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ステップ2 縮めよう! 心の距離をちょっとずつ

「富永、お前昨日、星奈さんの『家』に行ったんだってな」


 次の日学校に行くとすぐに、後ろの席の鳥河がニヤニヤしながら話しかけてきた。


「ああ、うん」

「びっくりしただろ。あんなところに住んでるなんて」

「うん、まぁ、そうだね。星奈さんがあの場所に住んでるのは、結構有名なことなんだよね?」

「そりゃあな。今年入ってきた奴らだとわからないかもしれないが、前からこの学校に通っていて知らない生徒はそうそういないんじゃないか? 初等部だと知らない奴もいるかもしれないけど。校舎もちょっと遠いからな」


 桜草学園の敷地は、初等部、中等部、高等部が横並びになっていて、それぞれ結構広い敷地を持っている。

 ただ、その程度の距離ではあまり関係なさそうな気もするけど。


「お前、完全に星奈さんにお熱ってわけだな」


 ニヤニヤ度を増してからかい気味の言葉をぶつけてくる鳥河。

 今どき「お熱」って死語じゃないだろうか。


「べつに、そういうわけじゃ……」

「でもな……」


 声のトーンを落とし、鳥河は急にまじめな顔になる。


「水を差して悪いが、星奈さんはやめておいたほうがいいかもしれない」

「え?」


 思わず後ろの席に身を乗り出す。さらに顔を近づけ話し続ける鳥河の話に、僕は耳を傾けた。


「なんというか……昨日もちょっと言いかけたが、結構変わってるんだ、星奈さん」


 昨日の星奈さんとの会話からもわかっていたことではあるけど、彼女は初等部からこの学校に通っている。

 それはもちろん問題ないのだけど、その頃から変わった感覚を見せ始めていたそうだ。

 きっかけは、とある事件だった。


 詳細は明かされていないし、新聞部の情報網を持ってしても謎に包まれたままらしいけど、この学園で殺人事件と思われる怪死事件が起こったのだという。

 殺されたのは当時の学園の理事長と、副理事長だったその妻。

 深夜、理事長室でふたりは亡くなった。

 完全な密室だったことから無理心中の可能性も考えられたけど、遺書らしきものはなさそうだった。


 事件・事故の両面で警察が調査を続けたものの、決定的な証拠などは見つからなかった。

 もし殺人事件なのだとしたら、犯人は未だ捕まらずに逃走していることになる。

 そしてその頃から、学園内でいろいろな怪現象の目撃例が多発するようになった。

 学園にありがちな七不思議だとか、そういった噂が不思議なほどなかったこの学園だけに、その急な変わりようは驚くべきものだったらしい。


「それでな。その怪死した元理事長と副理事長のふたりというのが、星奈さんの両親なんだよ」


 星奈さんのご両親が元理事長で、亡くなってしまったことは昨日聞いていたわけだけど、よもやそんな怪死事件が原因だったなんて……。

 その事件のあと、新たに理事長として赴任してきたのはやっぱり、僕の伯母さんだったようだ。

 でも僕は、そんな話は一度も聞いたことがなかった。

 伯母さんは僕を不安にさせないために、あえて話さなかったのだろうか?


 事件の前は、理事長の娘として、初等部の一年生からずっとこの学園に通っていた星奈さん。

 はたから見れば、楽しそうに過ごしていた。

 クラスメイトとともに大声を上げてはしゃいでいることすらあった。


 だけど事件の際、怪死したふたりの死体のそばで、血まみれになって泣いている星奈さんが見つかった。

 当時初等部の三年生だった星奈は、心を閉ざしてしまい、それからしばらくのあいだ入院していた。

 入院は一週間程度だったけど、退院して戻ってきた星奈さんからは、明るかった面影は完全に消えていたのだという。


「周りも心配して、心配されていることを本人もわかっていて、徐々にではあるけど心を開いてきているのは確かだろう。とはいえ、おとなしい印象を受けるのは、まだ完全には立ち直れていないってことなんだろうな」


