ステップ5 またしても! 今日も今日とてヤツは来る
星奈さんの『家』に近づくと、楽しそうな話し声が聞こえてきた。星奈さんとレイ子さんの声だ。
どうでもいいけど、幽霊がそんな楽しそうに喋っていていいものなのか。
幽霊なら陰気でなくてはならない、なんて規則はないだろうけど。
もう少し近づいてみると、ふたりが敷いた布団の上で向き合って座っている姿が見えた。
ふたりとも制服姿。こう見ると、普通に仲のいい友人にしか見えない。
まぁ、こんな校舎内の階段下に布団を敷いて談笑しているということ自体、普通とは言いがたいと思うけど。
レイ子さんは幽霊だとはいえ、女の子同士で楽しく話している状況。
邪魔をしても悪いかなと思ってしまい、僕はなかなかふたりのそばには近寄れずにいた。
それはそれで、会話を盗み聞きしているみたいで心苦しくもあったのだけど。
「今日も来るかなぁ……」
「そうねぇ、どうだろ?」
……魔流の話をしているのかな?
レイ子さんにも、いつ出現するかはわからないってことか。
聞こえてきた会話に、つい考え込んでしまっていると、こちら側に顔を向けていた星奈さんと目が合った。
あっ、と思ったときにはもう遅い。
僕は会話を聞いていたことに、少し後ろめたい気持ちになっていたけど、
「富永くん!」
星奈さんは満面の笑みを浮かべて手を振ってくれた。
レイ子さんも振り向いて声をかけてくる。
「よく来たね。待ってたよ!」
ふたりの歓迎ムードに照れ笑いを浮かべながら、僕は星奈さんの『家』にお邪魔することになった。
☆☆☆☆☆
敷かれた座布団の上に座り、星奈さんが淹れてくれたお茶をすする。
僕がお邪魔しても、ふたりのお喋りは止まらなかった。
星奈さんはひたすら今日あった出来事をレイ子さんに伝える。星奈さんって、こんなに喋る子なんだなぁ、と新鮮な思いで見つめている僕だった。
「それでねそれでね、そしたら中和田さんったらね」
「こら、詩穂。富永くんが置いてけぼりだぞ~?」
しばらく黙って星奈さんの話を聞いていたレイ子さんが、ニヤニヤしながらツッコミを入れた。
「えっ、えっ……。あっ、うん、そうだね、ごめんね富永くん! でも、あの、え~っと……」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないのよ!」
「え~、だってぇ、れーこちゃんがあんなこと言うんだもん……」
いったいなにを言われたというのだろうか、星奈さんは真っ赤になっている。
そんな表情も可愛いのだけど。
「あ~、えっと……」
なにか話しかけようとはするのだけど、言葉が出てこない様子。
ホントになにを言われたんだか……。
なんだか、レイ子さんが異様にニヤニヤしている気がする。
「あっ、もう結構暗くなってきてるよ? 富永くん、大丈夫?」
言われて気づく。確かにもう陽も落ちて、辺りは薄暗くなってきていた。
「……そういえば、ここって電気を点けたりしたらダメなのかな?」
帰らないとダメかな、とも思ったけど、もう少し星奈さんと一緒にいたいと考えて別の話題を振ってみる。
「う~ん、この辺りって普段電気を点けない部分だから……。昼間でも薄暗いときには担当の先生が点けてくれるんだけど、それ以外は許可をもらわないとダメなの」
「そうなんだ」
「それに、れーこちゃん、明るいの苦手だしね」
「幽霊だからねぇ~♪」
極めて明るくのたまうレイ子さん。幽霊だなんて微塵も感じさせない笑顔を浮かべながら。
「う~ん、もうかなり暗くなってきてるし、そろそろ帰らないとダメかな。あまり長くお邪魔しちゃっても迷惑だろうし」
真っ暗になってもここにいたいなんて、そんな本音が言えるはずもない。
「迷惑だなんて、そんなことないよぉ。でも、引き止めるのも悪いし……」
と言う星奈さんの声を遮って、レイ子さんが不意に真顔になって宣言する。
「いえ、今日も『感じる』から、ここにいて」
感じる……魔流か!
