16−8
水の都パルシュフェルダには、国の前栄を遡り、創国と言われる時代に刻まれたらしい“刻印”が、街に散在しているという。
水竜とは水の竜。しかも前の世界でいうと東洋系の竜の姿で、その刻印は竜がとぐろを巻いた姿を描いたものだ。
古い路地や水路を行くとたまにお目にかかれるそうで、その筋の人間には人気が高い。七不思議…いや、いっそ都市伝説的な“なんちゃって”の扱いなのだが、ご当地に来たのなら折角なので見てみたい。
ここに丁度土地勘がありそうな人が居る事ですし…と。唐突に思い出したとはいえ、いい時間つぶしを見つけたなぁと、私はほくそ笑むのであった。
「水竜の刻印…か」
「はい。一般的じゃないかもですが、その筋の人達には人気なんですよ。なんでも、その道をたどっていくと、海のダンジョンに入れるのだとか。おとぎ話とか、デタラメだとか、色々言われていますけど。空のダンジョンも実在した訳ですし、もしかしたなら在るかもしれませんよね」
何の気も無しに私が言うと、それきり何かを思い込み、不意に黙ってしまったその人へ。
「まぁ、二、三個見つけられれば幸運かなとは思うんです。本気で行く気はありませんから。いつかどこかで話のタネになればいいかなぁと思っただけで…」
と、ちょっと慌ててフォローを入れる。
すると、彼は何を思ったか、スイと進路を変更し。
「その刻印なら見た事があるかもしれない」
と。
そのまま昔の記憶を頼りに連れて行ってくれそうな雰囲気だったので。
——……え。マジすか。見た事あるの!?
と、自分で言っておきながら、逆に慌てる私が居たり。
そうしてここの住人がよく使用する水路を折れて、どんどんと奥へ向かえば、裏路地のように細い水路が細かく張り巡らせられた、人気の無い場所に出る。
ゴンドラもギリギリですれ違えるかどうかという、そんな水路をさらに曲がると、もうすれ違えませんね…と言える細い細い水路に変わり…。
え?勇者様、昔、何でこんな所にきちゃったりしたんでしょう??とか、内心でついツッコミを入れてしまったりしたのだが。
それでも雰囲気たっぷりな、薄暗い道を進めば、吹き付けていたこの街の風が急に冷たくなってきて。
「そろそろだったと思うんだが」
と、彼はオールを休ませて、片足を脇の通路(?)に下ろし進む速度をゼロにした。
着いた場所は街の何処かの、さらに裏路地にひっそりとある、それと分からぬ橋の下。小さな橋は頑張れば向こうに潜っていけそうなんだけど、ちょっと戻れば他にもいい道あるよね?と、思われそうな場所である。
そのまま、ト、ト、と上手く歩いて、揺れる船上をこちらに来れば。
「この辺に…あぁ、これだな。これで合ってるか?」
と、橋脚に使われている素材の石の一部を指した。
もちろん運動神経だとか、あまり自信の無い私。そろそろとおっかなびっくりその場に立つと、勇者様が示してくれた指の先を視線で追った。
そこにはとぐろを巻いた…というか、胴が複雑に描かれた竜が丸の中に収まっていて、たぶん誰がどう見ても“印”だとすぐ分かる。
おぉ…これが刻印かぁ…と、「おそらく」と返したのなら、少し足を伸ばした彼は意図してそれに触れたらしい。
「確かに“水竜の刻印”だな」
と。触れて読み込めたらしい事実を親切にも教えてくれた。
「ここって街のどの辺になるんでしょうか?」
おもむろにガイドマップを出して、示して欲しいとお願いしたら、この辺りだな、と静かな声で勇者様が指し示す。
一緒に出したペンを使ってその場所に丸を描いたなら、何となく嬉しくなって「次はどこかな?」な気分に変わる。
「おぉ、ありがとうございます」
と、もちろんお礼を言ってみたなら、ふっとその人が空気を緩め。
「こんな事でいいのなら」
と、自然な体で後ろに向かう。
そのままオールを拾い上げ、岸(?)を軽く蹴ったなら、勇者様は器用にも細い水路を戻り始めて。
「あと四つほど場所を知っているんだが…連れて行けそうな所となると三つに減って、水路で行ける所となると二つに減る。それでも良ければ連れて行く…が」
みなまで言い切る前に、私の顔を見たのだろう。
あまり表情は動かないけど、雰囲気的に苦笑して。
それならば。
「行こうか———」
と。