 ……そうだったのか。

 でもそれならなおさら、星奈さんが明るく過ごしていけるように元気づけてあげたい。

 そう考えていると、鳥河はさらに言葉を続けた。


「でな。変わってるというのは、星奈さんの言動のせいでもあるんだ。さっき言った怪現象だけど、調べてみると高等部特別教室棟の東階段の近くで起こっていた場合が多いらしい。つまり、事件以来、星奈さんが住んでいるあの場所だ。

 今ではそういった怪現象も鳴りを潜めているみたいだが、夜の学校はただでさえ怖いイメージがあるだろ? その上そんな怪現象の噂まで流れた場所で生活し続けているというのは、やっぱり変じゃないか?

 それに、夕方ふとあの場所に近づくと、星奈さんしかいないはずなのに複数の声が響いてきていた、なんていう家庭部員の証言もある」


 鳥河は顔を近づけ、声のトーンを落とし、おどろおどろしい口調で語った。

 そういった演出を加えるのは、新聞部としての(さが)なのだろうか?


「まぁ……」


 ぱっと、明るい表情に戻った鳥河は僕の肩をポンポンと叩き、


「やめておけと言われて、素直にやめるわけもないよな。せいぜい頑張れよ!」


 最初と同じようなニヤニヤ顔を浮かべながら、そう言い残して教室から出ていった。

 ……って次はまだ、三時間目のはずだけど……。

 ふと気づくと、黒板には大きく「自習」の文字が書かれていた。



 ☆☆☆☆☆



 放課後になった。


 鳥河からあんな話を聞いてしまい、僕は星奈さんが今まで以上に気になっていた。

 星奈さんはやめておけ、鳥河はそう言っていた。それでも僕は、星奈さんが気になって仕方がなかった。

 単純に星奈さんに惹かれている、というのもないわけじゃない。

 ただ、よくはわからないけど、それ以上のなにかを感じるような気がしていたのだ。


 そうはいっても、僕はなかなか積極的になれない性格。

 帰り支度を整えてカバンを手に取ろうとしている星奈さんと目が合ったものの、僕はすっと視線を逸らしてしまった。

 星奈さんは多分、しばらくこっちを見ていたと思う。それなのに僕は結局、星奈さんのほうに視線を向けることができなかった。

 やがて、星奈さんはカバンを持って教室を出ていった。


 僕は……なにをしているんだろう。

 だけど、あまり関わらないほうがいいのかもしれない、といった思いも浮かんでいた。


 ――帰ろう。


 カバンをつかんで席から立ち上がろうとする僕を、不意に呼び止める声があった。


「富永くん」


 名前を呼ばれて振り返ると、そこにはショートカットの女子生徒が立っていた。


 星奈さんは、いろいろと悪い意味で有名らしく、鳥河がやめておけと言っていたように、あまり近づかないようにする人も多いみたいだった。

 そんな中でも、よく星奈さんと一緒にいるの見かける女子。

 確か名前は小松真子(こまつまこ)さんだったと思う。昼休みには星奈さんと机を並べて一緒にお弁当を食べている友人のようだ。


 僕が小松さんから話しかけられたのは、これが初めてのことだった。


「小松さん……? えっと、なに?」


 なるべく不審な感じにならないように努める。

 星奈さんを意識している僕。

 その友人である小松さんと接することにすら、少々緊張を感じてしまっていた。


「突然ごめんね。あの、富永くん。……えっと、聞いたよ。詩穂の『家』に行ったんだって?」


 家……それは言うまでもなく、星奈さんの住んでいる特別教室棟階段下のあの場所のことだ。

 僕は一瞬ためらったけど、正直に頷いた。


「あのさ、こんなことを頼むのも変かもしれないけど……よかったら、あの子を元気づけてあげて!」


 小松さんは胸の前で両手を組み、僕を拝むような形で懇願する。

 彼女の話によれば、どうやら星奈さんはこの頃、理由はよくわからないけど元気がないらしい。


 小松さんは初等部から星奈さんと同級生で、一緒にいることが多かった。星

 奈さんの両親が亡くなったあの事件のあとは、とくに心配して気遣っていた。

 以前ほどの明るさは取り戻せていないものの、星奈さんは自分にだけはある程度心を許してくれている。小松さんはそんなふうに考えていたようだ。


 それなのに星奈さんは、元気がない理由を一向に話してくれない。

 小松さんはべつに怒っているわけではない。星奈さんのことを、純粋に心配しているのだ。


「詩穂と知り合ってすぐの富永くんに頼むのも、おかしな話かもしれないけど……。詩穂は『家』のことをすごく気にしているみたいで、いつもは人が通ると隅っこに隠れたりするくらいなの」