「……わかった」
レイ子さんの勢いに圧され、僕も真顔で答えていた。
「魔流って、いったいなんなの?」
僕の問いかけに、レイ子さんは少し眉をしかめた。
昨日も同じ質問をしていたからだろう。
でも、そのときは曖昧な答えが返ってきただけだったから、僕としてはどうしても気になっていたのだ。
「なんであんな巨大なものが出てくるの? それに、校庭を見に行ってみたんだけど、まったく痕跡もなかったよ?」
「痕跡がないのは、魔界から来ているせいよ。こっちの世界とは微妙に位相がずれてるとか、そんな感じかな」
ゆっくりと言葉を選びながらといった感じではあったけど、レイ子さんは答えてくれた。
「そうなんだ。とすると、放っておいてもこっちの世界には影響ないってことは……」
「それはないわ」
ピシャリと言いきられる。
「ヤツらの目的はね、この場所の破壊なのよ」
今は魔界とつながってしまった状態にあり、魔流と呼んでいるヤツらはこっちの世界に出てこようとしているのだという。
圧力の差で開いた穴から流れ出る感じだからという理由で、ヤツらのことを魔流と呼んでいるらしい。
この校舎自体が封印になっていて、それでどうにか流れを押し留めているのだけど、それでも溢れて流れ出ることがある。
それを排除するのが星奈さんの役目となっているようだ。
溢れ出てきた魔流を野放しにしていると、ヤツらはこの校舎を空間的に破壊して封印を弱めようとする。
ヤツらの力は特殊で、位相がずれていたとしても、時空を越えて封印自体に力を及ぼすことができる。
封印に対して力を及ぼすことはできても、人間に直接危害を加えたりできるわけではない。そして、その逆もまたしかり。
それなら封印が解かれて魔流がこっちの世界に大量に押し寄せたとしても、とくに問題なさそうに思えるけど。
「そうもいかないの。ヤツらが人間に危害を加えられないのは、位相がずれているからだけど。たくさんの魔流が溢れ出してくると、その分だけ位相のずれも小さくなっていく。やがてそれはゼロになってしまうのよ。そうなったら、それこそこの世は地獄と化すわ。ヤツらは見境なく人間も動物も襲い始める。この近辺だけなんて生易しいものではなくて、もしかしたら世界が滅んでしまうかもしれない。それくらいの危機なのよ」
僕にはいまいち実感が湧かなかったのだけど、それでもレイ子さんの真剣な表情を見る限り、それが冗談なんかでないことはしっかりと感じられた。
そんな危機を、たったひとりの少女が――この星奈さんが抑えているというのか?
僕が視線を向けると、星奈さんは遠慮がちに、ニコッと微笑みで応えてくれた。
星奈さんも、それがわかっていて戦っているのだ。
だけど、どうして星奈さんが、そんな大変なことをしなければならないのだろう?
僕は不条理さを感じていた。
そんな僕の思いが伝わったのか、
「つらいけど、私が頑張るしかないの」
星奈さんはそう言った。
その声はいつもの雰囲気どおり、か細くはあったけど、その中にも力強さが込められていた。
と、そのとき。
なにか異様な気配が、特別な力もない一般人にすぎない僕にすら感じられた。
「……来た!」
レイ子さんの声が飛ぶ。
視線は星奈さんに向けられていた。それに応えるように、星奈さんも無言で頷く。
と同時に――、
制服を脱ぎ始めた。
……って!
「ほ……星奈さん……!?」
「あ……きゃっ! そうだった……。富永くん、あっち向いてて!」
慌てて後ろを向く僕。
「ごごごご、ごめんなさい……。パジャマに着替えないといけなくて……」
「いや、あの、こっちこそ、ごめん……!」
「ふふふ、やっぱり新鮮♪」
真っ赤になって焦っている僕たちを見ながら、心底面白そうに笑うレイ子さんだった。
するすると星奈さんが制服を脱ぐ音が響く。
後ろを向いているとはいえ、やっぱり気になってしまうわけで……。
「……こっち見ちゃ、嫌よ?」
「う、うん」
ドギマギする僕を見ているからか、相変わらずレイ子さんの笑い声が響く中、どうやら星奈さんはパジャマに着替え終えたらしい。
「そ、それじゃあ……おやすみなさい」
星奈さんはおもむろに布団にくるまる。
う~ん、やっぱり寝るんだ……。
「必須時効だからね」
レイ子さんはそう言いながら、布団を肩までしっかり掛けて瞳を閉じている星奈さんのまぶたの上にそっと手をかざした。
その瞬間、まばゆい光が辺り一面を包み込む。
布団に横になっている星奈さんの額から飛び出したその光は、目にも留まらぬ速さで廊下を駆け抜けていった。
光は微妙に人の形をしていたように見えた。あれが星奈さんの幽体ってやつなのだろう。
布団の中で横たわったままの星奈さんは、安らかな寝息を立てている。
幽体が抜け出たのに、本体にはなにも変化がないように見えた。
そんな星奈さんの様子を見つめていた僕に、レイ子さんが視線を向けてくる。
「さて、それじゃあ、詩穂の手を握って」
「え?」
「昨日と同じよ。手を握った『つながり』で詩穂にあなたの力を与えてあげて」
「……う、うん、わかった」
とはいえ、前回は星奈さんの手は寝返りを打ったせいで布団の外に出ていたけど、今日はしっかり布団にくるまって安らかに眠っている状態で……。
「ほら、布団の中に手を入れて。あっ、でも、変なところを触ったりしたらダメよ?」
「そんなことしないってば!」
ふふふ、とまた笑っているレイ子さん。
僕、からかわれてる?
