16−10
日暮れが近づき、冷たい風が吹き込み始めた岬には、殆ど人の姿というのが見られなかったのだけれども。それでもつかの間の逢瀬を惜しむ数組の恋人達が、鐘の先の柵の辺りで愛を語り合っていた。
お目当ての人魚像にはもう誰も並んでおらず、やった!鳴らし放題ですね!と私はいそいそ近づいた。本来ならばカップルで一緒に紐を引っ張るのだが。
——今日は隣に居るつもりとかで!
私はそっと手を伸ばす。
そこへ。
『おや』
と、聞いた声がし。
「あ」
と、どこか嫌そうな声がしたかと思ったら。
「あら。知り合い?」
な凛とした声が少年の声を追ってきた。
——まさか…!
と思い振り向くと、そこには怪しい男が一人。
魔法使いのようなローブを纏い、しかもフードを目深にかぶった例の少年が立っていて。
『娘、久しいな』
と、エルさんが穏やかに囁いたのに。
「おっ、お久しぶりですっ」
と、私はアワアワ返したのだが。
「お前、なんでここに居る…?」
と、疑い口調で言われれば。
「見た通り、この鐘を鳴らしにきたんですけど…」
そう答える声が硬くなるのも、仕方ないと思うのだ。
それでも一応返したら、いまいち理由が分かっていなそうだったので、「この鐘を鳴らすと恋人と上手くいくだとか、そういう逸話があるんですよ」と人魚姫の祝福云々、ちょっと説明してみせる。
すると不意にギラリと輝く彼の両側の女性の瞳が、ベルさん、さっさとそれを鳴らして次は私に譲りなさいね、と。無言の強い圧力をさらりとかけていらしたために。
フィールくんの質問をすっ飛ばしてコクコク頷き、私はさっさと鐘の紐を下の方へ引いたのだ。
カ、カランカラン、カラン、カラン。
と、硬めの音がしんみり辺りに響き渡ると。
ふわっとした温めの風が海の先からたなびいた。
前方のカップル達がちら、ちらりとこちらを向いて、一人で紐を引っ張ってるとか見られると気まずいな…と。何となくそう思ってその場を辞そうと足を戻せば。
『おめでとう。貴女が鐘を鳴らした一億人目よ』
透き通って響き渡る、不思議な声が海から聞こえ。
次には前方の海が輝き、淡い緑の魔法陣が多重展開していたり。
「え」
「きゃっ、眩しい…!」
と、間抜けな私の声に続いて、幼い翼種の声がして。
「うわっ…人魚!?」
な少年の声に、恐る恐ると薄目を開ければ。
ふぁさっ、と音がしそうなほどのふさふさ睫の瞳を開き、ぱちり、ぱちりと瞬くような美貌の女性がそこに居る。
——……おぉっ…!?
と驚き視線を落とせば、下半身は人魚のそれで。
パールグリーンのフワフワとした長い髪は足元へ、頭の上の冠は大小の真珠で編まれ、同じように足元までこぼれ落ちる様相に、この人絶対只者じゃない!!と頭が激しく鳴り響く。
そんな彼女は背後に控える大臣っぽい人達と、仕え女(め)らしい数多の人魚達を引き連れて、しばし岬の海の付近に漂っていたのだが。腰掛ける空飛ぶ海魚(かいぎょ)と共に、私を越えて行ったなら。おもむろに近づいたと思ったら、黒色フードを目深にかぶる、少年のそれを後ろに払う。
つい視線が追ってしまってその様子を見ていたら、フードを払った少年の顔、フィールくんの白群がハラリと風に舞っていて。初めて顔を見てしまった…!!と、驚き目を丸くする。
「わたくし、今までたくさんの恋を応援してきましたけれど…そろそろ自分の恋心を叶えようと思います」
うっとりと、静かな手つきで人魚は彼の頬を取り。
「この印は人魚の呪い…私が刻んだ貴方への愛。四百年待ちました…フィン…わたくし、言い付け通り、人魚“姫”になりましたのよ」
そう囁いてキスをする。
そんな少年の左の頬には、美しい紋様の入れ墨が刻まれていて。人魚姫、というけぶる女性は愛おしそうに己の指でそれをなぞっていったのだ。
高貴な光を射す紫と、神聖な金色の、ファンタジーらしいオッドアイ。その片方の頬の上には美しい紋様、と。テンプレなぞってきますねぇ…な美少年を伺って。
『離れぬか』
という昏い声音と。
「離れなさいよ」
な強い非難に、私は思わずハッとなって両隣の存在を見る。
どう見ても怒髪天を衝く、な様相の二人だが、しかし人魚姫は強かった。
