19−4
どんな町でも大抵は母親達のコミュニティがあり、万一母乳が出なくとも、分けて貰える生命線が張られていたりする訳で。イシュに頼んで送って貰った数回の母乳というのも、おそらくそういう場所に赴きお金でどうこうしたのだと思われるのだが。まぁ、こういう場所があるのを教えておくのもいいかもな、とか思う“ついで”に、勇者様の働きで母乳を分けて貰おう!と。
そういう訳で引っ張ったのは入り組んだ町の中、ご近所さんの井戸端会議な集合場所だ。そこで「ほら、勇者様、仕事して!」と、困惑気味の彼の方を女性の輪とかに押し込んだ。
当人は戸惑いながらその輪の端に押し出され、ただただ小さい声で。
「すまないが…」
と言いかけたなら。
滅多にお目にかかれない美男子の登場に、奥様方は「あら、まぁ」と目に見えて沸き立った。
思った通りの好感触で、ほらほら先を続けて下さい、そんな感じに視線で言えば。
事故で親を失った子を孤児院に預けに行くところだが、どうやら腹を空かせてしまったらしい。この辺りでこの子に母乳を分け与えてくれるような、気の良い女性は居ないだろうか?と。そんな流れで説明したら、3本先の道の端に生まれたての子連れが集まる集会所があるわよ、と奥様方は教えてくれた。
次いで、あら?貴女は?とやや訝しむ視線が私の方に飛んで来たので、いやいやただの旅の連れです、と想定通りの愛想笑いをそのままに浮かべてみせる。
勇者様は丁寧にお礼を述べて、最後まで好印象。その後も辿り着いた先にて、出過ぎて困っているのよ〜、な恰幅の良い女性から“ご好意”で母乳を貰い、特に何をするでも無いのに、ハイスペックな奴だなぁ…と。そんな“勇者”の恐ろしさを垣間見た気分であった。
金髪の幼子は無事に腹を満たされて、勇者様に抱かれるうちは起きて辺りを見ていたが、交代で私が抱いたらあっさり夢の世界へ落ちた。きっと前世の経験で抱き方に安定感が…!とポジティブに思ったが、決して「お前の腕の中じゃつまんないから寝ちゃおう」という理由では無い筈だ…!と微妙に引きずるものがある。
そのうち町の建物も閑散とし始めて、町外れ、って丘の方かよ!?なツッコミを内心に、我々は黙々と上り坂を登って行って。その先にようやく見えたいかにも古びた建物に、どちらともなく歩みを止めて放心しながら見入ったのだが。
「せんせぇー、お客さんだよー」
な、窓から覗く小さな頭に、ハッとお互い我に返ると玄関先まで歩み寄り。
礼儀としてノックを4回、勇者様が尋ねてみれば。
「…はい、どちら様ですか?」
な、弱々しい声の後。イシュの灰より白に近しい、ふわふわな髪質の。これまた、吹けば飛びそうな…気の弱そうな男性が。おっかなびっくり伺う様子で家のドアを開けたのだった。
「なるほど、事情は把握しました」
せんせー、もとい、この孤児院の見た目の若い院長さんは、勇者様の片言と、腕の赤子に視線を落とし、素晴らしい推察力でそのまま解釈してくれた。
しかし、続いた言の葉は。
「申し訳ないですが、ここではこれ以上の子供は受け入れられません」
という、ショッキングな内容で。
なんと…!と悲嘆に暮れながら、実際に見て下さい、と開かれたドアの奥へと視線を伸ばしたら、確かに収容されている子供の数に対して、この孤児院は少々…どころか、割合厳しく手狭なようだ。
着ている服なども一見それとは分からない上手い工夫がなされてあるが、この土地の季節の割に薄手感が否めない。雨が降れば雨漏りするのか、妙な所に器があって、カーテンの布地も惜しい…と窓の上にある裸のポールが、仕方ない事っスよ、と寂しそうに言っている。
「あのぅ…ここって、認可とか…」
思わず言えば。
「認可はされていますが、支援は殆どありません」
と。
割合栄えて富んでいる帝国領だと思っていたが、末端はそうでもないの…?と胸の内に燻って。