まぁ、ともかく。
「そ……それじゃあ、失礼します……」
そう断りを入れてから、布団の中へと手を滑り込ませる。
すぐに触れたのは布だった。パジャマの袖だ。手首のちょっと上くらいだろうか。
さらに少し下まで手を動かすと、肌の感触が伝わってきた。
ぎゅっ。
僕はそっと、星奈さんの手を握った。
その瞬間、前のときと同様、別の景色が頭の中に流れ込んでくる。
その光景は、この前のときとは少し違った雰囲気のように思えた。
ここって……。
校庭じゃない?
あ……ここは、中庭だ……!
そう思い至った刹那、影が動いた。
☆☆☆☆☆
動いた影はふたつ。
言うまでもなく、幽体であるセーラー服姿の星奈さんと、『魔流』だ。
魔流は、以前校庭にいたヤツとは随分と様子が違っていた。
その体に溢れる闇のごとき黒さはまったく同じ雰囲気ではあったものの、大きさがこの前のとは比べ物にならないほど小さい。
地面から浮かび上がってくるように見えるのも以前の魔流と同じだけど、その本体はなにかの植物のようにも見えた。
その魔流の本体からはうねうねと波打ちつ触手が無数に伸びていて、それぞれが別々の方向から星奈さんに襲いかかる。
スカートをなびかせ、星奈さんはそれらを軽々と避けながら飛び回る。
前のときと同様、ちまちまと手のひらから光を放出して触手を一本一本切断していく。
触手はたくさんある。とはいえ、無限ではない。
一本の触手を切断するのは、ものの数秒程度の時間でしかない。
連続で矢継ぎ早に攻撃を繰り出していく星奈さんに対して、魔流は成すすべがないように思えた。
これなら楽勝だ。
……と思ったのだけど、やはりそう簡単にはいかないものらしい。
魔流の切断された触手の断面からは、新たな触手がまた生えてきていたのだ。
触手が再び伸びきるまでにかかる時間も数秒程度。切っても切っても触手の数は一向に減らなかった。
これでは埒が明かない。
というよりも、幽体とはいっても飛び回っている星奈さんのほうが圧倒的に不利だ。
僕の手に握られた星奈さんの手のひらも、徐々に汗ばんできているのがはっきりとわかった。
「はぁ……はぁ……」
僕の視界は中庭へと飛んでいるから、『家』で寝ている星奈さんの様子は見えなかったけど。
苦しそうな寝息は聞こえていた。
幽体が体力を消耗すれば、本体もつらいのだろう。
「きゃっ」
一瞬、バランスを崩した星奈さんを、魔流は見逃さなかった。
一本の触手が腕に絡まる。
もう一本が反対の腕を、さらに別の二本が両足を絡め取り、さらには次々と触手が巻きついていく。
あっという間に無数の触手に巻きつかれ、星奈さんは身動きもできない状態になっていた。
身をよじってどうにか抜け出ようとしてはいるものの、まったく効果はなさそうだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
星奈さんの息も荒くなっていた。
「キミも意地悪な奴だね。詩穂が魔流にいたぶられるのを、黙って見てるつもり?」
不意にレイ子さんの声が響く。
その声は少し怒ったような口調だった。
「べつにそういうわけじゃないよ……。でも、どうすれば……」
「昨日のことを思い出すのよ!」
「そう言われても……」
あのときは、魔流の腕の攻撃にやられそうなことに気づいて、必死で……。
と、触手によってがんじがらめにされた星奈さんの顔が、苦痛で歪む。
「うぁん……」
痛みにもだえる声が耳に届く。
その声はすぐ横に寝ているはずの星奈さんの本体からだけではなく、幽体である星奈さんの口からも発せられていた。
やはり、幽体のほうでも痛みは感じるのだろう。
「このままだと、圧死するわよ。言っておくけど幽体が弾け飛んだら、本体も同じように木っ端微塵なんだからね!」
「こ……木っ端微塵!?」
その状況を想像して、僕はさすがに焦った。
「星奈さん!」
ぎゅっ! 自然と握った手のひらに力がこもる。
手を伝って、僕の中から星奈さんに力が流れ込む感覚がわかった。
視界が、ぱぁーっと明るくなる。
いや、幽体の星奈さんが輝いているのだ!
