16−5
人の通りが非常に薄い、抜け道みたいな路地を進んで、我々は景観を楽しみながら四区の端の神殿へ、のんびりと足を伸ばした。
領地の三分の二ほどを海に囲まれ、水路を生かした水の都に、こんな静かな場所があるとは正直言って驚いた。
こんもりとした小さな丘は下の浜から立ち昇る海風に撫でられて、細い若草が穏やかにゆらゆらと揺れている。高さの割に遮蔽物もなく、そういう意味では都市の景観は見られないということだけど、これはまぁこれとして綺麗だなと思える景色だ。
やがて民家も絶えてきて、それでも細い通路を行くと、視線の先にはこじんまりとした神殿が見えてくる。白い石が積み上げられた小さな神殿は、ダンジョンの神殿系とは比べようも無い質素さで、けれど綺麗に整頓されたその様相が大事にされているのだと見るものに思わせる。
中には長椅子があったのだけど、勇者様が語る所に「たまに参拝者が来るようだから」という事で。当初の予定通りに我々は、丘の上の建物を越え、反対側の少し降りた斜面の辺りにそれとなく腰を下ろすのだった。
広げたシートの四隅を留めて、海を見下ろす位置に座れば、持ち帰り用の袋の中から勇者様が食べ物を取り出した。
私が好む卵サンドはフワフワのパンに挟んであって、勇者様が選んだ方のオススメサンドはどうやらフライドフィッシュのようだった。野菜とタレが間に見えて全体の彩りも良く、食欲も自然と湧いてくる。
続いて出された飲み物を受け取って脇に置き、勇者様も同じように自分の手元にそれを置く。
ラグーなる飲み物は言わば前の世界における牛乳というやつで、パン+牛乳チョイスな勇者な人がどこか健康優良児に見えてくる。そういや前の世界の息子な彼も、パンには牛乳な子だったなぁ…と。どうやら私はパン+牛乳タイプに切れない縁があるらしい、と一人見えない場所で苦笑した。
「いただきます」
と小さく言ってそれを食べ始めたら、お隣さんも食事を開始したらしい。
しばし無言の食事となって、けれどそれほど気まずさもなく、そんな流れで我々はさらりとランチ時間を終えた。
「のどかで落ち着きますねぇ」
と、食後のお茶を飲みながら呟いたなら。
「昔、養父(ちち)と来た時に見つけた場所なんだ」
と。懐かしむような口調でもって勇者様が会話を繋ぐ。
「あ、来た事あったんですか」
と少し驚いて返したのなら、「ここは二度ほど…」な言葉があって。
——なんだ…。勇者様ってば、実はこの街に詳しかったんですね…。
と。何故かちょっと凹んだり。
それならあれだけ必死になってデートコースを探さなくても、良かったのかもしれないなぁ…と。
やられたぜ…な心地のままに足下の草をプチっと千切る。
「その…」
と言い掛けた自信なさげな声に振り向き、なんでしょう?と問い掛けたなら。
「こういう場所は嫌いだろうか?」
と、真剣に問う彼が居る。
いやいや、結構好きですよ?そりゃもう精神年齢的に落ち着いた場所とか大歓迎です!———実際ここまでは言えないけれど、しっかりと前半部分を語ってみれば。「そうか…」と胸を撫で下ろす風の勇者様がそこに居る。
——ほら私って、果ての島とかで、似たような場所に居たじゃない。
だからバッチリチョイスですって!自信持ちなよ!!と内心に。
けれどやっぱり気恥ずかしくて、同じランチョンマットに居たら、まるでカップルみたいじゃない!!?と。ふと気付いた瞬間に、プチプチ草を千切ってしまう小心者の私が居たり。
そこへ。
「…前から気になっていたんだが、どうして草を千切るんだ?」
な、直球が飛んで来た日には。
「そっ、そそそりゃ、恥ずかしいからに決まってるじゃないですかっ…!」
と。こちらも滅茶苦茶照れながら直球で返すしかない訳でして。
「好きな人が隣に居たら、女子は恥ずかしいものなんですっ。どうしたら間が持つのかなとか考えちゃうものなんですっ」
と、高らかに言っていたりして。
それを聞いた勇者な人が「…そうなのか」という動揺めいた声音で返し、「そういう反応をされたのは…初めてだったから…」と妙なフォローを入れてきたのを。
——って。まさか勇者様、自信満々なアプローチしか受けた事がないんですかい!?
そういう変な勢いで何となくスルーする。
——そっ、そりゃあ私だってね、自信があったらもっとガツガツ行けますでしょうけど…!
残念ながら…と言いますか、所詮この程度ですのでね。
横でモジモジするくらいしか能が無いんです。すみません。
せいぜい嫌われないようにとか、必死こくしか無いんです。
それで結局空回ったりとかするんですよね、分かります。
と。
何となく止まってしまった草を千切る手を意識して、クッと内心で涙したなら。
もはやお馴染みとなってしまった「その…」という小声の後に。
「正直、あまりこういうことをした事がなくて…だな」
という、まさかの告白を始めそうなその人に。
「そんなばかな」
と素で突っ込んだ私は全く悪くない。はず。
嘘だ〜…と乾いた声で思ったら、ちょっとムッとしたように勇者様は「本当だ」と言う。まぁ、真面目な人が言うなら本当なのかもしれないが、なんか、雰囲気的にありえない…と続けざまに思ったら。
そんな声を聞いたというようにして、女性には縁がない、とキッパリハッキリおっしゃった。
「エアリア様は!?リールゥ様は!?ヒルデ様だって忘れたとは言わせませんよっ!!」
どなたもかなり高名な女性冒険者の名前であって、強い、美人、お貴族様、な要素の揃った素敵女性だ。三年も追ううちに目にした多くの女性の中でもこの三人は別格で、性格も全く問題無い——むしろ本気で彼女等の何がいけなかったんだ…?——という、記憶に残る人達である。
強いてあげれば、確かに皆、自信満々だったくらい…?という所だが、自己主張が控えめで清廉潔白な生真面目男子には、逆に合うんじゃないか?という。
——いえ、正直に言えば、彼女達なら仕方がないな…と思えたという、私の主観もありますけれど。
でもそれって大事じゃない??同性に好かれる同性ってのは、おそらく最強種族ですって。
と、反感を込めて言わせて貰う。
すると彼は気のせいか。どことなく眉をひそめて。
「何故そこでその名が出る」
と、僅かに空気を硬くした。
小心者の私はちょっと、それに「うっ」としたけれど。
「今まで私が見てきた中で指折りの女性ですっ」
と。馬鹿正直に返したのなら。
はぁ、と彼は溜め息をつき。
「勘違いだ。本当に。誰とも縁が無かった」
と、立てた膝に腕を乗せ、その腕で項垂れるように頭を挟んで呟いた。
「そもそも…だ」
そこで間を置き、気持ちを硬くするようにして、それでも正面切って言うのは憚られる…というように。
「俺は養母(はは)が決めた相手と……つまり、政略結婚をする気でいる」
と。
不意にこの場で齎された彼の心中…想いを知って。
「あれ?でも勇者様の家、結婚相手は自分で探す決まりなんじゃなかったですか?」
と。
まぁ、いろいろぶち壊し気味にツルっと滑った私の口は。
こちらのセリフに驚いて、思わず向いたイケメン顔が、極限まで目を見張っていたために。
——あ。私、間違いましたね。いろいろと、間違いましたね。
そんな強い確信を抱かせてくれたのだ。




