20−11
「あの子は勇者様と仲良くやれているかしら?」
場所はラーグネシア王国の、国王の執務室。
ある程度、重ねられた書類を片付けた後、何気なく女王は気心の知れた宰相に、そんな風に問い掛けた。
宰相は今し方、大臣らに寄せられた新たな書類と情報を手に入室したばかり。
全くこの方は、妹御には甘い…というか。そんな思いを胸に浮かべて、年齢を感じさせない矍鑠とした宰相は、どうでしょうか、と言葉を濁し「それよりも、珍しい所から文が届いております」と。帝国の皇帝印が捺された封を、彼女の前に差し出した。
すぐに女王の顔に戻ったその様子に満足し、封を解いて目を走らせる一挙一動を見守れば、読み進めるほど険しさを増す女王の様相に。
「如何なされましたか」
と、口を挟まずに居れぬ程。
それを聞いたか聞かぬかで女王は言葉を返し。
「宰相、すぐに法廷の使用状況と申請者、その書類に関わる者をここへ呼びなさい」
まず二人きりの場合には発せられた事の無い、厳しい声が室内に染み渡る。
視線を二巡目に移した様子を“至急”と解釈した彼は、御前を失礼致します、と速やかに外へ出た。
二つの領土を隣り合わせた“隣国”ではあるものの、大陸地図から見た領土として、およそ三つ分離れた帝都。全く無い交流…とは言わないものの、縁は限りなく薄いと言える。
そんな国から届いた知らせは皇帝直筆の慨嘆書。貴殿の国は他国に先駆け法の整備に篤いと知るが、近年は無実の民を私怨で虐げているようだ。何のための法であろうか、という文脈から読めば、この国の要人が私利私欲をもってして法を使って無力な民を処罰している、と受け取れる。噂に聞く皇帝が書いたにしては、いささか感情がのっており、嘆きというより苦情のようだ、と女王は息を吐く。
このまま宰相が来ぬうちは何もはっきりできない事案。一先ず頭を悩ませながら、他の書類に手を付ける。
四半刻後、珍しく息をあげた宰相が、女王に差し出したのは法廷にまつわる申請書。そしてそれに関わるような、たくさんの弁護書だ。
「少し嫌な予感がします。“差し止める”手筈を整えて参りますので」
忙しく部屋を去り行く宰相の姿を受けて、女王は今日の日付が入った“法廷”に目を通す。
裁審官、その副官、起訴官の名前を読めば、珍しく平民層から難関である試験を受けてようやく採用された記憶に掛かった副官の女性の他は、とんと記憶に登って来ない顔ぶれであり。所属として記された“特席”という役職は、果たして今まであっただろうか、と首をひねるほどである。
しかして、近隣諸国よりよほど官に厳しい法を敷いているこの国で、まさか王の耳に入れずに“職”を作れる筈が無い。自分が忘れてしまっただけか?と自問する女王は、罪人として記されたベルリナ・ラコットなる姓名に、その名が刻み込まれた複数の弁護書を見て、宰相が語ったところの“嫌な予感”というものを、改めて心の中に強く覚えたのである。
こちらも少し遠い国、コーラステニアの侯爵家。ルーセイル、の家の名で弁護書が1枚と、当主、奥方、三人の子息、各々が書いたとおぼしき合計6通に。
同じ王国・コーラステニアに本社を構えるという、メルクス商会・会長のイシュルカ・オーズなる人物。
冒険者ギルドにおいてその実力を知らしめる“位”を持った冒険者、ドルミール・レックスと。
そもそも驚くべき事に、冒険者ギルド本部の印が入った一通もあり。
連名とはいえど、代表として東の勇者の名が刻まれた封を見て———。
「………これは…ただ事ではなさそうね…」
と、彼女は力なく呟いた。
罪人として記された平民の女性にまつわる、一種、異様な弁護の数と、このタイミングでこちらに届いた皇帝からのメッセージ。接点を探すには厳しい身分差なれど、一国王が把握するにはこの世は複雑過ぎるのだ。
仮に彼女が皇帝に近い存在であった場合、二つの領土と臨む小国…ラーグネシアは不利であり、まかり間違って開戦すれば帝国領に含まれるのは時間の問題ともいえる。
数代前から法や規律に力を注いできた国は、国民を戦争に容易くかり出す事はできても、総合した軍事力としてやはり帝国に大きく劣る。穏やかな国民性がそうさせたのか、そうであったためこうなったのか。
申請された開廷時間を少し過ぎているだけに、これだけ出された弁護書に目を通した方がいいのだろう、とは思えども…嫌な汗と緊張が体を重く締め付けて、彼女は宰相を待つ間、微動だにできなかったのだ。
「陛下!女王陛下!!」
と叫ぶ、とても平時に見られない慌ただしい彼の様子に。手元にしかと握られた正式な“差し止め”の書類の束を確認すると、彼女はハッと意識を戻し。
「行きます」
と宣誓すると、先陣を切って歩き出す。
行き先は五つある法廷のうち、一つ。
全く予定に入っていない女王の渡りとあって、最短距離で選ばれた廊下で仕事をしていた者は、目を剥いて姿を見留めた後に、皆一様に慌てて膝を折る。いつの間にか列に加わる重臣の後に続いて、侍従長が去り際に「そのままで」と言い渡し、使用人の一切がホッと胸を撫で下ろす。
硬く握った両の拳は実は少し震えがあって…。
よくもこれほどの問題を起こしてくれたな、と、自分はここまで軽んじられる王であるという事か、という二重の怒りによる震え。
彼女のそんな内心に唯一気付いた宰相は、同様に、私もだいぶ虚仮にされている様だ、と。深く皺を刻んだ顔で女王の後ろを歩く。
やがて法廷の扉が見えて、さらに張りつめた一団は。
唐突に。
「きゃあぁああっ!!!!!」
と響く悲鳴と。
「ひっ、姫さまぁあああっ!!?」
と嘆く悲鳴に。
そしてその場を包み込む、淡い光の粒子の波に。
嫋やかでいて慈悲深い。
嘆く女神の手姿を。
まるで夢でも見ているかのよう。
体から心を離され、ふわふわと漂うままに。
女神が珠玉の一筋を掬い上げていく様を。
そんな心地で見送ったのだ。




