な叫びを聞いて、フと改めて“塔の怒り(イーラ)”に向かって真剣な顔をする。
誰もが、これほどのメンバーで強い攻撃を入れてきて、まだ半分も体力がある、と言葉をのんだ様子であったが。
『———ベル、娘さん、借りるよ』
と。
突然、頭に響き渡ったイシュの思念のような音。
ハッとしてそちらを見れば、美鈴ちゃんの耳元に、何事かを囁く姿。
彼女はイシュの“提案”に、うん、と必死に頷いて。手渡されたアイテムを、やや緊張の面持ちで、胸の位置でギュッと両手に握りしめたのだ。
「彼女を媒介として、精霊王を召喚します!できれば優先的に彼女を守ってください!!」
後方から響いた声に、尋常ではない霊気(オーラ)を感じ。
前衛6名もチラと各々こちらを向くと、攻撃の手を控えめに、守りの布陣を敷いたのだ。
イシュはその間、三本目となる魔薬を呷り、左足を立てた構えで、地面に腰を落ち着けた。膝の高さに持ち上げた緩く握った右手には、何かに魔力を通したのだろう、すらりと聳える大きな杖が光と共に展開される。
一度、トン、と地面を鳴らし、美鈴ちゃんを中心にして描かれた魔法陣。
恐る恐るといった感じの美鈴ちゃんの体から、急にカクリと力が抜けて、胸元から湧き上がる複雑な文字の奔流に。
——あぁ。意思が消えたのだ……。美鈴ちゃんは“個”では無くなって、世界にあまねく広がり溶ける…“媒介”になったのだ…。
と。神々しささえ感じる姿は、意思を持たずにそこに在っても、美しくも悲しいような、畏敬の念を抱かせる。
精霊王、は、その昔、世界と共に在った、らしい。
今は無き“精霊族”。人間や獣人のように、ひとつの種として同じ世界に生きていたというおとぎ話は…この時代、あまりに遠く、知る者もほとんど居ない。
傍らには感じるけれど、目には見えない存在だから。一握りの者にだけ映り込むという彼らの姿は、前の世界でいわれる所の“幽霊”みたいな存在だ。居てもいいかも、居るかもしれない、この世界では“居る”だけど、空気や魔気や聖気のように、等しく世界に溶けてはいるが、捉え所のない存在だ。それが昔は誰の目にも見え、誰とでも触れていたというのは、感覚的に神話に近い。
事実かどうかは図れない、けど、一部のマニアックな古書の中には、精霊国を消したのは神である、という説がある。
何が起きたか、大事な所が破れて読めなかったのだけど、事件か事故か、何かが起きて、神は精霊の王が治める精霊国そのものを、その他の民が生きる大地と異なる場所に移したそうだ。一つの世界の異なるチャンネル、精霊側はこちらが見えるが、こちらからは見えない場所に。互いに“触れ合えない”という代償を抱きながら、私達、世界の民は見えない隣人である彼らと共に生きている。
史実には残っていない。これは誰かの妄想だろうと思えるような、古ぼけた書物に刻まれていた、勇者と精霊王の交信記録。王は「我らは互いに触(ふ)れないという約束を、過去に交わしたのである」と言いつつも、「幾度かお前達に力を貸した事はある」と。勇者が「助けて欲しい」と懇願すれば、「神の許しがあるのなら」とやんわりと拒絶を示し、紆余曲折を重ねた後に、願いを聞いて力を貸した。
代償は“勇者の命”だ。ただ読めば淡々とした脚色のない話だったが、恋する乙女の妄想故か、私はそこに“恋”を見た。自分の命を代償として精霊王を召喚し、世界を救った勇者であった、と締めくくられていた話。顕現した精霊王が姿を消した時、勇者の姿も消えていた、を“死亡した”と記した書物は、実は大事な“恋の記録”を見落としていたのではないか?と。もしかしたらその勇者、精霊王と恋をして、あちらの世界に行ったのでは…?と思わせる伏線を、どことなく感じてしまって二度読み込んだ淡い記憶が。
イシュも“借りる”と言っていたのだし、まぁ、大丈夫なのかなぁ、と。
“人”ではない存在になってしまった前世の娘を、心配がないというのは嘘になるけど、そんな記憶と共に遠目に見守れば。
「まずいです!!さっきの二波が来ます!!!誰か!!他にシールドを張れる人!!!」
な少年勇者の叫び声にて、私の意識は前方の塔の怒りに向き戻る。
間髪入れず「私がやるわ!!」と響いた声のした方を見て。
「多重展開!--- Saint shields ---!」
と。竜王さま、フィールくんに続き、さっきのイシュの防波位置にてシールドを張る翼種さま。
イシュが召喚したものよりも壁が薄く余波があったが、それを見越して詠唱されたネルさんの回復魔法で、誰一人として欠ける事なく二波めを乗り切った。
背中に広がる六枚羽根を、カクッと落とした彼女だが、倒れる訳にはいかないわ、と踏ん張って前を向く。
ライスさんの大技に、シュシュちゃんの舞い振る矢、汗を流して立ち向かう二人の勇者とレックスさん。一瞬、溜めた動きの後に必殺技を繰り出すパーシー。再び竜化した竜王さまはブレスを吐いた。
「前衛、撤退して下さい!精霊王が顕現します!!」
言われて、ハッとイシュを見遣れば。
『———精霊王、召喚』
という厳かな宣言の後。
『なかなか見られぬ和合よな。———よかろう、面白い』
そんな、響く声音が降りて。
美鈴ちゃんから湧き出る文字の、天辺が歪み垂れ。
色とりどりの光色(こうしょく)をした、顔の見えない男が一人。
『しかし、此度は戯れ故に……あまり期待はするな、人間』
イシュは額から滴る汗に、御意に、と頷いて。
うむ、と返した精霊王は光紋を纏い降り、いと気高き鳥の姿で“塔の怒り”を貫くと。
『あとは、奇跡に縋るが良い———』
波の無い慈愛の音で。
ではな、と呟き、消えていく。
まるで、彼の存在の福音を受けたかの様に。
誰もが気付いた強い魔力で、存在を主張する“大剣”。
「…クライス殿」
と掠れた声で彼の意識を呼び戻したのは…。
「勇者、お前なら、扱える」
出来る筈だ、と肯定し、背中を押したレックスさんと、それに、静かに頷いた勇者様。
エル・フィオーネさんも戦く魔力を発するそれに、一体何を悟ったか、剣を収めたパーシーくん。
誰もが、最後の一撃を!と、強く彼を見定めて。
ただ一人、イーラに向かう黒髪の勇者様。
最早、魔力が強過ぎて、威力を図る事もできない自分に「クスリ」。
その場の全員が、剣に砕かれる塔の怒りの最後の姿を見届けて…。私はそっと彼らの後ろで、ひとり苦笑を浮かべて消した。
あんな“人外”な勇者な人を、それでも“好き”なんだもなぁ…と。
人の想いは奥深い…そしてきっと、欲深い。
そんな感想を胸に抱いて。
倒れたままの美鈴ちゃんを、抱きかかえるイシュを見て。
肩で息を整える、クライスさんの後ろ姿に。
終わった———、という顔をするそれぞれの想いの中に。
広範囲フロアを巻き込んだ大規模戦闘の終わりの音が、再構成されるフロアに、しんみりと響いて消えた。