ぐっ!
星奈さんが腕に力を込めると、全身に絡みついていた触手が震え始め、すべての触手は一気に引きちぎられた。
「すごい!」
思わず声が出る。
「よっ、この怪力娘!」
レイ子さんが面白がって茶々を入れた。
「か……怪力じゃないもん!」
顔を真っ赤にして恥らうセーラー服姿の星奈さん。
「恥ずかしがってる場合じゃないよ、星奈さん!」
「あっ」
僕の叫びも少々遅く、星奈さんは新たに迫ってきていた触手に巻きつかれてしまう。
でも、
「ふん!」
ぶちっ!
星奈さんは軽々と腕の力で引きちぎる。
「やっぱり怪力娘……」
「え~ん、富永くんまで……」
星奈さんは、僕がつい口走ってしまったせいで、涙目になっていた。
「詩穂! 悪いのはあいつ、魔流だよ!」
「……うん、そうね……!」
星奈さんは、キッ! と、魔流の本体である中庭から生えた植物の部分を睨みつける。
「消えちゃえ~~~~~!」
その両手から、激しい光がほとばしる。
握った手のひらを伝って、僕の中から力が放出されていくのを感じた。
光の筋は一直線に魔流へ向かう。
光を止めようと無数の触手が伸ばされてはきたけど、それらすべてを弾き飛ばし、光はヤツの本体を――、
貫いた!
ずずずずずずずずずずずず!
激しく音を響かせながら、ヤツは波に呑まれるかのように中庭の下へと沈み込んでいく。
そのまま、魔流は完全に闇の中へと消え去った。
なんというか最後のは逆恨みっぽかったような気もするけど……。
僕の頭には、そんな考えが浮かんでいた。
「ふぅ……」
すたっと地面に降り立ち、星奈さんはほっと息をつく。
「終わった……のかな?」
「うん、多分。……ちょっと強かったね」
「…………」
と、その瞬間だった。
完全に消えたように思えた魔流の気配が、突如として復活したのは!
それも、四方八方から!
「っ!?」
「きゃあっ!」
あらゆる方向から伸びてくる触手を、星奈さんは素早く飛んで避ける。
「なんで……?」
「どうやら、本体は別だった、ということみたいよ」
冷静なレイ子さんの声が届く。
「それじゃあ、いったいどこに……?」
触手は視界内の至るところから伸びてきている。
その根もとをたどると、それぞれ床や花壇や壁や窓などに発生した空間の歪みから生えてきているようだった。
そこで僕は、思い出した。
鳥河が見せてくれた中庭の歪み!
あのとき、歪みは中庭の中央に見えた。
それはさっき、魔流の本体と考えていた植物が生えていた、まさにその場所だった。
だけど、歪みは窓を通したときにしか見えなかった。
ということは……。
「星奈さん、窓だ!」
僕は叫ぶ。
「……わかった!」
わずかに怪訝な表情を浮かべたものの、星奈さんは素直に僕の言葉に従った。
両手を前に突き出すと、再び、凄まじい光の筋が放たれる。
「ぐっ!」
僕の中から、再び力が流れ出していくのを感じた。
光は一直線に飛んでいく。
触手を蹴散らし、その根もとになっていた窓を、粉々に粉砕した!
グオオオオオオオオオオオオオオン!!
この世のものとは思えない奇っ怪な音を残して、今度こそすべての触手はひとつ残らず消え去っていた。
「お疲れ様……」
気がつくと目の前に星奈さんの顔があった。
その星奈さんの手を、僕はしっかりと握っている。
それどころか、いつの間にか僕も横になっていたらしく、掛け布団の上ではあったけど、星奈さんと添い寝するような格好になっていた。
「………わっ、ごめん!」
慌てて手を離す。
一方の星奈さんは、ほのかに頬を染めてはいたけど、慌ててはいないようだった。
「今日は富永くんがいることが、ちゃんとわかってたから」
そうつぶやく星奈さん。
瞬きが、長い。すごく眠そうだった。
そういえば僕もすごく眠いな……。星奈さんに何度も力を送ったからかな……。
「ねぇ、どうして本体が窓にいるってわかったの?」
不意に、レイ子さんが真面目な顔で尋ねてきた。
僕はぼやけた頭ではあったけど、鳥河に連れられて中庭を見たことを話した。
「そんな……。でも、もしそうなら、急がないと……」
ブツブツとつぶやいているレイ子さんの声は、僕の意識にまでは届かなかった。
そのときには、僕は星奈さんの布団の上に横たわったまま、完全に眠ってしまっていたからだ。