ステップ12 なんだこりゃ!? てるてる坊主とコンピューター
「はぁ~い、ここテストに出しますからねぇ~、ちゃんとメモっておくのよ~!」
午後のまどろみの時間にはちょっとやめてほしいような明るい声を飛ばしているのは、言うまでもなく国語教師にして我がクラスの担任、琴崎里子先生だった。
この時間で琴崎先生の授業のテンションについていける生徒なんて、初吉さんくらいのものだ。
ほとんどふたりだけで授業をやっているといった感じで、生徒に答えさせる場面では必ず初吉さんを指名していた。
さすがに他の生徒たちのだらけた様子は、見ていてわかっているのだろう。
わかっているなら注意すればいいものだけど、それよりも初吉さん相手に全力で授業ができることのほうに喜びを感じているようで、周りの状況なんて目に入ってもいないみたいだった。
僕はそんな状況をぼーっと眺めていた。
……いや、それは嘘で、その初吉さんの後ろで真面目に授業を受けている星奈さんを眺めていたのだけど。
先生は初吉さんと向き合うように授業をしているのだから、そのすぐ後ろの席の星奈さんとしては、真面目に授業を受けざるを得ないのだろう。
星奈さんは少し先生の視線を気にしているようだ。さっきのペンダントを今も身に着けているからだろう。
アクセサリー類の持ち込みは校則で禁止されている。厳しくチェックされるわけではないから、あまり守られてもいないのだけど。
それでも見つかったら取り上げられるのは免れまい。
反省して職員室まで取りにいけば返してもらえるはずだけど、去年まで初等部の教師だった琴崎先生のことだから、反省文を書かせるくらいのペナルティーは課すに違いない。
それなのに星奈さんは危険を顧みず、そのペンダントを身に着けてくれていた。
僕がそう頼んだからだ。
――そのペンダント、ちゃんと星奈さんの首にかけてあげてね! 肌身離さず身に着けてもらえるように言うのよ~!
星野さんから言われた言葉。理由までは聞いていないけど、僕はその言葉に従ったほうがいいと、なんとなくそう思っていた。
そのペンダントが星野さんから渡された物だとは、結局伝えられないままだ。
星奈さんを騙しているように思えて、気にかかってはいたのだけど、どうしても言えなかった。
だからこそ、余計に星奈さんの様子が気になって、こうして授業中もずっと星奈さんを見つめ続けている。
「また星奈さんを見つめて。お前はほんと、相変わらずだな」
不意に背後から鳥河の小さな声が聞こえてきた。
そうだ、最初に星奈さんを見たあの日から、僕は毎日星奈さんの姿を視界に映してきたんだ。
それはなにも変わっていないのかもしれない。
だけど、実際に変わってないわけではない。
僕は変わった。
星奈さんの『家』のことを知って、力のことを知って、桜さんのことを知って。
悩んでいる部分もあるみたいだけど、僕は星奈さんの力になると決めた。
僕まで思い悩んでしまったら、支えてなんてあげられない。迷いなんて、すっぱり振り払おう。
「……べつにいいだろ。……好きなんだから」
振り向きもせず僕は、鳥河の声に、やはり小さな声で言い返した。
「おーおー、素直だな。上手くいったってことか、安心した。……んじゃ、おやすみ」
……え?
振り向いた僕の目に飛び込んできたのは、すでに机に突っ伏して寝ようとしている鳥河の姿と、こっちをじっと見つめる星野さんの視線だった。
星野さんは、微かに笑っているように見えた。
と、突然。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!
地響きを伴って大きな爆発音が轟いた。
うつらうつらとしていた生徒たちも音に驚き、教室内は騒然となる。
「な……なによ、今の音!?」
「怖い~~~!」
「きゃっ! 廊下からも変な音がするよ!?」
クラスメイトたちの混乱した声が響く中、教室の前のドアが開いた。
「うきゃきゃ!」
「なに、これ!?」
教室に入ってきたそれは、なんというか、
「可愛い~~~~♪」
てるてる坊主みたいな姿。
その顔も、てるてる坊主そのものといった感じにペンで描かれているような印象。
瞳は中に星があるかのごとくキラキラと輝いている描き方で、頭には可愛らしさを強調するためなのかピンクのリボンまで着けられていた。
「うきゃきゃきゃ!」
なにやら変な笑い声のようなものを上げながら、それは教室中を飛び回る。
ひょこひょこひょこ、そんな効果音が鳴りそうなほど、愛らしいとも言えるような動きで宙を舞っていた。
クラスメイトのほとんど女子であるこの教室。
可愛らしい侵入者に、黄色い声が飛び交っていた……のだけど。
「うきゃきゃきゃ……消えちゃえ!」
てるてる坊主は突然、キラキラで落書きチックな両目から、レーザービームのような光線を放つ。
ビーーーーーーーーーーーーーーーッ、ボワン!
