20−6
「俺はアークザイン・ルーセイルという。こうして顔を突き合わせたのは、初めてだなぁ、東の勇者」
第一声から怨(えん)のこもったそんな言葉をかけられて、自分はこの男に対し、何か恨まれる事をしたか?と。発せられる殺気と顔を記憶の篩にかけながら、いや、間違いなくこの男とは、初対面である筈だ。出した答えを頭に置いて、どの方向の縁者だ?と。
今でこそ“取りあえず”とはいえ、そつなくこなせているつもりだが。職業柄、恨まれる事も少なくない自分はたまに、こうして絡まれる事があったのだ、ということを。少し忘れていたようだ…と、気持ちを集中させる。
肯定を含んだ声で「何か用か」と改めて問えば、アークザイン、と語った男は更に怒気を孕ませて。
「大有りだ、馬鹿野郎」
と、怒りのままに吐き捨てる。
「お前のせいで、ベルがどんなに辛い思いをしているか」
王宮でのうのうと暮らしやがって…憎らしい。
続けて絞り出された声はそのまま耳を通り過ぎ、初めの言葉に混ざった名前にピクリと体が反応すると、余計に気を悪くしたのか、男は熱を下げて行く。
「ベルに、何かあったのか」
言いながら過るのは。
薄暗い部屋に居て、物寂しく蹲る、普段とはかけ離れた姿で何処に居るとも知れぬベル。
まさか、あれは現実か———?
愕然とするこちらを見遣り。男は「ハッ」と悪態をつき、「何か、どころじゃねーんだよ」と。
「ベルは今、何処にいる」
小馬鹿にされる状況を、努めて冷静に切り替えながら、目の前の男に問えば。
更に苦々しい顔をしながら「監獄だ」と吐き捨てられる。
「…何故そんな場所にいる?」
呆気に取られて語尾を上げれば。
「全部お前のせいだろうが!」
と、頭ごなしに怒鳴られて。
そこまで憎悪を向けられるほど、悪い事はしてないだろう。
少なくともあんたには。はっきり言って記憶に無い。
徐々に荒々しくなっていく、こちらの心の声を聞いてか。
男は不意に瞑目し、はち切れん怒気を僅かに畳むと。
ギロリ、とでも音がしそうな暗い、暗い瞳を開き、心底お前が嫌いだ、と。射る視線に乗せながら。
「守れないなら返せ」
と唸り。
「好きじゃないなら終わらせろ」
と。
「ベルに期待をもたせるな」
という、痛切なる激情を吐き。
「あいつは今イグレシア監獄に捕らわれている。もちろん冤罪だ。この国のトップが絡んでいるぞ」
お前にベルが救えるか———?
「俺はあいつを救ってみせる」
そしてコーラステニアへと連れ帰る———。
そんな明確な意志を示して、後ろ姿で吐き捨てる。
一方的に言われたままのこちらの体は正直に、男の意思と、その関係と、自分の迷いに動きを止めて。
——それは…どう、いう……こと、なのか。
イグレシア監獄…といえば、ラーグネシアの監獄で。
王都に居る…という考えは、まるきりこちらの思い込み、なのか。
それを確認しに行こう…と思った自分は混乱していて。
あの男はベルの知り合いで…連れ帰る…とは。連れ帰る…?
否、その前に、冤罪などと。
無い罪であの女王は…人を裁くということか?
ベルを出す…無実であると証明するということは…。
果たしてこんな自分でも、出来うる事、なのだろうか……?と。
守れないなら返せ、と言った男の言葉が頭に残る。
好きじゃないなら終わらせろ、という音感が繰り返されて。
ベルに期待をもたせるな、という最後の言葉が胸を刺す。
否。今は。それよりも。彼女を助ける事が先。
念のため、だ。念のため。
ギルドでこの国に入ったか、取りあえずは確認を———。
まずは、そうして。そこからだろう。
状況を整理しなければ。
守れないなら返せ、だと?
好きじゃないなら終わらせろ?
ベルに期待を持たせるな?
そんな事、言われなくても———。
「…っ…!」
そこから先は記憶に薄く、確認すべき事柄を、ただただ調べに走ったような曖昧な感覚で。
どんな言葉を並べたのかさえ覚えてはいなかった訳だが、割に快く示してくれた冒険者ギルドへの、入国証明ともいえる彼女の仕事の印(サイン)が無いのを。
——……そもそもベルはこの国へ、入国すらしていなかったのか。
と。落胆した気持ちで見遣り…。
最後の印はイルファスラ。最後に見たのは国境の町。
そうして動きを止めていたらしいこちらに何を思ったか、赤毛のギルド支部長が「そういえば…」と語り出す。
数日前、国境の町であったと言われる噂を聞いて。まるで悪人とは思えない若い女性が一人、多くの兵士に引き立てられて何処かへ連れていかれたのだとか。
「この噂、関係がありそうですか?」
と問い掛ける、支部長の目は不思議と凪いでいて。
肯定する事も、否定する事もできぬこちらに。
「可能性有り、な訳ですね…」
独り言のように呟いた。
「その女性、まさかベルリナ・ラコット嬢の可能性があるとは…ねぇ」
やや口調がくだけた様子でさらに呟く支部長は、それから暫く黙った後にスッとその場に立ち上がり。見せるものは見せたので、そろそろ帰りなさい。誰に何を聞かれてもこちらは、仕事の打ち合わせをした、それだけを答えましょう。これからこちらも少し独自に調べてみようと思います。何か掴めるものがあったら…連絡は要りますか?
その問いに、掠れる声で「頼む…」と返し。
何故かニヤリと笑みを零したラーグネシアの支部長は。
「彼女、なかなかやるじゃない」
と、よくわからない言葉を返す。
遠方の相手へと声を届ける魔道具を持ち、空いた手でこちらに“去ね”と二度ほどサインを寄越してきたので。その通りにギルドを辞して、宛てがわれた王城の自室に辿り着いたのは、晩餐が始まる時間のほんの少し前だった。
色とりどりの見事な食事に事務的に視線を落とすも、食欲など到底湧く筈もなく。様々な陰謀が渦巻くらしい、王宮と呼ばれる場所に腰を下ろした姫君の、自然な会話に乗りながら。
何故ベルが貴女の国の、監獄に居るのか———?と。
迂闊に問うてはいけないだろう、空気を見定めて。
まるで味など感じない美しい盛りつけを見て。
——そういえばベルの食事は、凄い効果が付くのだったな。
いつかの夜を思い出し。
ふっ、と心が和んだこちらを、どんな風に見たのだろうか。
一分の隙無く向かう女性は、どこまでも澄んだ瞳で、穏やかな笑みを浮かべて見せたのだった。