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「こんな森の中に若い娘が一人きりでどうしたのかと心配したが、こちらの思い過ごしのようだな」
そう言って、ミルクティーな男前は持参した棒の先に“着火男”が起こした火を馴染ませる。
「離れたところに居ないでもっと仲間の側に居た方がいい。ここはもうフィールド・モンスターが徘徊する土地だ。…まさか、喧嘩したとかそういう理由でか?」
訳ありのパーティって意外と多いんだよな…とぼやきながら、その人はこちらが拍子抜けするほど短時間で火種をものにした。どうやらあらかじめ油をしみ込ませた布を巻いていたようだ。
——手際良い人だなぁ。こう、いかにも熟練の冒険者です!って感じで。
印象深い髪の色と美味しそうな瞳の色から視線を離して全体を眺めてみれば、体つきもしっかりしていて所作の一つ一つにキレがある。腰の後ろに大型のシースナイフ——鞘が必要な折り畳まないタイプのナイフ——を2本と、前合わせの長衣がはだけた足下にブーツナイフが見える他は、シンプルなデザインのワンショルダー(背中に斜めがけできる鞄)一つと無駄な装飾も荷物もない。それはつまり多くのものを持つ必要がないということで、強さは折り紙付きですよと言っているようなものだ。まぁ、一口に冒険者といっても多種多様なので一概にそうとは言いきれないけれども。
もしかしたらその筋では有名な人なのかもしれない。次の街についたらギルドで聞いてみようと思いつつ、悪い人ではなさそうなのでこちらの事情をかいつまんで説明する。
「何だかご心配をおかけしたようですが、大丈夫ですよー。ただ、あそこにいる人たちとパーティを組んでいる訳ではないので。もともと一人旅ですし、今は番犬も居ますから」
少し前にエディアナ遺跡というダンジョンの地下で出会った魔婦人より譲り受けた黒い魔獣を指差すと、彼(?)はこの話を理解したかのようにタイミングよく一声をあげた。
そして話を戻すように、およそ10メートル先で焚き火を囲む彼らの方に目を向ける。
「一番右側に座っている黒髪短髪で前髪がちょっと長めの人、見えますか?すごくカッコイイ男の人。私、あの人の追っかけやってるんですよね。だからこうして物陰から覗き見るのが日常で。こう見えて3年の経歴(キャリア)があるんですよー。———つまり、何も問題ありません」
ふっふーん、と胸を張って言うとその人はわずかに沈黙し、次にはクックッと笑いをこぼした。
「それは邪魔をして悪かったな。私はレックスという。君の名前は?」
「ベルリナと言います」
「ベルリナ……もしかしてベルリナ・ラコットか?東の勇者の後をダンジョンの中までも追いかけていくという…なるほど。じゃあ、あれがその勇者なのか」
何か思い当たる節があったらしく、彼は一人で納得すると再び黒髪の勇者様に視線を向けて頷いた。それを今度はこちらに向けて、年頃の娘が見たら思わず目がハートになりそうな極上の笑顔を浮かべながら言う。
「こんなところで有名人と知り合えるとは。ベルと呼ばれるのは嫌だろうか?」
美形は美形でも男性寄り。そんな男のからりとした嫌みも含みもない笑みに、構えた心が不思議と解かれていくのを感じる。
「いえいえ。そちらの方が呼ばれ慣れてますから構いませんよ」
むしろフルで言われると「あ、私のことか!」と未だに焦る時がある。前世の記憶が残っているということは絶対的に他者より優位というわけではなくて、やはりそれなりに弊害を生じるものだ。
「そうか。また会う事があればそう呼ばせてもらおう。今夜はあまりモンスターの気配を感じないが、背後には充分気をつけるんだぞ」
着衣の下の引き締まっていそうな四肢から立ち上る野性味を、臭うではなく香ると言わせる端正な面立ちの男は、火を灯した棒を持ち直すと落ち着いた足取りで森の中に消えて行った。
それを見送って、再び愛しの勇者様に熱い視線を送るべく体を向き直す。
と、不意にその人と視線が重なる。
刹那、私の体は骨の芯から固まった。
一体何が起きているのか。
処理不能に陥った頭の隅で疑問だけがループする。
灰色の瞳がゆっくりと逸らされていくのを目で追いながら、段階的に体の機能が復活していくのをおぼろな感覚で捉える。深い、深い息を吐き出しながら2本の腕で硬直した体を支えていると、黒い魔獣が心配そうに身を寄せてつぶらな瞳を向けて来た。
——お、恐ろしい…やはり勇者様の眼力で私は死ねるっ!!………えへっ♪目が合っちゃった☆ついにこの灼熱の想いが届いたのかしら(はぁと)
急に人が変わったようにデレデレしながら身をくねらせる主人に嫌気がさしたのか、魔獣はしっぽを一振りすると、さっさと元の場所へ帰って行く。まるで「あぁ、いつものあれね」とでもいうように、慣れた様子で体を丸め、目を閉じる。
勇者様と目が合うという珍しい体験をした私は、寝袋に身を収めた後も心の奥のこそばゆい感覚に若干の混乱を混ぜ込んでウネウネ動き、いつもより遅い時間に眠りについた。おかげで、翌朝目覚めると既にそこには彼らの気配が微塵もなくて、ほんの少し寂しい気分に浸ったが。
まぁ、いつものごとく問題ない。
例え広いフィールドで行方を見失ったとしても、この揺るぎない愛がいずれ彼のもとへと私を導くのである。
——捜索スキルもMaxだしね!