21−8
ここで話は少しだけ遡り———。
召喚勇者・間宮美鈴と冒険者・ベル、商人・イシュルカ、大司教・エルレイム。
北の森の勇者・フィールと魔公爵・エル・フィオーネ、熾天・クリュースタ、人魚姫・ネルハンヴェーラ。
謎の男、を加えた総勢9名が、10階の紋章(レリーフ)前にて鉢合わせる少し前。
東の勇者パーティはフルメンバーで高層階、ポーダの斜塔の82階を踏破しようか、な場面であった。
「そろそろ本気でいかないとマズい階になってきたね」
と、零した青銀の槍使い。
そして。
「まぁ、その分、レベルも上がるでござるから」
と、柔和な顔でフォローするのは老齢の魔法使いだ。
そこへ。
「…このペースだと、魔力があと3階で切れるかも」
「クライス達が大怪我しなきゃ、僕の魔力はもう少し保つかな」
もの申したのは弓使いの美少女で、続くセリフは聖職者の少年のものだった。
パーティのリーダーである大剣を握る勇者は一度、嫌味の無い沈黙でメンバーを見渡して。
「これ以上は無理だと思ったら、遠慮なく言ってくれ」
そう静かに口を開いて、パーティの意向を明示した。
迷宮と表現して差し支えない構造物は、その後、2度ほど突き当たりを見せ、次のフロアへと繋がる階(きざはし)を見つけるまでに、それなりの回数のエンカウントを経験させる。
最早、軽口を叩く者も居なくなった高層階で、パーティの誰もが頷くその意志を破ったものは。
幾重にも重ねた薄氷(うすらい)を固い地面に落としたような、玻璃を破壊する音が如く、な高い破砕音だった。
パリ、パリパリ、カシャン———。
といった独特の音感が、五人組の勇者パーティの誰もの耳に届いた時。メンバーはいずれも83階フロアを踏んで、広範囲の階層に皹が入って吹き抜けるのを、視覚、聴覚、直感で感じているだけだった。何か高位の存在に上から押さえられるが如く、指先の一本すらも動かす事ができぬ受動で、上下数枚の階層がぶち抜かれた感覚の後に、奥行き広く口を開いた全く特殊な空間一つ。
そこへ、のそりと聳え立つのは、巨大な“生きた”骨貝だった。
「———来る!!!」
と響いた勇者の驚愕の叫声(きょうせい)に、先制を打った骨貝のある種ロジカルな攻撃は、それぞれの防衛手段で阻まれ、防がれ、避けられる。特に巨大な魔剣で立ち向かった勇者はそこで、信じられないものを見たという愕きを露にし。
「離脱できる者は即刻離脱してくれ!!このモンスターはどう足掻いても、今のレベルでは撃破できない!!!」
そう、荒らいだ声で告げてくる。
滅多に感情の波を見せない冷静なリーダーだけに、そんな叫びが与える打撃は相当なものだった。
大陸一の勇者パーティを翻弄する骨貝は、よそ見をしている場合ではない、と幾何学の魔法を使い、立ち尽くすパーティを分断するように、自転しながら角の先より多角形を投げて来る。それらを構成している風の幾何学模様は時に揺らいで、地に、水に、火に、風に、手を替え品を替え、一人一人を撃ち落とす。
「ぐっ」
「ぐあっ」
「ぐうっ」
「…うっ」
「…っ、sol omnibus lucet(ソル・オムニブス・ルケト)! optimus sanatio(オプティムス・サナーティオ)!!」
萌葱色の髪を揺らして、少年は強く叫ぶも。勇者の目に映ったものは仲間の体力・全回復、からの敵の全体攻撃と、幾人かを刺し貫いた致命傷攻撃からの、更なる少年の回復魔法に、じわじわと削られる魔法使いの体力ゲージだ。聖職者の少年の魔力はどんどん減っていき、広範囲に放たれた“瘴気”の状態異常地場、神器を手にする槍使い、魔剣を手にする自分以外の後衛の仲間達から、成す術無く切り崩される地獄のような絵図だった。
防戦で手一杯。かつてこれほどの激戦を強いられた事はあっただろうか、と。青銀の髪の槍使いはギリギリで攻撃を躱し、仲間を離脱させる事も出来ない己の無力さを、勇者は心の奥底から後悔し懺悔した。
敵の攻撃の数瞬の隙に交わした視線の中に、勇者の心が表れたような“此処が死に場か”と悔やむ色を見、槍使いは“仕方なかった”と明るい笑みを返した。お前を恨みはしない、と正しく理解するも、勇者は彼の故郷に残る奥方と子の姿を思い、自身の心がより絶望に染まる想いを抱えたのである。
槍使いはそんな勇者の姿に、だからお前が心配だった、せめてその半分を共に抱えてくれるだろう娘が居たら…と、ふと“そんな娘”を脳裏に描き、苦笑しながら来(きた)る最後の攻撃を、残念なような、穏やかなような、不思議な気持ちで受け入れた。
槍使いが倒れる…!という、体力ゲージの消耗を見て。
勇者は自分に残された体力を解釈すると、これで終わりか…、そう思い、同じ攻撃を避ける気すらも起こさずに立ち尽くす。せめて同じ時に旅立ち、神の御前(みまえ)で再び槍使いに詫びよう、と。
骨貝の表面が漆黒色を帯び、そこから極彩色の幾何学模様が吹き出した。
