19−3
少し眠って落ち着いた金髪の幼子は、口元に哺乳瓶の乳首をあてられて、思い出したというように意識を覚醒し、凄まじい勢いで瓶の母乳を飲みきった。そのあいだ、仕事のできるイシュルカさんは、足りなかった場合用にと予備の一本を滑り込ませて、物足りなさそうにした彼女の腹は二本目で無事に満たされた。
——作って貰っておいてよかったわー…。
と。哺乳瓶にイシュの商社の銘(ロゴ)を見て。母乳を分けて下さった遠くの空の母親に心底感謝を述べながら、再び寝入った赤子を見遣る。慣れないスリングタイプの紐に四苦八苦しながらも、無事に赤子を収めると私達は歩き出す。
アルワナ王国から隣接する帝国領・リグリッドへ入るためのクローデル峠だが、その道の険しさはそこそこ有名だ。遠回りすればもっとなだらかな道が敷かれているけれど、どうやら今回ここにしたのは日程の短縮と、ソロルくんとシュシュちゃんの見聞を広げるためだったらしい。
それで事故現場に行き当たり、子供を拾う…というイベントはいかにも勇者らしいなぁ…と。私はそっと思ったけれど。ついでに、勇者様とかも拾われ子だった過去があるので、勢いで「養女にする」とか言い出すかもな…と見ていたら。峠を越えて下り坂になり、たまによろめく道中で自然に手を差し出す割に、この人はより現実的に物事を考えていたらしい。
小高い場所から見下ろす平地に村があるのを取って見て、休憩しようと腰を下ろしたパーティのメンバーに。
「ここから領都に着くまでに、孤児院がある町があったら、そこにこの子を預けて行こうと思う」
と。常の冷静な声音でもって、その人は呟いた。
「さすがに次の仕事へ持っていけるものではないし…ベルに預けたままでは彼女の負担が大きくなる」
「…確かにそうでござるなぁ」
「連れて行く事は難しい、よね」
特に貴族なライスさんなど、仮に引き取ったとしても自分の家に不足が無いのをちゃんと理解もしている故に、だけど連れては行けない…と。冷たい事を言うようだけど…と、苦笑交じりに呟いた。
少年少女は初めからそのつもりでいたらしく、むしろ引き取るつもりあったの?と驚き顔を浮かべたが。どこか未練があるように勇者様が赤子を見たので、真面目な勇者の事だから、そこまで深く考えたのか…と、次には少し呆れたような視線を彼に投げていた。
私の方はそんな彼等を何とは無しに見渡して、あ!じゃあ!この子を期に私と結婚しちゃいます!?と。テンション高くアホな妄想をいっぱいに浮かべてみせて、でも今は深刻な話し合い中なのだから…と、努めて真剣な表情を張り付けていたのだが。
「そういう訳で、すまないが…もう少しだけその子の事を見ていてくれないか?」
と。急に真面目な話を振られ。
「はいっ。お任せ下さいませ!」
と、慌ててノリ良く返事する。
そこから再び腕の赤子へ視線を落としたその人は、孤児として生きるのがどんなに辛く大変か、自身の過去を思い出すように心の底から痛ましい目で彼女の事を見つめていたので。
「大丈夫です。孤児だって、ちゃんと幸せになれますよ」
と。つい、そんな真面目な言葉が私の口をついて出て…。
そこまで貴方が気にかけるなら。
——いざとなったらイシュに頼んで、私も出資しますから。
と。
いや、そんな俗な話をここで取り上げなくっても。
誰かにそこまで思われたなら…。
誰も知り得ない未来だけれど、きっとこの子は大丈夫。
だからそんな不幸な事象を当てはめないでいて下さい———、そんな気持ちになってくる。
そして、ふと顔を上げれば、全員がこちらを見ていて。
誰一人とて声を出さずに、個々に灯った眼差しの…何とも言えない深さというのを、いまいち理解できない私は。
——……ん?