短く言うと、彼はあっという間に来た水路を戻って行って、広めの場所に出たのなら鮮やかに船首を変えた。
何が何だか、下手をするなら普段使いの人達よりもよっぽど上手いオールさばきに目を奪われてしまった私は、少し呆然としながらもそのまま舟に乗せられて行く。
たまにすれ違う別の男女が、いかにもデートな雰囲気なのだが…。女性の方がどうしても、高確率でオールを操るイケメンさんに視線をやるので、すれ違う度、彼氏さんな人達が不機嫌そうな一瞥をこちらに投げてくれたりとかして。
けれど、実際“乗ってる”私をちらっと横目でチェックしたなら、なんだ自分が連れてる方が美人じゃないか!とか。自信満々な空気を戻し過ぎ去っていく光景を…微妙な気持ちで見送るだけである。
たま〜に投げてもらえる好意の視線は、よくよくと見てみればかなり年上の男性だけで。あれ?私って、まさかまさかの年上キラーなんだろか??いや待て、あれは近所の子供を愛でる雰囲気で。異性じゃなくて完璧子供を見る目だよ!とか、何となくorzな気分。
今日は可愛い服を着ているし、胸だって無いわけじゃないというのに。化粧っ気…は薄いかもしれないが、それはこちらの世界にしても年相応だと思うのだ。あと自分に足りないものは一体何だ!?と思うけど。
——まぁ、総合自己評価として…足りないのは間違いなく“色気(フェロモン)”とかの部類です……。
と。
再びその場でorzとなると、私はそのまま俯いた。
若干落ち込み加減でいたら、逆に心配になったらしい。
「船酔いか?」
という焦りが混じった声がして。
「いえ、ちょっと考え事を」
と、さらりと言ってのけつつも。
自分のフェロモン具合が悪くて落ち込んでるだけですよー…(遠い目)、貴方様のフェロモンをちょいと分けてもらえませんか?と、内心で続けてみたり。
その時、何気に通りの方から賑やかな声が響いてきたので、ふと耳を立てながら「聞いた声だな…」と想いにふける。元気な声と艶やかな声、そしてそれらをなだめにかかる、気の弱そうな声がして。
どこかで聞いた声だよな…と私はそっと首を傾げた。
そのまま竜の刻印を、水路で見られる場所に行き、ガイドマップに二つ丸を付けた頃、そろそろ小腹がすかないか?と勇者様が言ってきた。
割と街の端の方まで舟で移動したために、結構時間も経っていたのである。いいですね〜と返したら、そのまま舟を返却し、私達は陸に上がると一路カフェを目指して行った。
どうやらここでもオススメ店が既に彼にはあるらしく、迷い無い足取りで海岸沿いまで歩いたら。傾き始めたオレンジ色が徐々に強くなっていく静かな海を眺めつつ、我々は少し遅めのティータイムなるものを、ぼんやり過ごしていったのだ。
かき氷のようでいてどこかパフェのようである、その店の特製の氷菓子を頂きながら、勇者様も案外甘いものとか食べるんだな…と。見た目ビターな雰囲気なので、それが何だか意識に残る。
逆に彼には私の方がお茶ばかり注文するので、ジュースは好みじゃないんだな、と意外に思われたようである。確かにこの年の女子ならば、お茶よりもジュースの方が好きかもしれないな…と思いながらも、残念ながら前世でも紙パック女子にはなれなかったので——まぁ、そんなに甘い飲み物は欲しくない…といいますか。見た目は可愛い気がしますけど、実際あの量は飲みきるのが辛い…と思うのです——、その辺の可愛らしさは表現できなさそうです…と。そっと心で謝罪する。
「他に行ってみたい所はあるか?」
時間的に本日最後のイベントになりそうなので、言われた私は考えたのだが。
じぃっとお茶に浮かんだサービス品の氷を眺め、人魚像の鐘とかを鳴らしてみたいかもしれない、と。
ふっと頭を過ったのだけど、まぁ、誘える訳ないな、と。
その間を誤摩化すようにして、おずおずと視線を上げれば。
「海岸沿いのマーライホーンを数えてみたい気がします」
とか。
——まぁ、水竜の刻印ネタを既に出していますので、そういう趣味かと思われるのは容易いと思うのです。
そんな風に考える。
すると、すんなり頷き返され、最後の予定が決まった我々は。
ほどなくお茶を済ませると、すぐ側に広がる白い砂の海岸に、ゆったり足を伸ばしたのだった。