「え……?」
レーザーは、黄色い声を上げていた筆頭の中和田さんの目の前をかすめて、彼女の机を直撃した。
と同時に、中和田さんの机は、跡形もなく、綺麗さっぱり、何事もなかったかのように、消え去っていた。
「えっ? えっ? えええっ!?」
驚きの声をただただ連発している中和田さん。
「若菜! 大丈夫か!?」
すかさず鯖月が駆け寄る。
さすが、中和田さんのナイト様だ。本人に言ったら全力で否定するだろうけど。
って、冷静に見ている場合じゃない!
僕も駆け出していた。
もちろん、星奈さんのもとへ。
「星奈さん!」
「詩穂!」
星奈さんに駆け寄ってきたのは、僕だけではなかった。小松さんも、真っ先に親友である星奈さんのもとへ向かっていたのだ。
むむむっ、僕のライバルは小松さんか!?
って、なにわけのわからないことを考えているんだか!
僕のほうもかなり動揺しているようだ。
てるてる坊主は、レーザー光線を連発できるわけではないらしく、ひょこひょこと空中を飛び跳ねながら微笑み続けている。
絵に描いたような顔、というか実際絵に描いた顔ではあったけど、その口はいつの間にやら口裂け女のように横長に開かれ、不気味な表情を作り出していた。
悲鳴が交錯する。
教室内は完全にパニックになっていた。
廊下へ飛び出そうとする生徒もいた。
ただ、どうやら廊下にもてるてる坊主がいて、レーザー光線が飛び交っているようだ。
開け放たれたドアの前では琴崎先生が、目の前をかすめたレーザー光線に驚いて腰を抜かしてしまっている。
「先生……、あなたは、生徒を安全に誘導しなければいけない立場では……」
「わ……私は逃げ道の安全を確認するために、最初にドアへ向かったのです!」
そう言われても、腰を抜かして涙目になっている状態では、全然説得力なんてないのだけど。
「うきゃきゃきゃきゃ……」
再びおかしな笑い声を上げ始めるてるてる坊主。
それに呼応するかのように、瞳のキラキラがその輝きを増していく。
「うきゃきゃきゃきゃ……消えちゃえ!」
またしても、レーザーが放たれた。
「きゃっ!」
レーザーは教室の一番後ろの端っこの席にまだ座ったままだった星野さんと、いつの間にかそばに寄り添っていた鳥河の目の前をかすめて、束ねてあったカーテンに当たる。
先ほどのレーザー攻撃同様、カーテンはやはり跡形もなく消え去った。
もしかして、あの笑い声で力を溜めて、レーザー光線を撃った?
「そのとおりですわ」
僕の考えに答えるかのようにそう言ったのは初吉さんだった。
僕は考えただけで声には出していなかったと思うのだけど……。
陰陽師の力があるとか言っていたし、その力の一端なのだろうか。
普段のほのぼのとした雰囲気に騙されてはいけないのかもしれない。
「あのレーザーは確かに強力ですけれど、どうにかして笑いを止めることさえできれば、あれは単なるてるてる坊主でしかなくなると思いますわ」
「でも、どうすれば……」
解決案は、まったく浮かばない。クラスのみんなも、黙ったままだった。
「わ……私がどうにか……! 生徒たちを、守らないと!」
「先生……。腰を抜かしている状態では、どうにもできないでしょ……」
まったく、この先生は……。
いい先生なのは間違いないと思うのだけど。
「そうですよ。生徒を守ろうとする心がけは立派ですが、無謀なことをしてはいけません」
そのとき、琴崎先生よりもっと年上と思える女性の声が凛と響いた。
僕にとっては、聞き慣れた声――。
「伯母さん……!?」
どうしてここに?
そうは思ったけど、伯母さんはこの学園の理事長だ。異常事態を察知して状況を確認するために奔走していた、といったところだろう。
と、伯母さんは躊躇することなく教室の中へと歩いていき、てるてる坊主の前に立ちはだかった。
「うきゃきゃきゃ……」
てるてる坊主の笑い声が響き始める。
ジャラッ。
伯母さんが右手を前方にかざした。
その手に握られているのは、星の飾りのペンダント?