と少しだけ、疑問にも思うのだけど。
「あっ、いや、その、別に…上から、って感じで言った訳じゃないっていうか…!」
と。変に誤解されてはマズい…取り用によったら嫌な奴だし…( ̄□ ̄;)と、あわあわとフォローする。
レプスさんが優しい笑みで「そこは分かっているでござるよ」と、言ってくれたおかげもあって、その話題を引きずる事はなかったのだが。どこか変な空気のままに勇者パーティは休憩を終え、ひとまず麓の村を目指して坂道を下って行った。
私は初めてこのパーティと“共に”村に入る事になり、堂々と勇者様の真後ろに付いてみたのだが…もう、何と言ったらいいか…歓迎度が半端ない。
村長夫妻に赤子を見せて孤児院の事を聞いた時すら、子供を拾った時に“たまたま近くに居た私”に付いて来て貰った的な、行き摩り感半端ないような話の相手に対し、勇者様をお手伝いなさってるのね、と好印象を抱き過ぎである。
かつてこんな歓待を受けた事があるだろうか…と、そうそう動じない私でも挙動不審になるほどだ。
勇者って半端ない…。
内心で、パネェ、パネェ…と呟きながら、村を後にすること約1日。
領都より少し離れた小高い丘を含む町にて、町外れに孤児を引き取る家があるとの情報を、次の仕事の関係で寄らざるを得なかった冒険者ギルド経由で手にいれた勇者様。少し難しい顔をしながら、仕事の時間を圧しそうだ…と、パーティ・メンバーを先に発たせる決断をした。
赤ん坊を孤児院に連れて行くだけなのだから…と、「よければ私が行きますが…」とか提案してみたのだが。勇者さまは自分一人ならすぐに彼等に追いつけるし、拾ったのは自分なのだから最後まで責任を持つ…と頑として譲らなかった。
そうしてさっそく別行動でパーティと分かれたら、町外れの孤児の家まで並んで向かう私達。例によって存在感のスキルを絞った勇者な人は、それでもたまに向けられる好意の視線をもろともせずに、堂々としたもので…。隣の平々凡々な私ばかりが緊張している、妙な絵面(えずら)がそこにある。
——こっ…これは…!見ように寄っては…子持ち夫婦、に見えない事も、無いかも…で…!!
うわぁ、うわぁ、と緊張しながら俯いていたのなら。
「そろそろ代わろう」
と。
勇者様は不意に足を止め、疲れただろう、と手を伸ばし。
スリングごと幼子を持ち上げようと近づいた。
「はっ…いえ、まだ大丈夫です…」
と気を取り直し答えたのだが、どこか切なそうな空気を無表情顔に滲ませたので。
——あっ。抱っこしたいのか!
と、思い直して言い直す。「えぇと…その、好意に甘えて…では、お願いできますか…?」と、そっと腕に抱かせてやれば、ようやく役に立てた…みたいな、そんな雰囲気を出したので。
——いやいや、貴方、この子にしたら随分役に立ってますって。
と。不謹慎だと思いながらも、ふふっと笑みが湧いてくる。
ついでに。
「子供が好きなんですね」
何の気も無しに問い掛けたなら。
「……そう、だな。子供は…好きだな」
と。
そう言いながら、どこか痛ましい顔をしたので。
「あ〜…まぁ、そうですね。勇者職って、自分の子供が生まれる事って滅多にありませんものね…」
と。
「でも歴史上、全く無かった訳でもないようですし…」
まぁ、可能性はアリですよ。元気出してくださいね、と。
深く思えば、上から目線で、どぎつい話を呟いてしまった訳だが…。
このとき私の精神はどこかふわふわ漂っており、そうかー、好きだけど諦めなきゃいけないのか、と。それはちょっと可哀想だな…と“さらっと”思っていただけだった。
だから、続いた。
「…ベルは子供が欲しくないのか?」
な囁き声に。
——勇者様ってば本気で子供好きか〜。
と、私は軽く、軽〜く反芻しただけで。
「そうですねぇ…どうしても欲しいなら。孤児院から引き取るとかも…まぁ、アリだと思います」
とか。
そこそこヘヴィーな話題というのをあっさりと返していたり。
実はそこで息を飲むほど驚いていた勇者様だが、残念ながら私の意識はそちらに向く事もなく。
タイミングよく泣き出した子に同時に意識を引き戻されると、そういやそろそろご飯の時間…と、お互い元に戻った顔を至近距離で見合わせて。
「ちょっと提案なんですが…」
と、思い立った私はそこで、町の母親コミュニティへと勇者様を誘った。