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勇者の嫁になりたくて ( ̄∇ ̄*)ゞ  作者: 千海
12 ユノマチ温泉郷
114/267

12−3



「なぁ、クライス。下町の銭湯に行かないか?」


 昔、養父(ちち)と来た時に、ちらりと目にしたあの乗り物に、まさか自分が乗せられるとは思わなかった…と。通された部屋で一息付いてぼんやりと思っていると、さっそく浴衣に着替えたライスが部屋の扉を引いて言う。

 その奥には自分を除く他のメンバーの姿が見えて、誰も彼もが銭湯を楽しみにしているという気配があった。それを知ったら体の力がふうっと抜けて、こんな日もたまにはいいと了承の言葉を返す。


 休みを取ろうと寄った地でいつも通り領主からの使いが来た時は、正直、不敬な気持ちがわき起こってしまったが。なかなか話が分かるというか配慮に長けた領主のようで、休息に寄ったと切り出す前に「宿の方を手配しました。そちらでゆっくり御休み下さい」そんな言葉で話を閉じた。

 そして案内されたのは町一番の老舗旅館と有名な高級宿屋。思わず身構えてしまったが、部屋へ通されるなり「御用の際はお申し付け下さい」と、中居の女性はあっさりと退出していった。

 王侯貴族の屋敷に仕える侍女等よりよほど教育が行き届いているようで、その引き際の良さに身構えてしまったことが恥ずかしい気さえした。

 それからいつかの記憶を辿り、備え付けの茶器を用いて一人分の茶を入れる。


——そうだ。これが正しい姿だ。


 いくら自分が“勇者”でも、毎度毎度、領主の屋敷に滞在するのはどこかおかしい事なのだ。もっと細かく言ってしまえば、こういう宿に泊まるのもおかしい話であるのだが。

 屋敷に仕える侍女等によって供される茶や菓子は、隙あらばという雰囲気で頼んでもいないのに出てくるし、いっそ不気味というほどに彼女等は尽くす姿勢を崩さない。少し腰を上げただけなのに「どちらへ参りましょう?」と伺い立てて、廊下に出ようものならば当たり前という雰囲気で付いてくる。

 養母(はは)の家、グレイシス家は確かにグランスルスの一貴族として名を連ねるが、社交の場に出て行けば「落ちぶれた」と囁かれるほど地位も財も無い家である。否、もしかすると自分が知らないだけで、養父(ちち)が隠し財産的な富を持ち込んだかもしれないが、その恩恵にあずかる事はついぞ無かった。

 いつも質素なドレスを纏う清廉な養母上(ははうえ)は、毎年社交の季節になると養父に「今年こそ華やかなドレス(やつ)を贈らせろ」と詰め寄られていたのだが、「こんな年増が盛っていては笑い者になりますから」と、いっそ恐ろしいほどの優しい口調で言い分を撥ね除けていた。

 勇者だった養父を使えば新しい屋敷など簡単に建っただろうに。それまでよりよほど贅沢な暮らしが送れただろうに、養母はそうしなかった。必要なものを、必要なだけ。自分でやれることくらい自分でしなさいと、そんな風に育てられてここに居る。

 うっすらとだが確かに残る路上生活の記憶だったり、養父に連れられ大陸中を旅した記憶の中にも贅沢をしたと思えるものは一つも無くて、むしろ養母のその精神には大いに共感したものだ。

 当たり前だと思っていたそんな環境が貴族らしからぬものだと知ったのは、主にグランスルスの貴族が集う国立の学び舎に通うようになってからだった。大した距離ではないからと徒歩で行ったのが問題だったらしい。仰々しい装飾が施された馬車の一群が家格の順に並んだ校門で、それを見咎められてからというもの。あのグレイシス家に拾われた卑しい身分の連れ子だと、事あるごとに後ろ指をさされるようになってしまった。

 今も「従者の一人も付けず…」と囁かれた記憶が残っているが、何故それだけのことで恥になるのか少しも理解できない自分はやはり、蓋を開ければ貴族の姓が付加しただけの、卑しい身分の人間なのだろう。

 とはいえ、引き取って育ててくれた養母のためにも家名を貶めるような事はしたくはないし、少しでも役に立ちたい一心で面倒ごとが多く付随する王侯貴族の依頼を受ける。勇者、そして名ばかりとはいえ貴族の席にある自分に対し、彼らは常に過ぎる程の心遣いをしてくるが…。かしずかれる環境に慣れないこちらにとって、それは苦行の一つでしかない。


——茶ぐらい自分でいれられる……。


 誰に言うでもなしに内心で呟いて、あぁ、まさに自分の言い分が、彼らを前に不敬と思って仕舞い込む正直なところの自分の気持ちが、この一言に尽きるのだろうとぼんやり思う。

 生まれついての貴族ではないために、政治的な駆け引きだったり、社交を乗り切る話術だったり、そうした所の才がないのがほんの少し悔やまれる。どこにどれだけの注意を払えば上手く渡っていけるのか。それができれば中途半端に“貴族のふり”をしなくても済むのだろうに。


——……いつまでこの生活を続ければいいんだろうな。


 一体、養母(はは)はいつになったら、帰って来いと結婚話を持ちかけてくるのだろう。血筋の知れぬ孤児だから“貴族の姓は継がせられない”話になるとしたって、あるいは身元の確かな筋からの養子縁組だったりと、義理兄弟が増える旨の話が出てもいい筈なのに。

 あの人はよく「こんな家、潰えたとて」とあっけらかんと語っていたが、落ちぶれた地位にあったとしても歴史の古いその姓を容易く消してしまっては、何か弊害が出るのでは…?