 小松さんは僕の目をじっと見据えていた。


「それなのに富永くんを、詩穂のほうから『家』に招いてたから……」


 昨日星奈さんから家に来てと誘われたとき、小松さんも教室にいたと思う。

 その様子を、おそらく複雑な思いで見ていたのだろう。


「だから、富永くんなら詩穂を元気づけてあげられるかなって……」


 ぼそぼそとつぶやく小松さんを、僕はただ黙って見つめていた。


「あははっ! ごめんね。親友だと思ってたのに、ちょっと嫉妬しちゃってるのかも、私」


 小松さんは不意に明るい笑い声を響かせると、僕から顔をそむけた。

 そして、「それじゃあ、よろしくね」とだけ言い残して、足早に教室を飛び出していってしまった。


 どうしよう……。

 でも、あんなふうに言われたら、行かないわけにもいかないよね。

 僕は意を決して、星奈さんの『家』に向かうことにした。


 カバンをつかんで立ち上がる。

 ……と、なにかが床に落ちた。

 それは胸ポケットに入れてあった生徒手帳だった。


 学生は生徒手帳を肌身離さず常備すること。一応校則で決まっている。

 もっとも、実際にはカバンに入れっぱなしだったり、持ってきていない人も多そうだけど。普段は必要のない物だし。

 ともあれ、根が真面目な僕はちゃんと常備していた。

 ……自分で「真面目」なんて言うと、どうしてこうも胡散臭く思えるのだろう。


 ま、それはともかく。

 さすがにボタンもついていない胸ポケットに入れておくのは、問題があったかな。屈んだ拍子に落ちる可能性も高いし。

 僕は床に落ちた生徒手帳を拾い、ズボンのポケットに入れ直すと、静かに教室をあとにした。



 ☆☆☆☆☆



「来てくれたのね!」


 明るい笑顔でお茶を出してくれる星奈さんに、少し戸惑ってしまう。

 それにしても、ここまで喜んでくれるなんて……。

 やっぱり、来てよかった。


「お邪魔します」


 一応『家』なのだからと思い、僕はそう言ってから用意された座布団の上に座った。

 星奈さんは上履きを脱いで、敷いた布団の上に座っている。

 僕もそれにならい、星奈さんの上履きの横に自分の上履きを並べた。


「もう来てくれないかと思った……」

「僕のほうこそごめんね、その、目を逸らして避けたりして……」

「ううん、大丈夫よ。……慣れてるから……」


 寂しそうな声でつぶやく星奈さん。

 僕はなにも言えずに湯飲みを手に取って口に運ぶだけだった。


 ……う~ん、でも、いったいなにを話せばいいんだろう。


 ここまで来てみたはいいけど、まったく会話が続かない。

 こんなんじゃ、本当にお邪魔しに来ただけになってしまう。


 かといって思い浮かぶ話といえば、ご両親が殺されていたということや伯母さんが星奈さんを知らなかったことといった、訊いてしまっていいのかわからないような内容ばかり。

 僕は結局、なにも話し出せず黙ってしまっていた。

 星奈さんのほうも、どうしたらいいのかわからず困惑している様子だった。


 ふと、上のほうから微かに女の子の声が響いてきた。

 昨日と同じで、家庭部の子が部室へ向かうために階段を下りてきているのだろう。


 二度目ともなれば、こちらも慣れたもの。

 階段を下りてきたのは昨日とは違う子だったけど、ちらりとこちらに目を向けた女子生徒たちに軽く会釈をする。

 すると、彼女たちも軽く頭を下げ、足早に廊下を歩いていった。


「……慣れれば、どうってこともないね」


 星奈さんのほうに向き直ってそう言う僕に、彼女は驚いた表情を返す。


「すごいね、富永くん。私、慣れるまで、すごく時間がかかったよ」