「きゃきゃ……、な、なぜそれがここに!?」
明らかな驚愕の表情に変わり、笑い声は、止まった。
「さぁて、どうしてかねぇ?」
伯母さんがニヤリと笑う。ペンダントの星が光った。
光は一直線にてるてる坊主を照らす。
てるてる坊主に、無数の光の糸が絡まっていくように見えた。
そして――。
声もなく床に落下したてるてる坊主は、そのままピクリとも動かなくなった。
☆☆☆☆☆
「伯母さん……これは、いったい……?」
僕には、わけがわからなかった。
どうして伯母さんがここにいて、てるてる坊主を撃退できたのか。
「ふふふ。今はそんなことを訊いてる場合でもないでしょう?」
そう言った伯母さんの手には、拾い上げたてるてる坊主が握られていた。
もう、まったく動く気配はない。
鳥河と星野さんが、僕たちの前に出る。
「富永くん、このてるてる坊主は、廊下にいたのも含めて、全部湧き出てきた魔流の一部よ!」
「魔流の本体、というか親玉は、どうやら校庭にいるみたいだ。てるてる坊主たちも、そこに集まってる。さっき教室に入ってきたヤツは、たまたま迷い込んだだけだろう」
星野さんと鳥河は、意外に落ち着いた様子でそう言った。
このふたりの口から『魔流』という言葉を聞くなんて思ってもいなかった僕は、かなり驚いていたのだけど。
今はそれを気にしている場合ではない。
「『気』が必要だから、みんなで校庭に向かいましょう」
伯母さんが琴崎先生に肩を貸して立たせながら、生徒たちを誘導する。
クラスメイトはみんな、事態が呑み込めなくて困惑していた。
それでも、ともかくここは従ったほうがいい、と判断したのだろう、ぞろぞろと列になって教室から出ていき始めた。
初吉さんや中和田さん、鯖月、小松さんもそれに従う。当然ながら、僕と星奈さんも。
と、教室を出て他のクラスメイトたちに続いていこうとしたところで、星野さんから声がかかった。
「富永くんと星奈さんは反対だよ。いつもの場所へ行って!」
いつもの場所。
階段下のあの場所。
星奈さんの『家』。
「わかった!」
僕は星奈さんの手を取り、反対方向――特別教室棟に向かって駆け出した。
「こら、廊下は走っちゃいかんよ。……なんて言っている場合でもなさそうだね」
急いで廊下を走る僕たちの目の前に、ひとりの男性が立っていた。
用務員のおじさんだった。
「どうやら、すごいことになっているようだね。キミたちにすべてがかかっている、そんな気がするよ」
用務員さんはニコニコと微笑みを浮かべている。
どうしてそう思ったのか不思議ではあったけど、今は急がなければならない。
僕は、さすがに無視するわけにもいかないと考え、一旦立ち止まってはいたけど、
「用務員のおじさん、ごめんなさい。急いでいるので、僕たち行きますね」
と正直に伝えた。
「おっと、そうだね。引き止めてすまなかった。頑張るんだよ」
用務員のおじさんは、すっとその身を廊下の端に移した。
「はい、頑張ります!」
僕は元気な声を残して走り出す。
それに合わせて、僕と手をつないでいた星奈さんも引っ張られる形で走り出した。
ぺこり。
後ろに顔を向け、星奈さんが用務員さんに軽く会釈する。
「……頼んだよ」
背後から小さくつぶやくそんな声が聞こえたような気がした。
☆☆☆☆☆
いつもの場所――星奈さんの『家』に着くと、慌てた様子の桜さんが出迎えてくれた。
「なんか、大変なことになったわね。とにかく、いつもどおり出陣よ!」
そう言って、布団を指差す桜さん。
「今までと違って、過去に飛ぶわけじゃないんだよね?」
「うん、そうね。今回の魔流は、今現在の時間軸に現れてるわ。でも要領としては同じよ。過去にいるのは私のほうだから、その力とつながるために、この場所で私と同調する必要があるの」
時間がないんだから、早く!
そう急かす桜さんに言われるまま、星奈さんはいつもどおりパジャマに着替え、布団に潜って瞳を閉じる。
僕が星奈さんの手を握ると、桜さんが星奈さんのまぶたに手をかざす。
すべてが、いつもどおりだった。
幽体となった僕と星奈さんは、凄まじいスピードで校庭を目指す。
今まではこの時点で過去に飛ばされていたことになると思うけど、今回は桜さんも言っていたとおり、今現在の学校だった。
廊下を飛行して現場へと向かう僕たちの眼下には、混乱しながら逃げ惑う生徒や、校庭へと向かうクラスメイトたちが見える。
クラスメイトの何人かが大声を張り上げ、逃げ出そうとしていた生徒たちも校庭へと誘導しているようだ。
高速で飛びつつも、僕の手は星奈さんの手をしっかりと握っていた。
温かな、つながり。
「星奈さん……頑張ろう!」
僕の力強い声に、
「うん!」
星奈さんも迷うことなく応えてくれた。
壁を通り抜け、視界が開ける。
校庭に出た。
僕たちの目の前に広がる空間。
すでにたくさんの生徒たちが校庭を取り囲んでいた。
校庭には無数のてるてる坊主が飛び回っている。
とはいえ、さっきみたいなレーザー光線を放ったりはしていない。
伯母さんの姿が見えた。
伯母さんの掲げている星の飾りのペンダントから青白い光が放たれ、校庭を取り囲んでいる生徒たちに当たって反射するかのように校庭を一周し、まるで光の円を描いているみたいだった。
そして、その光の筋を円周とした円は、てるてる坊主たちをすっぽりと包み込んでいる。
おそらく、あのペンダントの力で、てるてる坊主のレーザー光線を止めているのだろう。
伯母さんにそんなことができるなんて驚きだったけど、今は驚いている場合ではない。
その光の中にあってなお、異常なほどの負の力がひしひしと感じられる巨大な魔流の姿が、そこにはあったからだ。
てるてる坊主たちを従えるかのように、校庭の中央に圧倒的な存在感を持ってそびえ立つ巨大魔流。
それは、光り輝くパネルやらスイッチやら歯車やらが無数にくっつき、大きな音を立てて動きながら、一部分からは蒸気も噴き出している、大昔のコンピューターかなにかに見えるような巨大な機械だった。