 血を引かないこんな自分が真剣に思う事こそがいっそ馬鹿馬鹿しい、という話だが。

 ライスが「銭湯へ」と誘いの言葉を掛けてきたのは、不意に湧き出た将来像への漠然とした不安をかき消すように、見当違いなそんな話をぼんやりと考えて、現実逃避に「それよりも…」と牛車の事を考えていた時だった。




 下町の銭湯は、いつか養父と訪れた記憶があって懐かしい。

 もちろん否やを言う理由もないので、備え付けのタオルを掴み連れ立って宿を出た。

 無用の混乱を避け休息を楽しむために、部屋を出てすぐ“存在感”のスキルを絞る。と、途端に人ごみに溶け込んでしまった“勇者”を、ソロルとベリルは驚愕が混ざった面持ちでしばらく眺めていたようだ。


——申し訳ないがこれが地だ。


 養父がそのスキルの獲得を自分に促さなかったら、あるいは“勇者”にならなかったら、人ごみに紛れる程度の存在なのだ。こうしてパーティ・メンバーに囲まれていたとしたって、スキルによって底上げされた元の状態との落差から気付かれることも珍しい。

 わざわざ隠密スキルを獲得せずとも人ごみに紛れる方法はある訳だ、と養父のその発想を改めて尊敬していると、下町へ向かう橋の上から景色を堪能していたライスが思い出したように話題を振った。


「そういえば、どこの銭湯がいいかなぁ?」

「あ、僕、フジ屋っていうところにまず行きたい。有名なんでしょ?風呂場の中に異界の青い山が描かれてるって」

「フジ屋のフジ山は有名でござるなぁ。確か、その絵に向かって参拝すると良い事が起きるとか」

「…それ、女風呂にもある?」

「さすがに女人の風呂場には入った事は無いでござるが…番台で揉めている所を見た事がないでござるから、きっとあると思うでござる」


 意外にも話に入って行ったベリルの姿をちらりと見遣り、どちらかというとリアリスト…願掛けをするタイプには見えなかったんだがな…と、年相応な少女の気配に困惑している自分に気付く。

 そういえばこの年頃の少女というのは、まだまだ夢見がちな生き物ではなかったろうか。それに比べるとベリルのことをリアリストだと感じるのは尤もで、齢十五にして父親を含む家族五人を弓の腕一つで養っていた手腕というか度量というか…とにかく夢見がちではいられなかった状況が思い出されて、複雑な気持ちに捕らわれる。

 確かに今の世の中はいかに女、子供と言えど、そんな事に構ってられない状況にある人間は、探せばどんなところにも、それこそいくらでもというほど存在している。しかし、平和に暮らしている者の方が幸い多く存在するから、こういうふとした瞬間に彼らが重ねてきただろう苦労のほどが偲ばれる。

 風呂場に描かれた異界の山に願掛けをすることを楽しみにしているような、どことなく幸せそうな気配を纏ったベリルを伺い、そこでハタと思い至って道行く人へ視線を向けた。


——そういえば…。


 養母の教えの手前、失礼なことと認識しつつもベリルとベルの歳の差を思わず計算し、2つしか違わないのか…?と今更ながら驚いた。


——2つ……2つ…だと?


 知らず歩みが止まった“勇者”に気付く者はその場に居らず、止まった歩みは気付かれないまま再開された。


——なんだ。この違和感は。


 自分たちを追いかけ始めて三年の月日が流れたが、それにしたって娘が纏う雰囲気は不可解なものが多いと思う。

 ベリルとたった二年の生まれの差、たった二年であれほどまでに“物分かりのいい”人間がそう容易くできるだろうか。あるいはそれに見合うほど彼女が苦労を重ねたと…失礼な話だが“思えない”からますます怪しい。

 だが、もしかするとその違和感は、あと少しで賢者職に達するほどの知識量に起因するのかもしれない、と。そこまで彼女の事を考えながら、何となく深入りするのを避けようとする自分が居るのだ。


——もし自分たちではどうしようもないほどの命の危機に見舞われた時、それを回避するために、彼女が側に居るのを許容する……。


 それはずいぶん奇妙な契約で、およそ秤にかけられたのが同等の価値を有するものとは思えない。

 それともこれは自分にとって理解し難い話なだけで、歳の割に物分かりが良さそうな彼女の中の“年相応な少女の一部”なのだろうかと。

 

 いずれにせよ———。


 いつになるのか知れないが、決着の時の結論が覆るような事はない。

 そんな未来が見えるから。

 その秤は偏っていて、見るも奇妙な約束事に縛られている。

 と。

 そう自分に感じさせるのだ。


「お。見えてきたね、フジ屋の看板」


 その時ふいに聞こえた声に、ふと意識を戻した彼は。

 なぜだろう。

 店の前に佇んでいる、顔を隠した女性の姿に、スゥと視線を奪われた。

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