あれ?でも、法があるよね?と訝しんで視線を投げれば。
「…あまり大きな声では言えないのですけれど。六年前、領主様が代わった折りに…こちらに割り振られていた予算が大きく削られてしまったようで…」
と。背後で伺う子供達には聞こえないほどの声量で、院長さんはこちらの方に辛そうな顔で呟いた。
いやいやいや。そのための帝国法なんじゃない、と。数ある戦を平定し、纏め上げられた帝国領にて、生じた遺児は責任を持ち各領土で養いなさい、な立派な明文は…実は効力を持たないの…?と。私は「えぇ〜(´△`)」な気分になったが。さして貧しくなさそうなこの領土においても、まぁ、何か難しいものがあるのかもしれないなぁ…と。自分が居た孤児院よりも物資は貧しい感じがするが、先生含めた環境は良さそうなのに勿体ない…と。
そうか…な気持ちで割り切れば。
微妙に長く沈黙していた勇者な人が、予算さえ戻ればなんとかなるか?と、院長さんに神妙に問い掛けていて。
元々子供が好きなのだろう優男な院長さんも、少し考えを巡らせた後、ギリギリ足りない感じですけど、まぁ何とかなるでしょうね、と。夢物語を苦笑交じりに返して寄越す。
そこへ、黒髪の勇者様は一つ「わかった」と頷いて。
「ここだけの話になるが…」
と、決意したように向き直る。
その一瞬で存在感のスキルを元に戻したのだろう。
ほんの少し前の人とは同じと思えぬレベルでもって、燦然と佇んだ勇者な人は。
「私は東の勇者クライス・レイ・グレイシスと言う」
そう語って頭を下げて丁寧な礼をした。
呆気に取られた院長さんは、目をまんまるに見開いて。
次の仕事は新たな領主の護衛依頼になっている。公にはされていないが、近く領主が代わる見込みだ。新しい領主殿には、ほど近くでまみえるだろう。その時、こうした施設への予算を元に戻して欲しいと、嘆願すると約束する。もしそれが無理な場合はまた引き取りに戻るので、数日だけでも預かって頂けないか。
と、勇者様はその人に請い。
「迷惑料にしては少ない額かもしれないが…」
使い切って貰って構わない、と一握りの金貨を渡す。
ぽかん、として勇者様を見る白髪の院長さんは“勇者がそこまで困っている”と、どうやら思い直したようで。基本的に良い噂しか流れないような東の勇者を、一先ず信じてみる事にしたらしい。
先ほど街の子持ちの女性に母乳を分けて貰ってきた、と簡単に赤子の状態を言い、万が一何かあった時、これをギルドに持っていけば自分と連絡がつくだろう、と。何かが描かれた紙切れを院長さんに手渡した。
儚げな院長さんは紙を懐にしまった後に、金髪の幼子を勇者様から受け取って。
「あぁ…この子は、強い子だ」
と複雑な苦笑を浮かべ。
では、お預かり致します、と。
そのまま扉が閉められそうな雰囲気だったので、ずっと後ろで静かにしていた私は慌てて入り込み、この子の為に急誂えした衣類諸々です、と。使わなそうな布の束ごと、思い切り押し付けていた。
ちょっと驚いた風の顔をした優しそうな先生は、あればあるだけ助かります、と微笑を浮かべ。最後にこちらに一礼すると、そっと古い扉を閉めた。
急に手持ち無沙汰になった私は、別れってこんなにあっけないのか…と、呆然としたけれど。
だからと言って今の自分が養える訳でもないのだし…と。冷静に納得してみせる。
その横に立つ勇者様など、もう完璧に“勇者”の顔で。
「仲間と合流するために、先に行く」
と。
——そりゃ、当たり前でしょうがな。
反射で私は思ったが。
「今回の仕事は騎獣を使う。追って来るのは難しい…と思うのだが」
と続いたセリフに。
「いやぁ、私の方は勝手にやりますから」
と。何となく頭をポリポリ、答えを返し。
「それではまた会いましょう」
な挨拶で。
私達は一度その場で、お別れを言ったのだ。