そんな二人を鼻で笑うと、己の頭の冠を振り返りもせず海に放って。
「御機嫌よう、皆様」
と。
朗朗とその意思を告げたのだった。
「ネッ、ネルハンヴェーラ様!?」
「姫様!?お待ち下さいっ!!」
という、焦った二人の大臣に。「ネル様…」と弱く呟く一人の人魚がそこに居て。
麗しい人魚の姫は、ただ、そのたった一人のために、ゆるりとその場に振り返る。
「半魚のわたしが成れたのですもの。努力さえ惜しまなければ誰でも“姫”に成れますわ。そうね、次は貴女が継いだらいいわ。期待していましてよ」
そんな風に言うだけ言うと、尾ひれを揺らし。すうっと透き通ったかと思ったら、尾ひれだった場所に人間の長い足が現れる。フリルのドレスの裾を払って、ストン、と地面に着地したなら。
「皆さんにお別れを言う時間をあげますわ」
と。空飛ぶ海魚の背を撫でて、行っておいで、と促した。
これまで硬直していた彼はここでハッと意識を戻すと。
「あ…あのさ、俺」
と言いかけて。
「みなまでおっしゃらずとも察する事ができますわ。余計なものが二つほど付いて来ているようですが…。その程度、わたくし達の愛の障害には成り得なくてよ」
な続く彼女の発言に、面白いほど急激にサアッと顔を青くした。
『成る程』
「惜しくないのね、その命…」
次いでゆらりと光る瞳に、私はじわじわ後ずさり…。
——うわぁああぁ…!!しゅっ、修羅場、怖ぇえええぇ…!!!
と心の中で叫びまくると、その他ギャラリーの皆様と、静かにその場をフェードアウトしにかかる。
恐る恐る去ろうとすれば、不意に姫がこちらを向いて。
「そうですわ。フィンとわたくしを逢わせてくれた貴女にお礼をしなければ。そうねぇ…これでも差し上げますわ」
言ってめちゃくちゃ軽そうに、ぽいっと小瓶を投げて来た。
——ひぃいぃぃ!!二人ともこっちを見てますよぉぉお!!!?
心で号泣しながらも、なんとかそれをキャッチして。
「あ…っ、ありがとうございますぅぅぅ!!!」
と。
隊長!私、限界です!!このままじゃ、とばっちりであっさり昇天しちゃいます!!!戦線離脱!今すぐ戦線離脱ですぞ!!皆の衆!!!
そんな気持ちでダッシュする。
即、背後で何かがぶつかる風圧を感じたが、ここで振り返ってはいけない!と、ギャラリー共々足を動かし。
走り続けて数分後、我々は灯台の岬エリアを無事に後にしたのであった。
とぼとぼと街の通路を歩き、借りた宿屋に向かって行けば、おかげでしんみり気分は抜けたが、彼等の末路の事を思うと逆に恐怖を感じるなぁ、と。変な事を思ってしまう。
手の中の小瓶の中身は後でイシュに聞くとして…と。
エルさんは千と百四年…いや、百余年待った…と言っていた。
翼種の彼女は知れないが、数百年ぽい小声があの時聞こえた気がしたのである。
人魚姫のネルさんも、四百年…と言っていた。
それは元々長命な種族の彼女達の事だけど。
それだけ強い気持ちというのが、この世界では生じ得るものなのだろうかと。
あり得るのかな?と思う私と、こうして諦め悪く追いかけている私というのが、ばっちり共存していたりして。
全く不思議な話だなぁ、と他人事のようにポツリと思う。
想い続けた年月などは彼女等の足元にも及ばない訳だけど。
——想うだけなら…諦めなくてもいいのかもしれない…。
と。
例えば今回は報われなくても、あるいは想い続ければ。また、そのうち、いつかどこかで、勇者様に逢えるかも…?
と。考えてしまう私というのが居ちゃったりするのである。
——記憶持ちの二度目の転生…とかは。
まぁ、あり得ないだろうけど。
修羅場ハーレム怖い…と言いつつ、どこかそれが羨ましい自分が居たりする訳で。
人通りが少なくなった薄暗い通路から、遠くに聳える白亜の城をぼんやりと見つめ立ち。
——やっぱ、埋まらない距離だよなぁ。
と。
クスっと笑った私はそこで、勇者様との距離の遠さを、静かに感じたのだった。
*.・*.・*.・*.・*.・*
勇者の嫁になりたくて。
異世界からの転生者、ベルリナ・ラコット18歳。
そこまで悲観はしないけど、やっぱり難易度高めだなぁ、と。
冷静な分析で見送った夕暮れでした。
今回も特に残す事はありませんので…次話へどうぞ!です。