 星奈さんの場合はひとりでここにいたわけだし、ご両親の件も起こったすぐあとだったはずだから、僕の状況とは全然違うと思うけど。

 わざわざそれを指摘する必要もないだろう。


「あはは。僕って結構、神経が図太いのかもね」

「ふふふ。私もよく言われるんだ。ずっと学校に住み着いて神経図太いって。仲間だね!」


 そんなことを言われたときの星奈さんは、当然ながら嬉しかったわけはないだろう。

 だけど、今僕と顔を合わせて笑っている姿を見ていると、神経が図太い仲間としてここにいてもいいかな、なんて思えてしまう。

 なんにしても、自然と会話を再開することができた。

 通りかかった女生徒たちに感謝しながら、僕は会話が途切れないように、他愛のない話ばかりではあったけど星奈さんとふたりで語らい合う時間を過ごした。


 もう夕方になっただろうか。

 肝心な話にはまったく触れていないけど、訊いてしまうのをためらうような内容でもあるし、僕はこんな感じで星奈さんと仲よく話せればいいかなと、そう考えるようになっていた。

 そのうち、星奈さんのほうから話してくれるようになるかもしれないし。


「あっ、ごめんね。それじゃあ、そろそろ帰るよ」

「そうだね、暗くなっちゃう。今日も楽しかったよ。来てくれて、ほんとにありがとう」


 笑顔で僕を見送ってくれる星奈さん。

 本当に、来てよかった。


 小松さんは、星奈さんの元気がないと言っていた。

 ただ、僕と話している様子を見ている限り、そんな沈んだ雰囲気は感じられなかった。

 小松さんの気のせいならいいのだけど、もしかしたらまだ僕に完全に心を許してないから、なにも言ってくれないだけなのかもしれない。


 明日からも、僕は星奈さんの『家』を訪れよう。

 そう心に決めていた。



 ☆☆☆☆☆



 下駄箱の前で上履きから靴に履き替える。

 と、僕はズボンのポケットに違和感を覚えた。

 すぐに手を突っ込んで確認する。


 ――あっ、生徒手帳がない!


 ポケットの中は空っぽだった。

 教室を出るときにズボンのポケットに入れ替えたのだから、そのあとで落としたとすれば――星奈さんの『家』で座布団に座ったときしかなさそうだ。

 星奈さんが見つけて、明日渡してくれるかもしれない。

 そうは思ったけど、本当に星奈さんのところで落としたと断言できるわけでもない。


 僕は再び上履きに履き直し、薄暗くなった廊下へと舞い戻った。


 夕陽も沈み、外はもう夜の闇が包み込み始めている時間だ。

 人のいなくなった学校っていうのは、やけに静かですごく寂しい場所のように思えた。

 そんな校舎の一角で、星奈さんは暮らしている。

 彼女はどんな気持ちであの『家』に住み続けているのだろう?


 不意に、別れ際に見た星奈さんの笑顔が、頭の中に浮かんでくる。

 なんとなくその笑顔の裏に寂しさがまじっていたようにも感じられるのは、廊下の薄暗さから引き起こされた錯覚だろうか。


 特別教室棟に入り、廊下を曲がる。

 ここを真っ直ぐ行った先の右手にある階段の下が、星奈さんの『家』だ。


 と、そのとき。


 階段の辺り、まさに星奈さんの『家』のほうから、まばゆい光が溢れ出しているのを目撃する。


 ――な、なんだあれは!?


 光は一瞬で収まった。

 廊下はもとの薄暗がりに戻り、寂しいほどの静寂に包まれている。

 思わず呆然と立ち尽くしてしまった僕だったけど、すぐに気を取り直し、階段下のあの場所へ向かって駆け出していた。


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