ぐらぐらと角度を以て自転する骨貝は、いくつもの枝の先より縞の模様を視覚させ、全方位に幾何学の棘を発すると、再びぐらぐら左右に揺れて動きを落とし、その場へ只一つ、君臨してみせた。
最早、立ち上がる者は無く。断たれた肉の合間から、鮮血が滲み出る。
兵共の戦の後は尚も瘴気に満たされて、濃紫のスモッグが不気味に場に漂った。
このまま瀕死の命を置けば、あるいは瘴気に毒される。魂を汚されて、当て所なく漂う死霊と成る。
救いの無い戦場は、そのまま斜塔に呑まれて消える。
それがこのダンジョンの、摂理、というものだった。
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だが、奇蹟は存在していた。
“それ”が、まだ、あったのだ。
復活の呼び水は、魔法使いの“創星の杖”。
現在、世にも可愛い姿で彼の手の中にある武器だ。
あの娘が施した可愛げの無い改変は、既にウサ耳の魔法使いを“致命傷攻撃(クリティカル)”から遠ざけていた。
そして、基本性能である“幸運値(ラック)の上昇”と、“瀕死時における奇蹟(ミラクル)の発生”というコマンドが、今こそ強大な力となって発現すべき場面であった。
勇者、並びに槍使いが倒れるかという少し前、瀕死状態を迎えた彼のプロンプトに動きがあった。瀕死時における奇蹟の発生、創星の杖の“発動”である。
杖に刻まれた動作手順、後付けされた召喚石に宿る聖獣の召喚許可が、まずは魔法使いの意思無しに実行された。
聖獣・バロン。その顔は、獅子のような、雄牛のような、子鹿のような、羊のような。善と聖と清と太陽、復活と癒しの象徴である。この場にはその聖なる姿を拝める者は無かったが、くりくりとした目玉の下に、獅子の鼻、むき出しの歯列、鋭い牙が覗いて見えた。輝き漂う鬣に、冠から流れる宝珠。鏡のような装飾具には光が幾重も反射して、一見するとモンスターとも受け取れる特徴的な尊顔を、神々しさで素晴らしく彩った。
神に等しき聖獣は、戦場に倒れる命を見下ろし、復活の意思のひとひらを彼らの上に注いでみせた。
折られた骨は寄り集まって、千切れた肉はみるみる塞がれ、血の一滴も残さずに清らかに彼らに戻された。
枯渇した体力、魔力は欠ける事なく満たされて、やがて目覚めの福音が全員に降り注ぐ。
瘴気によって穢された地場は清浄に塗り替えられて、一種の“聖域”として状態異常の効力を消した。
呻きをあげて目覚める彼らの視覚に捉えられる前、控えめな聖獣は石の中に姿を収め、体を起こした彼らの目には、ここは死後の世界であるか?と一瞬疑いそうになる、輝く地場が飛び込んだ。
杖に刻まれた動作手順、奇蹟(ミラクル)の発生、はそれだけに留まらなかった。
ともすれば幸運値(ラック)の上昇、も少しは効いていたのかもしれない。
その日、本人も気付かぬままに落とされた落とし物。
世にも不思議で奇妙な事に、列を作って並ぶ人々の目にも留まらぬ“塔の鍵”は、例の娘の視界の中に存在を主張した。
彼の娘は、落ちていたなら取りあえず拾っておく主義、である。
召喚勇者・間宮美鈴と冒険者ベルリナ・ラコット、商人イシュルカ・オーズと大司教エルレイム。
北の森の勇者・フィールと魔公爵であるエル・フィオーネ、熾天位に座すクリュースタ、人魚姫ネルハンヴェーラ。
謎の男、を加えた総勢9名が、10階の紋章(レリーフ)前にて鉢合わせたタイミングにて、もう一人、今まさに79階を踏破して80階を踏もうとしている実力者の男の姿。
*.・*.・*.・*.・*.・*
「……いつぞやの“魔獣”使いの娘。お前、鍵を持っているな———?」
と、凄まれた娘はそこで、おずおずと拾った切符を男の方に差し出して。
「ふん。なかなかやりおるな。80階、か。不足無い」
奪い取った竜人は、その場の者が「あ」と言う前に、鍵をレリーフに差し込こんで、挑む階層を指定していた。
誰もが「え?」と思う前、鍵は効力を発揮して。
「え」
「え?」
「えっ」
「えっ!」
「えぇっ!?」
「まぁ」
『やれやれ、難儀を強いる』
「はぁ、生きて帰れるかな…」
と。
「さて、爺よ。ここから先は控えておれよ」
そんな九者九様の、些細なざわめきをもたらして。
彼らは貝の紋章より出る光の渦に巻き取られ、そのまま光の粒子となって、壁に呑まれて消えていく。
*.・*.・*.・*.・*.・*
「わっ」
と漏らした娘の声に。
「ん?ベルか…?」
な声がして。
連れて来た1名と、連れられた8名は、そこへ不意に現れた牛乳紅茶な色を見る。
瞬間、ハッと息を飲んだエル・フィオーネには気付かずに。
途端、パリン、と響き渡った破砕音を耳にして。
広範囲階を巻き込んだ大規模戦闘は、先に在った勇者パーティに総勢10名を追加して、ここに再び戦いの火ぶたを切って落としたのだった———。